4.「古事記」 中巻 (口語訳補足付き)

本稿 「古事記神代編」 としては、次のように、「古事記」 の写本(国宝真福寺本:国立
 国会図書館近代デジタルコレクション)の上巻(神世)と中巻(神人世)を対象とし、
 下巻(人世)を対象としない。
 なお、上記写本(国宝真福寺本)の画像から、一字一字確認して原文を表記するには、
 ユニコード(UTF-8)の 「CJK統合漢字」 の中で、できるだけ近い文字を用いた。
 また、「誤字」「脱字」「重複」「脱落」 も明示した。


4.1 「古事記」 中巻 (神人世) 【第1代 神武天皇15代 応神天皇】

4.1.1 第1代 神武天皇 神倭伊波礼毘古命

五瀬命()と共に東征 (筑紫⇒豊⇒安芸⇒吉備⇒)
原文読み口語訳
神倭伊波礼

【自伊下五字
以音】
與其伊
五瀬命
【上伊二字
以音】
二柱
坐髙千穂 而
議 云
坐何地者

看天下之政
猶 思東行

即 自日向
發幸行筑紫

到豊國宇沙之時
其士人名
宇沙都比古
宇沙都比賣
【此十字 以音】
二人
作足一騰 而
獻大御饗
自其地 遷移 而
竺紫之
一年坐
亦 従其國
上幸 而
阿岐國之夛祁理
 七年坐
【自夛下三字
以音】
亦 従其國
遷上幸 而
之髙嶋
八年坐

従其國 上幸之時
乗龜甲 為釣
 来人
遇于速吸



汝者誰也
荅曰
僕者 國神
又 
汝者 知海道乎

荅曰
能知
又 
従 而 仕奉乎

荅曰
仕奉
故 
指疫槁機
引入其御舩
即 賜名
号槁根津日子
此者 倭國造等
之祖
神倭伊波礼古(カムヤマトイハレビコ)
命、
【「伊」 より下(シモ)五字、
音を以ってす】
と、其の伊兄(イロセ)
五瀬(イツセ)命の
【上(カミ)「伊」 二字、
音を以ってす】
二柱は、
髙千穂(タカチホ)に坐(イマ)して、
議(ハカ)り、云ひしく、
「何地(イズコ)に坐(イマ)さば、
平(タイラ)けく、天下(アメシモ)の政
(マツリゴト)をこし看(メ)さむ。
猶、東(ヒムガシ)に行かむと思ほ
す。」 とて、
即ち、日向(ヒナタ)より、筑紫(ツクシ)
を發
()(タ)ち、幸行(イデマ)す。
故(カレ)、
豊(トヨ)國宇沙(ウサ)に到る時、
其の士
()人(クニビト)名、
宇沙都比古(ウサツヒコ)、
宇沙都比賣(ウサツヒメ)、
【此の十字、音を以ってす】
二人、
足一騰(アシヒトアガリ)を作りて、
大御饗(オホミアヘ)を獻(タテマツ)る。
其の地より、遷移(メグ)りて、
竺紫之田(チクシノオカタ)に、
一年(ヒトトセ)坐(イマ)す。
亦、其の國より、
上(ノボ)り幸(イデマ)して、
阿岐(アキ)國の夛祁理(タギリ)
に、七年(ナナトセ)坐(イマ)す。
【「夛」 より下(シモ)三字、
音を以ってす】
亦、其の國より、
遷(メグ)り上(ノボ)り幸(イデマ)し
て、吉
()之髙嶋(キビノタカシマ)
に、八年(ヤトセ)坐(イマ)す。
故(カレ)、
其の國より、上(ノボ)り幸(イデマ)
す時、龜の甲(セ)に乗り、釣為し、
(ハブリ)
(打)ちつつ来る
人、速吸(ハヤスイト)にて遇(ア)ふ。
(シカ)くして、
()(ヨ)び歸(カヘ)して、
之をひしく、
「汝(ナ)は、誰(タレ)也。」 とて、
荅(コタ)へ曰く、
「僕(ヤツガレ)は、國神。」 と。
又、ひしく、
「汝(ナ)は、海道(ウミヂ)を知る乎
(ヤ)。」 とて、
荅(コタ)へ曰く、
「能(ヨ)く知れり。」 と。
又、ひしく、
「従ひて、仕へ奉(タテマツ)る乎
(ヤ)。」 とて、
荅(コタ)へ曰
()さく、
「仕へ奉(タテマツ)らむ。」 と。
故(カレ)、(シカ)くして、
槁機(サオ)を指し疫
()し、
其の御舩に引き入れ、
即ち、名を賜ひ、槁根津日子
(サオネツヒコ)と号(ナヅ)く。
此れは、倭國造(ヤマトクニミヤツコ)等
の祖(オヤ)。
神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)
命と同母兄の五瀬(イツセ)命の2
は、高千穂(タカチホ)宮(高祖山)
居られて、相談し、
「どこに居れば、天下を治めるこ
とができるだろうか。
やはり、東に行こうと思う。」
と云って、
直に、(竺紫)日向(ヒナタ)から、筑
紫(ツクシ)()を発って行かれた。
それで、
豊(トヨ)国宇沙(ウサ)に着いた時、
その(国人)名が、
宇沙都比古(ウサツヒコ)、
宇沙都比売(ウサツヒメ)の2人が、
足一騰(アシヒトアガリ)宮(簡単な御
殿)を作り、御馳走を献じた。
その地(豊国)から移り変って、
竺紫之岡田(チクシノオカタ)宮(筑紫
国遠賀)に、1年間居られた。
また、その(筑紫)国から、上り
行かれて、安芸(アキ)国の多祁理
(タギリ)宮に、7年間居られた。
また、その(安芸)国から、
移り上り行かれて、吉備之高島
(キビノタカシマ)宮に、
8年間居られた。
それで、その(吉備)国から、
上り行かれた時、亀の背に乗っ
て釣りをし、袖を振りながらや
って来る人に、速吸門(ハヤスイト)
(播磨国明石海峡)で出会った。
そこで、(神倭伊波礼毘古命と五
瀬命は、その人を)呼び寄せて、
「あなたは、誰か。」 と尋ねると、
(その人は)答え、
「私は、国神。」 と言った。
また、
「あなたは、潮道を知っている
か。」 と尋ねると、
(その人は)答え、
「よく、知っている。」 と言った。
また、
「従って、仕え奉げる意志がある
か。」 と尋ねると、
(その人は)答え、
「仕え奉げよう。」 と申した。
それで、そこで、
棹をさし渡して、(その人を)
の御船に引き入れ、直に、名を、
槁根津日子(サオネツヒコ)と付けた。
これは、倭(大和)国造(ヤマトクニミヤ
ツコ)達の祖先。

【補足】
兄 「五瀬」 将軍は、弟 「神倭伊
波礼毘古
」 を副将軍とする近衛
軍を率い、「竺紫日向」 から 「
紫国
」 を発ち、陸路で 「豊国
の国人、「宇沙都比古宇沙都
比売
」 に会いに行ってから、
一旦、「竺紫岡田(1年間)に戻
り、久米兵士の水軍を編成して、
筑紫国」 から出発し、瀬戸内海
を東に水行遍歴した。
安芸国(7年間)⇒「吉備国
(8年間)⇒「播磨国(速吸門=
明石海峡)

五瀬命()の敗戦死去 (速吸門⇒日下⇒紀伊)
原文読み口語訳

従國
上行之時
浪速之渡 而
泊青雲之白肩津

此時 登能那賀

【自登下九字
以音】
興軍 待向
以 戦

取可入御舩之楯 而 下立

号其地 謂楯津
今者
云日下之蓼津也


与登古戦之時
五瀬命 御手
貭登古之
病矢串



吾者 為日神之御子 向日 而 戦
不良故
貭賤奴之痛手

自今者 行 而
背 貭日
以 撃
期 而
自南方 幸之時
到血沼海
洗其御手之血故
謂血沼海也
従其地 
到紀國男之水 而 詔
貭賤奴之手

為男建 而
崩故
号其水
謂男水

陵 即 在紀國之
𥧄山也
故(カレ)、
(脱字 「其」)の國より、
上り行く時、
浪速之渡(ナミハヤノワタリ)をて、
青雲(アヲクモ)の白肩津(シラカタツ)
に泊(ハ)つ。
此の時、登能那賀
()
古(トミノナガスネビコ)、
【「登」 より下(シモ)九字、
音を以ってす】
軍(イクサ)を興し、待ち向かひ、
以って、戦ふ。
(シカ)くして、
御舩に入れ可
()(シ)楯を取り
て、下り立つ。
故(カレ)、
其の地を号(ナヅ)け、楯津(タテツ)
と謂ひ、今に(オ)いては、
日下之蓼津(クサカノタデツ)
と云ふ也。
是れに(オ)いて、
古(トミビコ)と戦ふ時、
五瀬(イツセ)命、御手に、
古(トミビコ)の
病矢串(ヤマヒヤクシ)を貭
()ふ。
故(カレ)、
()(シカ)くして、
詔(ノ)りしく、
「吾(ア)は、日神の御子を為し、
日に向かひて戦ふは、
良からずが故(ユエ)、
賤しき奴(ヤツコ)の痛手を
()ふ。
今よりは、行き(メグ)りて、
背、日を貭
()ひ、
以って、撃たむ。」 と。
期(チギ)りて、
南方(ミナミカタ)より、(メグ)り幸
(イデマ)す時、血沼(チヌ)海に到り、
其の御手の血を洗ふが故(ユエ)、
血沼(チヌ)海と謂ふ也。
其の地より、(メグ)り幸(イデマ)
し、紀(キ)國男之水(ヲノミナト)に
到りて、詔(ノ)りしく、
「賤しき奴(ヤツコ)の手を貭
()
ひ、死ぬる()(ヤ)。」 とて、
男建(ヲタケ)び為して、
崩(カムザ)るが故(ユエ)、
其の水(ミナト)を号(ナヅ)け、
(脱字 「之」)(ヲノミナト)
と謂ふ也。
陵(ミサザキ)、即ち、紀(キ)國の
𥧄(カマ)山に在る也。
それで、
(神倭伊波礼毘古命と五瀬命は)
その(播磨)国から、上り行った
時、浪速之渡(ナミハヤノワタリ)(摂津
国西生)を経て、白肩津(シラカタツ)
(河内国河内湾)に停泊した。
この時、登美能那賀須泥毘古
(トミノナガスネビコ)が、軍勢を整え、
待ち構えていて、戦闘になった。
そこで、
(神倭伊波礼毘古命と五瀬命は)
御船に入れてあった楯を持って、
降り立った。
それで、
その地を名付けて、
楯津(タテツ)と謂い、
今では、日下之蓼津(クサカノタデツ)
(河内国河内)と云うのである。
そして、
登美(能那賀須泥)毘古(トミノナガ
スネビコ)と戦った時、
五瀬(イツセ)命が、御手に、登美(
那賀須泥)毘古(トミノナガスネビコ)
の病矢串(ヤマヒヤクシ)(毒矢)を受け
てしまった。
それで、
そこで、(五瀬命は)
「私は、日神の御子であり、日に
向かう(南向きの)戦いは、不利
なので、賤しい奴(登美能那賀須
泥毘古)の痛手を被ってしまう。
今後は、迂回して、日を背にして
(北向きに)攻撃しよう。」
と語った。
(こう)誓って、(五瀬命は)
南方(ミナミカタ)(摂津国南方)から、
転回し行かれた時、
血沼(チヌ)海(和泉国茅渟海)
来て、その手の血を洗ったので、
血沼(チヌ)海と謂うのである。
その地(和泉国)から、
転回し行かれ、紀(キ)国の男之
水門(ヲノミナト)(紀伊国海部)に着
いて、語り、
「賤しい奴(登美能那賀須泥毘
)の手に掛かって死ぬのか。」
と雄叫びして、死去したので、
その水門(ミナト)を名づけて、
男之水門(ヲノミナト)(雄湊)
と謂うのである。
(五瀬命の)陵(ミサザキ)は、
正に、紀(キ)国の竃(カマ)山(紀伊
国名草)に在るのである。

熊野で苦戦の神倭伊波礼毘古命を救援
原文読み口語訳

神倭伊波礼古命
従其地 
到熊野村之時
大熊 髮出入
即 失

神倭伊波礼古命
忽 為遠延
及御軍 皆
遠延 而 伏
【遠延二字
以音】
此時
熊野之髙倉下
【此者 人名】
一横刀
天神御子之伏
地 而 獻之時
天神御子
即 

長 寢乎

受取其横刀之時
其熊野山之
自 皆 為切仆

其惑伏御軍

起之
故(カレ)、
神倭伊波礼古(カムヤマトイハレビコ)
命、其の地より、(メグ)り幸
(イデマ)し、熊野(クマノ)村に到る
時、大熊、髮
()(カス)かに出(イ)
で入り、即ち、失せる。
(シカ)くして、
神倭伊波礼古(カムヤマトイハレビコ)
命、忽(タチマ)ち、遠延(ヲエ)為し、
及び御軍(ミイクサ)、皆、
遠延(ヲエ)て、伏す。
【「遠延」 二字、
音を以ってす】
此の時、
熊野(クマノ)の髙倉下(タカクラジ)
【此れは、人名】
一(ヒト)横刀(タチ)を(モ)ち、
天神御子の伏せる地に到りて、
獻(タテマツ)る時、
天神御子、
即ち、(サト)り起き、
詔(ノ)りしく、
「長く、寢(イ)ぬる乎(ヤ)。」 と。
故(カレ)、
其の横刀(タチ)を受け取る時、其
の熊野(クマノ)山の
()ぶる神、
自づから、皆、切り仆(タオ)さる。
(シカ)くして、
其の惑(マト)ひ伏す御軍(ミイクサ)、
悉(コトゴト)く、
之を(サト)り起く。
それで、
神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)
命は、その地(紀伊国名草)から、
転回し行かれ、熊野(クマノ)村
(紀伊国那賀)に着いた時、
大熊が、幽かに出没して、
直に、去って行った。
そこで、
神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)
命は、突然、気を失い、
その兵士達も皆、気を失って、
倒れた。
この時、
熊野(クマノ)(紀伊国那賀高倉山)
の高倉下(タカクラジ)という者が、
1振りの横刀(タチ)を持って、
天神御子(神倭伊波礼毘古命)
倒れている所に来て、
(その横刀を)献上すると、
天神御子(神倭伊波礼毘古命)
は、直に、正気を取り戻し起きて、
「長く、寝ていたものか。」
と語った。
それで、
(神倭伊波礼毘古命は)
その横刀(タチ)を受け取ると、そ
の熊野(クマノ)山に居る荒ぶる国
神は、自然に、皆、切り倒された。
そこで、
その気を失い倒れていた兵士も、
すべて、正気を取り戻し起きた。

天神御子
獲其横刀之所由
髙倉下
荅曰
己夢 云
天照大神 髙木神
二柱神之命 以
召建御雷神 而

葦原中國者
伊夛玖佐夜藝帝阿
理祁理
【此十一字
以音】
我之御子等
不平
坐良志
【此二字 以音】
其葦原中國者 専
汝 所言向之國

汝建御雷神
可降

荅曰
僕 雖不降
専 有平其國之
横刀
可降是刀
此刀名
云佐士布都神
亦名 云甕布都神
亦名 布都御魂
此刀者 坐石上神

降此刀状者
穿髙倉下之倉頂
自其 堕入
故 阿佐米余玖
【自阿下五字
以音】
汝 取持
獻天神御子

如夢教 而
旦 見己倉者
信 有横刀故
以是横刀 而
獻耳
故(カレ)、
天神御子、
其の横刀(タチ)を獲(エ)し由(ユエ)
を、髙倉下(タカクラジ)にひ、
荅(コタ)へ曰く、
「己が夢、云ふ、
天照(アメテラス)大神、髙木(タカギ)
神、二柱神の命(ミコトノリ)を以ち、
建御雷(タケミカヅチ)神を召して、
詔(ノ)りしく、
『葦原中(アシハラナカ)國は、
伊夛玖佐夜藝帝阿理祁理(イタク
サヤギテアリケリ)。
【此の十一字、
音を以ってす】
我の御子等、
平らかならず
坐(イマ)す良志(ラシ)。
【此の二字、音を以ってす】
其の葦原中(アシハラナカ)國は、専(モ
ハ)ら汝(ナ)、言向(コトム)けし國。
故(カレ)、
汝(ナ)建御雷(タケミカヅチ)神、
降る可し。』 と。
(シカ)くして、
荅(コタ)へ曰
()さく、
『僕(ヤツガレ)、降らずと雖ども、
専(モハ)ら、其の國を平(タイラ)ぐ
る横刀(タチ)有り、
是の刀を降す可し。
此の刀名、
佐士布都(サジフツ)神と云ふ、
亦の名、甕布都(ミカフツ)神と云ふ、
亦の名、布都御魂(フツミタマ)、
此の刀は、石上(イソノカミ)神
坐(イマ)す也。
此の刀を降す状(サマ)は、
髙倉下(タカクラジ)の倉の頂を穿
ち、其れより、堕(オロ)し入れむ。
故(カレ)、阿佐米余玖(アサメヨク)
【「阿」 より下(シモ)五字、
音を以ってす也】
汝(ナ)、取り持ち、
天神御子に獻(タテマツ)れ。』と。
故(カレ)、
夢の教への如くして、
旦(アシタ)、己が倉を見れば、
信(マコト)に、横刀(タチ)有るが故
(ユエ)、是の横刀(タチ)を以って、
獻(タテマツ)る耳(ノミ)。」 と。
それで
天神御子(神倭伊波礼毘古命)
が、その横刀(タチ)を手に入れた訳
を、高倉下(タカクラジ)に尋ねると、
(高倉下は)答え、
「私の夢が、云うには、
天照(アメテラス)大御神高木(タカギ)
神の2神の命令で、
建御雷(タケミカヅチ)神を呼び寄せ、
『葦原中(アシハラナカ)国は、
大変騒がしいことであった。
私の御子達は、
平穏でないらしい。
その葦原中(アシハラナカ)国は、
専らあなたが、従わせた国。
それで、あなた建御雷(タケミカヅチ)
神が、降る可き。』と語った。
そこで、
(建御雷神は)答え、
『私が、降らずとも、専ら、その
(葦原中国)を平定した横刀(タ
チ)があり、この刀を降す可き。』
と申した。
この刀名は、
佐士布都(サジフツ)神と云い、
亦の名は、甕布都(ミカフツ)神と云
い、亦の名は、布都御魂(フツミタマ)、
この刀は、石上(イソノカミ)神宮(
和国山辺石上)に在るのである。
『この刀を降す様は、高倉下(タカ
クラジ)の倉の棟に穴を開け、
その穴から落とし入れよう。
それで、(その刀を)朝目に良く
見付け、あなたが取り持って、天
神御子に献上せよ。』と申した。
それで、
夢のお告げの通りに、
朝、自分の倉を見ると、本当に、
横刀(タチ)があったので、この横
刀(タチ)を、献上するばかり。」
と言った。

【補足】
建御雷之男」 が、「葦原中国
(出雲)を平定した時の 「横刀
を再び使用。
刀名の 「佐士布都」、「甕布都」、
布都御魂」 等の 「布都」 は、
建御雷之男」 の亦の名、「建布
」、「豊布都」 等に由来。

八咫烏の先導で進軍 (熊野⇒吉野⇒宇陀)
原文読み口語訳
是 亦
木大神之命
以 覺
白之
天神御子
自此 奧方
莫使
入幸
神 甚夛
今 白天
遣八咫烏故
其八咫烏
引道
従其立後 應
幸行
是れに(オ)いて、亦、
(脱字 「髙」)木(タカギ)大神の命
(ミコトノリ)を以って、覺(サト)し、
之を白さく、
「天神御子、
此れより、奧方(オクツカタ)に、
使
(便)(スナハ)ち、
入り幸(イデマ)すこと莫(ナ)かれ。
()ぶる神、甚だ夛し。
今、天(アメ)白
()(ヨリ)、
八咫烏(ヤタカラス)を遣はすが故
(ユエ)、其の八咫烏(ヤタカラス)、
引道(ミチビ)かむ。
其の立てる後より、應(マサ)に、
幸行(イデマ)すべし。」 と。
そして、また、
高木(タカギ)大神の命令で諭し、
「天神御子(神倭伊波礼毘古命)
は、ここから、奥の方面(奥熊野)
に、直に、入って行かれるな。
荒ぶる国神が、大変多い。
今、都から、八咫烏(ヤタカラス)を遣
わすので、その八咫烏(ヤタカラス)が
(奥熊野を避けて)先導しよう。
その飛んで行く後について行か
れるべき。」 と申した。

【補足】
八咫烏」 は、「神倭伊波礼毘
」 軍に追加派遣された斥候。

随其教覺
従其八咫烏之後
幸行者
到吉野河之河尻時
作筌
有取魚人

天神御子 
汝者 誰也
荅曰
僕者 國神
名 謂贄持之子

此者 阿之鵜養
之祖
従其地 幸行者
生尾人
自井 出来
其井 有光
 
汝 誰也
荅曰
僕者 國神
名 謂井氷鹿
此者 吉野首等
祖也
即 入其山之
亦 遇生尾人
此人 押分巖 而 出来
 
汝者 誰也
荅曰
僕者 國神
名 謂石押分之子
今  天神御子
幸行故
向耳
此者 吉野國
之祖
自其地 蹈穿
越幸宇

曰宇之穿也
故(カレ)、
其の教へ覺(サト)しの随(マニマ)に、
其の八咫烏(ヤタカラス)の後より、
幸行(イデマ)せば、
吉野(ヨシノ)河の河尻に到る時、
筌(ウケ)を作り、
魚(イヲ)を取る人有り。
(シカ)くして、
天神御子、ひしく、
「汝(ナ)は、誰(タレ)也。」 とて、
荅(コタ)へ曰
()さく、
「僕(ヤツガレ)は、國神、
名、贄持
()之子(ニヘノミノコ)
と謂ふ。」 と。
此れは、阿之鵜養(アダノウカヒ)
の祖(オヤ)。
其の地より、幸行(イデマ)せば、
尾(ヲ)を生(オ)ふ人、
井より、出(イ)で来る。
其の井、光有り。
(シカ)くして、ひしく、
「汝(ナ)は、誰(タレ)也。」 とて、
荅(コタ)へ曰
()さく、
「僕(ヤツガレ)は、國神、
名、井氷鹿(イヒカ)と謂ふ。」 と。
此れは、吉野首(ヨシノオビト)等
の祖(オヤ)也。
即ち、其の山之
()に入り、
亦、尾(ヲ)を生(オ)ふ人に遇ふ。
此の人、巖(イハホ)を押し分けて、
出(イ)で来たり。
(シカ)くして、ひしく、
「汝(ナ)は、誰(タレ)也。」 と。
荅(コタ)へ曰
()さく、
「僕(ヤツガレ)は、國神、名、
石押分之子(イハオシワクノコ)と謂ふ。
今、天神御子、
幸行(イデマ)すとくが故(ユエ)、
()ひ向かふ耳(ノミ)。」 と。
此れは、吉野(ヨシノ)國(クズ)
の祖(オヤ)。
其の地より、蹈み穿(ウガ)ち、
(ウダ)に越へ幸(イデマ)す
が故(ユエ)、
之穿(ウダノウガチ)と曰ふ也。
それで、(天神御子は)
その教諭の通り、その八咫烏
(ヤタカラス)の後から、行かれると、
吉野(ヨシノ)川の川下(大和国宇智
阿陀)に着いた時、筌(ウケ)を作
り、魚を取っている人が居た。
そこで、
天神御子(神倭伊波礼毘古命)
「あなたは、誰か。」 と尋ねると、
(その人は)答え、
「私は、国神で、名は、贄特之子
(ニヘノミノコ)と謂う。」 と申した。
これは、阿陀之鵜飼(アダノウカヒ)
の祖先。
その地から、行かれると、尻尾
の生えた人が、泉から出て来た。
その泉は、光っていた。
そこで、(天神御子が)
「あなたは、誰か。」 と尋ねると、
(その人は)答え、
「私は、国神で、名は、井氷鹿(イヒ
カ)と謂う。」 と申した。
これは、吉野首(ヨシノオビト)達の
祖先である。
直に、その(先の)山中(大和国
吉野国栖)に入り、
また、尻尾の生えた人に会った。
この人は、巌の間から出て来た。
そこで、(天神御子が)
「あなたは、誰か。」 と尋ねると、
(その人は)答え、
「私は、国神で、名は、石押分之子
(イハオシワクノコ)と謂う。
今、天神御子が、来られたと聞い
て、参ったばかり。」 と申した。
これは、吉野国栖(ヨシノクズ)の
祖先。
その地から、山を宇陀(ウダ)(
和国宇陀)に越え行かれたので、
宇陀之穿(ウダノウガチ)というの
である。

【補足】
斥候 「八咫烏」 は、「天神御子
軍の吉野ルートを先導。

久米歌で進撃大和国平定 (宇陀⇒忍坂⇒畝傍)
原文読み口語訳
故 

有兄宇迦斯
【自宇以下三字
以音
下效此也】
弟宇迦斯二人

先遣八咫烏
二人 曰
今天神御子 幸行
汝等 仕奉


兄宇迦斯
以鳴鏑
待射返其使

其鳴鏑所落之地
謂訶夫羅前也
故(カレ)、(シカ)くして、
(ウダ)に、
兄宇迦斯(エウカシ)、
【「宇」 より下(シモ)三字、
音を以ってし、
下(シモ)此れに效(ナラ)へ也】
弟宇迦斯(オトウカシ)の二人有り。
故(カレ)、
先に遣はす八咫烏(ヤタカラス)、
二人にひ、曰く、
「今、天神御子、幸行(イデマ)す。
汝(ナ)等、仕へ奉(タテマツ)る
乎(ヤ)。」 と。
是れに(オ)いて、
兄宇迦斯(エウカシ)、
鳴鏑(ナリカブラ)を以って、
其の使を待ち射返す。
故(カレ)、
其の鳴鏑(ナリカブラ)落ちし地、
訶夫羅前(カブラサキ)と謂ふ也。
それで、そこで、
宇陀(ウダ)(大和国宇陀)に、
兄宇迦斯(エウカシ)、
弟宇迦斯(オトウカシ)の2人が居た。
それで、先に遣わした八咫烏
(ヤタカラス)が、(その)2人に尋ね、
「今、天神御子が来られる。
あなた達は、仕え奉げるか。」
と言った。
そして、
兄宇迦斯(エウカシ)は、
鏑矢(カブラヤ)で、その使者(
咫烏)を待ち受け、射返した。
それで、その鏑矢(カブラヤ)の落
ちた地が、訶夫羅前(カブラサキ)
(大和国宇陀)と謂うのである。

【補足】
使者 「八咫烏」 は、「訶夫羅前
で、「兄宇迦斯」 に射殺された。
將 待撃 云 而
聚軍

不得聚軍者
欺陽 仕奉 而
作大殿
其殿内
作押機 待時
弟宇迦斯

拜曰
僕兄 兄宇迦斯
射返天神御子之使
將 為待攻 而
聚軍 不得聚者
作殿
其内 張押機
將 待取故

顕白

大伴連等之祖
道臣命
久米直等之祖
大久米命二人
召兄宇迦斯
罵詈 云
伊賀
【此字 以音】
所作仕奉
大麻内者
意礼
【此二字 以音】
先入 明白
其將為仕奉之状
而 即
握横刀之手上
弟由氣
【此二字 以音】
 而
追入之時
乃 己所作押見打
而 死

即 控出
斬散故
其地 謂宇之血
原也
然 而
其弟宇迦斯之獻大
饗者 悉
賜其御軍
此時 歌 曰
 能夛加紀
 志藝和那波留
 和賀麻都夜
 志藝波佐夜良受
 久波斯
 久治良佐夜流
 古那
 那許彼佐婆
 夛知曽婆能
 微能那祁久袁
 許紀志斐恵泥
 宇波那理賀
 那許婆佐婆
 伊知佐加紀
 微能意冨祁久袁
 許紀斐恵泥
 疊々
【音引】
 志夜胡志夜
 此者伊能基布曽

【此五字 以音】
 阿々
【音引】
 志夜胡志夜
 此者嘲咲者也


其弟宇迦斯
此者 宇 水取
等之祖也
將に、待ち撃たむと云ひて、
軍(イクサ)を聚(アツ)む。
然(シカ)れども、
軍(イクサ)聚(アツ)むるを得ざれば、
仕へ奉(タテマツ)らむと欺陽(アザム)
きて、大殿(オホトノ)を作り、
其の殿内(トノウチ)に、
押機(オシ)を作り、待つ時、
弟宇迦斯(オトウカシ)、
先に、
()ひ向かひ、
拜(オロガ)み曰
()さく、
「僕(ヤツガレ)が兄(エ)、兄宇迦斯
(エウカシ)、天神御子の使を射返し、
將に、待ち攻めむと為して、
軍(イクサ)を聚(アツ)むるに、聚(アツ)
め得ざれば、殿を作り、
其の内、押機(オシ)を張り、
將に、待取らむとするが故(ユエ)、
()ひ向かひ、
顕(アラハ)し白す。」 と。
(シカ)くして、
大伴連(オホトモムラジ)達の祖(オヤ)、
道臣(ミチオミ)命、
久米直(クメアタヘ)等の祖(オヤ)、
大久米(オホクメ)命の二人、
兄宇迦斯(エウカシ)を召し、
罵詈(ノノシ)り、云ひしく、
「伊賀(イガ)、
【此の字、音を以ってす】
作り、仕へ奉(タテマツ)りし
大殿の内には、
意礼(オレ)、
【此の二字、音を以ってす】
先ず入りて、其の將に仕へ奉(タ
テマツ)らむとの状(サマ)を為して、
明かし白すべし。」 とて、即ち、
横刀(タチ)の手上(タカミ)を握り、
()(ホコ)由氣(ユケ)、
【此の二字、音を以ってす】
()(ヤサシ)して、
追ひ入るの時、
乃ち、己が作りし押
(脱字 「機」)
(オシ)に打たれて、死にき。
(シカ)くして、
即ち、控(ヒ)き出(イ)だし、
斬り散らすが故(ユエ)、
其の地、宇之血原(ウダノチハラ)
と謂ふ也。
然(シカ)して、
其の弟宇迦斯(オトウカシ)の獻(タテマ
ツ)れる大饗(オホミアヘ)は、悉(コトゴ
ト)く、其の御軍(ミイクサ)に賜ふ。
此の時、歌ひ、曰く。
 能夛加紀(ウダノタカキニ)
 志藝和那波留(シギワナハル)
 和賀麻都夜(ワガマツヤ)
 志藝波佐夜良受(シギハサヤラズ)
 
()久波斯(イスクハシ)
 久治良佐夜流(クジラサヤル)
 古那賀(コナミガ)
 那許彼佐婆(ナコヒサバ)
 夛知曽婆能(タチソバノ)
 微能那祁久袁(ミノナケクヲ)
 許紀志斐恵泥(コキシヒエネ)
 宇波那理賀(ウハナリガ)
 那許婆佐婆(ナコバサバ)
 伊知佐加紀(イチサカキ)
 微能意冨祁久袁(ミノオホケクヲ)
 許紀斐恵泥(コキダヒエネ)
 
()()(エーエー)
【音、引く】
 志夜胡志夜(シヤコシヤ)
 此れは、伊能基
()布曽
 (イノゴフソ)
【此の五字、音を以ってす】
 阿阿(アーアー)
【音、引く】
 志夜胡志夜(シヤコシヤ)
 此れは、嘲咲(アザワラ)ふ者也

故(カレ)、
其の弟宇迦斯(オトウカシ)、
此れは、宇(ウダ)、水取(モヒトリ)
等の祖(オヤ)也
(兄宇迦斯は、天神御子を)迎え
撃とうと云って、兵士を集めた。
しかし、
兵士を集めることができなかっ
たので、(天神御子のために)
え奉げようと偽って、
大きな御殿を作り、その御殿内
に、罠を仕掛け、待っていると、
弟宇迦斯(オトウカシ)が、先に、
(天神御子に)面会し、拝礼して、
「私の兄の兄宇迦斯(エウカシ)は、
天神御子(神倭伊波礼毘古命)
使者を射返し、(天神御子を)
え撃とうとしても、兵士を集め
られなかったので、御殿を作り、
その中に罠を仕掛け、(天神御子
)殺そうとしているため、
(私、弟宇迦斯が)参り、隠さず申
している。」 と申した。
そこで、大伴連(オホトモムラジ)達の
祖先の道臣(ミチオミ)命と、
久米直(クメアタヘ)達の祖先の大久
米(オホクメ)命の2人が、兄宇迦斯
(エウカシ)を呼び寄せ、罵(ノノシ)り、
「おまえが、作り、仕え奉げた大
きな御殿の中には、おまえが、先
ず入って、その仕え奉げようとす
る様をして、明確に説明せよ。」
と云って、
直に、横刀(タチ)の柄(ツカ)を握り、
矛(ホコ)を構え、弓矢を構えて、
(その御殿の中に、兄宇迦斯を)
追い込んだところ、
直に、兄宇迦斯(エウカシ)は、自分が
作った罠に打たれて死んだ。
そこで、(御殿から)直に、
引き出し、寸々に斬ったので、
その地を宇陀之血原(ウダノチハラ)
(大和国宇陀)と謂うのである。
そこで、(天神御子は)
その弟宇迦斯(オトウカシ)が、献上
した御馳走は、すべて、その
(天神御子の)兵士に与えた。
この時、歌い、次の通り。
 宇陀(ウダ)の田掻(タカ)きに、
 鴫(シギ)罠張る、我が待つや
 鴫(シギ)は、障(サヤ)らず
 磯美(イスクハ)し鯨、障(サヤ)る
 嫡妻(コナミ)が、肴(ナ)乞ひさば
 立ち蕎麦(ソバ)の実の無けくを
 扱(コ)きし削(ヒ)えね
 後妻(ウハナリ)が、肴(ナ)乞ばさば
 (イチサカキ)実の多けくを
 扱(コ)きだ削(ヒ)えね
 良(エ)しや、鼓(コ)しや
 此れは、期剋(イノゴ)ふそ
 悪(ア)しや、鼓(コ)しや
 此れは、嘲咲(アザワラ)ふ者也

それで、その弟宇迦斯(オトウカシ)
は、宇陀(ウダ)、水取(モヒトリ)達の
祖先である。

【補足】
天神御子=神倭伊波礼毘
」 軍は、紀国上陸以来、在地
勢力(国神)を味方にした。
紀国熊野 「高倉下
大和国吉野
 贄特之子井氷鹿
 石押分之子
大和国宇陀
 弟宇迦斯

宇陀之血原」 戦勝歌
 宇陀の代掻き田に、鴫罠張って
 我は待ったが、鴫は掛からず
 磯で麗しい鯨が掛かる
 その肴、古妻が欲しがりゃ
 実の無い所を取ってやれ
 その肴、新妻が欲しがりゃ
 実の多い所を取ってやれ
 しゃ、こしゃ、景気良く
 しゃ、こしゃ、笑い者
自其地 幸行
到忍故大室之時
生尾
【訓 云具毛】
八十建
在其室
待伊那流
【此三字 以音】
故 
天神御子之命
以饗 賜八十建

宛八十建
設八十膳夫
毎人 佩刀
誨其膳夫等 曰
歌之者
一時 共斬

明將 打其雲之
歌 曰
 意佐賀能
 意冨牟廬夜
 比登佐波
 岐伊理袁理
 比登佐波
 伊理袁理登
 都斯
 久米能古賀
 久夫都々伊
 々斯都々伊
 宇知弖斯衣麻牟

 都斯
 久米能古良賀
 久夫都々伊
 々斯都々伊
 伊麻宇夛婆余良
 
如此 歌 而
拔刀 一時
打殺也
其の地より、幸行(イデマ)し、
忍故
()大室(オサカオホムロ)に到る
時、尾(ヲ)を生(オ)ふ雲(ツチグモ)
【訓み、具毛(グモ)と云ふ】
八十建(ヤソタケル)、
其の室(ムロ)に在り、
待ち伊那流(イナル)。
【此の三字、音を以ってす】
故(カレ)、(シカ)くして、
天神御子の命(ミコトノリ)、饗(アヘ)を
以って、八十建(ヤソタケル)に賜ふ。
是れに(オ)いて、
八十建(ヤソタケル)に宛て、
八十膳夫(ヤソカシハデ)を設(マ)け、
人毎、刀を佩き、其の膳夫(カシハ
デ)等に誨(オシ)へ、曰く、
「歌をかば、
一時、共に斬れ。」
故(カレ)、
將に、其の雲(ツチグモ)を打たむ
と明かす歌、曰く。
 意佐賀能(オサガノ)
 意冨牟廬夜(オホムロヤニ)
 比登佐波(ヒトサハニ)
 岐伊理袁理(キイリヲリ)
 比登佐波(ヒトサハニ)
 伊理袁理登(イリヲリトモ)
 都斯(ミツミツシ)
 久米能古賀(クメノコガ)
 久夫都都伊(クブツツイ)
 伊斯都都伊知(イシツツイモチ)
 宇知弖斯衣
()麻牟(ウチテシヤ
 マム)
 都斯(ミツミツシ)
 久米能古良賀(クメノコラガ)
 久夫都都伊(クブツツイ)
 伊斯都都伊知(イシツツイモチ)
 伊麻宇夛婆余良斯(イマウタバヨロシ)

此(カク)の如く、歌ひて、
刀を拔き、一時、
打ち殺(シ)す也。
その地(大和国宇陀)から行か
れ、忍坂大室(オサカオホムロ)(大和国
城上忍坂)に着いた時、
尻尾の生えた土蜘蛛(ツチグモ)の
八十建(ヤソタケル)(多くの族長)が、
その室(ムロ)で、待ち構えていた。
それで、そこで、
天神御子(神倭伊波礼毘古命)
命令で、御馳走を八十建(ヤソタケル)
(多くの族長)に下賜した。
そして、八十建(ヤソタケル)(多くの
族長)に、八十膳夫(ヤソカシハデ)
(多くの料理人)を当てがい、
各人は、刀を佩き、その膳夫(カシ
ハデ)(料理人)達に教え、
(合図の)歌を聞いたら、(担当
)八十建(ヤソタケル)(多くの族長)
を一斉に斬れ。」
と言った。
それで、
その土蜘蛛(ツチグモ)を討つ合図
の歌は、次の通り。
 忍坂(オサカ)の大室屋(オホムロヤ)
 に、人多(ヒトサハ)に、来入り居り、
 人多(ヒトサハ)に、入り居りとも、
 満つ満つし、久米(クメ)の子が、
 頭椎(クブツツ)い、石椎(イシツツ)い
 持ち、撃ちてし止まむ
 満つ満つし、久米(クメ)の子ら
 が、頭椎(クブツツ)い、石椎(イシツツ)
 い持ち、今、撃たばよろし

このように、歌って、刀を抜き、
いちどきに打ち殺したのである。

【補足】
忍坂大室」 戦歌
 忍坂の大室に多勢の人が居て
 どんなに多勢の人が居ても
 元気満々の久米の兵士が
 頭椎石椎の太刀を持って
 敵を撃ってやる、今や撃て
然後
將 撃登
之時
歌 曰
 都斯
 久米能古良賀
 阿波布
 良比登
 曽泥賀
 曽泥米都那藝弖
 宇知弖志夜麻牟

又 歌 曰
 都斯
 久米能古良賀
 加岐
 宇恵志波士加
 久知比々久
 和礼波和礼志

 宇知弖斯夜麻牟

又 歌 曰
 加牟加是能
 能宇
 意斐志
 波比登冨
 志夛
 伊波比登冨理
 宇知弖志夜麻牟
然(シカ)る後、
將に、登古(トミビコ)を撃たむ
とする時、
歌ひ、曰く。
 都斯(ミツミツシ)
 久米能古良賀(クメノコラガ)
 阿波布波(アハフニハ)
 良比登登(ガミラヒトモト)
 曽泥賀登(ソネガモト)
 曽泥米都那藝弖(ソネメツナギテ)
 宇知弖志夜麻牟(ウチテシヤマム)

又、歌ひ、曰く。
 都斯(ミツミツシ)
 久米能古良賀(クメノコラガ)
 加岐(カキモトニ)
 宇恵志波士加(ウエシハジカミ)
 久知比比久(クチヒヒク)
 和礼波和
()礼志()
 (ワレハワスレジ)
 宇知弖斯夜麻牟(ウチテシヤマム)

又、歌ひ、曰く。
 加牟加是能(カムカゼノ)
 能宇能(イセノウミノ)
 意斐志(オヒシニ)
 波比登冨布(ハヒモトホロフ)
 志夛能(シタダミノ)
 伊波比登冨理(イハヒモトホリ)
 宇知弖志夜麻牟(ウチテシヤマム)
その後、登美(能那賀須泥)毘古
(トミノナガスネビコ)を撃とうとした
時、歌い、次の通り。
 満つ満つし、久米(クメ)の子らが
 粟生(アハフ)には、韮(ガミラ)一本、
 其ね蒲(ガモ)と、其ね芽繋ぎて、
 撃ちてし止まむ
また、歌い、次の通り。
 満つ満つし、久米(クメ)の子らが
 (モト)に、植えし椒(ハジカミ)
 口疼(ヒヒ)く、我は忘れじ
 撃ちてし止まむ
また、歌い、次の通り。
 神風の伊瀬の海の御(オ)石に、
 這ひろふ細螺(シタダミ)の、
 い這ひり、撃ちてし止まむ

【補足】
登美能那賀須泥毘古」 対戦歌
 元気満々の久米の兵士達の粟
 畑には韮1本、その蒲とその芽
 と一緒に、敵を撃ってやる

 元気満々の久米の兵士達が
 垣本に植えた山椒の辛さを
 我は忘れずに、敵を撃ってやる

 暴風の伊瀬の海(響灘)の石に
 這い回る小巻貝のように
 這い回って、敵を撃ってやる

撃兄師木 弟師木
之時
御軍 暫疲

歌 曰
 夛夛那米弖
 伊那佐能夜麻能
 許能麻用
 伊由岐麻毛良比
 夛夛加閇婆
 和礼波夜恵奴
 志麻都登理
 宇加比賀登
 伊麻許泥

又、
兄師木(エシキ)、弟師木(オトシキ)
を撃つ時、
御軍(ミイクサ)、暫(シマ)し疲る。
(シカ)くして、
歌ひ、曰く。
 夛夛那米弖(タタナメテ)
 伊那佐能夜麻能(イナサノヤマノ)
 許能麻用(コノマヨモ)
 伊由岐麻毛良比(イユキマモラヒ)
 夛夛加閇婆(タタカヘバ)
 和礼波夜恵奴(ワレハヤエヌ)
 志麻都登理(シマツトリ)
 宇加比賀登(ウカヒガトモ)
 伊麻
()許泥(イマスケニ
 コネ)
また、
兄師木(エシキ)弟師木(オトシキ)を
撃つ時、御子軍は暫し疲れた。
そこで、歌い、次の通り。
 楯(タタ)並(ナ)めて、伊那佐(イナサ)
 の山の木間(コノマ)よも、
 い行(ユ)き守(マモ)らひ戦へば、
 我(ワレ)、はや飢(エ)ぬ、島つ鳥、
 鵜飼(ウカヒ)が伴(トモ)、
 今、助(ス)けに来(コ)ね
【補足】
兄師木弟師木」 対戦歌
 楯を並べ、伊那佐山(大和国宇
 )の林間を四方に行き、防戦
 したので、我は、腹が減った
 鵜飼部よ、今直ぐ、助けに来い
故 
迩藝速日命

白 天神御子
天神御子
天降坐故
 降来

獻天津瑞
以 仕奉也

迩藝速日命
娶登古之妹

生子
宇麻志麻遅命
此者 物部連
穂積臣
臣祖也

如此 言向
予和夫琉神等

【夫琉二字
以音】
退撥不伏之人等
而 坐畝火之白梼
原宮
治天下也
故(カレ)、(シカ)くして、
迩藝速日(ニギハヤヒ)命、
()ひ赴(オモム)き、
天神御子に、白さく、
「天神御子、天(アメ)降り坐(イマ)
すとくが故(ユエ)、
追ひ
()り、降り来る。」とて、
即ち、
天津瑞(アメツシルシ)を獻(タテマツ)り、
以って、仕へ奉(タテマツ)る也。
故(カレ)、
迩藝速日(ニギハヤヒ)命、
古(トミビコ)の妹(イモ)、
賣(トミヤビメ)を娶り、
生める子、
宇麻志麻遅(ウマシマヂ)命。
此れは、物部連(モノベムラジ)、
穂積臣(ホヅミオミ)、
臣(ウネオミ)の祖(オヤ)也。
故(カレ)、
此(カク)の如く、言向(コトム)け、
()夫琉(アラブル)神等を
()和(タイラナ)ぎ、
【「夫琉」 二字、
音を以ってす】
伏(マツロ)はぬ人等を退(ノ)け撥
(ノゾ)きて、畝火之白梼原(ウネビ
ノカシハラ)宮に坐(イマ)し、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
それで、そこで、
迩芸速日(ニギハヤヒ)命が、
参上して来て、
天神御子(神倭伊波礼毘古命)
「天神御子が、天降って居られる
と聞いて、追い、降って来た。」
と申して、
直に、天族の印を献上して、
仕え奉げたのである。
それで、迩芸速日(ニギハヤヒ)命は、
登美(能那賀須泥)毘古(トミノナガ
スネビコ)の妹の登美夜毘売(トミヤ
ビメ)を娶り、生んだ子は、
宇麻志麻遅(ウマシマヂ)命、
これは、物部連(モノベムラジ)、
穂積臣(ホヅミオミ)、
臣(ウネオミ)の祖先である。
それで、
(天神御子は)このように、
荒ぶる神達を従わせ、平定し、
服従しない人達を撃退して、
畝傍之橿原(ウネビノカシハラ)宮
(大和国高市)に居られ、
天下を治めたのである。

【補足】
迩芸速日」 は、「葦原中国」 平
(第1次)で行ったままの、
天之菩卑」 の子孫。

神倭伊波礼毘古命の子孫
原文読み口語訳

坐日向時
娶阿夛之小椅君妹
名 阿比良比賣
【自阿以下五字
以音】
生子
夛藝志
次 岐
二柱 坐也
然 更
求為太后之人時
大久米命 白
 有媛女
是 謂神御子
其所以謂神御子者
三嶋湟咋之女
名 夛良比

其容姿 麗 故
和之大物主神
見感 而 其
為大便之時
塗矢
自其為大便之溝
流下
突其人之冨登
【此二字 以音
下效此】


人 驚 而
立 走伊岐伎
【此五字 以音】

將来其矢
置 床邊 怱
成麗壮夫
即 娶其
生子
名 謂冨登夛夛良
岐比賣命
亦名 謂比賣夛夛
良伊氣余理比賣

是者 悪其冨登云
事 後 改名者也
故 是以
謂神御子也
故(カレ)、
日向(ヒナタ)に坐(イマ)す時、阿夛
(アタ)の小椅(ヲバシ)君の妹(イモ)、
名、阿比良比賣(アヒラヒメ)を娶り、
【「阿」 より下(シモ)五字、
音を以ってす】
生める子、
夛藝志(タギシミミ)命、
次、岐
()(キスミミ)命、
二柱、坐(イマ)す也。
然(シカ)れども、更に、太后(オホキ
サキ)と為す人(ヨヒト)を求むる
時、大久米(オホクメ)命、白さく、
「此(コナヒダ)、媛女(ヲトメ)有り、
是れ、神御子と謂ふ。
神御子と謂ふ其の所以(ユエン)は、
三嶋湟咋(ミシマミゾクヒ)の女(ヲミナ)、
名、夛良比賣(セヤダタラヒメ)、

其の容姿(カタチ)、麗し(ヨ)きが
故(ユエ)、和(ミワ)の大物主(オホ
モノヌシ)神、見感(ミメ)でて、
其の人(ヨヒト)、大便(クソマ)らむ
と為す時、
()塗(ニヌリ)矢に
化(カハ)り、其の大便(クソマ)らむと
為す溝より、流れ下り、
其の人(ヨヒト)の冨登(ホト)
【此の二字、音を以ってし、
下(シモ)此れに效(ナラ)へ】
を突く。
(シカ)くして、
其の人(ヨヒト)、驚きて立ち、
走り伊
(須須)岐伎(イススキキ)。
【此の五字、音を以ってす】
乃ち、
其の矢を將(モ)ち来たし、
床邊(トコヘ)に置き、怱(ニハカ)に、
麗しき壮夫(ヲトコ)と成る。
即ち、其の人(ヨヒト)を娶り、
生める子、
名、冨登夛夛良伊
(須須)
比賣(ホトタタライススキヒメ)命と謂ひ、
亦の名、比賣夛夛良伊
()
余理比賣(ヒメタタライスケヨリヒメ)と
謂ふ。
是れは、其の冨登(ホト)と云ふ事
を悪(ニク)み、後に、名を改む也。
故(カレ)、是れを以って、
神御子と謂ふ也。」 と。
それで、(天神御子が)
(竺紫)日向(ヒナタ)に居られた時、
阿多(アタ)の小椅(ヲバシ)君の妹、
名が阿比良比売(アヒラヒメ)を娶り、
生んだ子は、
当芸志美美(タギシミミ)命、
次に、岐須美美(キスミミ)命
2神が(橿原宮に)居られた。
しかし、(天神御子が)更に、
皇后にする美人を求めると、
大久米(オホクメ)命が、
「近頃、美しい乙女が居て、
この乙女は、神御子と謂う。
その神御子と謂う訳は、
三島湟咋(ミシマミゾクヒ)の娘、名が、
勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)は、
容姿が美しいため、
美和(三輪)の大物主(オホモノヌシ)
(大年神)の子孫が、一目惚れ
して、その美人が、大便をしよう
としている時、丹塗りの矢に化
けて、その大便をしようとして
いる(厠の)溝から流れ下り、
その美人の陰部を突いた。
そこで、その美人は、驚いて立ち、
慌てふためいた。
そこで、その矢を持って来て、
床の傍に置くと、
(矢は)突然、立派な男に成った。
直に、(立派な男、大物主神は)
その美人を娶り、生んだ子は、
名は、冨登多多良伊須須岐比売
(ホトタタライススキヒメ)命と謂い、
亦の名は、比売多多良伊須気余
理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と謂う。
これは、その冨登(ホト)と云うのを
嫌い、後で、名を改めたのである。
それで、そこで、神御子と謂うの
である。」 と申した。

【補足】
神倭伊波礼毘古」 は、「竺紫日
」 から、妻 「阿比良比売」 と
子 「多芸志美美岐須美美
を、「橿原宮」 に連れて来ていた
が、更に、美人皇后を求めると、
大久米」 が、「大物主(大年
の子孫)の娘 「比売多多良伊須
気余理比売
」 を紹介した。

七媛女 遊行
髙佐土野
【佐士二字
以音】
氣余理比賣
在其中

大久米命
見其伊氣余理比
賣 而 以歌 白
()天皇 曰
 夜麻登能
 夛加佐士怒袁
 那々由久
 袁登賣梯
 夛礼表志摩加牟


氣余理比賣者
立其媛女等之前

乃 天皇
見其媛女等 而
御心 知
氣余理比賣

以歌()荅曰
 賀都賀都
 伊夜佐岐弖流
 延袁斯麻加牟
是れに(オ)いて、
七媛女(ヲトメ)、髙佐土
()野(タカ
サジノ)に遊び行き、
【「佐士」 二字、
音を以ってす】
()氣余理比賣(イスケヨリヒ
メ)、其の中に在り。
(シカ)くして、
大久米(オホクメ)命、
其の伊
()氣余理比賣(イスケ
ヨリヒメ)を見て、歌を以って、
天皇(スメラミコト)に白し、曰く、
 夜麻登能(ヤマトノ)
 夛加佐士怒袁(タカサジノヲ)
 那那由久(ナナユク)
 袁登賣梯
()(ヲトメドモ)
 夛礼表
()志摩加牟(タレヲシマ
 カム)
(シカ)くして、
()氣余理比賣(イスケヨリヒメ)
は、其の媛女(ヲトメ)等の前(サキ)
に立つ。
乃ち、天皇(スメラミコト)、
其の媛女(ヲトメ)等を見て、
御心、
()氣余理比賣(イスケヨリヒ
メ)、前(イヤサキ)に立つを知り、
歌を以って、荅(コタ)へ曰く。
 賀都賀都(ガツガツモ)
 伊夜佐岐弖流(イヤサキダテル)
 延袁斯麻加牟(エヲシマカム)
そして、
7人の乙女が、高佐士野(タカサジノ)
(大和国山辺)に野遊びに行き、
(比売多多良)伊須気余理比売
(イスケヨリヒメ)は、その中に居た。
そこで、
大久米(オホクメ)命は、その(比売多
多良)伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)
を見て、歌で、(神倭伊波礼毘古)
天皇に申し、次の通り。
 大和(ヤマト)の高佐士野(タカサジノ)
 を、七(ナナ)行く、媛女(ヲトメ)ども
 誰(タレ)をし娶(マ)かむ

そこで、
伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)は、
その乙女達の先頭に居た。
直に、(神倭伊波礼毘古)天皇は、
その乙女達を見て、1番前に居る
伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)に心
を留め、歌で、答え、次の通り。
 且つ且つも、いや先立てる
 兄(エ)をし娶(マ)かむ

【補足】
高佐士野」 の7人乙女の歌
 大和の高佐士野を、7人で行く
 乙女達の、誰を妻にしますか

 早く、先頭の年上の乙女を
 妻にしよう

大久米命
以天皇之命

詔其伊氣余理比
賣之時
見其大久米命
黥利目 而
思竒
歌 曰
 阿米都々
 知杼理麻斯登々
 那抒佐祁流斗米



大久米命 ()
歌 曰
 裳登賣
 阿波牟登
 和加佐祁流斗米


其嬢子 白之
仕奉也
(シカ)くして、
大久米(オホクメ)命、
天皇(スメラミコト)の命(ミコトノリ)を
以って、
其の伊
()氣余理比賣(イスケ
ヨリヒメ)に詔(ノ)る時、
其の大久米(オホクメ)命の
黥(イレズミ)利目(トメ)を見て、
竒(アヤ)しと思ほし、
歌ひ、曰く。
 阿米都都(アメツツ)
 知杼理麻斯登登(チドリマシトト)
 那抒
()佐祁流斗米(ナドサケ
 ルトメ)

(シカ)くして、
大久米(オホクメ)命、荅(コタ)へ、
歌ひ、曰く。
 
()登賣(ヲトメニ)
 阿波牟登(タダニアハムト)
 和加佐祁流斗米(ワカサケルトメ)

故(カレ)、
其の嬢子(ヲトメ)、之を白さく、
「仕へ奉(タテマツ)る也。」 と。
そこで、大久米(オホクメ)命が、
(神倭伊波礼毘古)天皇の命令と
して、その伊須気余理比売(イスケ
ヨリヒメ)に語った時、(伊須気余理
比売は)その大久米(オホクメ)命の
入墨をした鋭い目を見て、
不思議に思い、歌い、次の通り。
 あめ鶺鴒(ツツ)、千鳥(チドリ)、真
 鵐(シトト)、何ど咲ける利目(トメ)
そこで、大久米(オホクメ)命が、
答え、歌い、次の通り。
 乙女に、直(タダ)に逢はむと
 我が咲ける利目(トメ)
それで、その乙女は、
(神倭伊波礼毘古天皇)に、
仕え奉げるつもり。」 と申した。

【補足】
大久米」 歌
 鶺鴒(セキレイ)千鳥(チドリ)
 鵐(ホオジロ)のように
 何故、鋭い目にしているのか

 乙女に、直に会いたいと思い
 私は、鋭い目にしている

其伊賀氣余理比賣
命之家
在使井河之上
天皇 幸行其伊
氣余理比賣之許
一宿
御寢坐也
其河 謂佐阿由者

其阿邊
山田理草
夛在故
取其山田理草之名

号佐韋河也
山田理草之
云佐韋也
後 其伊氣余理
比賣
入宮内之時
天皇御歌 曰
 阿斯波良能
 志祁志岐袁夜迩
 賀夛々
 伊夜佐夜斯岐忌

 和賀布夛理泥斯

然 而
阿礼坐之御子
名 日子八井命
次 神八井耳命
次 神沼河耳命
三柱
是れに(オ)いて、
其の伊賀
()氣余理比賣(イスケヨ
リヒメ)命の家、
使
()井(サイ)河の上(カミ)に在
り、天皇(スメラミコト)、其の伊
()
氣余理比賣(イスケヨリヒメ)の許(モト)
に幸行(イデマ)し、一宿(ヒトヨ)、
御寢(ミイ)ね坐(イマ)す也。
其の河、佐
(脱字 「韋」)(サイ)阿
()と謂ふ由(ユエ)は、
其の阿
()邊(カハヘ)に、
山田
()理(ヤマユリ)草、
夛(サハ)に在るが故(ユエ)、
其の山田
()理(ヤマユリ)草の名
を取り、
佐韋(サイ)河と号(ナヅ)く也。
山田
()理(ヤマユリ)草の(モト)
名、佐韋(サイ)と云ふ也。
後に、其の伊
()氣余理比賣
(イスケヨリヒメ)、
宮内に
()ひ入る時、
天皇(スメラミコト)の御歌、曰く。
 阿斯波良能(アシハラノ)
 志祁志岐袁夜迩(シケシキヲヤニ)
 
()賀夛夛(スガタタミ)
 伊夜佐夜斯岐忌
()(イヤサヤシ
 キテ)
 和賀布夛理泥斯(ワガフタリネシ)

然(シカ)して、
阿礼(アレ)坐(イマ)す御子、
名、日子八井(ヒコヤイ)命、
次、神八井耳(カムヤイミミ)命、
次、神沼河耳(カムヌナカハミミ)命、
三柱。
そして、
伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)の家
が、狭井(サイ)川(大和国三輪川)
の川上に在り、
(神倭伊波礼毘古)天皇は、
その伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)
の許に行かれ、一夜、
寝て居られたのである。
その川がサイ川と謂う訳は、
その川の傍に、山百合草が
たくさん生えていたので、
その山百合草の名を取り、
サイ川と名付けたのである。
山百合草の本(モト)の名は、
サイと云うのである。

その後、その伊須気余理比売(イ
スケヨリヒメ)が、宮中に参内した時
(神倭伊波礼毘古)天皇の歌は、
次の通り。
 葦原の穢(シケ)しき小屋(ヲヤ)に、
 菅畳(スガタタミ)、弥(イヤ)清(サヤ)、
 敷きて、我(ワ)が2人寝(ネ)し

そこで、生れられた御子は、
名は、日子八井(ヒコヤイ)命、
次に、神八井耳(カムヤイミミ)命、
次に、神沼河耳(カムヌナカハミミ)命、
3人。

【補足】
伊須気余理比売」 恋歌
 葦原の汚い小屋に
 菅畳を、とても清らかに敷いて
 私達は、2人寝した

天皇 崩後
兄 冨藝志

娶其適后 伊
余理比賣之時
將 殺其三弟 而
謀之
其御祖 伊氣余
理比賣
患苦 而
以歌
令知其御子等
歌 曰
 佐韋賀波用
 久毛夛知和夛理
 宇泥夜麻
 許能波佐夜藝奴
 加是布加牟登


又 歌 曰
 宇泥夜麻
 比流波久毛登韋
 由布佐礼婆
 加是布加牟登曽
 許能波佐夜牙流
故(カレ)、
天皇(スメラミコト)、崩(カムザ)る後、
其の兄(ママセ)、冨
()藝志
(タギシミミ)命、
其の適后(カナヒメ)、伊
()氣余
理比賣(イスケヨリヒメ)を娶る時、
將に、其の三弟(オト)を殺(シ)さむ
として、謀る
其の御祖(ミオヤ)、伊
()氣余理
比賣(イスケヨリヒメ)、
患へ苦しみて、
歌を以って、
其の御子等に知らしむ。
歌、曰く。
 佐韋賀波用(サイガハヨ)
 久毛夛知和夛理(クモタチワタリ)
 宇泥
()夜麻(ウネビヤマ)
 許能波佐夜藝奴(コノハサヤギヌ)
 加是布加牟登
()(カゼフカム
 トス)

又、歌、曰く。
 宇泥
()夜麻(ウネビヤマ)
 比流波久毛登韋(ヒルハクモトイ)
 由布佐礼婆(ユフサレバ)
 加是布加牟登曽(カゼフカムトゾ)
 許能波佐夜牙流(コノハサヤゲル)
それで、(神倭伊波礼毘古)天皇
の死去後、その異母兄の当芸志
美美(タギシミミ)命が、その(神倭
伊波礼毘古の)皇后の伊須気余
理比売(イスケヨリヒメ)を娶る時、
その(伊須気余理比売の子)3
の弟を殺そうと計画していると、
その母君の伊須気余理比売(イス
ケヨリヒメ)は、憂い、苦しんで、
歌で、その御子達に知らせた。
歌は、次の通り。
 狭井(サイ)川よ、雲、立ち渡り
 畝傍(ウネビ)山、木(コ)の葉、
 さやぎぬ、風、吹かむとす
また、歌は、次の通り。
 畝傍(ウネビ)山、昼は雲と居(イ)、
 夕されば、風吹かむとぞ
 木(コ)の葉、さやげる

【補足】
伊須気余理比売」 の警告歌
 狭井川(御子達)
 畝傍山(当芸志美美)
 ()を出そうとしている

 畝傍山(当芸志美美)
 夕方になれば風()を出すぞ

其御子 知 而
驚 乃
為將 殺當藝志
之時
神沼河耳命
白其兄
神八井耳命
那泥
【此二字 以音】
汝命 持兵 入
而 殺當藝志


持兵 入 以
將 殺之時
手足 和那々岐弖
【此五字 以音】
不得殺
故 
其弟 神沼河耳命
乞取其兄所持之兵

殺當藝志

亦 稱其御名
謂建沼河耳命

神八井耳命
讓弟建沼河耳命

吾者 不能殺仇

汝命 既 得殺仇

吾 雖兄
不冝為上
是以
汝命 為上
治天下
僕者 扶汝命
為忌人 而
仕奉也

其日子八井命者
茨田連
手嶋連之祖
神八井耳命者
意冨臣
小子部連
坂合部連
火君
大分君

筑紫三家連
雀部臣
雀部造
小長谷造
都祁直
伊余國造
科野國造
道奧石城國造

常道仲國造
長狭國造
舩木直
尾張丹波臣
嶋田臣等之祖也
神沼河耳命者
治天下也
是れに(オ)いて、
其の御子、き知りて、
驚き、乃ち、
將に、當藝志(タギシミミ)を
殺(シ)さむと為す時、
神沼河耳(カムヌナカハミミ)命、
其の兄(エ)、
神八井耳(カムヤイミミ)命に白さく、
「那泥(ナネ)
【此の二字、音を以ってす】
汝(ナ)命、兵(ツハモノ)を持ち入り
て、當藝志(タギシミミ)を殺
(シ)せ。」 と。
故(カレ)、
兵(ツハモノ)を持ち入り、以って、
將に、殺(シ)さむとする時、
手足、和那那岐弖(ワナナキテ)、
【此の五字、音を以ってす】
殺(シ)し得ず。
故(カレ)、(シカ)くして、
其の弟(オト)、神沼河耳(カムヌナカハ
ミミ)命、其の兄(エ)、持ちし兵(ツハ
モノ)を乞ひ取り、入り、
當藝志(タギシミミ)を殺(シ)す。
故(カレ)、
亦、其の御名を稱(タタ)へ、
建沼河耳(タケヌナカハミミ)命と謂ふ。
(シカ)くして、
神八井耳(カムヤイミミ)命、弟(オト)
建沼河耳(タケヌナカハミミ)命に讓り、
曰く、
「吾(ア)は、仇(アタ)を殺(シ)すこと
能(アタ)はず、
汝(ナ)命、既に、仇(アタ)を殺(シ)し
得(ウ)るが故(ユエ)、
吾(ア)、兄(エ)と雖へども、上(カミ)
と為すこと冝(ヨロ)しからず。
是れを以って、
汝(ナ)命、上(カミ)と為し、
天下(アメシモ)を治(シラ)せ。
僕(ヤツガレ)は、汝(ナ)命を扶(タス)
け、忌人(イハヒビト)と為して、
仕へ奉(タテマツ)る也。」 と。
故(カレ)、
其の日子八井(ヒコヤイ)命は、
茨田連(ウマラタムラジ)、
手嶋連(テシマムラジ)の祖(オヤ)、
神八井耳(カムヤイミミ)命は、
意冨臣(オホオミ)、
小子部連(チヒサコベムラジ)、
坂合部連(サカヒベムラジ)、
火(ホ)君、
大分(オホキダ)君、
()(アソ)君、
筑紫三家連(ツクシミヤケムラジ)、
雀部臣(サザキベオミ)、
雀部造(サザキベミヤツコ)、
小長谷造(ヲハセミヤツコ)、
都祁直(ツケアタヘ)、
伊余國造(イヨクニミヤツコ)、
科野國造(シナノクニミヤツコ)、
道奧石城國造(ミチノクイハキクニミヤ
ツコ)、
常道仲國造(ヒタチナカクニミヤツコ)、
長狭國造(ナガサクニミヤツコ)、
舩木直(イセフナキアタヘ)、
尾張丹波臣(ヲハリニハオミ)、
嶋田臣(シマタオミ)等の祖(オヤ)也。
神沼河耳(カムヌナカハミミ)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
そして、
その御子(伊須気余理比売の子)
は、(この歌を)聞き(陰謀を)
って、驚き、直に、当芸志美美(タ
ギシミミ)を殺そうとした時、
神沼河耳(カムヌナカハミミ)命は、その
兄の神八井耳(カムヤイミミ)命に、
「兄よ、貴方は、武器を持ち、入っ
て、当芸志美美(タギシミミ)を殺
せ。」 と言った。
それで、
(神八井耳命は)武器を持ち、
入り、(当芸志美美を)殺そうと
すると、手足が震えて、
殺せなかった。
それで、そこで、
その弟の神沼河耳(カムヌナカハミミ)命
が、その兄(神八井耳命)が持っ
ていた武器をもらい受け、入り、
当芸志美美(タギシミミ)を殺した。
それで、
また、その御名を讃え、
建沼河耳(タケヌナカハミミ)命と謂う。
そこで、
神八井耳(カムヤイミミ)命は、
弟の建沼河耳(タケヌナカハミミ)命に
(皇位を)譲り、
「私は、敵を殺すことができず、
貴方は、現に、敵を殺せたので、
私は、兄であっても、
天皇になるのは良くない。
そこで、
貴方が、天皇となり、
天下を治めよ。
私は、貴方を助け、神職となっ
て、仕え奉げよう。」 と言った。

それで、
その日子八井(ヒコヤイ)命は、
茨田連(ウマラタムラジ)、
手島連(テシマムラジ)の祖先、

神八井耳(カムヤイミミ)命は、
意冨臣(オホオミ)、
小子部連(チヒサコベムラジ)、
坂井部連(サカヒベムラジ)、
火(ホ)君、
大分(オホキダ)君、
阿蘇(アソ)君、
筑紫三家連(ツクシミヤケムラジ)、
雀部臣(サザキベオミ)、
雀部造(サザキベミヤツコ)、
小長谷造(ヲハセミヤツコ)、
都祁直(ツケアタヘ)、
伊予国造(イヨクニミヤツコ)、
信濃国造(シナノクニミヤツコ)、
陸奥磐城国造(ミチノクイハキクニミヤ
ツコ)、
常陸仲国造(ヒタチナカクニミヤツコ)、
長狭国造(ナガサクニミヤツコ)、
伊勢舟木直(イセフナキアタヘ)、
尾張丹波臣(ヲハリニハオミ)、
島田臣(シマタオミ)達の祖先である。

神沼河耳(カムヌナカハミミ)命は、
天下を治めたのである。

【補足】
皇后の子 「神沼河耳」 が、正室
の子 「当芸志美美」 を殺害。
 此神倭伊波礼
古天皇
御年壹佰拾漆歳
御陵 在畝火山之
北方 白檮尾上也
(オヨ)そ、此の神倭伊波礼
(カムヤマトイハレビコ)天皇(スメラミコト)、
御年、壹佰拾漆歳、
御陵(ミサザキ)、畝火(ウネビ)山の
北方、白檮尾上(カシヲヘ)に在る也。
およそ、この神倭伊波礼毘古(カム
ヤマトイハレビコ)天皇(神武天皇)は、
御年、137歳、御陵は、畝傍(ウネ
ビ)山(大和国高市)の北方の橿
尾(カシヲ)辺りに在るのである。


4.1.2 第2代 綏靖天皇 神沼河耳命

神沼河耳命の子孫
原文読み口語訳
神沼河耳命
坐葛城髙

治天下也
此天皇
娶師木縣主之祖
河俣
生御子
師木津日子玉手見
命 一柱
神沼河耳(カムヌナカハミミ)命、
葛城髙(カツラギタカオカ)
に坐(イマ)し、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
師木縣主(シキアガタヌシ)の祖(オヤ)、
河俣賣(カハマタビメ)
を娶(メト)り、生める御子、
師木津日子玉手見(シキツヒコタマテミ)
命、一柱。
神沼河耳命(カムヌナカハミミ)は、
葛城高岡(カツラギタカオカ)宮
(大和国葛城)に居られ、
天下を治めたのである。
この(神沼河耳)天皇が、
磯城県主(シキアガタヌシ)の祖先の
河俣毘売(カハマタビメ)
を娶り、生んだ御子は、
師木津日子玉手見(シキツヒコタマテミ)
命、1人。
天皇
御年 肆拾伍歳
御陵 在衝田
天皇(スメラミコト)、
御年、肆拾伍歳、御陵(ミサザキ)、
衝田(ツキタオカ)に在る也。
(神沼河耳)天皇(綏靖天皇)は、
御年、45歳、御陵は、衝田崗(ツキ
タオカ)(大和国高市)に在る。


4.1.3 第3代 安寧天皇 師木津日子玉手見命

師木津日子玉手見命の子孫
原文読み口語訳
師木津日子玉手見

坐片塩浮穴
治天下也
此天皇
娶阿俣賣之兄
縣主殿延之女
阿久斗比賣
生御子
常根津日子伊呂泥

【自伊下三字
以音】
次 大倭日子

次 師木津日子命
此天皇之御子等
并三柱之中
大倭日子友命者
治天下
次 師木津日子命
之子 二王 坐
一子
孫者
伊賀知之稲置
那婆理之稲置
三野之稲置之祖
一子
和知都命者
坐淡道之御井

此王 有二女
兄名 蝿伊
亦名 意冨夜麻登
久迩阿礼比賣命
弟名 蝿伊
師木津日子玉手見(シキツヒコタマテミ)
命、
片塩浮穴(カタシオウキアナ)に坐(イ
マ)し、天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
()賣(カハマタビメ)の兄
(エ)、縣主(アガタヌシ)殿
()延(ハ
エ)の女(ヲミナ)、阿久斗比賣(アクト
ヒメ)を娶り、生める御子、
常根津日子伊呂泥(トコネツヒコイロネ)
命、
【「伊」 より下(シモ)三字、
音を以ってす】
次、大倭日子友(オホヤマトヒコスキ
トモ)命、
次、師木津日子(シキツヒコ)命。
此の天皇(スメラミコト)の御子等
并(アハ)せ三柱の中、
大倭日子友(オホヤマトヒコスキトモ)命
は、天下(アメシモ)を治(シラ)す。
次、師木津日子(シキツヒコ)命の子、
二王(ミコ)、坐(イマ)す。
一子、
孫(ウマゴ)は、伊賀
()知(イガ
スチ)の稲置(イナキ)、
那婆理(ナバリ)の稲置(イナキ)、
三野(ミノ)の稲置(イナキ)の祖(オヤ)、
一子、
和知都(ワチツミ)命は、淡道之御
井(アハヂノミイ)に坐(イマ)す。
故(カレ)、
此の王(ミコ)、二女(ヲミナ)有り。
兄(エ)の名、蝿伊泥(ハヘイロネ)、
亦の名、意冨夜麻登久迩阿礼
比賣(オホヤマトクニアレヒメ)命、
弟(オト)の名、蝿伊杼(ハヘイロド)
也。
師木津日子玉手見(シキツヒコタマテミ)
命は、片塩浮穴(カタシオウキアナ)宮
(大和国高市)に居られ、
天下を治めたのである。
この(師木津日子玉手見)天皇
が、河俣毘売(カハマタビメ)の兄、
県主(アガタヌシ)波延(ハエ)の娘、
阿久斗比売(アクトヒメ)を娶り、
生んだ御子は、
常根津日子伊呂泥(トコネツヒコイロネ)
命、
次に、大倭日子友(オホヤマトヒコスキ
トモ)命、
次に、師木津日子(シキツヒコ)命。
この(師木津日子玉手見)天皇の
御子達合計3人の中、
大倭日子友(オホヤマトヒコスキトモ)命
は、天下を治めた。
次に、師木津日子(シキツヒコ)命の子
は、2人の皇子が居られた。
(皇子の)1人、
孫(ウマゴ)は、
伊賀須知(イガスチ)の稲置(イナキ)、
那婆理(ナバリ)の稲置(イナキ)、
美濃(ミノ)の稲置(イナキ)の祖先、
(皇子のもう)1人、
和知都美(ワチツミ)命は、
淡路之御井(アハヂノミイ)宮
に居られた。
それで、
この皇子(和知都美命)には、
娘が2人居た。
姉の名は、蠅伊呂泥(ハヘイロネ)、
亦の名は、意冨夜麻登久迩阿礼
比売(オホヤマトクニアレヒメ)命、
妹の名は、蠅伊呂抒(ハヘイロド)
である。
天皇
御年 肆拾玖歳
御陵 在畝火山之
冨登也
天皇(スメラミコト)、
御年、肆拾玖歳、
御陵(ミサザキ)、畝火(ウネビ)山の
冨登(ミホト)に在る也。
(師木津日子玉手見)天皇(安寧
天皇)は、御年、49歳、
御陵は、畝傍(ウネビ)山(大和国
高市)の陰に在るのである。


4.1.4 第4代 懿徳天皇 大倭日子友命

大倭日子友命の子孫
原文読み口語訳
大倭日子支命
坐軽之境
脱落
(
治天下也
此天皇
娶師木縣主之祖
賦登麻)
和比賣命
亦名 飯日比賣命
生御子
御真津日子訶恵志
泥命
【自訶下四字
以音】
次 夛藝志比古命
二柱

御真津日子訶恵志
泥命者
治天下也
次 當藝志比古命

血沼之別
夛遅麻之竹別
葦井之稲置之祖
大倭日子()(オホヤマトネコスキ
トモ)命、軽之境
脱落
(岡(カルノサカヒオカ)に坐(イマ)し、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
師木縣主(シキアガタヌシ)の祖(オヤ)、
賦登麻)(脱字 「訶」)比賣(フ
トマワカヒメ)命、亦の名、飯日比賣
(イヒヒヒメ)命を娶り、生める御子、
御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエ
シネ)命、
【「訶」 より下(シモ)四字、
音を以ってす】
次、夛藝志比古(タギシヒコ)命、
二柱。
故(カレ)、
御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエ
シネ)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
次、當藝志比古(タギシヒコ)命は、

血沼(チヌ)の別(ワケ)、
夛遅麻(タジマ)の竹別(タケワケ)、葦
井(アシイ)の稲置(イナキ)の祖(オヤ)。
大倭日子友(オホヤマトネコスキトモ)
命は、軽之境
脱落
(岡(カルノサカヒオカ)宮(大和国高市)
に居られ、
天下を治めたのである。
この(大倭日子)天皇が、
師木県主(シキアガタヌシ)の祖先、
賦登麻)
和訶比売(フトマワカヒメ)命、
亦の名は、飯日比売(イヒヒヒメ)命
を娶り、生んだ御子は、
御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエシ
ネ)命、
次に、多芸志比古(タギシヒコ)命、
2人。
それで、
御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエシ
ネ)命は、天下を治めたのである。
次に、多芸志比古(タギシヒコ)命は、
茅渟(チヌ)の別(ワケ)、
但馬(タジマ)の竹別(タケワケ)、
葦井(アシイ)の稲置(イナキ)の祖先。

【補足】
原文に、修復の難解な脱落あり。
天皇
御年 肆拾伍歳
御陵 在畝火山之
真名子谷上也
天皇(スメラミコト)、
御年、肆拾伍歳、
御陵(ミサザキ)、畝火(ウネビ)山の
真名子(マナコ)谷上(ヘ)に在る也。
(大倭日子)天皇(懿徳天皇)
は、御年、45歳、御陵は、畝傍(ウ
ネビ)山(大和国高市)の真名子
(マナコ)谷辺りに在るのである。


4.1.5 第5代 孝昭天皇 御真津日子訶恵志泥命

御真津日子訶恵志泥命の子孫
原文読み口語訳
御真津日子訶恵志
泥命
坐葛城掖上宮
治天下也
此天皇
娶尾張連之祖
奧津余曽之妹
名 余曽夛
命 生御子
天押帯日子命
次 大倭帯日子国
押人命
二柱

弟 帯日子國忍人
命者
治天下也
兄 天押帯日子
命者
春日臣
大宅臣
粟田臣
小野臣

壹比韋臣
大坂臣
阿那臣
夛紀臣
羽栗臣
知夛臣
牟耶臣
都怒山臣
飯髙君
壹師君
近淡海國造
之祖也
御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエ
シネ)命、葛城掖上(カツラギワキガミ)
宮に坐(イマ)し、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
尾張連(ヲハリムラジ)の祖(オヤ)、
奧津余曽(オキツヨソ)の妹(イモ)、
名、余曽夛賣(ヨソタホビメ)命
を娶り、生める御子、
天押帯日子(アメオシタラシヒコ)命、
次、大倭帯日子国押人(オホヤマト
タラシヒコクニオシヒト)命、
二柱。
故(カレ)、
弟(オト)、帯日子國忍人(タラシヒコ
クニオシヒト)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
兄(エ)、天押帯日子(アメオシタラシヒコ)
命は、
春日臣(カスガオミ)、
大宅臣(オホヤケオミ)、
粟田臣(アハタオミ)、
小野臣(ヲノオミ)、
臣(カキモトオミ)、
壹比韋臣(イチヒイオミ)、
大坂臣(オホサカオミ)、
阿那臣(アナオミ)、
夛紀臣(タキオミ)、
羽栗臣(ハクリオミ)、
知夛臣(チタオミ)、
牟耶臣(ムヤオミ)、
都怒山臣(ツノヤマオミ)、
飯髙(イセイヒタカ)君、
壹師(イチシ)君、
近淡海國造(チカツアフミクニミヤツコ)
の祖(オヤ)也。
御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエシ
ネ)命は、葛城掖上(カツラギワキガミ)
(大和国葛城)に居られ、
天下を治めたのである。
この(御真津日子訶恵志泥)天皇
が、尾張連(ヲハリムラジ)の祖先、
奥津余曽(オキツヨソ)の妹、
名は、余曽多本毘売(ヨソタホビメ)
を娶り、生んだ御子は、
天押帯日子(アメオシタラシヒコ)命、
次に、大倭帯日子国押人(オホヤマト
タラシヒコクニオシヒト)命、
2人。
それで、
弟の帯日子国忍人(タラシヒコクニオシ
ヒト)命は、
天下を治めたのである。
兄の天押帯日子(アメオシタラシヒコ)
命は、
春日臣(カスガオミ)、
大宅臣(オホヤケオミ)、
粟田臣(アハタオミ)、
小野臣(ヲノオミ)、
柿本臣(カキモトオミ)、
壱比韋臣(イチヒイオミ)、
大坂臣(オホサカオミ)、
阿那臣(アナオミ)、
多紀臣(タキオミ)、
羽栗臣(ハクリオミ)、
知多臣(チタオミ)、
牟耶臣(ムヤオミ)、
都怒山臣(ツノヤマオミ)、
伊勢飯高(イセイヒタカ)君、
壱師(イチシ)君、
近淡海国造(チカツアフミクニミヤツコ)
の祖先である。
天皇
御年 玖拾
御陵 在掖上博夛
山上也
天皇(スメラミコト)、
御年、玖拾
御陵(ミサザキ)、掖上博夛
(ワキガミハカタ)山上(ヘ)に在る也。
(御真津日子訶恵志泥)天皇(
昭天皇)は、御年、93歳、御陵は、
掖上博多(ワキガミハカタ)山(大和国
葛城)辺りに在るのである。


4.1.6 第6代 孝安天皇 大倭帯日子国押人命

大倭帯日子国押人命の子孫
原文読み口語訳
大倭帯日子國押人
命 坐葛城室之
秋津嶋宮
治天下也
此天皇
娶姪忍鹿比賣命
生御子
大吉諸進命

次 大倭根子日子
賦斗迩命 二柱
【自賦下三字
以音】

大倭根子日子賦斗
迩命者
治天下也
大倭帯日子國押人(オホヤマトタラシヒコ
クニオシヒト)命、葛城室之秋津嶋(カツ
ラギムロノアキツシマ)宮に坐(イマ)し、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
姪(メヒ)忍鹿比賣(オシカヒメ)命
を娶り、生める御子、
大吉
()諸進(オホキビモロススミ)
命、
次、大倭根子日子賦斗迩(オホヤマト
ネコヒコフトニ)命、二柱。
【「賦」 より下(シモ)三字、
音を以ってす】
故(カレ)、
大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコ
ヒコフトニ)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
大倭帯日子国押人(オホヤマトタラシヒ
コクニオシヒト)命は、葛城室之秋津島
(カツラギムロノアキツシマ)宮(大和国葛
)に居られ、
天下を治めたのである。
この(大倭帯日子国押人)天皇
が、姪の忍鹿比売(オシカヒメ)命
を娶り、生んだ御子は、
大吉備諸進(オホキビモロススミ)命、
次に、大倭根子日子賦斗迩(オホ
ヤマトネコヒコフトニ)命、
2人。

それで、
大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコ
ヒコフトニ)命は、
天下を治めたのである。
天皇 御年
壹佰貳拾
御陵
在玉手上也
天皇(スメラミコト)、
御年、壹佰貳拾歳、
御陵(ミサザキ)、
玉手(タマテオカ)上(ヘ)に在る也。
(大倭帯日子国押人)天皇(孝安
天皇)は、御年、123歳、
御陵は、玉手岡(タマテオカ)(大和国
葛城)辺りに在るのである。


4.1.7 第7代 孝霊天皇 大倭根子日子賦斗迩命

大倭根子日子賦斗迩命の子孫
原文読み口語訳
大倭根子日子賦斗
迩命
坐黒田廬戸
治天下也
此天皇
娶十市縣主之祖
大目之女
名 細比賣命
生御子
大倭根子日子國玖
琉命
一柱
【玖琉二字
以音】
又 娶春日之千々
速真若比賣
生御子
千々速比賣命
一柱
又 娶意冨夜麻登
玖迩阿礼比賣命
生御子
夜麻登登々曽
賣命
次 日子肩別命

次 比古伊佐
古命
亦名 大吉津日
子命
次 倭飛羽矢若屋
比賣
四柱
又 娶其阿礼比賣
命之弟 縄伊
生御子
日子寤
次 若日子建吉
津日子命
二柱
此天皇之御子等
并八柱
男王五 女王三

大倭根子日子國玖
琉命者
治天下也
大吉日子命與

若建吉津日子命

二柱 相副 而
氷河之前
居忌瓮 而
 為道口
以 言向
和吉國也

此大吉津日子命
者 吉上道臣
之祖也
次 若日子建吉
津日子命者
下道臣
笠臣祖
次 日子寤命者
牛鹿臣
之祖也
次 日子肩別命

髙志之利彼臣
豊國之國前臣
五百原君
角鹿海直
之祖也
大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコ
ヒコフトニ)命、
黒田廬戸(クロタイオト)に坐(イマ)
し、天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
十市縣主(トイチアガタヌシ)の祖
(オヤ)、大目(オホメ)の女(ヲミナ)、
名、細比賣(ホソヒメ)命
を娶り、生める御子、
大倭根子日子國玖琉(オホヤマトネコ
ヒコクニクル)命、
一柱。
【「玖琉」 二字、
音を以ってす】
又、春日(カスガ)の千千速真若比
賣(チチハヤマワカヒメ)
を娶り、生める御子、
千千速比賣(チチハヤヒメ)命、
一柱。
又、意冨夜麻登玖迩阿礼比賣
(オホヤマトクニアレヒメ)命
を娶り、生める御子、
夜麻登登賣(ヤマトトモモソ
ビメ)命、
次、日子
()肩別(ヒコサシカタワケ)
命、
次、比古伊佐古(ヒコイサセリ
ビコ)命、
亦の名、大吉
()津日子(オホ
キビツヒコ)命、
次、倭飛羽矢若屋比賣(ヤマトトビ
ハヤワカヤヒメ)、
四柱。
又、其の阿礼比賣(アレヒメ)命の
弟(オト)、縄
()()
(ハヘイロド)を娶り、生める御子、
日子寤(ヒコサメマ)命、
次、若日子建吉
()津日子
(ワカヒコタケキビツヒコ)命、
二柱。
此の天皇(スメラミコト)の御子等、
并(アハ)せ八柱、
男王(ヲトコミコ)五、女王(ヲミナミコ)三。
故(カレ)、
大倭根子日子國玖琉(オホヤマトネコ
ヒコクニクル)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
大吉
()(脱字 「津」)日子
(オホキビツヒコ)命と、
(脱字 「日子」)建吉()
日子(ワカヒコタケキビツヒコ)命、
二柱、相ひ副(ソ)ひて、
氷河之前(ハリマヒカハノサキ)に、
忌瓮(イハヒカメ)を居(ス)えて、
(ハリマ)、道口(ミチクチ)と為し、
以って、言向(コトム)け、
()(キビ)國を和(ヤハ)す也。
故(カレ)、
此の大吉
()津日子(オホキビツ
ヒコ)命は、吉
()上道臣(キビ
カミミチオミ)の祖(オヤ)也。
次、若日子建吉
()津日子
(ワカヒコタケキビツヒコ)命は、
()下道臣(キビシモミチオミ)、
笠臣(カサオミ)祖(オヤ)、
次、日子寤(ヒコサメマ)命は、
牛鹿臣(ハリマウシカオミ)
の祖(オヤ)也。
次、日子
()肩別(ヒコサシカタワケ)
命は、
髙志之利彼
()臣(コシノトナミオミ)、
豊(トヨ)國の國前臣(クニサキオミ)、
五百原(イホハラ)君、
角鹿海直(ツヌガアマアタヘ)
の祖(オヤ)也。
大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコ
ヒコフトニ)命は、
黒田廬戸(クロタイオト)宮(大和国城
)に居られ、
天下を治めたのである。
この(大倭根子日子賦斗迩)天皇
が、十市県主(トイチアガタヌシ)
の祖先、大目(オホメ)の娘、
名は、細比売(ホソヒメ)命
を娶り、生んだ御子は、
大倭根子日子国玖琉(オホヤマトネコ
ヒコクニクル)命、
1人。
また、(大倭根子日子賦斗迩天
皇が)春日(カスガ)の
千千速真若比売(チチハヤマワカヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
千千速比売(チチハヤヒメ)命、
1人。
また、(大倭根子日子賦斗迩天
皇が)意冨夜麻登玖迩阿礼比売
(オホヤマトクニアレヒメ)命
を娶り、生んだ御子は、
夜麻登登母母曽毘売(ヤマトトモモソ
ビメ)命、
次に、日子刺肩別(ヒコサシカタワケ)命、
次に、比古伊佐勢理毘古(ヒコイサセ
リビコ)命、
亦の名は、大吉備津日子(オホキビ
ツヒコ)命、
次に、倭飛羽矢若屋比売(ヤマトト
ビハヤワカヤヒメ)、
4人。
また、(大倭根子日子賦斗迩天皇
)その(意冨夜麻登玖迩)
阿礼比売(オホヤマトクニアレヒメ)命の
妹、蠅伊呂抒(ハヘイロド)を娶り、
生んだ御子は、
日子寤間(ヒコサメマ)命、
次に、若日子建吉備津日子(ワカヒ
コタケキビツヒコ)命、
2人。
この(大倭根子日子賦斗迩)天皇
の御子達は、合計8人、
皇子5人、皇女3人。
それで、
大倭根子日子国玖琉(オホヤマトネコ
ヒコクニクル)命は、
天下を治めたのである。
大吉備津日子(オホキビツヒコ)命と
若日子建吉備津日子(ワカヒコタケキ
ビツヒコ)命の2人は、揃って、
播磨氷川之前(ハリマヒカハノサキ)に、
斎瓮(イハヒカメ)を据えて、(祀り)
播磨(ハリマ)国を入口として従わ
せ、吉備(キビ)国を平定したの
である。
それで、
この大吉備津日子(オホキビツヒコ)
命は、吉備上道臣(キビカミミチオミ)
の祖先である。
次に、若日子建吉備津日子(ワカヒ
コタケキビツヒコ)命は、
吉備下道臣(キビシモミチオミ)、
笠臣(カサオミ)の祖先、
次に、日子寤間(ヒコサメマ)命は、
播磨牛鹿臣(ハリマウシカオミ)
の祖先である。
次に、日子刺肩別(ヒコサシカタワケ)
命は、
越之利波臣(コシノトナミオミ)、
豊(トヨ)国の国前臣(クニサキオミ)、
五百原(イホハラ)君、
角鹿海直(ツヌガアマアタヘ)
の祖先である。
天皇
御年 壹佰陸歳
御陵 在片馬坂
上也
天皇(スメラミコト)、
御年、壹佰陸歳、
御陵(ミサザキ)、片馬(カタオカマ)坂
上(ヘ)に在る也。
(大倭根子日子賦斗迩)天皇(
霊天皇)は、御年、106歳、
御陵は、片岡馬(カタオカマ)坂(大和
国葛城)辺りに在るのである。


4.1.8 第8代 孝元天皇 大倭根子日子国玖琉命

大倭根子日子国玖琉命の子孫
原文読み口語訳
大倭根子日子國玖
琉命
坐輕之堺原
治天下也
此天皇
娶穂積臣等之祖
内色許男命
【色許二字 以音
下效此】
妹 内色許賣命
生御子
古命
次 少名日子建猪
心命
次 若倭根子日子
々命
三柱
又 娶内色許男命
之女
伊迦賀色許賣命
生御子
比古布都押之信命

【自比至都
以音】
又 娶河内青玉
之女
名 波迩夜
生御子
建波迩夜古命

一柱
此天皇之御子等
并五柱

若倭根子日子大
々命者
治天下也
其兄 大古命之
子 建沼河別命者
阿倍臣等之祖
次 比古伊那許士
別命
【自比至士六字
以音】
此者 膳臣
之祖也
比古布都押之信命
娶尾張連等之祖
意冨那之妹
葛城之髙千那

【那比二字
以音】
生子
味師内宿祢
此者 山代内臣
之祖也
又 娶木國造之祖
宇豆比古之妹
山下影日賣
生子
建内宿祢
此建内宿祢之子
并九
男七 女二
波夛八代宿祢者
波夛臣
林臣

星川臣
淡海臣
長谷部之君之祖也
次 許小柄宿祢


雀部臣
輕部臣之祖也
次 賀石河宿祢

我臣
川邊臣
田中臣
髙向臣
小治田臣
櫻井臣
岸田臣等之祖也
次 平群都久宿祢

平群臣
佐和良臣
馬御
等祖也
次 木角宿祢者
木臣
都奴臣
臣之祖
次 久米能摩伊刀
比賣
次 怒能伊呂比賣
次 葛城長江曽都
古者
玉手臣
的臣
生江臣
阿藝那臣
等之祖也
又 若子宿祢
江野財臣之祖
大倭根子日子國玖琉(オホヤマトネコ
ヒコクニクル)命、
輕之堺原(カルノサカヒハラ)に坐(イ
マ)し、天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
穂積臣(ホツミオミ)等の祖(オヤ)、
内色許男(ウチシコヲ)命の
【「色許」 二字、音を以ってし、
下(シモ)此れに效(ナラ)へ】
妹(イモ)、内色許賣(ウチシコメ)命
を娶り、生める御子、
古(オホビコ)命、
次、少名日子建猪心(スクナヒコタケイ
ココロ)命、
次、若倭根子日子大(ワカヤマト
ネコヒコオホビビ)命、
三柱。
又、内色許男(ウチシコヲ)命
の女(ヲミナ)、
伊迦賀色許賣(イカガシコメ)命
を娶り、生める御子、
比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)
命、
【「比」 より 「都」 に至り、
音を以ってす】
又、河内青玉(カハチアヲタマ)
の女(ヲミナ)、
名、波迩夜
()賣(ハニヤスビメ)
を娶り、生める御子、
建波迩夜
()古(タケハニヤス
ビコ)命、
一柱。
此の天皇(スメラミコト)の御子等、
并(アハ)せ五柱。
故(カレ)、
若倭根子日子大(ワカヤマトネコ
ヒコオホビビ)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
其の兄(エ)、大古(オホビコ)命の
子、建沼河別(タケヌナカハワケ)命は、
阿倍臣(アベオミ)等の祖(オヤ)、
次、比古伊那許志別(ヒコイナコシワケ)

【「比」 より 「士」 に至る六字、
音を以ってす】
此れは、膳臣(カシハデオミ)
の祖(オヤ)也。
比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)
命、尾張連(ヲハリムラジ)等の祖
(オヤ)、意冨那(オホナビ)の妹
(イモ)、葛城(カツラギ)の髙千那
賣(タカチナビメ)を娶り、
【「那」 二字、
音を以ってす】
生める子、
味師内宿祢(ウマシウチスクネ)、
此れは、山代内臣(ヤマシロウチオミ)
の祖(オヤ)也。
又、木國造(キクニミヤツコ)の祖(オヤ)、
宇豆比古(ウヅヒコ)の妹(イモ)、
山下影日賣(ヤマシモカゲヒメ)を娶り、
生める子、
建内宿祢(タケウチスクネ)、
此の建内宿祢(タケウチスクネ)の子、
并(アハ)せ九、
男(ヲトコ)七、女(ヲミナ)二。
波夛八代宿祢(ハタヤシロスクネ)は、
波夛臣(ハタオミ)、
林臣(ハヤシオミ)、
臣(ハミオミ)、
星川臣(ホシカハオミ)、
淡海臣(アフミオミ)、
長谷部(ハセベ)の君の祖(オヤ)也。
次、許小柄宿祢(コセヲカラスクネ)
は、
臣(コセオミ)、
雀部臣(サザキベオミ)、
輕部臣(カルベオミ)の祖(オヤ)也。
次、
()賀石河宿祢(ソガイシ
カハスクネ)は、
()我臣(ソガオミ)、
川邊臣(カハヘオミ)、
田中臣(タナカオミ)、
髙向臣(タカムクオミ)、
小治田臣(ヲハリダオミ)、
櫻井臣(サクライオミ)、
岸田臣(キシタオミ)等の祖(オヤ)也。
次、平群都久宿祢(ヘグリツクスク
ネ)は、
平群臣(ヘグリオミ)、
佐和良臣(サワラオミ)、
馬御連(ウマミクヒムラジ)
等の祖(オヤ)也。
次、木角宿祢(キツノスクネ)は、
木臣(キオミ)、
都奴臣(ツヌオミ)、
臣(サカモトオミ)の祖(オヤ)。
次、久米能摩伊刀比賣(クメノマ
イトヒメ)、
次、怒能伊呂比賣(ノノイロヒメ)、
次、葛城長江曽都古(カツラギ
ナガエソツビコ)は、
玉手臣(タマテオミ)、
的臣(イクハオミ)、
生江臣(イクエオミ)、
阿藝那臣(アギナオミ)
等の祖(オヤ)也。
又、若子宿祢(ワクゴスクネ)、
江野財臣(エノタカラオミ)の祖(オヤ)。
大倭根子日子国玖琉(オホヤマトネコ
ヒコクニクル)命は、
軽之境原(カルノサカヒハラ)宮
(大和国高市)に居られ、
天下を治めたのである。

この(大倭根子日子国玖琉)天皇
が、穂積臣(ホツミオミ)達の祖先、
内色許男(ウチシコヲ)命の
妹、内色許売(ウチシコメ)
を娶り、生んだ御子は、
大毘古(オホビコ)命、
次に、少名日子建猪心(スクナヒコ
タケイココロ)命、
次に、若倭根子日子大毘毘(ワカ
ヤマトネコヒコオホビビ)命、
3人。

また、(大倭根子日子国玖琉天皇
)内色許男(ウチシコヲ)命の娘、
伊迦賀色許売(イカガシコメ)命
を娶り、生んだ御子は、
比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)
命、
(1)

また、(大倭根子日子国玖琉天皇
)河内青玉(カハチアヲタマ)の娘、
名が、波迩夜須毘売(ハニヤスビメ)
を娶り、生んだ御子は、
建波迩夜須毘古(タケハニヤスビコ)
命、
1人。

この(大倭根子日子国玖琉)天皇
の御子達は、合計5人。
それで、(その5人のうち)
若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコ
ヒコオホビビ)命は、
天下を治めたのである。
その兄、大毘古(オホビコ)命の
子の建沼河別(タケヌナカハワケ)命は、
阿部臣(アベオミ)達の祖先、
次に、比古伊那許士別(ヒコイナコシ
ワケ)命、
これは、膳臣(カシハデオミ)
の祖先である。
比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)命
が、尾張連(ヲハリムラジ)達の祖先の
意冨那毘(オホナビ)の妹、
葛城(カツラギ)の高千那毘売(タカ
チナビメ)を娶り、
生んだ子は、
味師内宿祢(ウマシウチスクネ)、
これは、山背内臣(ヤマシロウチオミ)
の祖先である。

また、(比古布都押之信命が)
木国造(キクニミヤツコ)の祖先の
宇豆比古(ウヅヒコ)の妹、
山下影日売(ヤマシモカゲヒメ)
を娶り、生んだ子は、
建内宿祢(タケウチスクネ)。
この建内宿祢(タケウチスクネ)の子は、
合計9人、(その9人のうち)
7人、女2人。
波多八代宿祢(ハタヤシロスクネ)は、
波多臣(ハタオミ)、
林臣(ハヤシオミ)、
波美臣(ハミオミ)、
星川臣(ホシカハオミ)、
淡海臣(アフミオミ)、
長谷部(ハセベ)君の祖先である。
次に、許勢小柄宿祢(コセヲカラスクネ)
は、
巨勢臣(コセオミ)、
雀部臣(サザキベオミ)、
軽部臣(カルベオミ)の祖先である。
次に、蘇賀石河宿祢(ソガイシカハ
スクネ)は、
蘇我臣(ソガオミ)、
川辺臣(カハヘオミ)、
田中臣(タナカオミ)、
高向臣(タカムクオミ)、
小治田臣(ヲハリダオミ)、
桜井臣(サクライオミ)、
岸田臣(キシタオミ)達の祖先である。
次に、平群都久宿祢(ヘグリツク
スクネ)は、
平群臣(ヘグリオミ)、
佐和良臣(サワラオミ)、
馬御杭連(ウマミクヒムラジ)
達の祖先である。
次に、木角宿祢(キツノスクネ)は、
木臣(キオミ)、
都奴臣(ツヌオミ)、
坂本臣(サカモトオミ)の祖先。
次に、久米能摩伊刀比売(クメノ
マイトヒメ)、
次に、怒能伊呂比売(ノノイロヒメ)。
次に、葛城長江曽都毘古(カツラ
ギナガエソツビコ)は、
玉手臣(タマテオミ)、
的臣(イクハオミ)、
生江臣(イクエオミ)、
阿芸那臣(アギナオミ)
達の祖先である。
また、若子宿祢(ワクゴスクネ)は、
江野財臣(エノタカラオミ)の祖先。
此天皇
御年 伍拾漆歳
御陵 在釼池之
上也
此の天皇(スメラミコト)、
御年、伍拾漆歳、
御陵(ミサザキ)、釼(ツルギ)池の
(ナカオカ)上(ヘ)に在る也。
この(大倭根子日子国玖琉)天皇
(孝元天皇)は、御年57歳、御陵、
剣(ツルギ)池の中崗(ナカオカ)(大和
国高市)辺りに在るのである。


4.1.9 第9代 開化天皇 若倭根子日子大毘毘命

若倭根子日子大毘毘命の子孫
原文読み口語訳
若倭根子日子大
々命
坐春日之伊耶河宮

治天下也
此天皇
娶旦波之大縣主
名 由碁理之女
竹野比賣
生御子
比古由牟
一柱
【此王名
以音】
又 娶 伊迦
色許賣命
生御子
御真木入日子印恵

【印恵二字
以音】
次 御真津比賣命
二柱
又 娶丸迩臣之祖
日子國意祁都命
之妹
意祁都比賣命
【意祁都三字
以音】
生御子
日坐王
一柱
又 娶葛城之垂見
宿祢之女
比賣
生御子
建豊波豆羅和氣

一柱
【自波下五字
以音】
比天皇之御子等
并五柱
男王四 女王一

御真木入日子印恵
命者
治天下也
其兄 比古由牟
王之子
大箇木垂根王

次 讃岐垂根王
二王
【讃岐二字
以音】
此二王之女
五柱坐也
次 日子坐王
娶山代之荏名津比

亦名 幡戸弁
【此一字 以音】
生子
大俣王
次 小俣王
次 志夫宿祢王
三柱
又 娶春日建
戸賣之女
名 沙之大闇見
戸賣
生子
古王
次 表耶
次 沙賣命
亦名 佐波遅比賣
此沙賣命者
為伊久米天皇
之后
【自沙古以下
三王名 皆以音】
次 室古王
四柱
又 娶近淡海之御
上祝 以伊都玖
【此三字 以音】
天之御影神之女
息長水依比賣
生子
丹波比古夛々
知能宇斯王
【此王字
以音】
次 水()穂真
若王
次 神大根王
亦名 八爪入日子

次 水穂五百依比

次 御井津比賣
五柱
又 娶其
袁祁都比賣命
生子
山代之大箇木真若

次 比古意
次 伊理泥王
三柱
【此三王名
以音】
 日子坐王
之子
并十一王

兄 大俣王之子
曙立王
次 菟上王
二柱
此曙立王者
之品遅部
之佐那造
之祖
菟上王者
比賣君之祖
次 小俣王者
當麻勾君之祖
次 志夫宿祢王

佐々君之祖也
次 沙古王者
日下部連
甲斐國造之祖
次 袁耶王者
葛野之別
近淡海蚊野之別
祖也
次 室古王者
若狭之耳別
之祖
知能宇志王
娶丹波之河上之河
上之摩郎女
生子
比婆比賣命
次 真砥野比賣命
次 弟比賣命
次 朝遅別王
四柱
此朝遅別王者
三川之穂別之祖
知能宇斯王
之弟
水穂真若王者
近淡海之安直
之祖
次 神大根王者
三野國之國造
長幡部連
之祖
次 山代之大箇木
真若王
娶同
伊理泥王之女
丹波能阿治佐波

生子
迦迩米雷王
【迦迩米三字
以音】
此王
娶丹波之遠津臣
之女
名 髙棧比賣
生子
息長宿祢王
此王
娶葛城之髙比賣
生子
息長帯比賣命
次 虚空津比賣命
次 息長日子王
三柱
此王者
品遅君
阿宗君之祖
又 息長宿祢王

娶河俣稲依
生子
大夛牟坂王
【夛牟二字
以音】
此者 夛遅摩國造
之祖也
上所謂 建豊波豆
和氣王者

道守臣
忍海部造
御名部造
稲羽忍部
丹波之竹野別
之阿
等之祖也
若倭根子日子大々(ワカヤマトネコ
ヒコオホビビ)命、
春日之伊耶河(カスガノイヤカハ)宮
に坐(イマ)し、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
旦波(タニハ)の大縣主(オホアガタヌ
シ)、名、由碁理(ユゴリ)の女(ヲミナ)、
竹野比賣(タケノヒメ)
を娶り、生める御子、
比古由牟
()(ヒコユムスミ)命、
一柱。
【此の王(ミコ)名、
音を以ってす】
又、(ママハハ)、伊迦
(脱字「賀」)
色許賣(イカガシコメ)命
を娶り、生める御子、
御真木入日子印恵(ミマキイリヒコイニ
エ)命、
【「印恵」 二字、
音を以ってす】
次、御真津比賣(ミマツヒメ)命、
二柱。
又、丸迩臣(ワニオミ)の祖(オヤ)、
日子國意祁都(ヒコクニオケツ)命
の妹(イモ)、
意祁都比賣(オケツヒメ)命
【「意祁都」 三字、
音を以ってす】
を娶り、生める御子、
(脱字 「子」)坐(ヒコイマス)王
(ミコ)、一柱。
又、葛城(カツラギ)の垂見宿祢(タル
ミスクネ)の女(ヲミナ)、
比賣(サシバヒメ)
を娶り、生める御子、
建豊波豆羅和氣(タケトヨハヅラワケ)

(脱字 「王」)(ミコ)、
一柱。
【「波」 より下(シモ)五字、
音を以ってす】
比の天皇(スメラミコト)の御子等、
并(アハ)せ五柱、
男王(ヲトコミコ)四、女王(ヲミナミコ)一。
故(カレ)、
御真木入日子印恵(ミマキイリヒコイニ
エ)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
其の兄(エ)、比古由牟
()
(ヒコユムスミ)王(ミコ)の子、
大箇
()木垂根(オホツツキタリネ)王
(ミコ)、
次、讃岐垂根(サヌキタリネ)王(ミコ)、
二王(ミコ)。
【「讃岐」 二字、
音を以ってす】
此の二王(ミコ)の女(ヲミナ)、
五柱坐(イマ)す也。
次、日子坐(ヒコイマス)王(ミコ)、
山代(ヤマシロ)の荏名津比賣(エナツ
ヒメ)
亦の名、
()幡戸辨(カリハタトベ)
【此の一字、音を以ってす】
を娶り、生める子、
大俣(オホマタ)王(ミコ)、
次、小俣(ヲマタ)王(ミコ)、
次、志夫宿祢(ジブミスクネ)王
(ミコ)、三柱。
又、春日建勝戸賣(カスガタケクニ
カツトメ)の女(ヲミナ)、
名、沙(サホ)の大闇見戸賣(オホ
クラミトメ)
を娶り、生める子、
古(サホビコ)王(ミコ)、
次、袁耶(ヲヤホ)王(ミコ)、
次、沙賣(サホビメ)命、
亦の名、佐波遅比賣(サハヂヒメ)、
此の沙賣(サホビメ)命は、
伊久米(イクメ)天皇(スメラミコト)
の后(キサキ)と為す。
【「沙古」 より下(シモ)三王
(ミコ)の名、皆音を以ってす】
次、室古(ムロビコ)王(ミコ)、
四柱。
又、近淡海(チカツアフミ)の御上祝
(ミカミハフリ)、以(モ)ち伊都久(イツク)
【此の三字、音を以ってす】
天之御影(アメノミカゲ)神の女(ヲミナ)
息長水依比賣(オキナガミヅヨリ)
を娶り、生める子、
丹波比古夛夛
(須)知能宇
斯(タニハヒコタタスミチノウシ)王(ミコ)、
【此の王(ミコ)名、
音を以ってす】
次、水穂真若(ミヅホマワカ)
王(ミコ)、
次、神大根(カムオホネ)王(ミコ)、
亦の名、八爪入日子(ヤツメイリヒコ)
王(ミコ)、
次、水穂(ミヅホ)五百依比賣(イホ
ヨリヒメ)、
次、御井津比賣(ミイツヒメ)、
五柱。
又、其の弟(イロト)
袁祁都比賣(ヲケツヒメ)命
を娶り、生める子、
山代(ヤマシロ)の大箇
()木真若
(オホツツキマワカ)王(ミコ)、
次、比古意
()(ヒコオス)王(ミコ)、
次、伊理泥(イリネ)王(ミコ)、
三柱。
【此の三王(ミコ)名、
音を以ってす】
(オヨ)そ、日子坐(ヒコイマス)王(ミコ)
の子、
并(アハ)せ十一
(十五)王(ミコ)。
故(カレ)、
兄(エ)、大俣(オホマタ)王(ミコ)の子、
曙立(アケボノタツ)王(ミコ)、
次、菟上(ウナカミ)王(ミコ)、
二柱。
此の曙立(アケボノタツ)王(ミコ)は、
之品遅部(イセノホムヂベ)、
之佐那造(イセノサナミヤツコ)
の祖(オヤ)、
菟上(ウナカミ)王(ミコ)は、
比賣(ヒメダ)君の祖(オヤ)、
次、小俣(ヲマタ)王(ミコ)は、
當麻勾(タイママガリ)君の祖(オヤ)、
次、志夫宿祢(シブミスクネ)王(ミコ)
は、
佐佐(ササ)君の祖(オヤ)也。
次、沙古(サホビコ)王(ミコ)は、
日下部連(クサカベムラジ)、
甲斐國造(カヒクニミヤツコ)の祖(オヤ)、
次、袁耶(ヲヤホ)王(ミコ)は、
葛野之別(カヅノノワケ)、
近淡海蚊野之別(チカツアフミカノノワケ)
の祖(オヤ)也。
次、室古(ムロビコ)王(ミコ)は、
若狭之耳別(ワカサノミミワケ)
の祖(オヤ)。
其の知能宇志
()(ミチノウシ)王
(ミコ)、丹波(タニハ)の河上(カハカミ)
の河上(カハカミ)の摩
()郎女
(マスイラツメ)を娶り、生める子、
比婆
()比賣(ヒバスヒメ)命、
次、真砥野比賣(マトノヒメ)命、
次、弟比賣(オトヒメ)命、
次、朝遅別(アサヂワケ)王(ミコ)、
四柱。
此の朝遅別(アサヂワケ)王(ミコ)は、
三川之穂別(ミカハノホワケ)の祖
(オヤ)、此の知能宇斯(ミチノウシ)王
(ミコ)の弟(オト)、
水穂真若(ミヅホマワカ)王(ミコ)は、
近淡海之安直(チカツアフミノヤスアタヘ)
の祖(オヤ)、
次、神大根(カムオホネ)王(ミコ)は、
三野(ミノ)國の國造(モトスクニミ
ヤツコ)、長幡部連(ナガハタベムラジ)
の祖(オヤ)、
次、山代(ヤマシロ)の大箇
()
真若(オホツツキマワカ)王(ミコ)、
弟(イロト)
伊理泥(イリネ)王(ミコ)の女(ヲミナ)、
丹波(タニハ)の阿治佐波賣(アヂ
サハビメ)
を娶り、生める子、
迦迩米雷(カニメイカヅチ)王(ミコ)。
【「迦迩米」 三字、
音を以ってす】
此の王(ミコ)、
丹波(タニハ)の遠津臣(トヲツオミ)
の女(ヲミナ)、
名、髙棧比賣(タカキヒメ)
を娶り、生める子、
息長宿祢(オキナガスクネ)王(ミコ)。
此の王(ミコ)、
葛城(カツラギ)の髙額比賣(タカヌカ
ヒメ)を娶り、生める子、
息長帯比賣(オキナガタラシヒメ)命、
次、虚空津比賣(ソラツヒメ)命、
次、息長日子(オキナガヒコ)王(ミコ)、
三柱。
此の王(ミコ)は、
()品遅(キビホムヂ)君、
阿宗(ハリマアソ)君の祖(オヤ)。
又、息長宿祢(オキナガスクネ)王
(ミコ)、
河俣稲依賣(カハマタイナヨリビメ)
を娶り、生める子、
大夛牟坂(オホタムサカ)王(ミコ)、
【「夛牟」 二字、
音を以ってす】
此れは、夛遅摩國造(タヂマクニミヤ
ツコ)の祖(オヤ)也。
上の所謂(イハユル)建豊波豆

(脱字 「羅」)和氣(タケトヨハヅラワケ)
王(ミコ)は、
道守臣(チモリオミ)、
忍海部造(オシヌミベミヤツコ)、
御名部造(ミナベミヤツコ)、
稲羽忍部(イナバオシベ)、
丹波之竹野別(タニハノタケノワケ)、
()之阿古(ヨサミノアビコ)
等の祖(オヤ)也。
若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコ
ヒコオホビビ)命は、
春日之伊耶川(カスガノイヤカハ)宮
(大和国添上春日)に居られ、
天下を治めたのである。

この(若倭根子日子大毘毘)天皇
が、丹波(タニハ)の大県主(オホアガタ
ヌシ)、名が由碁理(ユゴリ)の娘、
竹野比売(タケノヒメ)を娶り、
生んだ御子は、
比古由牟須美(ヒコユムスミ)命、
1人。
また、
(若倭根子日子大毘毘天皇が)
継母の伊迦賀色許売(イカガシコメ)
命を娶り、生んだ御子は、
御真木入日子印恵(ミマキイリヒコイニ
エ)命、
次に、御真津比売(ミマツヒメ)命、
2人。
また、
(若倭根子日子大毘毘天皇が)
和迩臣(ワニオミ)の祖先、
日子国意祁都(ヒコクニオケツ)命の妹
の意祁都比売(オケツヒメ)命
を娶り、生んだ御子は、
日子坐(ヒコイマス)皇子、
1人。
また、
(若倭根子日子大毘毘天皇が)
葛城(カツラギ)の垂見宿祢(タルミス
クネ)の娘の差羽比売(サシバヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
建豊波豆羅和気(タケトヨハヅラワケ)
皇子、1人。
この(若倭根子日子大毘毘)天皇
の御子達は、合計5人、
皇子4人、皇女1人。

それで、
御真木入日子印恵(ミマキイリヒコイニ
エ)命は、天下を治めたのである。

その(異母)兄、比古由牟須美
(ヒコユムスミ)皇子の子は、
大筒木垂根(オホツツキタリネ)皇子、
次に、讃岐垂根(サヌキタリネ)皇子、
2人。
この2人の皇子の娘は、
5人居られたのである。

次に、日子坐(ヒコイマス)皇子が、
山背(ヤマシロ)の荏名津比売(エナツ
ヒメ)、亦の名は、苅幡戸弁(カリハタ
トベ)を娶り、生んだ子は、
大俣(オホマタ)皇子、
次に、小俣(ヲマタ)皇子、
次に、志夫美宿祢(ジブミスクネ)
皇子、3人。
また、(この日子坐王が、)春日建
国勝戸売(カスガタケクニカツトメ)の娘、
名が、沙本(サホ)の大闇見戸売
(オホクラミトメ)を娶り、生んだ子は、
沙本毘古(サホビコ)皇子、
次に、袁耶本(ヲヤホ)皇子、
次に、沙本毘売(サホビメ)命、
亦の名は、佐波遅比売(サハヂヒメ)、
この沙本毘売(サホビメ)命は、
伊久米(イクメ)天皇の皇后とした。
次に、室毘古(ムロビコ)皇子、
4人。
また、(この日子坐皇子が)
近淡海(チカツアフミ)(近江)の御上
祝(ミカミハフリ)の人が斎く(祀る)
天之御影(アメノミカゲ)神の娘、
息長水依比売(オキナガミヅヨリヒメ)
を娶り、生んだ子は、
丹波比古多多須美知能宇斯
(タニハヒコタタスミチノウシ)皇子、
次に、水穂(ミヅホ)の真若(マワカ)
皇子、
次に、神大根(カムオホネ)皇子、
亦の名は、八瓜入日子(ヤツメイリ
ヒコ)皇子、
次に、水穂(ミヅホ)五百依比売
(イホヨリヒメ)、
次に、御井津比売(ミイツヒメ)、
5人。
また、(この日子坐皇子が)
その母(意祁都比売命)の妹、
袁祁都比売(ヲケツヒメ)命
を娶り、生んだ子は、
山背(ヤマシロ)の大筒木真若
(オホツツキマワカ)皇子、
次に、比古意須(ヒコオス)皇子、
次に、伊理泥(イリネ)皇子、
3人。
およそ、
日子坐(ヒコイマス)皇子の子は、
合計15人。
(皇子12人、皇女3)

それで、
(日子坐皇子の子の中で)
年長の大俣(オホマタ)皇子の子は、
曙立(アケタツ)皇子、
次に、菟上(ウナカミ)皇子、
2人。
この曙立(アケタツ)皇子は、
伊勢之品遅部(イセノホムヂベ)、
伊勢之佐那造(イセノサナミヤツコ)
の祖先、
菟上(ウナカミ)皇子は、
比売陀(ヒメダ)君の祖先。

次に、小俣(ヲマタ)皇子は、
当麻勾(タイママガリ)君の祖先、
次に、志夫美宿祢(ジブミスクネ)皇
子は、佐佐(ササ)君の祖先である。

次に、沙本毘古(サホビコ)皇子は、
日下部連(クサカベムラジ)、
甲斐国造(カヒクニミヤツコ)の祖先、
次に、袁耶本(ヲヤホ)皇子は、
葛野之別(カヅノノワケ)、
近淡海蚊野之別(チカツアフミカノノワケ)
の祖先である。
次に、室毘古(ムロビコ)皇子は、
若狭之耳別(ワカサノミミワケ)の祖先。
その美知能宇斯(ミチノウシ)皇子が、
丹波(タニハ)の川上の摩須郎女
(マスイラツメ)を娶り、生んだ子は、
比婆須比売(ヒバスヒメ)命
(兄比売命)
次に、真砥野比売(マトノヒメ)命、
次に、弟比売(オトヒメ)命、
次に、朝遅別(アサヂワケ)皇子、
4人。
この朝遅別(アサヂワケ)皇子は、
三河之穂別(ミカハノホワケ)の祖先、
この美知能宇斯(ミチノウシ)皇子の
弟、水穂真若(ミヅホマワカ)皇子は、
近淡海之安直(チカツアフミノヤスアタヘ)
の祖先、
次に、神大根(カムオホネ)皇子は、
美濃(ミノ)国の本巣国造(モトスクニ
ミヤツコ)、
長幡部連(ナガハタベムラジ)の祖先、
次に、山背(ヤマシロ)の大筒木真若
(オホツツキマワカ)皇子が、
同母(袁祁都比売命)の弟の伊理
泥(イリネ)皇子の娘、丹波(タニハ)の
阿治佐波毘売(アヂサハビメ)
を娶り、生んだ子は、
迦迩米雷(カニメイカヅチ)皇子。
この(大筒木真若)皇子が、丹波
(タニハ)の遠津臣(トヲツオミ)の娘、
名が、高桟比売(タカキヒメ)
を娶り、生んだ子は、
息長宿祢(オキナガスクネ)皇子。
この(大筒木真若)皇子が、
葛城(カツラギ)の高額比売(タカヌカ
ヒメ)を娶り、生んだ子は、
息長帯比売(オキナガタラシヒメ)命、
次に、虚空津比売(ソラツヒメ)命、
次に、息長日子(オキナガヒコ)皇子、
3人。
この(大筒木真若)皇子は、
吉備品遅(キビホムヂ)君、
播磨阿宗(ハリマアソ)君の祖先。

また、息長宿祢(オキナガスクネ)皇子
が、河俣稲依毘売(カハマタイナヨリビメ)
を娶り、生んだ子は、
大多牟坂(オホタムサカ)皇子、
これは、但馬国造(タヂマクニミヤツコ)
の祖先である。

上記の建豊波豆羅和気(タケトヨハ
ヅラワケ)皇子は、
道守臣(チモリオミ)、
忍海部造(オシヌミベミヤツコ)、
御名部造(ミナベミヤツコ)、
因幡忍部(イナバオシベ)、
丹波之竹野別(タニハノタケノワケ)、
依網之阿毘古(ヨサミノアビコ)
達の祖先である。

【補足】
若倭根子日子大毘毘(第9代
開化天皇)が、
和迩臣」 の祖先、「日子国意祁
」 の妹の 「意祁都比売」 を
娶り、生んだ御子の 「日子坐
が、「春日建国勝戸売」 の娘、
沙本の 「大闇見戸売」 を娶り、
生んだ子の 「沙本毘売」 は、
伊久米伊理毘古伊佐知(
11代 垂仁天皇)の皇后になる。
また、
日子坐」 が、母の 「意祁都比
」 の妹、「袁祁都比売」 を娶
り、生んだ子の山背の 「大筒木
真若
」 が、葛城の 「高額比売
を娶り、生んだ子の 「息長帯比
」 は、「帯中津日子(第14代
仲哀天皇)の皇后になる。
天皇
御年 陸拾
御陵 在伊耶河
之坂上也
天皇(スメラミコト)、
御年、陸拾歳、
御陵(ミサザキ)、伊耶(イヤ)河
の坂上(ヘ)に在る也。
(若倭根子日子大毘毘)天皇(
化天皇)は、御年、63歳、
御陵は、伊耶(イヤ)川(大和国添
)の坂辺りに在るのである。


4.1.10 第10代 崇神天皇 御真木入日子印恵命

御真木入日子印恵命の御子と治世
原文読み口語訳
御真木入日子印恵

坐師木水垣
治天下也
此天皇
娶木國造
名 河刀弁
之女
【刀弁二字
以音】
遠津年魚目々微比

生御子
豊木入日子命
次 豊入日賣命
二柱
又 娶尾張連之祖
意冨阿麻比賣
生御子
大入杵命
次 八坂之入日子

次 沼名木之入日
賣命
次 十市之入日賣

四柱
又 娶大毘古命
之女
御真津比賣命
生御子
伊玖米入日子伊渉
知命
【伊玖米伊渉知六
字 以音】
次 伊耶能真若命
【自伊至能
以音】
次 國片比賣命
次 千々都久和
【此三字 以音】
比賣命
次 伊賀比賣命
次 倭日子命
六柱
此天皇之御子等
并十二柱
男王七 女王五也
御真木入日子印恵(ミマキイリヒコイニ
エ)命、
師木水垣(シキミヅカキ)に坐(イマ)
し、天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
木國造(キクニミヤツコ)、
名、
()河刀弁(アラカハトベ)
の女(ヲミナ)
【「刀弁」 二字、
音を以ってす】
遠津年魚目目微比賣(トホツアユメマ
クハシヒメ)を娶り、
生める御子、
豊木入日子(トヨキイリヒコ)命、
次、豊入日賣(トヨスキイリヒメ)命、
二柱。
又、尾張連(ヲハリムラジ)の祖(オヤ)、
意冨阿麻比賣(オホアマヒメ)
を娶り、生める御子、
大入杵(オホイリキ)命、
次、八坂之入日子(ヤサカノイリヒコ)
命、
次、沼名木之入日賣(ヌナキノイリヒメ)
命、
次、十市之入日賣(トヲチノイリヒメ)
命、
四柱。
又、大毘古(オホビコ)命
の女(ヲミナ)、
御真津比賣(ミマツヒメ)命
を娶り、生める御子、
伊玖米入日子伊渉知(イクメイリヒコ
イサチ)命、
【「伊玖米伊渉知」 六字、
音を以ってす】
次、伊耶能真若(イヤノマワカ)命、
【「伊」 より 「能」 に至り、
音を以ってす】
次、國片比賣(クニカタヒメ)命、
次、千千都久和(チチツクワ)
【此の三字、音を以ってす】
比賣(ヒメ)命、
次、伊賀比賣(イガヒメ)命、
次、倭日子(ヤマトヒコ)命、
六柱。
此の天皇(スメラミコト)の御子等、
并(アハ)せ十二柱、男王(ヲトコミコ)
七、女王(ヲミナミコ)五也。
御真木入日子印恵(ミマキイリヒコイニ
エ)命は、磯城水垣(シキミヅカキ)宮
(大和国城上)に居られ、
天下を治めたのである。

この(御真木入日子印恵)天皇が
木国造(キクニミヤツコ)、
名が荒河刀弁(アラカハトベ)
の娘、
遠津年魚目目微比売(トホツアユメマク
ハシヒメ)を娶り、
生んだ御子は、
豊木入日子(トヨキイリヒコ)命、
次に、豊入日売(トヨスキイリヒメ)命、
2人。

また、
(この御真木入日子印恵天皇が)
尾張連(ヲハリムラジ)の祖先、
意冨阿麻比売(オホアマヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
大入杵(オホイリキ)命、
次に、八坂之入日子(ヤサカノイリヒコ)
命、
次に、沼名木之入日売(ヌナキノイリヒ
メ)命、
次に、十市之入日売(トヲチノイリヒメ)
命、
4人。

また、
(この御真木入日子印恵天皇が)
大毘古(オホビコ)命の娘、
御真津比売(ミマツヒメ)命
を娶り、生んだ御子は、
伊玖米入日子伊渉知(伊久米伊理
毘古伊佐知(イクメ)イリビコイサチ)命、
次に、伊耶能真若(イヤノマワカ)命、
次に、国片比売(クニカタヒメ)命、
次に、千千都久和比売(チチツクワヒメ)
命、
次に、伊賀比売(イガヒメ)命、
次に、倭日子(ヤマトヒコ)命、
6人。

この(御真木入日子印恵)天皇の
御子達は、合計12人、
皇子7人、皇女5人である。

伊久米伊理古伊
佐知命者
治天下也
次 豊木入日子命

上毛野
下毛野君
等之祖也
妹 豊比賣命
拜祭伊大神之

次 大入杵命者
能登臣之祖也
次 倭日子命
此王之時 始 而
陵 立人垣
故(カレ)、
伊久米伊理古伊佐知(イクメイリ
ビコイサチ)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
次、豊木入日子(トヨキイリヒコ)命
は、
上毛野(カミツケノ)
(脱字 「君」)
下毛野(シモツケノ)君
等の祖(オヤ)也。
妹(イモ)、豊比賣(トヨスキヒメ)命、
大神のを拜(オロガ)み祭る
也。
次、大入杵(オホイリキ)命は、
能登臣(ノトオミ)の祖(オヤ)也。
次、倭日子(ヤマトヒコ)命、
此の王(ミコ)の時、始めて、
陵(ミサザキ)に人垣を立てる。
それで、
伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリ
ビコイサチ)命は、
天下を治めたのである。
次に、豊木入日子(トヨキイリヒコ)命
は、
上毛野(カミツケノ)君、
下毛野(シモツケノ)君
達の祖先である。
妹の豊比売(トヨスキヒメ)命は、
伊勢(イセ)大神の宮を斎き祀った
のである。
次に、大入杵(オホイリキ)命は、
能登臣(ノトオミ)の祖先である。
次に、倭日子(ヤマトヒコ)命は、
この王(倭日子命)の時、初めて、
陵墓に人柱を立てた。

意冨多多泥古、大物主大神の祟りを鎮める
原文読み口語訳
此天皇之御世
病 夛起
人民 死為盡


天皇 愁歎 而
坐神牀之夜
大物主大神
御夢 曰
是者 我之御心故
以意夛々泥古 而
令祭我御前者
神氣 不起
国 亦 安平
是以
驛使 斑于四方

求謂意冨夛々泥古
人之時
河内之努村
見得其人 貢進

天皇 賜之
汝者 誰子也
荅曰 白
僕者 大物主大神
娶陶津耳命之女
活玉依
生子
名 櫛御方命之子
飯肩巣見命之子
建甕遺命之子
僕 意冨夛々泥古
此の天皇(スメラミコト)の御世(ミヨ)、
()病(エヤミ)、夛(サハ)に起き、
人民(オホミタカラ)、死に盡(ツ)き為
さむとす。
(シカ)くして、
天皇(スメラミコト)、愁(ウレ)ひ歎きて、
神牀(カムドコ)に坐(イマ)す夜、
大物主(オホモノヌシ)大神、
御夢に顕(アラハ)れ、曰く、
「是れは、我が御心故(ユエ)、意

(脱字 「冨」)夛夛泥古(オホタタネコ)
を以って、我が御前(ミサキ)を祭ら
しめば、神氣(カムケ)起らず、
国、亦、安平(ヤス)らがむ。」 と。
是れを以って、
驛使(ハユマツカヒ)、四方(ヨモ)に斑

()(アカ)ち、
意冨夛夛泥古(オホタタネコ)と謂ふ
人を求むる時、
河内(カハチ)の努(ミノ)村に、其
の人を見得、貢進(ミツギタテマツ)る。
(シカ)くして、
天皇(スメラミコト)、之をひ賜はく、
「汝(ナ)は、誰(タレ)が子也。」 と。
荅へ曰ひ、白さく、
「僕(ヤツガレ)は、大物主(オホモノヌシ)
大神、陶津耳(スエツミミ)命の女
(ヲミナ)、活玉依賣(イクタマヨリビメ)
を娶り、生める子、
名、櫛御方(クシミカタ)命の子、
飯肩巣見(イヒカタスミ)命の子、
建甕遺
(𣟧)(タケミカヒシ)命の子、
僕(ヤツガレ)、意冨夛夛泥古(オホタタ
ネコ)と白す。」 と。
この(御真木入日子印恵)天皇
の世に、疫病が大流行し、
人民が死に絶えそうになった。
そこで、
(御真木入日子印恵)天皇は、
憂いて、
神託を受ける床に居られた夜、
大物主(オホモノヌシ)大神が、
夢の中に現れ、
「これ(疫病の流行)は、
(大物主大神)の意志なので、
意冨多多泥古(オホタタネコ)に、
私の前(山麓)を祀らせば、
神の祟りは、起こらず、国は、ま
た、平安になろう。」 と言った。
そこで、
早馬使者(ハユマツカヒ)が、四方に分
散して、意冨多多泥古(オホタタネコ)
という人を探し求めたところ、
河内(カハチ)国の美努(ミノ)村で、そ
の人を見付け、(天皇に)奉げた。
そこで、
(御真木入日子印恵)天皇が、
「あなたは、誰の子であるか。」
と尋ねられた。
意冨多多泥古(オホタタネコ)が答え、
「私は、大物主(オホモノヌシ)大神が、
陶津耳(スエツミミ)命の娘、
活玉依毘売(イクタマヨリビメ)を娶り、
生んだ子の、名は櫛御方(クシミカタ)
命の子、飯肩須見(イヒカタスミ)命の
子、建甕𣟧(タケミカヒシ)命の子で、
私が、意冨多多泥古(オホタタネコ)と
申す。」 と申した。

天皇大皇
大 歓 以
詔之
天下 平
人民 榮
即 以意冨夛々泥
古命 為神主 而
御諸山
拜祭意冨和之大
神前
又 仰伊迦賀色許
男命
作天之八十羅訶
【此三字 以音】

定奉天神地祇之社

又 墨坂神
祭赤色楯矛
又 大坂神
祭墨色楯矛
(之御)
又 坂之御尾神
及河瀬神 悉
無遺忌 以
奉幣帛也
因此 而
没氣 悉 息
国家 安平也
此謂意冨夛々泥古

所以知神子者
上所云活玉依

其容姿 端正

有壮夫
其形次威儀
時 無比
夜半之時 
忽 到来故
相感 共婚
供住之
幾時
其義人 

 恠其身之

其女曰
汝者 自
无夫 何由
身乎
荅曰
有麗壮夫
不知其姓名
毎夕到来
供住之 自然
懐妊
是以
其父
欲知其人
誨其女曰
以袁土
散床前
以閇
【此二字 以音】
紡麻
貫針 其衣襴


如教 而
旦時 見者
所著針麻者
自戸之鈎穴
控通 而 出
唯 遺麻者
三勾耳
 即
知自穴出之状 而
従糸 尋行者
和山 而
留神社故
知其神子

其麻之三勾遺
而 名其地
和也
此意冨夛々泥古命

神君 鴨君之祖
是れに(オ)いて、
天皇大皇(スメラミコトオホキミ)、
大(オホ)いに、歓び、以って、
之を詔(ノ)りしく、
「天下(アメシモ)、平らぎ、
人民(オホミタカラ)、榮えむ。」 と。
即ち、意冨夛夛泥古(オホタタネコ)命
を以って、神主と為して、
御諸(ミモロ)山に(オ)いて、
意冨和(オホミワ)の大神前(サキ)
を拜(オロガ)み祭り、
又、伊迦賀色許男(イカガシコヲ)命
に仰せ、
天之八十羅訶(アメノヤソビラカ)
【此の三字、音を以ってす】
を作らしめ、
天神地祇(アメカミクニカミ)の社(ヤシロ)
を、定め奉(タテマツ)る。
又、宇墨坂(ウダスミサカ)神に、
赤色の楯矛(タテホコ)を祭り、
又、大坂(オホサカ)神に、
墨色の楯矛(タテホコ)を祭り、

又、坂之御尾(サカノミヲ)神及び河瀬
(カハセ)神に、悉(コトゴト)く、遺(ノコ)
し忌むること無く、以って、
幣帛(ミテグラ)を奉(タテマツ)る也。
此れに因りて、
没氣(シヌケ)、悉(コトゴト)く、息(ヤ)
み、国家(クニ)、安平(ヤス)らぐ也。
此の意冨夛夛泥古(オホタタネコ)
と謂ふ人、
神子(ミコ)と知る所以(ユエン)は、
上に云ひし活玉依賣(イクタマヨリ
ビメ)、
其の容姿(カタチ)、端正(ウルハ)し。
是れに
(脱字 「)(オ)いて、
壮夫(ヲトコ)有り、
其の形次
(姿)威儀(カタチヨソホヒ)、
時に(オ)いて、比(タグヒ)無し。
夜半(ヨナカ)の時、
()(ツブサ)
に、忽(タチマ)ち、到り来るが故
(ユエ)、相ひ感(メ)で、共に婚(ア)
ひ、供に住める
未だ幾時をず、
其の義(ヨ)き人、身(ハラ)む。
(シカ)くして、
(カソイロ)、其の身(ハラ)める
事を恠
()しみ、
其の女(ヲミナ)にひ曰く、
「汝(ナ)は、自づと(ハラ)む。
夫(ツマ)无(ナ)きに、何由(ナニユエ)、
身(ハラ)む乎(ヤ)。」 と。
荅へ曰く、
「麗(ウルハ)しき壮夫(ヲトコ)有り。
其の姓(カバネ)名(ナ)を知らず。
夕毎に到り来、
供に住めるに、自然(オノ)づと、
懐妊(ミゴモ)る。」 と。
是れを以って、
其の父(カソイロ)、
其の人を知らむと欲(ホッ)し、
其の女(ヲミナ)に誨(オシ)へ曰く、
「袁
()土(ハニ)を以って、
床前(トコサキ)に散らし、
(ヘソ)
【此の二字、音を以ってす】
紡ぎ麻を以って、
針を貫き、其の衣襴(キヌヒトエ)に
()せ。」 と。
故(カレ)、
教への如くして、
旦時(アシタ)に見れば、
針を著(ツ)けし麻は、
戸の鈎穴より、
控(ヒ)き通りて、出(イ)で、
唯、遺(ノコ)れる麻は、
三勾(ミワ)耳(ノミ)。
(シカ)くして、即ち、
穴より出(イ)ずる状(サマ)を知り
て、糸の従(マニマ)に、尋ね行けば、
和(ミワ)山に至りて、
神社(カムヤシロ)に留(ト)まるが故
(ユエ)、其の神子(ミコ)と知る。
故(カレ)、
其の麻の三勾(ミワ)遺(ノコ)るに
()りて、其の地を名づけ、
和(ミワ)と謂ふ也。
此の意冨夛夛泥古(オホタタネコ)命
は、
神(ミワ)君、鴨(カモ)君の祖(オヤ)。
そして、
(御真木入日子印恵)天皇は、
(意冨多多泥古命の素性を知っ
)大変喜び、それで
「天下は、平穏になり、人民は、
栄えるであろう。」 と語った。
直に、意冨多多泥古(オホタタネコ)命
を神主とし、
御諸(ミモロ)山(大和国城上大神三
輪山)で、意冨美和(オホミワ)の大神
(大物主大神)の前を斎き祀り、
また、伊迦賀色許男(イカガシコヲ)命
に、天之八十毘羅訶(アメノヤソビラカ)
(多くの器)を作らせ、
天神地祇(アメカミクニカミ)の社(ヤシロ)
を定め祀り、
また、宇陀墨坂(ウダスミサカ)神に
は、赤色の楯矛(タテホコ)を奉げ、
また、大坂(オホサカ)神には、
墨色の楯矛(タテホコ)を奉げ、
また、坂之御尾(サカノミヲ)神と河
瀬(カハセ)神には、すべて、残し
避けることなく、幣帛(ミテグラ)
(供え物)を奉げたのである。
これによって、
死の気配が、すべて、止み、
国は平穏になったのである。
この意冨多多泥古(オホタタネコ)と
いう人を、神の子孫と知った訳
は、次の通り。
上記の活玉依毘売(イクタマヨリビメ)
は、容姿が大変美しかった。
そして、男がいて、その(男の)
姿、装いは、この時、
比べる者が無いほどであった。
(その男が)夜中に、いつも突然、
(活玉依毘売の所に)やって来
たので、愛し合い、結婚して、
共に暮らしている間に、
まもなく、その乙女
(活玉依毘売)は、身籠った。
そこで、
(活玉依毘売の)父母(陶津耳命
夫妻)は、(娘が)身籠った事を
不審に思い、その娘に尋ね、
「あなたは、自然に身重になっ
ているが、夫がいないのに、
どういう訳で身籠ったのか。」
と言うと、
(娘の活玉依毘売は)答え、
「立派な男が居て、その姓名も知
らない人が、夜毎に通って来て、
共に住んでいる間に、
自然と、身籠った。」 と言った。
そこで、
その(活玉依毘売の)父母は、そ
の男(の素性)を知ろうと思い、
その娘(活玉依毘売)に教え、
「赤土を床の前に撒き散らし、
糸巻きの紡ぎ麻を通した針を、
その男の単衣の着物に刺せ。」
と言った。
それで、(娘の活玉依毘売は)
教えの通りにして、
翌朝に見ると、
針につけた麻糸は、
戸の鍵穴から抜け通って出て、
僅かに、糸巻きに残った麻糸は、
三輪だけであった。
そこで、(活玉依毘売は)
直に、その男が鍵穴から出て行
った様子を知って、
その糸を辿って行くと、
美和(ミワ)山(三輪山)に至って、
神社で留まっていたので、(その
男は)その(神社の在る山の)
神の子孫であることを知った。
それで、
その麻糸の糸巻きに、三輪残っ
ていたことから、その地を名づ
け、美和(ミワ)というのである。
この意冨多多泥古(オホタタネコ)命
は、神(ミワ)君、鴨(カモ)君の祖先。

【補足】
御諸山(大和国城上大神三輪
)の山麓に、「天神地祇」 を追
祀して、「大物主」 大神の祟りを
鎮めることになった。
御諸山(三輪山)麓の 「
に居るのは、「大物主」 の子孫。

大毘古命建沼河別命による北東平定
原文読み口語訳
又 此之御世
古命者
遣髙志道
其子建沼河別命者
東遣方十二道 而

令和平其麻都漏波
礼奴
【自麻下五字
以音】
人等
又 四坐王者
遣旦波国
令殺玖賀耳之御笠

此 人名者也
【玖賀二字
以音也】

古命
罷徃髙志國之時
服腰裳少女
立山代之幣羅坂
而 歌 曰
 (古波夜)
 紀伊理古波夜
 麻紀伊理
 波夜
 意能賀()袁或
 牟登
 斯都斗用
 伊由岐夛賀比
 麻幣都斗用
 伊由岐夛賀比
 宇迦々波久
 斯良
 广紀伊理
 波夜
又、此の御世(ミヨ)、
古(オホビコ)命は、
髙志(コシ)道に遣はし、
其の子、建沼河別(タケヌナカハワケ)命
は、東(ヒムガシ)十二道方(カタ)に
遣はして、
其の麻都漏波礼奴(マツロハレヌ)

【「摩」
()より下(シモ)五()
字、音を以ってす】
人等を、和平(ヤハ)しめ、
又、四
(日子)坐(ヒコイマス)王(ミコ)
は、旦波(タニハ)国に遣はし、
玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)を殺
(シ)さしめる。
此れは、人名也。
【「玖賀」 二字、
音を以ってす也】
故(カレ)、
古(オホビコ)命、
髙志(コシ)國に罷り徃(ユ)く時、
腰裳(コシモ)を服(キ)る少女(ヲトメ)、
山代(ヤマシロ)の幣羅(ヘラ)坂に立
ちて、歌ひ、曰く。
 麻紀伊理古波夜(ミマキイリ
 ビコハヤ)
 麻紀伊理古波夜(ミマキイリ
 ビコハヤ)
 意能賀袁或
()(オノガヲヲ)
 牟登(ヌスミシセムト)
 斯都斗用(シツトヨ)
 伊由岐夛賀比(イユキタガヒ)
 麻幣都斗用(マヘツトヨ)
 伊由岐夛賀比(イユキタガヒ)
 宇迦迦波久(ウカカハク)
 斯良登(シラニト)
 广
()紀伊理古波夜(ミマ
 キイリビコハヤ)
また、この御世に、
(御真木入日子印恵天皇は)
大毘古(オホビコ)命には、
越(コシ)国(北陸道)に遣わし、
その(大毘古命の)子の建沼河別
(タケヌナカハワケ)命には、
東方12(東海道東山道方面)
に遣わして、
その方面の服従しない人達を
平定させ、
また、日子坐(ヒコイマス)皇子には、
丹波(タニハ)国に遣わし、
玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)を
討たせた。
それで、大毘古(オホビコ)命が、
越(コシ)国に下って行ったとき、
腰裳(コシモ)を着けた乙女が、
山背(ヤマシロ)の幣羅(ヘラ)坂(山背
国相楽)に立って歌い、
次の通り。
 御真木入日子(ミマキイリビコ)はや、
 御真木入日子(ミマキイリビコ)はや、
 己(オノ)が緒を、盗み殺せむと、
 後つ戸よ、い行き違(タガ)ひ、
 前つ戸よ、い行き違(タガ)ひ、
 うかかはく、知らにと、
 御真木入日子(ミマキイリビコ)はや

【補足】
大毘古」 に、「山背の乙女」 か
らの警告歌
 御真木入日子(ミマキイリビコ)や
 御真木入日子(ミマキイリビコ)や
 自分の命を、狙って殺そうと
 裏門から、行き違い
 前門から、行き違いして
 狙われていることを、知らずに
 御真木入日子(ミマキイリビコ)や

古命
思恠 返馬
其少女 曰
汝所謂之言
何言

少女 荅曰
吾 勿言 唯
為詠歌耳
即 不見其所如而
忽 失

古命
更還 
天皇時
天皇 荅
詔之
此者 為任山代國
我之
建波迩安王
起邪心之表

【波迩二字
以音】
伯父 興軍
冝行
即 副丸迩臣之祖
日子國夫玖命
而 遣時
即 丸迩坂
居忌瓮 而 罷徃
是れに(オ)いて、
古(オホビコ)命、
()しと思ほし、馬を返し、
其の少女(ヲトメ)にひ、曰く、
「汝(ナ)が謂ひし言(コト)、
何言(ナニコト)。」 と。
(シカ)くして、
少女(ヲトメ)、荅へ曰く、
「吾(ア)、言はず、唯、歌を詠(ウタ)
ひ為す耳(ノミ)。」 とて、
即ち、其の所見えざる如くして、
忽(タチマ)ち、失せる。
故(カレ)、
古(オホビコ)命、
更に還り、
()ひ上(ノボ)り、
天皇(スメラミコト)に請(マウ)す時、
天皇(スメラミコト)、荅へ、
之を詔(ノ)りしく、
「此れは、山代(ヤマシロ)國を任し
為せる我の兄(ママセ)、
建波迩安(タケハニヤス)王(ミコ)、
邪(ヤマ)しき心を起す表(シルシ)
耳(ノミ)。
【「波迩」 二字、
音を以ってす】
伯父(オヂ)、軍(イクサ)を興(オコ)し、
行くが冝(ヨロ)し。」 と。
即ち、丸迩臣(ワニオミ)の祖(オヤ)、
日子國夫玖(ヒコクニブク)命
を副(ソ)へて、遣はす時、
即ち、丸迩(ワニ)坂に、忌瓮(イハヒ
カメ)を居(ス)えて、罷り徃(ユ)く。
そして、
大毘古(オホビコ)命は、
不思議に思い、馬を取って返し、
その(山背の)乙女に尋ね、
「あなたが言った言葉は、
どういうことか。」 と言った。
そこで、
(その)乙女は答え、
「私は、言ったのではなく、唯、
歌っただけ。」 と言って、直に、
その場所から見えないように、
突然、姿を消してしまった。
それで、
大毘古(オホビコ)命は、
引き返し、都に上り、
(御真木入日子印恵)天皇に、
(このことを)奏上すると、
天皇は、答え、
「これは、山背(ヤマシロ)国(国府)
に赴任している、あなたの異母
兄の建波迩安(タケハニヤス)皇子が、
叛逆心を起こした印に違いない。
伯父(大毘古命)よ、
軍勢を整え、(建波迩安皇子の)
討伐に行け。」
と語って、
直に、和迩臣(ワニオミ)の祖先の
日子国夫玖(ヒコクニブク)命を付き
添わせて、遣わすと、
(その日子国夫玖命は)
直に、和迩(ワニ)坂に清めた酒甕
を据えて、(祀り)出て行った。

到山代之和訶羅河

其建波迩安王
興軍 待遮
各 中侠河 而
對立 相挑

号其地
謂伊梯 今
謂伊豆

日子國夫玖命
乞云
其廂人 先
忌矢可弾

其建波安王
雖射 不得中

國夫玖命 弾矢者
即 射建波安王
而 死故
其軍 悉
破 而 逃散

追迫其逃軍
到久婆之度時

皆 被迫窘 而
屎 出懸褌故

号其地
謂屎禅
今者 謂久
又 遮其逃軍
以 斬者
 浮河故
号其河
河也
亦 斬波布理其軍
士故
号其地
謂波布理曽能
【自波下五字
以音】
如此 平訖

覆奏

古命者
随先命 而
罷行髙志國

自東方所遣
建沼河別 与
其父 大
共 徃遇于相津故

其地 謂相津

是以

和平所遣之國政
而 覆奏

天下 太平
人民 冨榮
是れに(オ)いて、
山代(ヤマシロ)の和訶羅(ワカラ)河に
到りし時、
其の建波迩安(タケハニヤス)王(ミコ)、
軍(イクサ)を興し、待ち遮(サヤ)る。
各(オノオノ)、河を中に侠
()みて、
對(ムカ)ひ立ち、相ひ挑(イド)む。
故(カレ)、
其の地を号(ナヅ)け、
伊梯
()(イドミ)と謂ひ、今、
伊豆(イヅミ)と謂ふ也。
(シカ)くして、
日子國夫玖(ヒコクニブク)命、
乞ひ云ひしく、
「其廂(ソナタ)の人、先ず、
忌矢(イミヤ)弾(ハナ)つ可し。」 と。
(シカ)くして、
其の建波安(タケハニヤス)王(ミコ)、
射ると雖ども、中(アタ)るを得ず。
是れに(オ)いて、
國夫玖(クニブク)命、弾(ハナ)つ矢
は、即ち、建波安(タケハニヤス)王
(ミコ)を射て、死すが故(ユエ)、
其の軍(イクサ)、悉(コトゴト)く、
破れて、逃げ散(アカ)る。
(シカ)くして、
其の逃ぐる軍(イクサ)を追ひ迫
(セ)め、久
()婆(クスバ)の度
(ワタリ)に到る時、
皆、迫(セ)め窘(クル)しめられて、
屎(クソ)、褌
()(ハカマ)に出(イ)で
懸かるが故(ユエ)、
其の地を号(ナヅ)け、
屎禅
()(クソバカマ)と謂ひ、
今は、久
()婆(クスバ)と謂ふ。
又、其の逃ぐる軍(イクサ)を遮
(サヤ)り、以って、斬れば、
()(ウ)の如く、河に浮くが
故(ユエ)、其の河を号(ナヅ)け、
鵜(ウ)河と謂ふ也。
亦、其の軍士(ツハモノ)を斬り波布
理(ハフリ)きが故(ユエ)、
其の地を号(ナヅ)け、
波布理曽能(ハフリソノ)と謂ふ。
【「波」 より下(シモ)五字、
音を以ってす】
此(カク)の如く、平らげ訖(ヲ)へ、
()ひ上(ノボ)り、
覆奏(カヘリゴトマウ)す。
故(カレ)、
古(オホビコ)命は、
先の命(ミコトノリ)の随(マニマ)にて、
髙志(コシ)國に罷り行く。
(シカ)くして、
遣はされし東方(ヒムガシカタ)より、
建沼河別(タケヌナカハワケ)と、
其の父(カソ)、大古(オホビコ)、
共に、相津(アヒヅ)に徃(ユ)き遇
(ア)ふが故(ユエ)、
其の地、相津(アヒヅ)と謂ふ
也。
是れを以って、
各(オノオノ)、
遣はされし國の政(マツリゴト)を和
平(ヤハ)して、覆奏(カヘリゴトマウ)す。
(シカ)くして、
天下(アメシモ)、太(オホ)きに平らぎ、
人民(オホミタカラ)、冨み榮える。
そして、
(大毘古命と日子国夫玖命が)
山背(ヤマシロ)の和訶羅(ワカラ)川
(木津川)にやって来た時、
その建波迩安(タケハニヤス)皇子は、
軍勢を整え、(大毘古命と日子国
夫玖命の)行く手を遮っていた。
各々、川を間に挟んで対峙し、
互いに戦を仕掛けた。
それで、
その地を名付け、
伊杼美(イドミ)と謂い、今、
伊豆美(イヅミ)と謂うのである。
そこで、
日子国夫玖(ヒコクニブク)命が、
(敵方に)求め、
「そちらの人が、先ず、合戦合図
の矢を放て。」 と云った。
そこで、
建波迩安(タケハニヤス)皇子が、矢を
射たけれども、命中しなかった。
そして、
(日子)国夫玖(ヒコクニブク)命が放
った矢は、直に、建波迩安(タケハニ
ヤス)皇子に命中し、(皇子は)
死んだので、その軍勢は、
総崩れとなって、逃げ散った。
そこで、
その逃げる軍勢を追い詰め、久
須婆(クスバ)の渡しに着いた時、
(その)軍勢は、皆、攻め苦しめ
られて、屎が出て(ハカマ)に掛
かったので、
その地を名付け、
(クソバカマ)と謂い、
今は、久須婆(クスバ)と謂う。
また、その逃げる軍勢の行く手
を遮って、斬ったので、
(その軍勢の死体が)鵜(ウ)のよ
うに、川に浮かんだため、
その川を名付け、
鵜(ウ)川と謂うのである。
また、その兵士を斬り屠ったの
で、その地を名付け、
波布理曽能(ハフリソノ)と謂う。
このように、(大毘古命は)
平定し終え、(都へ)参上し、
(御真木入日子印恵天皇に)
復命した。
それで、
大毘古(オホビコ)命は、
先の(平定)命令に従い、
越(コシ)国に下って行った。
そこで、
遣わされていた東方(東海道
東山道方面)から建沼河別(タケ
ヌナカハワケ)命と、その父の大毘古
(オホビコ)命とが、会津(アヒヅ)
(陸奥国)で行き会ったので、
その地は、会津(アヒヅ)と謂う
のである。
そこで、
各々(建沼河別命と大毘古命)
は、遣わされた国の政を平穏にし
て、(御真木入日子印恵天皇に)
復命した。
そこで、天下は、たいそう平穏に
なり、人民は、富み栄えた。

初 令貢
男子端之調
女平末之調


稱其御世
謂所知初國之御真
木天皇也

是之御世
作依池 亦
作輊之酒折池也
是れに(オ)いて、
初めて、男(ヲトコ)の子
()
(ユハズ)の調(ミツギ)、女(ヲミナ)の
()末(タナスエ)の調(ミツギ)を
貢(タテマツ)らしめる。
故(カレ)、
其の御世(ミヨ)を稱(タタ)へ、
初國(ハツクニ)知らしし御真木
(ミマキ)天皇(スメラミコト)と謂ふ也。
又、
是の御世(ミヨ)、
()(ヨサミ)池を作り、亦、
輊之酒折(カルノサカヲリ)池を作る也。
そして、
(御真木入日子印恵)天皇は、
男の弓矢で得た獲物の税や、
女の手で織った織物の税を、
初めて、貢納させた。
それで、
その御世を讃え、初国(ハツクニ)知
らしし(初めて国を治めた)
真木(ミマキ)天皇と謂うのである。
また、この御世に、(御真木入日
子印恵天皇は、灌漑用に)依網
(ヨサミ)池を作り、また、軽之酒折
(カルノサカヲリ)池を作ったのである。
天皇 御歳
壹佰陸拾捌歳
戊寅年十二月崩

御陵 在山邊道勾
上也
天皇(スメラミコト)、御歳、
壹佰陸拾捌歳
戌寅(ツチノエトラ)年十二月(シハス)
崩(カムザ)る。
御陵(ミサザキ)、山邊道勾之(ヤマ
ヘミチマガリノオカ)上(ヘ)に在る也。
(御真木入日子印恵)天皇(崇神
天皇)は、御年、168歳、
戊寅(ツチノエトラ)年12月死去した。
御陵は、山辺道勾之岡(ヤマヘミチ
マガリノオカ)(大和国城上)辺りに
在るのである。


4.1.11 第11代 垂仁天皇 伊久米伊理毘古伊佐知命

伊久米伊理毘古伊佐知命の御子と治世
原文読み口語訳
伊久米伊理古伊
佐知命
坐師木玉垣
治天下也
此天皇
娶沙古命之妹
佐波遅比賣命
生御子
品牟都和氣命
一柱
又 娶旦波比古夛
和宇斯王
之女
氷羽州比賣命
生御子
印色之入日子命
【印色二字
以音】
次 大帯日子淤斯
呂和氣命
【自淤至氣五字
以音】
次 大中津日子命
次 倭比賣命
次 若木入日子命
五柱
又 娶其氷羽州比
賣命之弟
沼羽田之入賣命
生御子
沼帯別命
次 伊賀帯日子命
二柱
又 娶其沼羽田之
入日賣命之弟
阿耶能伊理

【此女王名
以音】
生御子
伊許婆夜和氣命
次 阿耶都比賣

二柱
【此二王名
以音】
又 娶大箇木垂根
王之女
迦具夜比賣命
生御子
袁耶弁王
一柱
又 娶山代大國之
渕之女
羽田刀弁
【此二字 以音】
生御子
落別王
次 五十日帯日子

次 伊登志別王
【伊登志三字
以音】
脱落
(三柱)

又 娶其大國之渕
之女
羽田刀弁
生御子
脱落
(石衝別王
)
石衝賣命
亦 布夛遅能伊理
賣命
二柱
 此天皇之
御子等 十六王
男王十三
女王三

大帯日子淤斯呂和
氣命者
治天下也
御身長 一丈二寸
長 四尺一寸

次 印色入日子命

作血沼池
又 作侠山池
又 作日下之髙津

又 坐鳥取之河上

令作横刀壹片口

是 奉納石上神

即 坐其
定河上部也
次 大中津日子命

山邊之別
三枝之別
稲木之別
阿太之別
尾張國之三野別
之石无別

許呂之別
髙巣鹿之別
飛鳥君
牟礼之別
等祖也
次 倭比賣命者
拜祭伊大神

次 伊許婆夜和氣
王者
穴太部之別
祖也
次 阿耶都比賣
命者
嫁稍瀬古王

次 落別王者
小目山君
二川之衣君
之祖
次 五十日帯日子
王者
春日山君
髙志他君
春日部君之祖
次 伊登志和氣王
者 因无子 而
伊 為子代
定伊部
次 石衝別王者
羽咋君
三尾君之祖
次 布夛遅能伊理
賣命者
為倭建命之后
伊久米伊理古伊佐知(イクメイリ
ビコイサチ)命、
師木玉垣(シキタマカキ)に坐(イマ)
し、天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
古(サホビコ)命の妹(イモ)、
佐波遅比賣(サハヂヒメ)命
を娶り、生める御子、
品牟都(夲牟智)和氣(ホムチワケ)
命、一柱。
又、旦波比古夛夛
()
()宇斯(タニハヒコタタスミチウシ)王
(ミコ)の女(ヲミナ)、
氷羽州比賣(ヒバスヒメ)命
を娶り、生める御子、
印色之入日子(イニシキノイリヒコ)命、
【「印色」 二字、
音を以ってす】
次、大帯日子淤斯呂和氣(オホタラシ
ヒコオシロワケ)命、
【「淤」 より 「氣」 に至る五字、
音を以ってす】
次、大中津日子(オホナカツヒコ)命、
次、倭比賣(ヤマトヒメ)命、
次、若木入日子(ワカキイリヒコ)命、
五柱。
又、其の氷羽州比賣(ヒバスヒメ)命
の弟(オト)、
沼羽田之入賣(ヌバタノイリビメ)命
を娶り、生める御子、
沼帯別(ヌタラシワケ)命、
次、伊賀帯日子(イガタラシヒコ)命、
二柱。
又、其の沼羽田之入日
()
(ヌバタノイリビメ)命の弟(オト)、
阿耶能伊理賣(アヤミノイリビメ)

【此の女王(ヲミナミコ)名、
音を以ってす】
を娶り、生める御子、
伊許婆夜和氣(イコバヤワケ)命、
次、阿耶都比賣(アヤミツヒメ)命、

二柱。
【此の二王(ミコ)名、
音を以ってす】
又、大箇
()木垂根(オホツツキタリネ)
王(ミコ)の女(ヲミナ)、
迦具夜比賣(カグヤヒメ)命
を娶り、生める御子、
袁耶弁(ヲヤベ)王(ミコ)、
一柱。
又、山代大(ヤマシロオホ)國の渕(フチ)
の女(ヲミナ)、
()羽田刀弁(カリハタトベ)
【此の二字、音を以ってす】
を娶り、生める御子、
落別(オチワケ)王(ミコ)、
次、五十日帯日子(イソカタラシヒコ)
王(ミコ)、
次、伊登志別(イトシワケ)王(ミコ)、
【「伊登志」 三字、
音を以ってす】
脱落
(三柱)
又、其の大(オホ)國の渕(フチ)
の女(ヲミナ)、
()羽田刀弁(オトカリハタトベ)
を娶り、生める御子、
脱落
(石衝別(イハツクワケ)王(ミコ)、
)石衝賣(イハツクビメ)命、
(脱字 「名」)、布夛遅能伊理
賣(フタヂノイリビメ)命
二柱。
(オヨ)そ、此の天皇(スメラミコト)の
御子等、十六王(ミコ)、
男王(ヲトコミコ)十三、
女王(ヲミナミコ)三。
故(カレ)、
大帯日子淤斯呂和氣(オホタラシヒコ
オシロワケ)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
御身長(ミタケ)、一丈(エ)二寸(キ)、
()長(アシタケ)、四尺(サカ)
一寸(キ)也。
次、印色入日子(イニシキイリヒコ)命
は、
血沼(チヌ)池を作り、
又、侠
()山(サヤマ)池を作り、
又、日下之髙津(クサカノタカツ)池を
作り、
又、鳥取之河上(トトリノカハカミ)宮
に坐(イマ)し、
横刀(タチ)壹片口(ヒトヒラクチ)を
作らしめ、
是れを石上(イソノカミ)神
納め奉(タテマツ)り、
即ち、其のに坐(イマ)し、
河上部(カハカミベ)を定む也。
次、大中津日子(オホナカツヒコ)命は、

山邊之別(ヤマヘノワケ)、
三枝之別(サキクサノワケ)、
稲木之別(イナキノワケ)、
阿太之別(アタノワケ)、
尾張(ヲハリ)國の三野別(ミノワケ)、
()之石无別(キビノイハナシ
ワケ)、
許呂之別(コロモノワケ)、
髙巣鹿之別(タカスカノワケ)、
飛鳥(アスカ)君、
牟礼之別(ムレノワケ)

(脱字 「之」)等の祖(オヤ)也。
次、倭比賣(ヤマトヒメ)命は、
(イセ)大神
拜(オロガ)み祭る也。
次、伊許婆夜和氣(イコバヤワケ)王
(ミコ)は、
穴太部之別(サホアナホベノワケ)
(脱字 「之」)の祖(オヤ)也。
次、阿耶都比賣(アヤミツヒメ)命
は、
()古(イナセビコ)王(ミコ)
に嫁ぎき。
次、落別(オチワケ)王(ミコ)は、
小目山(ヲメヤマ)君、
二川之衣(フタカハノコロモ)君
の祖(オヤ)。
次、五十日帯日子(イソカタラシヒコ)
王(ミコ)は、
春日山(カスカヤマ)君、
髙志他(コシタ)君、
春日部(カスカベ)君の祖(オヤ)。
次、伊登志和氣(イトシワケ)王(ミコ)
は、子无(ナ)きに因りて、
伊(コレ)、子代(コシロ)を為し、
伊部(イベ)を定む。
次、石衝別(イハツクワケ)王(ミコ)は、
羽咋(ハクヒ)君、
三尾(ミヲ)君の祖(オヤ)。
次、布夛遅能伊理賣(フタヂノ
イリビメ)命は、倭建(ヤマトタケル)命
の后(キサキ)と為す。
伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリ
ビコイサチ)命は、
磯城玉垣(シキタマカキ)宮(大和国城
)に居られ、
天下を治めたのである。
この(伊久米伊理毘古伊佐知)
天皇が、沙本毘古(サホビコ)命の妹
の佐波遅比売(サハヂヒメ)命(沙本
毘売命)を娶り、生んだ御子は、
本牟智和気(ホムチワケ)命、
1人。
また、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇が)
丹波比古多多須美知能宇斯
(タニハヒコタタスミチノウシ)皇子の娘の
氷羽州(比婆須)比売(ヒバスヒメ)
(兄比売命)
を娶り、生んだ御子は、
印色之入日子(イニシキノイリヒコ)命、
次に、大帯日子淤斯呂和気(オホ
タラシヒコオシロワケ)命、
次に、大中津日子(オホナカツヒコ)命、
次に、倭比売(ヤマトヒメ)命、
次に、若木入日子(ワカキイリヒコ)命、
5人。
また、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇が)
その氷羽州(比婆須)比売(ヒバスヒ
メ)命(兄比売命)の妹の沼羽田之
入毘売(ヌバタノイリビメ)命(弟比売
)を娶り、生んだ御子は、
沼帯別(ヌタラシワケ)命、
次に、伊賀帯日子(イガタラシヒコ)命、
2人。
また、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇が)
その沼羽田之入日毘売(ヌバタ
ノイリヒメ)命(弟比売命)
妹の阿耶美能伊理毘売(アヤミノ
イリビメ)命(歌凝比売命)
を娶り、生んだ御子は、
伊許婆夜和気(イコバヤワケ)命、
次に、阿耶美都比売(アヤミツヒメ)命、
2人。
また、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇が)
大筒木垂根(オホツツキタリネ)皇子の
娘の迦具夜比売(カグヤヒメ)命
を娶り、生んだ御子は、
袁耶弁(ヲヤベ)皇子、
1人。
また、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇が)
山背大(ヤマシロオホ)国の渕(フチ)の
娘の苅羽田刀弁(カリハタトベ)
を娶り、生んだ御子は、
落別(オチワケ)皇子、
次に、五十日帯日子(イソカタラシヒコ)
皇子、
次に、伊登志別(イトシワケ)皇子、
脱落(3)
また、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇が)
その(山背)大(オホ)国の渕(フチ)の
娘の弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)
を娶り、生んだ御子は、
脱落
(石衝別(イハツクワケ)皇子、
次に)
石衝毘売(イハツクビメ)命、
亦の名は、布多遅能伊理毘売
(フタヂノイリビメ)命、
2人。
およそ、この天皇の御子達は、
16人、皇子13人、皇女3人。
それで、(上記皇子の1)
大帯日子淤斯呂和気(オホタラシ
ヒコオシロワケ)命は、
天下を治めたのである。
身長が12(309cm)
脚長が41(124cm)
である。
次に、(上記皇子の1)
印色之入日子(イニシキノイリヒコ)命は、
血沼(チヌ)池を作り、
また、狭山(サヤマ)池を作り、
また、日下之高津(クサカノタカツ)池
を作り、
また、鳥取之河上(トトリノカハカミ)宮
に居られ、
太刀1振りを作らせて、これを
石上(イソノカミ)神宮に奉納し、
直に、その(鳥取之河上)宮に居
られて、河上部(カハカミベ)を定め
たのである。
次に、(上記皇子の1)
大中津日子(オホナカツヒコ)命は、
山辺之別(ヤマヘノワケ)、
三枝之別(サキクサノワケ)、
稲木之別(イナキノワケ)、
阿太之別(アタノワケ)、
尾張(ヲハリ)国の美濃別(ミノワケ)、
吉備之石无別(キビノイハナシワケ)、
許呂母之別(コロモノワケ)、
高巣鹿之別(タカスカノワケ)、
飛鳥(アスカ)君、
牟礼之別(ムレノワケ)達
の祖先である。
次に、(上記皇女の1)
倭比売(ヤマトヒメ)命は、伊勢(イセ)
大神宮を祀ったのである。
次に、(上記皇子の1)
伊許婆夜和気(イコバヤワケ)皇子は、
沙本穴太部之別(サホアナホベノワケ)
の祖先である。
次に、(上記皇女の1)
阿耶美都比売(アヤミツヒメ)命は、稲
瀬毘古(イナセビコ)皇子に嫁いだ。
次に、(上記皇子の1)
落別(オチワケ)皇子は、
小目山(ヲメヤマ)君、
二川之衣(フタカハノコロモ)君の祖先。
次に、(上記皇子の1)
五十日帯日子(イソカタラシヒコ)皇子
は、春日山(カスカヤマ)君、
越他(コシタ)君、
春日部(カスカベ)君の祖先。
次に、(上記皇子の1)
伊登志和気(イトシワケ)皇子は、
子がなかったので、養子として、
伊部(イベ)を定めた。
次に、(上記皇子の1)
石衝別(イハツクワケ)皇子は、
羽咋(ハクヒ)君、
三尾(ミヲ)君の祖先。
次に、(上記皇女の1)
布多遅能伊理毘売(フタヂノイリビメ)
命は、(この天皇の孫の)
倭建(ヤマトタケル)命の后となった。

【補足】
上記 「沙本毘古」 の妹で、
伊久米伊理毘古伊佐知」 天皇
の皇后になった 「佐波遅比売
は、後記 「沙本毘売」 のこと。

皇后の沙本毘売命兄の沙本毘古皇子による反逆
原文読み口語訳
此天皇
以沙
為后之時
賣命之兄
古王
其伊妹 曰
夫与兄

荅曰


古王
謀曰
汝 寔思我者
將 吾与汝
治天下 而
即 作八塩折之
小刀
授其妹 曰
以此小刀
殺天皇之寢


天皇
不知其之謀 而
枕其后之御膝
為御坐也


小刀
其天皇之御頚

三度 而
忍哀情
不能頚 而

落溢御面
此の天皇(スメラミコト)、
賣(サホビメ)を以って
后(キサキ)と為す時、
賣(サホビメ)命の兄(エ)、
古(サホビコ)王(ミコ)、
其の伊妹(イロモ)にひ、曰く、
「夫(ツマ)と兄(エ)ぞ、孰(イヅ)れ
(イトホ)しむ。」 と。
荅(コタ)へ曰く、
「兄(エ)を(イトホ)しむ。」 と。
(シカ)くして、
古(サホビコ)王(ミコ)、
謀(ハカ)り曰く、
「汝(ナ)、寔(マコト)に我を(イトホ)
しと思ほさば、將に、吾(ア)と汝
(ナ)、天下(アメシモ)を治(シラ)さむ。」
とて、即ち、八塩折(ヤシオヲリ)の
小刀(ナハヲカタナ)を作り、
其の妹(イモ)に授け、曰く、
「此の小刀(ヲカタナ)を以って、
天皇(スメラミコト)の寢(イ)ぬるを

()し殺(シ)せ。」 と。
故(カレ)、
天皇(スメラミコト)、
其の謀(ハカリゴト)を知らずて、
其の后(キサキ)の御膝を枕に、
御寢(ミイ)ね為して坐(イマ)す也。
(シカ)くして、
其の
(脱字 「后」(キサキ))
小刀(ナハヲカタナ)を以って、
其の天皇(スメラミコト)の御頚
(ミクビ)を
()さむと為し、
三度(フ)りて、
哀しき情(ココロ)に
()忍びず、
頚(クビ)を
()すこと能はず
て、泣き
御面(ミオモ)に落ち溢(アフ)る。
この(伊久米伊理毘古伊佐知)
天皇が、沙本毘売(サホビメ)命(
波遅比売命)を皇后とした時、
沙本毘売(サホビメ)命の
兄の沙本毘古(サホビコ)皇子が、
その妹(沙本毘売命)に尋ね、
(あなたの)(伊久米伊理毘古
伊佐知天皇)と兄(沙本毘古皇
)とでは、どちらが愛しいか。」
と言うと、
(沙本毘売命は)答え、
「兄(沙本毘古皇子)が愛しい。」
と言った。
そこで、
沙本毘古(サホビコ)皇子は、企み、
「あなたが、本当に私を愛しい
と思うなら、私とあなたで、
天下を治めよう。」 と言って、
直に、よく打ち鍛えた縄小刀を
作り、妹(沙本毘売命)に授けて、
「この小刀で、(伊久米伊理毘古
伊佐知)天皇が寝ているのを
刺し殺せ。」 と言った。
それで、
(伊久米伊理毘古伊佐知)天皇
は、その陰謀を知らずに、
皇后(沙本毘売命)の御膝を枕
に、寝て居られたのである。
そこで、
その皇后(沙本毘売命)が、
小刀(ナハヲカタナ)で、(伊久米伊
理毘古伊佐知)天皇の御首を刺
そうとして、3度も振り上げた
が、悲しい思いに耐えきれず、
首を刺すことができなくて、
(皇后の)泣く涙が、天皇の顔に
こぼれ落ちた。
乃 天皇 驚起
其后 曰
吾 見異夢
従沙
暴雨 零来
急 治吾面

又 錦色小
纒繞我頚
如此之夢
是有何表也

其后
以為不應争 即
白天皇 言
妾兄
古王
妾 曰
夫与兄

是 不勝面

妾 荅曰


誂妾 曰
吾与汝 共
治天下故
當殺天皇
云 而
作八塩折之小刀
授妾
是以
御頚
雖三度
哀情 忽
起 不得頚 而

 落治御面

必有是表焉
乃ち、天皇(スメラミコト)、驚き起き、
其の后(キサキ)にひ、曰く、
「吾(ア)、異(ケ)しき夢見つ。
方(サホカタ)より、
暴雨(ハヤサメ)、零(フ)り来、
急(ニハ)かに、吾(ア)が面(オモ)を
()(ヌラ)す。
又、錦色の小さき
()
我が頚(クビ)に纒繞(マツハ)る。
此(カク)の如き夢、何表(ナニシルシ)
にか是れ有る也。」 と。
(シカ)くして、
其の后(キサキ)、
争ひえずと為すを以って、即ち、
天皇(スメラミコト)に白し、言ひしく、
「妾(ワラハ)が兄(エ)、
古(サホビコ)王(ミコ)、
妾(ワラハ)にひ曰く、
『夫(ツマ)と兄(エ)、孰(イヅ)れを
(イトホ)しむ。』 と。
是れ、面(マノアタリ)りにふに勝
(タ)えぬが故(ユエ)、
妾(ワラハ)、荅(コタ)へ曰く、
『兄(エ)ぞ(イトホ)しむ。』 と。
(シカ)くして、
妾(ワラハ)に誂(アトラ)へ、曰く、
『吾(ア)と汝(ナ)、共に、
天下(アメシモ)を治(シラ)すが故(ユ
エ)、天皇(スメラミコト)を殺(シ)せ。』
と云ひて、
八塩折(ヤシオヲリ)の小刀(ナハヲ
カタナ)を作り、妾(ワラハ)に授く。
是れを以って、
御頚(ミクビ)を
()さむと欲
(ホッ)し、三度(フ)ると雖ども、
哀しき情(ココロ)、忽(タチマ)ち、
起り、頚(クビ)を
()すこと
を得ずて、
泣き、御面(ミオモ)に落ち
()(ヌラ)す。
必ず是の表(シルシ)に有らむ。」 と。
直に、(伊久米伊理毘古伊佐知)
天皇は、驚いて目を覚まし、
その皇后(沙本毘売命)に尋ね、
「私は、変な夢を見た。
佐保(大和国添上)の方から、
俄雨が降ってきて、
急に、私の顔を濡らした。
また、錦色の小蛇が、
私の首に巻きついた。
このような夢は、何のこと
であろうか。」 と言った。
そこで、
その皇后(沙本毘売命)は、
争うことができなくなったため、
(伊久米伊理毘古伊佐知)天皇に
「私の兄の沙本毘古(サホビコ)皇子
が、私(沙本毘売命)に尋ね、
(あなたは)(伊久米伊理毘
古伊佐知天皇)と兄(沙本毘古皇
)のどちらが愛しいか。』
と言った。
このように、対面して尋ねるの
に、耐えられなくて、
(沙本毘売命)は答え、
『兄が愛しい。』 と言った。
そこで、
(兄は)私に頼み、
『私(沙本毘古皇子)とあなた
(沙本毘売命)が、共に天下を治
めるので、天皇を殺せ。』
と言って、
よく打ち鍛えた縄小刀を作り、
(沙本毘売命)に授けた。
そこで、
(天皇の)首を刺そうして、
(その小刀を)3度振り上げたが、
悲しい思いが、突然起り、
御首を刺せず、泣く涙が、
(天皇の)顔に落ちて濡らした。
(天皇の夢は)きっとこのことで
しょう。」 と申した。

天皇
詔之
吾 殆見欺

乃 興軍
撃沙古王之時
其王 住稲城
以 待戦
此時 沙賣命
不待忍其兄
自後 逃出 而
納其之稲城
此時
其后 妊身

天皇 不忍
其后懐妊及
至于三年故

迴其軍
不急
故迫
如此
逗留之
其所妊之御子既産

出其御子
置稲城外
令白天皇
若 此御子矣
天皇之御子
所思宥者
可治賜

天皇 詔
雖怨其兄
猶 不得忍其后

即 有得后之心
是以
選娶軍士之中
力士軽捷 而

宣者
取其御子之時
乃 掠取其

或髮 或手
當随取獲
而 掬
以 控出

其后
豫 知其情
悉 剃其髮
以髮 覆其頭
亦 腐玉緒
三重纒手
且 以酒
腐御衣
如全衣 服
如此 設 而
其御子
出城外

其力士等
取其御子
即 握其御祖

握其御髮者
御髮 自落
握其御手者
玉緒 且 
握其御衣者
御衣 便破
是以
取獲其御子
不得其御祖

其軍士等
還来 奏言
御髮 自落
御衣 易破
亦 所纒御手之
玉緒 便
不獲御祖
取得御子

天皇 悔恨 而
悪作玉人等
皆奪取其地

諺 曰
不得地玉作也
(シカ)くして、
天皇(スメラミコト)、
之を詔(ノ)りしく、
「吾(ア)、殆(ホトホ)と欺むかるる
乎(ヤ)。」 と。
乃ち、軍(イクサ)を興し、沙
(サホビコ)王(ミコ)を撃つ時、
其の王(ミコ)、稲城(イナキ)に住み、
以って、待ち戦ふ。
此の時、沙賣(サホビメ)命、
其の兄(エ)を待ち忍(シノ)ばず、
(シリヘト)より、逃げ出(イ)で
て、其の稲城(イナキ)に納(イ)る。
此の時、
其の后(キサキ)、妊身(ハラ)める。
是れに(オ)いて、
天皇(スメラミコト)、
其の后(キサキ)の懐妊(ミゴモリ)及
重(イトホシミ)、三年に至るを
忍(シノ)ばずが故(ユエ)、
其の軍(イクサ)を迴らし、
()迫(セ)むるを、
急(スミ)やかならず。
此(カク)の如く、
逗留(トド)まる
其の妊(ハラ)みし御子、既に産る。
故(カレ)、
其の御子を出(イ)だし、
稲城(イナキ)外(ソト)に置き、
天皇(スメラミコト)に白さしめしく、
「若し、此の御子ぞ、
天皇(スメラミコト)の御子
と思ほし宥(ユル)さば、
治(シラ)し賜ふべし。」 と。
是れに(オ)いて、
天皇(スメラミコト)、詔(ノ)りしく、
「其の兄(エ)を怨むと雖ども、
猶、其の后(キサキ)を(イトホ)しむ
に忍び得ず。」 との故(ユエ)、
即ち、后(キサキ)を得(ウ)る心有り。
是れを以って、
軍士(ツハモノ)の中、
力士(チカラビト)の軽(カロ)く捷
(ハヤ)きを選び娶
()(アツ)めて、
宣(ノタマ)はくは、
「其の御子を取る時、
乃ち、其の王(ハハミコ)を
掠(サラ)ひ取れ。
或(アルイハ)髮、或(アルイハ)手、
取り獲(エ)る随(マニマ)に當たり
て、掬み、
以って、控(ヒ)き出(イ)だせ。」 と。
(シカ)くして、
其の后(キサキ)、
豫(アラカジ)め、其の情(ココロ)を知
り、悉(コトゴト)く、其の髮を剃り、
髮を以って、其の頭(カシラ)を覆
ひ、亦、玉緒(タマノヲ)を腐(クタ)し、
三重(ミヘ)に手に纒(マト)ひ、
且(マタ)、酒を以って、
御衣(ミケシ)を腐(クタ)し、
全き衣(キヌ)の如く、服(キ)る。
此(カク)の如く、設(マ)け
()
て、其の御子を
()き、城(キ)
外(ソト)に
()し出(イ)だす。
(シカ)くして、
其の力士(チカラビト)等、
其の御子を取り、
即ち、其の御祖(ミオヤ)を握(ト)る。
(シカ)くして、
其の御髮を握(ト)らば、
御髮、自づから落ち、
其の御手を握(ト)らば、
玉緒(タマノヲ)、且(マタ)、(タ)え、
其の御衣(ミケシ)を握(ト)らば、
御衣(ミケシ)、便(スナハ)ち破れる。
是れを以って、
其の御子を取り獲(エ)て、
其の御祖(ミオヤ)を得ず。
故(カレ)、
其の軍士(ツハモノ)等、
還り来、奏(スス)み言ひしく、
「御髮、自づから落ち、
御衣(ミケシ)、易く破れ、
亦、御手に纒きし玉緒(タマノヲ)、
便(スナハ)ち(タ)えるが故(ユエ)、
御祖(ミオヤ)を獲(エ)ず、
御子を取り得たり。」 と。
(シカ)くして、
天皇(スメラミコト)、悔ひ恨みて、
玉を作りし人等を悪(ニク)み、
皆、其の地を奪ひ取りき。
故(カレ)、
諺、曰く、
「地を得ぬ玉作り也。」 と。
そこで、
(伊久米伊理毘古伊佐知)天皇は
「私は、もう少しのところで、
騙されるところか。」 と語り、
直に、軍勢を整え、沙本毘古
(サホビコ)皇子を討伐する時、
この(沙本毘古)皇子は、
稲城(イナキ)を作り、迎撃した。
この時、沙本毘売(サホビメ)命は、
その兄(沙本毘古皇子)を待たず
に、(磯城玉垣宮の)裏門から逃
げ出して、その(沙本毘古皇子
)稲城(イナキ)の中に入った。
この時、その皇后(沙本毘売命)
は、身籠っていた。
そして、
天皇は、皇后(沙本毘売命)
懐妊と3年にも及ぶ寵愛に、
耐えられなかったため、
その軍勢に稲城(イナキ)を囲ませ
たまま、急には攻めなかった。
このように、
停滞している間に、
その(皇后が)身籠っていた御子
は、とうとう生まれた。
それで、
(皇后は)その御子を出し、
稲城(イナキ)の外側に置いて、
(伊久米伊理毘古伊佐知)天皇に
「若し、この御子を天皇の御子
と思い許せるなら、引き取って
下さい。」 と申し上げさせた。
そして、
(伊久米伊理毘古伊佐知)天皇は
「その(皇后の)兄を恨んではい
るが、やはり、その皇后(沙本毘
売命)を愛さずにはいられな
い。」 と語ったので、
直に、皇后(沙本毘売命)を取り
返そうとする気持ちがあった。
そこで、
兵士の中で、力が強く敏捷な者
を選び集めて、
「その御子を引き取るその時、
その(御子の)母君(沙本毘売命)
を奪い取れ。
髪であれ、手であれ、掴み次第に
捕らえて引き出せ。」
と語られた。
そこで、
皇后(沙本毘売命)は、
天皇の思いを読んでいて、
その(皇后の)髪をすべて剃り、
(剃った)髪で、その頭を覆い、
また、玉飾りの糸を腐らせ、
それを3重に手に巻き、
また、酒で衣を腐らせて、(それ
)異状が無い衣のように着た。
(皇后は)このように、準備し、
その御子を抱いて、稲城(イナキ)
の外にさし出した。
そこで、
その力の強い兵士達は、その御
子を取ると直ぐ、その母君(沙本
毘売命)を掴んだ。
そこで、
その(母君の)髪を掴むと、
髪は、自然に落ち、
手を掴むと、
玉飾りの糸が、また、切れ、
その衣を掴むと、
衣は、直に、破れた。
そこで、
その御子を取ることはできたが、
その母君(沙本毘売命)を捕らえ
られなかった。
それで、
兵士達は、
帰って来て、(天皇に)奏上し、
(皇后の)髪は、自然に落ち、
衣は、容易に破れ、
また、手に巻いた玉飾りの糸も、
直に切れてしまったため、
母親(沙本毘売命)を捕らえるこ
とができず、
御子を取ることができた。」
と言った。
そこで、
天皇は、悔しさと恨めしさの
あまり、玉作りの人達を憎み、
その土地をすべて奪い取った。
それで、
諺に、「土地を得ぬ玉作である。」
と言う。
亦 天皇
命詔其后

 子名
 名
何稱是子之御名

荅白
今 當火焼稲城之
時而 火中所生故
其御子 冝稱
智和氣御子
又 命詔
何為
日足奉
荅白
取御
定大湯坐若湯坐
冝日足奉

随其后 白 以
日足奉也
又 其后 曰
汝 所堅之豆能
小佩者

豆能三字
以音也】
荅白
旦波比古夛々
智宇斯王之

名 兄比賣
弟比賣
二女王
浄公民故
冝使也

遂 殺其沙比古

其伊
亦 従也
亦、天皇(スメラミコト)、
其の后(キサキ)に命詔(ミコトノリ)し、
言ひしく、
(オヨ)そ、子の名、
必ず、(ハハ)名づくるに、是の子
の御名を何と稱(タタ)ふ。」 と。
(シカ)くして、
荅(コタ)へ白さく、
「今、火、稲城(イナキ)を焼く時に當
りて、火中に生まれしが故(ユエ)、
其の御子、牟智和氣(ホムチワケ)御
子と稱(タタ)ふが冝(ヨロ)し。」 と。
又、命詔(ミコトノリ)しく、
「何為(ナンスレ)ぞ、
日足(ヒタ)し奉(タテマツ)らむ。」 と。
荅(コタ)へ白さく、
「御母を取り、大湯坐(オホユエ)、若
湯坐(ワカユエ)を定め、日足(ヒタ)し
奉(タテマツ)るが冝(ヨロ)し。」 と。
故(カレ)、
其の后(キサキ)、白す随(マニマ)に以
って、日足(ヒタ)し奉(タテマツ)る也。
又、其の后(キサキ)にひ、曰く、
「汝(ナ)、堅(カタ)めし豆能(ミヅ
ノ)小佩(ヲオビ)は、
誰(タレ)が
()く。」 と。
【「豆能」 三字、
音を以ってす也】
荅(コタ)へ白さく、
「旦波比古夛夛
()()
宇斯(タニハヒコタタスミチウシ)王(キミ)の
(脱字 「女」(ヲミナ))
名、兄比賣(エヒメ)、
弟比賣(オトヒメ)、
(コ)の二女王(ヲミナミコ)、
浄(キヨ)き公民(オホミタカラ)故(ユエ)、
使ふが冝(ヨロ)しき也。」 と。
然(シカ)れども、
遂に、其の沙比古(サホビコ)
王(ミコ)を殺(シ)し、
其の伊妹(イロモ)、
亦、従ふ也。
また、(伊久米伊理毘古伊佐知)
天皇が、
その皇后(沙本毘売命)に語り、
「およそ、子の名は、必ず母親が
名付けるものであるが、この子
の名前を何と讃えるか。」
と言った。
そこで、(皇后は)答え、
(御子は)今、火が稲城(イナキ)
を焼く時に、火の中で生まれた
ので、その御子は、本牟智和気
(ホムチワケ)皇子と讃えるのが良
い。」 と申した。
また、(天皇が)
「どうやって育て奉げるか。」
と語ると、(皇后は)答え、
「乳母をつけ、(産湯を使わせる
役目の)大湯坐(オホユエ)や若湯坐
(ワカユエ)を定めて、養育し奉げる
のが良い。」
と言った。
それで、
その皇后(沙本毘売命)が申す
通りに、育て奉げたのである。
また、(天皇が)その皇后
(沙本毘売命)に尋ね、
「あなたが、結び固めた(私の)
衣の下帯は、誰が解くのか。」
と言うと、
(皇后は)答え、
「丹波比古多多須美知能宇斯
(タニハヒコタタスミチノウシ)皇子の娘、
名が、兄比売(エヒメ)、
弟比売(オトヒメ)という
この2人の皇女は、忠誠な人達
なので、使うと良いのである。」
と申した。
しかし、
遂に、(天皇は)その沙本毘古
(サホビコ)皇子を殺し、その妹
(皇后の沙本毘売命)は、また、
(兄に)従い殉じたのである。

御子の本牟智和気皇子に、出雲大神の祟り
原文読み口語訳

率遊其御子之状者
尾張之相津
二俣
作二俣小舟 而
持上来 以
浮倭之市師池
軽池
率遊其御子

是御子 八拳鬚
至于心前
真事登波受
【此三字 以音】

今 髙徃鵠之音
始 為阿藝登比

【自阿下四字
以音】
故(カレ)、
其の御子を率(ヒキ)遊ぶ状(サマ)
は、尾張(ヲハリ)の相津(アヒヅ)に
在る二俣(フタマタスギ)を、
二俣小舟(フタマタヲフネ)に作りて、
持ち上(ノボ)り来、以って、
倭(ヤマト)の市師(イチシ)池、
軽(カル)池に浮け、
其の御子を率(ヒキ)遊ぶ。
然(シカ)れども、
是の御子、八拳鬚(ヤツカヒゲ)、
心前(ムナサキ)に至るまで、
真事登波受(マコトトハズ)。
【此の三字、音を以ってす】
故(カレ)、
今、髙く徃
()く鵠(ククヒ)の音
(コエ)をき、始めて、阿藝登比
(アギトヒ)為しき。
【「阿」 より下(シモ)四字、
音を以ってす】
それで、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇が、
沙本毘売命との)
御子(本牟智和気皇子)を連れて
遊ぶ様は、
尾張(ヲハリ)の相津(アヒヅ)にある
二股の杉を二股の小舟に造り、
運んで来て、倭(大和)(ヤマト)の市
師(イチシ)池や軽(カル)池に浮かべ、
その御子を連れて遊んだ。

しかし、
この御子(本牟智和気皇子)は、
長い鬚が胸元に届くようになる
まで、口が利けなかった。

それで、
(この御子、本牟智和気皇子は)
今、()高く飛ぶ白鳥の鳴き声
を聞き、初めて、片言を言った。

遣山邊之大
【此者 人名】
令取其鳥

是人 追尋其鵠
自木國到針
亦 追越稲羽國
即 到旦波國
夛遅麻國
追迴東方
到近淡海國
乃 越三野國
自尾張國
以 追科野國
遂 追到髙志國而
和那之水河

 取其鳥 而
持上 獻

号其水
謂和那之水

亦 見其鳥者
思物言 而
如思 勿言事
(シカ)くして、
山邊之大(ヤマヘノオホタカ)
【此れは、人名】
を遣はし、其の鳥を取らしむ。
故(カレ)、
是の人、其の鵠(ククヒ)を追ひ尋
ね、木(キ)國より針(ハリマ)國に
到り、亦、稲羽(イナバ)國に追ひ
越え、即ち、旦波(タニハ)國、
夛遅麻(タジマ)國に到り、
東方(ヒムガシカタ)に追ひ迴り、
近淡海(チカツアフミ)國に到り、
乃ち、三野(ミノ)國に越え、
尾張(ヲハリ)國より(ツタ)ひ、
以って、科野(シナノ)國に追ひ、
遂に、髙志(コシ)國に追ひ到りて、
和那(ワナミ)の水河
()(ミナト)
(オ)いて、
()を張り、其の鳥を取りて、
持ち上げ獻(タテマツ)りき。
故(カレ)、
其の水(ミナト)を号(ナヅ)け、
和那(ワナミ)の水(ミナト)
と謂ふ也。
亦、其の鳥を見らば、
物言ふと思ひしにて、
思ひしが如くに、言ふ事勿(ナ)し。
そこで、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇は)
山辺之大(ヤマヘノオホタカ)という人
を遣わし、その鳥を捕えさせた。
それで、
この人は、その白鳥を追い求め
て、木(キ)国から播磨(ハリマ)国に
到り、また、追い、因幡(イナバ)国
に越え、直に、丹波(タニハ)国但馬
(タヂマ)国に到り、東方に追い巡
り、近淡海(チカツアフミ)(近江)国に
到り、直に、美濃(ミノ)国に越え、
尾張(ヲハリ)国から伝って、
信濃(シナノ)国に追い、
遂に、越(コシ)国で追いついて、
和那美(ワナミ)(新潟県新潟市西
浦区和納)の水門(ミナト)に、
網を張り、その()鳥を捕らえ
て、上京し、献上した。
それで、その水門(ミナト)を名付
け、和那美(罠網)(ワナミ)の水門
(ミナト)と謂うのである。
(口が利けない御子、
本牟智和気皇子が)
また、その鳥を見れば、物を言う
だろうと思われていたが、期待
通りに、言うことはなかった。

天皇 患賜 而
御寢之時
覺于御夢 曰
修理我
如天皇之御舎者
御子
必 真事登波牟
【自登下三字
以音】
如此 覺時
布斗摩迩々占相
而 求何神之心

出雲大神之御心故
其御子 令拜其大
 將遣之時
令副誰人者

曙立王
食ト故
科曙立王
令宇氣比 白
【宇氣二字
以音】
拜此大神
誠 有驗者
住是鷺巣池之樹
鷺乎
宇氣比落
如此
詔之時
宇氣比其鷺
堕地 死
又 詔之
宇氣比活

更 活
又 在甜白檮之前
葉廣熊白檮
令宇氣比枯
亦 令宇氣比生

名賜其曙立王
謂倭者師木登
朝倉曙立王

【登二字
以音】
是れに(オ)いて、
天皇(スメラミコト)、患へ賜ひて、
御寢(ミイ)ねし時、
御夢に覺(サト)し、曰く、
「我がを修理(ツクロ)ひ、
天皇(スメラミコト)の御舎(ミアラカ)の
如くせば、御子、
必ず、真事登波牟(マコトトハム)。」と。
【「登」 より下(シモ)三字、
音を以ってす】
此(カク)の如く、覺(サト)す時、
布斗摩迩迩(フトマニニ)占相(ウラナ)ひ
て、何(イズ)れの神の心と求む。
(ソ)の崇(タタ)り、
出雲(イヅモ)大神の御心故(ユエ)、
其の御子に、其の大神宮を拜
(オロガ)ましめむと、將に遣はす
時、誰人(タレ)かを副(ソ)はしむ。
(シカ)くして、
曙立(アケタツ)王(ミコ)、
ト(ウラ)を食(ウケ)るが故(ユエ)、
曙立(アケタツ)王(ミコ)に科(オホ)せ、
宇氣比(ウケヒ)、白さしめく、
【「宇氣」 二字、
音を以ってす】
「此の大神を拜(オロガ)むに

()り、誠に、驗(シルシ)有らば、
是の鷺巣(サギス)池の樹に住む
鷺(サギ)乎(ヤ)、
宇氣比(ウケヒ)落ちよ。」 と。
此(カク)の如く、
之を詔(ノ)りし時、
宇氣比(ウケヒ)し其の鷺(サギ)、
地に堕ち、死にき。
又、之を詔(ノ)りしく、
「宇氣比(ウケヒ)活(イ)け。」 とて、
(シカ)くしては、
更に、活(イ)きき。
又、甜白檮之前(アマカシノサキ)に在
る葉廣熊白檮(ハヒロクマカシ)を、
宇氣比(ウケヒ)枯らしめ、
亦、宇氣比(ウケヒ)生かしめき。
(シカ)くして、
其の曙立(アケタツ)王(ミコ)に名を
賜ひ、倭者師木登豊朝倉曙立
(ヤマトハシキトミトヨアサクラアケタツ)王(ミコ)
と謂ふ。
【「登」 二字、
音を以ってす】
そして、
(伊久米伊理毘古伊佐知)天皇
が、心配されて、寝ていた時、
(天皇の)御夢にお告げがあり、
「私の神殿を修繕し、
天皇の宮殿のようにするなら、
(口が利けない)御子
(本牟智和気皇子)は、必ず、
物を言う(事問ふ)であろう。」
と言った。

このように、お告げがあった時、
太占(フトマニ)で占って、
どの神の心かと求めた。
その(口が利けない)祟(タタ)り
は、出雲(イヅモ)大神の御心なの
で、その御子(本牟智和気皇子)
に、その(出雲の)大神宮を参拝
させようと遣わす時、(御子に)
誰かを付き添わせる。

そこで、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇は)
曙立(アケタツ)皇子が、
(先の)占いを受け入れたため、
(その)曙立(アケタツ)皇子に命じ、
祈願させて、
「この(出雲)大神を参拝するこ
とに、本当に効験があるのなら、
この鷺巣(サギス)池の木に住む
鷺(サギ)よ、この祈願で落ちよ。」
と申させた。
このように、語った時、
祈願したその鷺(サギ)は、
地に落ち、死んだ。
また、
「祈願で生き返れ。」 と語ると、
そこでは、
再び、生き返った。
また、甜白梼(甘橿)之前(アマカシノ
サキ)にある葉広熊白梼(ハヒロクマカ
シ)(広葉の樫)を、祈願で枯らし、
また、祈願で生き返らせた。

そこで、(天皇は)
その曙立(アケタツ)皇子に名付け、
倭者師木登美豊朝倉曙立(ヤマトハ
シキトミトヨアサクラアケタツ)皇子
と謂う。
即 曙立王
菟上王 二王
副其御子 遣時
自那良戸
遇跛盲
自大坂戸 亦
遇跛盲
唯 木戸 是
掖月之吉戸
ト 而 出行之時
毎到坐地
定品遅部也

出雲
拜訖大神
還上之時
肥河之中
作黒
仕奉假 而


出雲國造之祖
名 岐比佐都
餝青葉山 而
立其河下
將 獻大御食之時

其御子 詔言
是 河下
如青葉山者
見山 非山
若 坐出雲之石
之曽
葦原色許男大神
以 伊都玖之祝
大廷乎
賜也

所遣御伴王等
歓 見喜 而
御子者 坐檳榔之
長穂 而
貢上驛使

其御子 一宿
婚肥長比賣

竊 伺其人者


見畏 遁逃

其肥長比賣
患 光海原
自舩追来故
益 見畏
以 自山夛和
【此二字 以音】
引越御舩
逃上行也
即ち、曙立(アケタツ)王(ミコ)、
菟上(ウナカミ)王(ミコ)、二王(ミコ)を、
其の御子に副(ソ)へ、遣はす時、
「那良(ナラ)よりの戸(ト)、
跛(アシナヘ)、盲(メシヒ)に遇(ア)ひ、
大坂(オホサカ)よりの戸(ト)、亦、
跛(アシナヘ)、盲(メシヒ)に遇(ア)ひ、
唯、木戸(キノト)、是れ、
掖月(ワキヅキ)の吉戸(ヨキト)。」 と、
ト(ウラナ)ひて、出(イ)で行く時、
到り坐(イマ)す地毎、
品遅部(ホムヂベ)を定むる也。
故(カレ)、
出雲(イヅモ)に到り、
大神を拜(オロガ)み訖(ヲ)はり、
還り上(ノボ)る時、
肥(ヒ)河の中、
黒き
()橋(スバシ)を作り、
(カリミヤ)を仕へ奉(タテマツ)り
て、坐(イマ)しき。
(シカ)くして、
出雲(イヅモ)國造(クニミヤツコ)の祖
(オヤ)、名、岐比佐都(キヒサツミ)、
青葉山を餝(カザ)りて、
其の河下(カハシモ)に立ち、
將に、大御食(オホミケ)を獻(タテマツ)
らむとする時、
其の御子、詔(ノ)り言ひしく、
「是れ、河下(カハシモ)に(オ)いて、
青葉山如きは、
山と見て、山に非ず。
若し、出雲の石(イハクマ)の曽(ソ)
に坐(イマ)す
葦原色許男(アシハラシコヲ)大神を
以って、伊都玖(イツク)の祝(ハフリ)、
大廷(オホニハ)乎(カ)。」 と、
ひ賜ひき也。
(シカ)くして、
御伴に遣はせし王(ミコ)等、
き歓び、見喜びて
御子は、檳榔之長穂(アヂマサノナ
ガホ)に坐(イマ)して、
驛使(ハユマツカヒ)を貢上(タテマツ)る。
(シカ)くして、
其の御子、一宿(ヒトヨ)、
肥長比賣(ヒナガヒメ)に婚(ア)ひき。
故(カレ)、
竊(ヒソカ)に、其の人(ヲトメ)を伺
へば、
()也。
即ち、
見畏(カシコ)み、遁逃(ニ)げき。
(シカ)くして、
其の肥長比賣(ヒナガヒメ)、
患ひ、海原(ワタノハラ)を光(テラ)し、
舩より追ひ来るが故(ユエ)、
益(マスマ)す、見畏(カシコ)み、
以って、山の夛和(タワ)より
【此の二字、音を以ってす】
御舩を引き越し、
逃げ上(ノボ)り行く也。
そのため、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇が)
曙立(アケタツ)皇子、菟上(ウナカミ)皇
子の2皇子を、御子(本牟智和気
皇子)に付き添わせて、
(出雲大神宮へ)遣わす時、
「奈良(ナラ)()からの道は、
足萎え盲人に会い、
大坂(オホサカ)(西)からの道もま
た、足萎え盲人に会うだろう。
唯、木(キ)()の道は、
縁起が良い道。」
と占って、出て行く時、
到着される土地毎に、品遅部
(ホムヂベ)を定めたのである。
それで、
(御子、本牟智和気皇子は)
出雲(イヅモ)に着き、
(出雲)大神の参拝を終え、
(都へ)帰り上る時、
肥(ヒ)河(出雲国斐伊川)の中に、
黒木の簀橋(スバシ)を作り、
仮宮を設けて、居られた。
そこで、
出雲国造(イヅモクニミヤツコ)の祖先
の名、岐比佐都美(キヒサツミ)が、
青葉山のように飾って、
その川下に立ち、
食膳を奉げようとした時、
その御子(本牟智和気皇子)が、
「この川下で、青葉山のように
見える山は、山ではない。
もしかして、出雲(イヅモ)の石
(イハクマ)の曽(ソ)宮に居られる葦
原色許男(アシハラシコヲ)大神を、斎
き祀る神主の祭場ではないか。」
と尋ねられたのである。
そこで、
お供に遣わしていた皇子達
(曙立皇子、菟上皇子)は、
これを聞いて喜び、見て喜んで、
御子(本牟智和気皇子)は、
檳榔之長穂(アヂマサノナガホ)宮に
居られて、早馬使者(ハユマツカヒ)を
(天皇に)差し出した。
そこで、
その御子(本牟智和気皇子)は、
一夜、肥長比売(ヒナガヒメ)と
契った。
それで、
そっと、その乙女を伺い見ると、
(その正体は)蛇であった。
直に、見て恐れをなし、逃げた。
そこで、
その肥長比売(ヒナガヒメ)は、
悲しみ、海原(日本海)を照らし、
船で追いかけて来たので、
(御子は)益々見て恐れをなし、
山の鞍部から御船を引き越し、
(都へ)逃げて行ったのである。

覆奏 言
因拜大神
大御子 和
詔故
上来

天皇 歓嘉
即 返菟上王
令造神宮

天皇 因其御子
定鳥取部
鳥甘部
品遅部
大湯坐
若湯坐
是れに(オ)いて、
覆奏(カヘリゴトマウ)し、言ひしく、
「大神を拜(オロガ)むに因り、
大御子、和(ナゴ)み、
詔(ノ)りきが故(ユエ)、
()ひ上(ノボ)り来つ。」 と。
故(カレ)、
天皇(スメラミコト)、歓嘉
()(ヨロコ)
び、即ち、菟上(ウナカミ)王(ミコ)を返
し、神宮を造らしめき。
是れに(オ)いて、
天皇(スメラミコト)、其の御子に因り、
鳥取部(トトリベ)、
鳥甘
()部(トリカヒベ)、
品遅部(ホムヂベ)、
大湯坐(オホユエ)、
若湯坐(ワカユエ)を定めき。
そして、
(皇子達は、天皇に)復命し、
(出雲)大神を参拝することで、
大御子(本牟智和気皇子)は、
穏やかになり、語ったので、
(都へ)帰参した。」 と言った。
それで、
(伊久米伊理毘古伊佐知)天皇は
喜び、直に、菟上(ウナカミ)皇子を
(出雲に)返し神殿を造らせた。
そして、
天皇は、その御子に因んで、
鳥取部(トトリベ)、
鳥飼部(トリカヒベ)、
品遅部(ホムヂベ)、
大湯坐(オホユエ)、
若湯坐(ワカユエ)を定めた。

丹波美知能宇斯皇子の娘、円野比売命の自殺
原文読み口語訳

随其后之白
喚上和能宇斯王
之女等
比婆比賣命
次 弟比賣命
次 歌凝比賣命
次 圓野比賣命
并四柱


留比婆比賣命
弟比賣命
脱落
(歌凝比賣命)
二柱 而
其弟王二柱者
因甚凶醜
返送

圓野比賣
慚 言
同兄弟之中
以姿醜
被還之事
隣里
是 甚慚 而
到山代國之相樂時

取懸樹枝 而
欲死故
号其地
謂懸木
今 云相樂
又 到弟國之時
遂 堕峻渕 而
死故
号其地
謂堕國
今 云弟國也
又、
其の后(キサキ)の白す随(マニマ)に、
()能宇斯(ミチノウシ)王(ミコ)
の女(ヲミナ)等、
比婆
()比賣(ヒバスヒメ)命、
次、弟比賣(オトヒメ)命、
次、歌凝比賣(ウタコリヒメ)命、
次、圓野比賣(マトノヒメ)命、
并(アハ)せ四柱を、
喚(ヨ)び上げき。
然(シカ)れども、
比婆
()比賣(ヒバスヒメ)命、
弟比賣(オトヒメ)命、
脱落
(歌凝比賣(ウタコリヒメ)命)
()柱を留めて、
其の弟(オト)王(ミコ)の二
()
は、甚だ凶醜(ミニク)きに因りて、
(モト)つ主に返し送りき。
是れに(オ)いて、
圓野比賣(マトノヒメ)、
慚(ハ)じ、言ひしく、
「同じ兄弟(エオト)の中、
姿(スガタ)、醜(ミニク)きを以って、
還(カヘ)さえし事、
隣(チカ)き里にこゆるは、
是、甚だ慚(ハズカ)し。」 とて、
山代(ヤマシロ)國の相樂(サガラカ)に
到りし時、
樹の枝に取り懸(サガ)りて、
死なむと欲(ホッ)すが故(ユエ)、
其の地を号(ナヅ)け、
懸木(サガリキ)と謂ひ、
今、相樂(サガラカ)と云ふ。
又、弟國(オトクニ)に到りし時、
遂に、峻(ケハ)しき渕(フチ)に堕ち
て、死にきが故(ユエ)、
其の地を号(ナヅ)け、
堕國(オチクニ)と謂ひ、
今、弟國(オトクニ)と云ふ也。
また、
(伊久米伊理毘古伊佐知天皇は)
皇后(沙本毘売命)が申す通り、
美知能宇斯(ミチノウシ)皇子の娘達
の比婆須比売(ヒバスヒメ)命
(兄比売命)
次に、弟比売(オトヒメ)命、
次に、歌凝比売(ウタコリヒメ)命、
次に、円(真砥)野比売(マトノヒメ)
命の合計4人を、
(妃として)召し上げた。
しかし、
比婆須比売(ヒバスヒメ)命(兄比売
)、弟比売(オトヒメ)命、
脱落
(歌凝比売(ウタコリヒメ)命)

3人を留めて、
その妹(円野比売命)1人は、
容姿がひどく醜かったことで、
親許に送り返した。
そして、
(真砥)野比売(マトノヒメ)は、
恥じ入って、
「同じ姉妹の中で、容姿が醜い
という理由で返されたことが、
隣近所に聞こえるのは、
大変恥ずかしい。」 と言って、
山背(ヤマシロ)国の相楽(サガラカ)に
やって来た時、
木の枝に吊り下がって、
死のうとしたため、
その地を名付け、
懸木(サガリキ)と謂い、
今は、相楽(サガラカ)と云う。
また、(円野比売は)(山背国の)
乙訓(オトクニ)にやって来た時、
遂に、深い淵に落ちて、死んだ
ので、その地を名付け、
堕国(オチクニ)と謂い、
乙訓(オトクニ)と云うのである。

時じくの香の木の実を求めて、多遅摩毛理を派遣
原文読み口語訳

天皇
以 三宅連等之祖
名 夛遅摩毛理
遣常世國
令求登岐士玖能迦
玖能木實
【自登下字
以音】

夛遅广毛理
遂 到其國
採其木實
以 鬘入弟縵
八矛
將 来之
天皇 既 崩

夛遅摩毛理
分縵四縵
矛四矛
獻于太后
以縵四縵
矛四矛
獻置天皇之御陵戸

擎其木實
叫哭 以 白
常世國之登岐士玖
能迦玖能木實
上持
遂 叫哭 死也
其登岐士玖能迦玖
能木實者
是 今 橘者也
又、
天皇(スメラミコト)、
三宅連(ミヤケムラジ)等の祖(オヤ)、
名、夛遅摩毛理(タヂマモリ)を以っ
て、常世(トコヨ)國に遣はし、
登岐士玖能迦玖能木實(トキジク
ノカクノコノミ)を求めしむ。
【「登」 より下(シモ)
(脱字 「八」)字、音を以ってす】
故(カレ)、
夛遅广
()毛理(タヂマモリ)、
遂に、其の國に到り、
其の木實(コノミ)を採り、
以って、入
()弟縵(オトカヅラ)、
八矛(ヤホコ)を鬘
()(ヒロ)ひ、
將に、来たらむとする
天皇(スメラミコト)、既に崩(カムザ)る。
(シカ)くして、
夛遅摩毛理(タヂマモリ)、
縵(カヅラ)四縵(ヨカヅラ)、
矛(ホコ)四矛(ヨホコ)を分け、
太后(オホキサキ)に獻(タテマツ)り、
縵(カヅラ)四縵(ヨカヅラ)、
矛(ホコ)四矛(ヨホコ)を以って、
天皇(スメラミコト)の御陵(ミサザキ)戸
に獻(タテマツ)り置きて、
其の木實(コノミ)を擎(ササ)げ、
叫び哭き、以って、白さく、
「常世(トコヨ)國の登岐士玖能迦玖
能木實(トキジクノカクノコノミ)を持ち
()り、上(ノボ)り持つ。」 と。
遂に、叫び哭き、死ぬる也。
其の登岐士玖能迦玖能木實(トキ
ジクノカクノコノミ)は、
是れ、今、橘(タチバナ)也。
また、
(伊久米伊理毘古伊佐知)天皇は
三宅連(ミヤケムラジ)達の祖先の名
が、多遅摩毛理(タヂマモリ)を、
常世(トコヨ)国(四国)に遣わし、
『時じくの香の木の実』
(時を選ばない香の木の実)
を求めさせた。
それで、多遅摩毛理(タヂマモリ)は、
遂に、その(常世)国にやって来
て、その木の実を採り、
かわいい絹織物8本と
8本を拾い、帰って来る間に、
(伊久米伊理毘古伊佐知)天皇は
既に、死去していた。
そこで、多遅摩毛理(タヂマモリ)は、
絹織物4本、矛4本を分けて、
皇后に献上し、
絹織物4本、矛4本を天皇の御陵
の入り口に供えて、その木の実
を奉げ、泣き叫びながら、
「常世(トコヨ)国の『時じくの香の
木の実』(時を選ばない香の木
の実)を持参し、進上した。」
と申して、遂に、泣き叫びながら
死んだのである。
その『時じくの香の木の実』
(時を選ばない香の木の実)
というのは、
今の橘(蜜柑類)のことである。

【補足】
上記は、秦の始皇帝が、徐福に、
蓬莱国の長生不老の霊薬の探
索を命じた話と類似。
此天皇 御年
壹佰伍拾
御陵 在菅原之御
立野中也

其太后 比婆
比賣命之時
定石祝作
又 定土師部
此后者 葬狭木之
陵也
此の天皇(スメラミコト)、御年、
壹佰伍拾歳、
御陵(ミサザキ)、菅原之御立野
(スガハラノミタチノ)中に在り。
又、
其の太后(オホキサキ)、比婆
()
比賣(ヒバスヒメ)命の時、
石祝作(イシキツクリ)を定め、
又、土師部(ハジベ)を定む。
此の后(キサキ)は、狭木之寺
(サキノテラマ)陵(ミサザキ)に葬る也。
この(伊久米伊理毘古伊佐知)
(垂仁天皇)は、御年、153歳、
御陵は、菅原之御立野(スガハラノ
ミタチノ)(大和国添上)中にある。
また、その皇后、比婆須比売
(ヒバスヒメ)命(兄比売命)の時、
石祝()作(イシキツクリ)を定め、
また、土師部(ハジベ)を定め、
この皇后は、狭木之寺間(サキノ
テラマ)陵(大和国添下)に葬った
のである。


4.1.12 第12代 景行天皇 大帯日子淤斯呂和気天皇

大帯日子淤斯呂和気天皇の御子と治世
原文読み口語訳
大帯日子游斯
氣天皇
坐纒向之日代
治天下也
此天皇
娶吉臣等之祖
若建吉津日子
之女
名 針之伊上非
能大郎女
生御子
櫛甬別王
次 大碓命
次 小碓命
亦名 倭男具那命
【具那二字
以音】
次 倭根子命
次 神櫛王
五柱
又 娶八尺入日子
命之女
八坂之入日賣命
生御子
若帯日子命
次 五百木之入日
子命
次 神別命
次 五百木之入日
賣命
入 妾之子
豊戸別王
次 沼代郎女
又 妾之子
沼名木郎女
次 香余理比賣命
次 若木之入日子

次 吉之兄日子

次 髙木比賣命
次 弟比賣命
又 日向之波迦

生御子
豊國別王
又 娶伊那能大
郎女之弟
伊那能若郎女
【自伊下四字
以音】
生御子
真若王
次 日子人之大兄

又 娶倭建命之曽

名 賣伊大中
(大中)日子王
【自四字
以音】
之女
訶具漏比賣
生御子
大枝王
 此大帯日子天
皇之御子等
所録廿一王
不入記五十九王
并八十王之中
若帯日子命与
倭建命 亦
五百木之入日子命
此三王
貭太子之名
自其餘七十七王者
悉 別賜國之國造

亦 和氣及稲置
縣主也

若帯日子命者
治天下也
小碓命者
平東西之神及不
伏人等也
次 櫛甬別王者
茨田下連
等之祖
次 大碓命者
守君
大田君
嶋田君之祖
次 神櫛王者
木國之酒部
阿比古宇酒部
之祖
次 豊國別王者
日向國造之祖

大帯日子游()和氣天皇(オ
ホタラシヒコオシロワケスメラミコト)、纒向之
日代(マキムクノヒシロ)に坐(イマ)し、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
()臣(キビオミ)等の祖(オヤ)、
若建吉
()津日子(ワカタケキビ
ツヒコ)の女(ヲミナ)、
名、針(ハリマ)の伊上非
()
能大郎女(イナビノオホイラツメ)
を娶り、生める御子、
櫛甬別(クシツネワケ)王(ミコ)、
次、大碓(オホウス)命、
次、小碓(ヲウス)命、
亦の名、倭男具那(ヤマトヲグナ)命
【「具那」 二字、
音を以ってす】
次、倭根子(ヤマトネコ)命、
次、神櫛(カムクシ)王(ミコ)、
五柱。
又、八尺入日子(ヤサカイリヒコ)命
の女(ヲミナ)、
八坂之入日賣(ヤサカノイリヒメ)命
を娶り、生める御子、
若帯日子(ワカタラシヒコ)命、
次、五百木之入日子(イホキノイリヒコ)
命、
次、神
()別(オシワケ)命、
次、五百木之入日賣(イホキノイリヒメ)
命、
()、妾(ミメ)の子、
豊戸別(トヨトワケ)王(ミコ)、
次、沼代郎女(ヌシロイラツメ)、
又、妾(ミメ)の子、
沼名木郎女(ヌナキイラツメ)、
次、香余理比賣(カグヨリヒメ)命、
次、若木之入日子(ワカキノイリヒコ)
王(ミコ)、
次、吉
()之兄日子(キビノエ
ヒコ)王(ミコ)、
次、髙木比賣(タカキヒメ)命、
次、弟比賣(オトヒメ)命。
又、日向(ヒムカ)の波迦斯
(ミハカシビメ)を娶り、
生める御子、
豊國別(トヨクニワケ)王(ミコ)。
又、伊那能大郎女(イナビノオホ
イラツメ)の弟(オト)、
伊那能若郎女(イナビノワカイラツメ)
【「伊」 より下(シモ)四字、
音を以ってす】
を娶り、生める御子、
真若(マワカ)王(ミコ)、
次、日子人之大兄(ヒコヒトノオホエ)
王(ミコ)。
又、倭建(ヤマトタケル)命の曽孫
(ヒヒコ)、
名、
()賣伊大中日子(スメイ
ロオホナカツヒコ)王(ミコ)
【「」 より 「」 に至る四字、
音を以ってす】
の女(ヲミナ)、
訶具漏比賣(カグロヒメ)
を娶り、生める御子、
大枝(オホエ)王(ミコ)。
(オヨ)そ、此の大帯日子天皇(オホ
タラシヒコスメラミコト)の御子等、
廿一王(ミコ)を録(シル)し、
五十九王(ミコ)を入記(シル)さず、
并(アハ)せ八十王(ミコ)の中、
若帯日子(ワカタラシヒコ)命と
倭建(ヤマトタケル)命、亦、
五百木之入日子(イホキノイリヒコ)命、
此の三王(ミコ)、
太子(ヒツギノミコ)の名を貭
()ひ、
其れより餘(ホカ)の七十七王(ミコ)
は、悉(コトゴト)く、別賜(ワケタマフ)
國の國造(クニミヤツコ)、
亦、和氣(ワケ)及び稲置(イナキ)、
縣主(アガタヌシ)也。
故(カレ)、
若帯日子(ワカタラシヒコ)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
小碓(ヲウス)命は、
東西(ヒムカニシ)の
()ぶる神及
び伏(マツロ)はぬ人等を平らぐ也。
次、櫛甬別(クシツネワケ)王(ミコ)は、
茨田下連(マムタシモムラジ)
等の祖(オヤ)、
次、大碓(オホウス)命は、
守(モリ)君、
大田(オホタ)君、
嶋田(シマタ)君の祖(オヤ)、
次、神櫛(カムクシ)王(ミコ)は、
木(キ)國の酒部(サカベ)、
阿比古宇酒部(アヒコウダサカベ)
の祖(オヤ)、
次、豊國別(トヨクニワケ)王(ミコ)は、
日向國造(ヒムカクニミヤツコ)の
祖(オヤ)。
大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコ
オシロワケ)天皇は、纒向之日代(マキ
ムクノヒシロ)宮に居られ、
天下を治めたのである。
この(大帯日子淤斯呂和気)天皇
が、吉備臣(キビオミ)達の祖先の
若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)
の娘、名が、播磨(ハリマ)の伊那毘
能大郎女(イナビノオホイラツメ)
を娶り、生んだ御子は、
櫛甬別(クシツネワケ)皇子、
次に、大碓(オホウス)命、
次に、小碓(ヲウス)命、
亦の名は、倭男具那(ヤマトヲグナ)
命、
次に、倭根子(ヤマトネコ)命、
次に、神櫛(カムクシ)皇子、
5人。
また、(この天皇が)
八尺入日子(ヤサカイリヒコ)命の娘、
八坂之入日売(ヤサカノイリヒメ)命
を娶り、生んだ御子は、
若帯日子(ワカタラシヒコ)命、
次に、五百木之入日子(イホキノイリ
ヒコ)命、
次に、押別(オシワケ)命、
次に、五百木之入日売(イホキノイリ
ヒメ)命、
(4人)。
また、(この天皇の)妾の子は、
豊戸別(トヨトワケ)皇子、
次に、沼代郎女(ヌシロイラツメ)、
(2)
また、(この天皇の)妾の子は、
沼名木郎女(ヌナキイラツメ)、
次に、香余理比売(カグヨリヒメ)命、
次に、若木之入日子(ワカキノイリヒコ)
皇子、
次に、吉備之兄日子(キビノエヒコ)
皇子、
次に、高木比売(タカキヒメ)命、
次に、弟比売(オトヒメ)命、
(6)
また、(この天皇が)
日向(ヒムカ)の美波迦斯毘売(ミハ
カシビメ)を娶り、
生んだ御子は、
豊国別(トヨクニワケ)皇子、
(1)
また、(この天皇が、播磨の)
伊那毘能大郎女(イナビノオホイラツメ)
の妹、
伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)
を娶り、生んだ御子は、
真若(マワカ)皇子、
次に、日子人之大兄(ヒコヒトノオホエ)
皇子、
(2)
また、(この天皇が、御子の小碓
)倭建(ヤマトタケル)命の曽孫、
名が、須売伊呂大中日子(スメイロ
オホナカツヒコ)皇子の娘、
訶具漏比売(カグロヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
大枝(オホエ)皇子、
(1)
およそ、この大帯日子(オホタラシヒコ)
(淤斯呂和気)天皇の御子達は、
21御子を記録し、
59御子を記さず、
合計80御子の中で、
若帯日子(ワカタラシヒコ)命と倭建
(ヤマトタケル)命(小碓命)、また、
五百木之入日子(イホキノイリヒコ)命
のこの3御子は、
太子(ヒツギノミコ)の名を負い、
それ以外の77御子は、
すべて、赴任国の国造(クニミヤツコ)、
また、和気(ワケ)、稲置(イナキ)、
県主(アガタヌシ)である。

それで、
若帯日子(ワカタラシヒコ)命が、
天下を治めたのである。
小碓(ヲウス)命(倭建命)は、
東西の荒ぶる神、従わない人達
を平定したのである。
次に、櫛甬別(クシツネワケ)皇子は、
茨田下連(マムタシモムラジ)達の
祖先、
次に、大碓(オホウス)命は、
守(モリ)君、
大田(オホタ)君、
島田(シマタ)君の祖先、
次に、神櫛(カムクシ)皇子は、
木(キ)国の酒部(サカベ)、
阿比古宇陀酒部(アヒコウダサカベ)
の祖先、
次に、豊国別(トヨクニワケ)皇子は、
日向国造(ヒムカクニミヤツコ)の祖先。

天皇 
定三町國造
之祖
大根王之女
名 兄比賣
弟比賣
二攘子
其容姿 麗 而
遣其御子 大碓命
以 喚上

其所遣大碓命
勿召上 而
即 己 自
婚其嬢子
更 求他女人
詐名其嬢女 而
貢上

天皇 知其化女恒

長服
亦 勿婚 而
惣也

其大碓命
娶兄比賣
生子
押黒之兄日子王
此者 三野宇泥
和氣之祖
亦 娶弟比賣
生子
押黒弟日子王
此者
牟冝都君等之祖
是れに(オ)いて、
天皇(スメラミコト)、けるは、
三町
()國造(ミノクニミヤツコ)
の祖(オヤ)に定む
大根(オホネ)王(ミコ)の女(ヲミナ)、
名、兄比賣(エヒメ)、
弟比賣(オトヒメ)、
二攘
()子(ヲトメ)、
其の容姿(カタチ)、麗(ウルハ)しと
て、其の御子、大碓(オホウス)命を
遣はし、以って、喚(ヨ)び上ぐ。
故(カレ)、
其の遣はしし大碓(オホウス)命、
召上(メサグ)ること勿(ナク)して、
即ち、己が自ら、
其の嬢子(ヲトメ)と婚(ア)ひて、
更に、他(アタ)し女人(ヲミナ)を求
め、其の嬢女(ヲトメ)に詐(イツハ)り
名づけて、貢上(タテマツ)る。
是れに(オ)いて、
天皇(スメラミコト)、其の化女(カヘヲミナ)
を恒(ツネ)と知り、
長き服(ヒカヘ)を(タタ)しめ、
亦、婚(ア)ふ勿(ナカ)れとて、
惣(マト)はす也。
故(カレ)、
其の大碓(オホウス)命、
兄比賣(エヒメ)を娶り、
生める子、
押黒之兄日子(オシクノロエヒコ)王
(ミコ)、此れは、三野宇泥
()
和氣(ミノウネスワケ)の祖(オヤ)、
亦、弟比賣(オトヒメ)を娶り、
生める子、
押黒弟日子(オシクロオトヒコ)王(ミコ)、
此れは、
牟冝都(ムゲツ)君等の祖(オヤ)。
そして、
(大帯日子淤斯呂和気)天皇は、
噂で、美濃国造(ミノクニミヤツコ)の祖
先に定めた大根(オホネ)皇子の娘
で、名が、兄比売(エヒメ)弟比売
(オトヒメ)の2人の乙女の容姿が麗
しい、と聞いて、
(その2人を)呼び寄せようと、
(天皇の)御子の大碓(オホウス)命
を遣わした。
それで、
遣わされた大碓命は、(その2
を天皇に)召し上げずに、
直に、自分が自ら、
その乙女(兄比売弟比売)を娶
り、更に、他の女を捜し出し、
その乙女(兄比売弟比売)であ
ると詐称して、献上した。
そして、
天皇は、その代え女(の容姿)が、
普通と知り、長く謹慎させ、
また、結婚もさせないとして、
付き添わせたのである。
それで、
大碓(オホウス)命が、兄比売(エヒメ)
を娶り、生んだ子は、
押黒之兄日子(オシクロノエヒコ)皇子、
これは、美濃宇泥須和気(ミノウネ
スワケ)の祖先。
また、(大碓命が)弟比売(オトヒメ)
を娶り、生んだ子は、
押黒弟日子(オシクロオトヒコ)皇子、こ
れは、牟冝都(ムゲツ)君達の祖先。

【補足】
上記は、天皇の命に従わない御
子 「大碓」 の反逆性を表す。
此之御世 定田部
又 定東之淡水門

又 定膳之大伴部

又 定倭屯家
又 作坂手池 即
竹 植其堤也
此の御世、田部(タベ)を定め、
又、東之淡水門(アヅマノアハミナト)
を定め、
又、膳之大伴部(カシハデノオホトモベ)
を定め、
又、倭屯家(ヤマトミヤケ)を定め、
又、坂手(サカテ)池を作り、即ち、
竹、其の堤に植える也。
この御世(大帯日子淤斯呂和気
天皇)は、田部(タベ)を定め、
また、東之淡水門(アヅマノアハミナト)
(安房国)を定め、また、膳之大
伴部(カシハデノオホトモベ)を定め、
(大和)屯家(ヤマトミヤケ)を定め、
また、坂手(サカテ)池を作り、直に、
竹を、その堤に植えたのである。

小碓命(倭建命)が、熊曽建を討伐 (纒向⇒熊曽)
原文読み口語訳
天皇
詔小碓命
何 汝兄
朝夕之大御食
出来
専汝 泥疑
教覺
【泥疑二字 以音
下效此】
如此 詔
以後 至于五日
猶 不

天皇
賜小碓命
何 汝兄
久 不
若 有未誨乎

荅白
既 為泥疑

又 詔
如何 泥疑

重複 (又 詔
如何 泥之)

荅白
朝暑 入廁之時
待捕 批 而
其枝
薦投棄
天皇(スメラミコト)、
小碓(ヲウス)命に詔(ノ)りしく、
「何ぞ、汝(ナ)が兄(エ)、
朝(アシタ)夕(ユフベ)の大御食(オホミ
ケ)に、
()ひ出(イ)で来ざる。
専(モハ)ら汝(ナ)、泥疑(ネギ)

(祈ぎ)、教へ覺(サト)せ。」 と。
【「泥疑」 二字、音を以ってし、
下(シモ)此に效(ナラ)へ】
此(カク)の如く、詔(ノ)り、
以って後、五日に至るまで、
猶、
()ひ出(イ)でず。
(シカ)くして、
天皇(スメラミコト)、
小碓(ヲウス)命にひ賜はく、
「何ぞ、汝(ナ)が兄(エ)、
久しく、
()ひ出(イ)でず。
若し、未だ誨(オシ)へざる乎(ヤ)。」
と。
荅(コタ)へ白さく、
「既に、泥疑(ネギ)
(祈ぎ)為す
也。」 と。
又、詔(ノ)りしく、
「如何に、泥疑(ネギ)
(祈ぎ)つる
也。」 と。
重複 (又、詔(ノ)りしく、
「如何に、泥之()(ネギ)つる。」)
荅(コタ)へ白さく、
「朝暑
()(アサケ)、廁(カハヤ)に入
る時、待ち捕り、(シ)め批(ウ)ち
て、其の枝(エ)を引き(カ)き、薦
(コモ)に(ツツ)み、投げ棄つ。」と。
(大帯日子淤斯呂和気)天皇が、
小碓(ヲウス)命に、
「何故、あなたの兄(大碓命)は、
朝夕の食事に来ないのであろう。
あなた1人で、(兄に)祈願し、
教え諭せ。」 と語り、
このように、語って後、
5日経っても、なお、(兄は、朝夕
の食事に)来なかった。
そこで、
(大帯日子淤斯呂和気)天皇は、
小碓(ヲウス)命に尋ねられ、
「何故、あなたの兄(大碓命)は、
長いこと、来ないのであろう。
若しかして、(兄に)未だ教えて
いないのか。」
と言うと、(小碓命は)答え、
「既に、祈願したのである。」
と申した。
また、(天皇が)語り、
「どのように、祈願したのである
か。」 と言うと、(小碓命は)答え
「朝方に、(兄が)厠に入る時、
待ち捕らえ、絞め打って、
その(兄の手足)を引き抜き、
蓆(ムシロ)に包み、投げ捨てた。」
と申した。

【補足】
上記は、兄 「大碓」 に教えない
で、独断専行する弟 「小碓」 の
粗暴性を表している。

天皇 惶其御子之
之情 而
詔之
西方 有熊曽建
二人
是 不伏
兄礼人等故
取其人等 而

當此之時 其御髮


小碓命
給其姨倭比賣命之
御衣御裳
以 釼 納于御懐
而 幸行

到于熊曽建之家
見者
其家邊 軍
團三重
作室 以 居
於是
言動 為御室樂

食物

遊行其傍
待其樂日
是れに(オ)いて、
天皇(スメラミコト)、其の御子の建
(タケ)
()き情(ココロ)を惶(オソ)
れて、之を詔(ノ)りしく、
「西方(ニシカタ)、熊曽建(クマソタケル)
二人有り、
是れ、伏(マツロ)はず、
礼(イヤ)兄
()(ナ)き人等故(ユエ)、
其の人等を取れ。」 とて、
遣はしき。
此の時に當たり、其の御髮、
()(ヒタイ)に結ふ也。
(シカ)くして、
小碓(ヲウス)命、
其の姨(ヲバ)倭比賣(ヤマトヒメ)命
の御衣(ミケシ)御裳(ミモ)を給はり、
以って、釼(ツルギ)、御懐(ミフツクロ)
に納(イ)れて、幸行(イデマ)しき。
故(カレ)、
熊曽建(クマソタケル)の家に到りて、
見れば、
其の家邊(イヘアタリ)に、軍(イクサ)、
三重(ミヘ)に團
()(カコ)み、
室(ムロ)を作り、以って、居りき。
是れに於いて、
御室樂(ミムロタノ)しを為さむと、
言ひ動(トヨ)み、
食物(クラヒモノ)を設け
()ふ。
故(カレ)、
其の傍(カタハ)らを遊び行き、
其の樂(タノ)し日を待つ。
そして、
(大帯日子淤斯呂和気)天皇は、
その御子(小碓命)の荒々しい
思いを恐れて、語り、
「西方(熊曽国)に、熊曽建(クマソタケ
ル)が2人いて、これは、服従せず、
礼儀のない人達であるから、
その人達を討ち取れ。」
と言って、(小碓命を)遣わした。
この時に当たり、(小碓命は)
その御髪を額で結ったのである。

そこで、
小碓(ヲウス)命は、
その叔母の倭比売(ヤマトヒメ)命の
衣裳を与えられて、
剣を懐に入れて行かれた。

それで、(小碓命が)
熊曽建(クマソタケル)の家に到着し
て、見ると、その家の傍には、
軍勢が三重に囲んで、
部屋を作って、(熊曽建が)居た。

そして、
部屋の宴会をする、と言い騒い
で、食物を準備していた。

それで、
(小碓命は)その傍を歩いて行
き、その宴会日を待っていた。

臨其樂日
如童女之髮
梳垂其結御髮
服其姨之御衣御裳

既 成童女之姿
交立女人之中
入坐其室内

熊曽建 兄弟二人
見咸其嬢子
己中 而
盛 樂

臨其耐時

出釼
取熊曽之衣衿

自其通之時
其弟建 見畏
逃出
乃 追至其室之

取其背皮
釼 自尻

其熊曽建
白言
莫動其刀
僕 有白言


暫許 押伏

白言
汝命者 誰


吾者 坐纒向之日
代宮
所知太八嶋國
大帯日子游斯呂和
氣天皇之御子
名 倭男具那王者

意礼 熊曽建二人
不伏無礼
者 而
取飲意礼
詔 而 遣


其熊曽建 白
信 然也
西方 除吾二人
無建強人

大和國
益吾二人 而
建男者
坐祁理
是以
吾 獻御名
自今以後
應 稱倭建御子

是事 白訖
即 如熟
張折 而 飲也

自其時 稱御名
謂倭建命
(シカ)くして、
其の樂(タノ)し日に臨み、
童女(ワラハメ)の髮の如く、
其の結ふ御髮を梳(ケヅ)り垂ら
し、其の姨(ヲバ)の御衣(ミケシ)
御裳(ミモ)を服(キ)、
既に、童女(ワラハメ)の姿に成り、
女人(ヲミナ)の中に交り立ち、其の
室内(ムロウチ)に入り坐(イマ)しき。
(シカ)くして、
熊曽建(クマソタケル)、兄弟(エオト)二
人、其の嬢子(ヲトメ)を見咸(ミソ)
め、己が中に坐(イマ)しめて、
樂(タノ)しを盛(サカ)りつ。
故(カレ)、
其の耐(タフ)る時に臨み、

(脱字 「懐」)(フツクロ)より
釼(ツルギ)を出(イ)だし、
熊曽(クマソ)の衣衿(キヌクビ)を取
り、釼(ツルギ)、
其のより
()し通す時、
其の弟建(オトタケル)、見畏(カシコ)み、
逃げ出(イ)づる。
乃ち、其の室(ムロ)の
(イシキモト)に追ひ至り、
其の背皮(セカハ)を取り、釼(ツル
ギ)、尻より
()し通しき。
(シカ)くして、
其の熊曽建(クマソタケル)、
白し言ひしく、
「其の刀を動かすこと莫(ナ)かれ。
僕(ヤツガレ)、白す言(コト)有り。」
と。
(シカ)くして、
暫く許し、押し伏せき。
是れに(オ)いて、
白し言ひしく、
「汝(ナ)命は、誰(タレ)。」 と。
(シカ)くして、
詔(ノ)リしく、
「吾(ア)は、纒向之日代(マキムクノ
ヒシロ)宮に坐(イマ)し、
()八嶋(オホヤシマ)國知らしし
大帯日子游
()斯呂和氣天皇(オ
ホタラシヒコオシロワケスメラミコト)の御子、
名、倭男具那(ヤマトヲグナ)王(ミコ)
也。
『意礼(オレ)、熊曽建(クマソタケル)二
人、伏(マツロ)はず、礼(イヤ)無し。』
きて、
『意礼(オレ)を取り飲
()(シ)
せ。』と詔(ノ)りて、遣はしき。」
と。
(シカ)くして、
其の熊曽建(クマソタケル)、白さく、
「信(マコト)、然(シカ)也。
西方(ニシカタ)に、吾(ア)二人を除
(ノ)き、建(タケ)く強き人無し。
然(シカ)れども、
大和(ヤマト)國に、
吾(ア)二人に益(マシ)て、
建(タケ)き男(ヲトコ)が、
坐(イマ)し祁理(ケリ)。
是れを以って、
吾(ア)、御名を獻(タテマツ)らむ。
今より以って後、
應(マサ)に、倭建(ヤマトタケル)御子と
稱(タタ)ふべし。」 と。
是の事、白し訖(ヲ)へるに、
即ち、熟
()(ウレキ)の如く、
張り折りて、飲
()(シ)す也。
故(カレ)、
其の時より、御名を稱(タタ)へ、
倭建(ヤマトタケル)命と謂ふ。
そこで、
その宴会日になって、
(小碓命は)童女の髪のように、
その結った髪を垂らし、
叔母(倭比売命)の衣裳を着て、
すっかり、童女の姿に変装して、
女達の中に紛れ込み、
その部屋の中に入られた。
そこで、
熊曽建(クマソタケル)兄弟2人が、
その乙女を見染め、
自分達の間に座らせて、
宴会を盛り上げた。
それで、
(小碓命は)その耐え忍ぶ時に
なって、懐から剣を出し、
(兄の)熊曽()(クマソタケル)の
着物の襟を掴み、
剣を胸から刺し通した時、
その弟(の熊曽)建(オトタケル)は、
恐れて、逃げ出した。
直に、(弟建を)その部屋の
座敷下(土間)に追い詰め、
背中を掴んで、
剣を尻から刺し通した。
そこで、
その(弟の)熊曽建(クマソタケル)が、
申し、
「その刀を動かすな。
私は、申すことがある。」
と言った。
そこで、
(熊曽建の申し出を)暫く許し、
(熊曽建を)押し付けていた。
そして、
(その熊曽建が)申し、
「貴方は、誰か。」
と言った。
そこで、
「私は、纒向之日代(マキムクノヒシロ)
宮に居られ、
大八島(オホヤシマ)国を治めた大帯
日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロ
ワケ)天皇の御子、
名は、倭男具那(ヤマトヲグナ)皇子
(小碓命)である。
(大帯日子淤斯呂和気天皇が)
『おのれ熊曽建(クマソタケル)2人は、
服従せず、礼儀もない。』
と聞いて、
『おのれ(2)を討て。』
と語って、(私を)遣わした。」
と語った。
そこで、
熊曽建(クマソタケル)が、
「真に、そのとおりである。
西方には、私達2人を除いて、
勇猛で強い人はいない。
しかし、
大和(ヤマト)国に、私達2人に増し
て、勇猛な男が居られた。
そこで、
私は、御名を奉げよう。
これからは、倭建(ヤマトタケル)御子
と讃えるが良い。」
と申した。
(熊曽建が)このように、
申し終えたので、
(小碓命は)直に、熟れた葱(ネギ)
のように、(熊曽建を)張り裂い
て、殺したのである。
それで、
その時から、(小碓命の)御名を
讃え、倭建(ヤマトタケル)命と謂う。

倭建命が、出雲建を討伐 (熊曽⇒出雲⇒纒向)
原文読み口語訳
然 而 還上之時
山神河神及穴戸神
皆 言向 和 而

即 入坐出雲國
欲飲其出雲國建

到 即 結友

竊 以赤檮
作詐刀
為御佩
共沐肥河

倭建命
自河先上
取佩出雲建之
横刀 而

為易刀

後 出雲建
自河上 而
佩倭建命之詐刀

倭建 誂

伊奢合刀

各 枝其刀之時
出雲建
不得拔詐刀
即 倭建命
拔其刀 而
打飲出雲建


御歌 曰
 夜都米佐
 伊豆毛夛祁流賀
 波祁流夛知
 都豆良佐波麻岐
 佐味祁志阿波
 

故 如此
撥治 
覆奏
然(シカ)して、還り上(ノボ)る時、
山(ヤマ)神、河(カハ)神及び穴戸(アナ
ト)神、皆、言向(コトム)け、和(ヤハ)し
て、
()ひ上(ノボ)りき。
即ち、出雲(イヅモ)國に入り坐(イ
マ)し、其の出雲國建(イヅモクニタケル)
を飲
()(シ)さむと欲(ホッ)して、
到り、即ち、友を結びき。
故(カレ)、
竊(ヒソカ)に、赤檮(イチイ)を以って、
詐(イツハ)り刀を作り、
御佩(ミハカシ)為し、
肥(ヒ)河に共に沐(アラ)ひき。
(シカ)くして、
倭建(ヤマトタケル)命、
河より先ず上(ノボ)り、
出雲建(イヅモタケル)の
()き置
ける横刀(タチ)を取り佩きて、
詔(ノ)りしく、
「刀を易(カ)へ為さむ。」 と。
故(カレ)、
後に、出雲建(イヅモタケル)、
河より上(ノボ)りて、倭建(ヤマトタ
ケル)命の詐(イツハ)り刀を佩きき。
是れに(オ)いて、
倭建(ヤマトタケル)命、誂(アトラ)へ、
云ひしく、
「伊奢(イザ)、刀、合はさむ。」 と。
(シカ)くして、
各(オノオノ)、其の刀を枝
()く時、
出雲建(イヅモタケル)、
詐(イツハ)り刀を拔くを得ず。
即ち、倭建(ヤマトタケル)命、
其の刀を拔きて、
出雲建(イヅモタケル)を打ち
()(シ)しき。
(シカ)くして、
御歌、曰く。
 夜都米佐
()(ヤツメサス)
 伊豆毛夛祁流賀(イヅモタケルガ)
 波祁流夛知(ハケルタチ)
 都豆良佐波麻岐(ツヅラサハマキ)
 佐味祁
()阿波礼(サミナ
 シニアハレ)

故(カレ)、此(カク)の如く、
撥(ハ)ね治め、
()ひ上(ノボ)
り、覆奏(カヘリゴトマウ)しき。
そこで、(小碓命が)帰還する時、
山(ヤマ)神河(カハ)神穴戸(アナト)
(海峡神)を皆、従わせ、平定し
て、上京した。
そのため、(倭建命は)出雲(イヅ
モ)国に入られて、その出雲国建
(イヅモクニタケル)を殺そうとし、到着
して、直に、友好関係を結んだ。
それで、
そっと、赤檮(イチイ)木で、
偽物の刀を作って帯刀し、
肥(ヒ)河(出雲国斐伊川)(
雲建と)一緒に水浴びをした。
そこで、倭建(ヤマトタケル)命は、
(の水浴び)から先に上がり、
出雲建(イヅモタケル)のはずして置
いた横刀(タチ)を取って帯刀し、
「刀を取り替えよう。」 と語った。
それで、
後に、出雲建(イヅモタケル)は、
川から上がって、倭建(ヤマトタケル)
命の偽物の刀を帯刀した。
そして、
倭建(ヤマトタケル)命は、誘って、
「さあ、試合しよう。」 と云った。
そこで、
各々が、その刀を抜く時に、
出雲健(イヅモタケル)は、
偽物の刀を抜くことができず、
直に、倭建(ヤマトタケル)命が、
その刀を抜いて、
出雲建(イヅモタケル)を打ち殺した。
そこで、
(倭建命の)御歌は、次の通り。
 八目(ヤツメ)差す、
 出雲建(イヅモタケル)が、
 佩ける大刀(タチ)、
 葛(ツヅラ)多(サハ)巻き、
 さ身無しに哀(アハ)れ

それで、このように、
平定し、上京し、復命した。

【補足】
出雲建」 騙し討ち歌
 出雲建(イヅモタケル)の太刀は
 葛を多く巻いていても
 刀身の無いのが哀れ

倭建命が、東方征討 (纒向⇒尾張⇒東国⇒尾張)
原文読み口語訳

天皇 亦 頻詔倭
建命
言向和平東方十二
道之夫琉神及摩
都樓波奴人等

副吉臣等之祖
名 御友耳建日
子 而 遣之時
給比々羅木之八尋

【比々羅三字
以音】

受命 罷行之時
入伊大御神宮
拜神朝廷
即 白其姨倭比賣
命者
天皇 既
所以思 吾死乎
何 撃遣西方之悪
人等 而
上来之
幾時
不賜軍衆 今更
平遣東方十二道之
悪人等
固此 思惟
猶 所思者
吾 既 死焉
患泣 罷時
倭比賣命
賜草那藝釼
【那藝二字
以音】
亦 賜御嚢 而

若 有急事
嚢口
(シカ)くして、
天皇(スメラミコト)、また、倭建(ヤマトタケ
ル)命に頻(シキ)りに詔(ノ)りしく、
「東方(ヒムガシカタ)十二道の
()
夫琉(アラブル)神及び摩都樓波奴
(マツロハヌ)人等を言向(コトム)け、
和平(ヤハ)せよ。」 とて、
()臣(キビオミ)等の祖(オヤ)、
名、御友耳建日子(ミスキトモミミタケ
ヒコ)を副(ソ)へて、遣はす時、
比比羅(ヒヒラ)木の八尋弟
()
(ヤヒロホコ)を給ふ。
【「比々羅」 三字、
音を以ってす】
故(カレ)、
命(ミコトノリ)を受け、罷(マカ)り行く
時、伊(イセ)大御神宮に
()
ひ入り、神の朝廷(ミカド)を拜(オロ
ガ)み、即ち、其の姨(ヲバ)倭比賣
(ヤマトヒメ)命に白さくは、
「天皇(スメラミコト)、既に、
吾(ア)、死すと思ふ所以(ユエン)や、
何ぞ、西方(ニシカタ)の悪しき人等
を撃ちに遣はして、
返り
()ひ上(ノボ)り来て、
未だ幾時をもに、
軍衆(イクサトモ)を賜はず、今更に、
東方(ヒムガシカタ)十二道の悪しき
人等を平(タイラ)げに遣はすや。
此れに固
()り、思惟(オモ)ふに、
猶、思ひしは、
吾(ア)、既に、死すや。」 と、
患へ泣き、罷(マカ)りし時、
倭比賣(ヤマトヒメ)命、
草那藝釼(クサナギツルギ)を賜ひ、
【「那藝」 二字、
音を以ってす】
また、御嚢(ミフクロ)を賜ひて、
詔(ノ)りしく、
「若し、急(セ)く事有らば、(コ)
の嚢(フクロ)口を
()け。」 と。
そこで、
(大帯日子淤斯呂和気)天皇は、
また、倭建(ヤマトタケル)命に、
「東方12(東海道東山道方
)の荒ぶる神、服従しない人達
を従わせ、平定せよ。」
と繰り返し語って、
吉備臣(キビオミ)達の祖先、
名が、御友耳建日子(ミスキトモ
ミミタケヒコ)を付き添わせて、
(倭建命を)遣わす時、
疼(ヒヒラ)木()のような刃形の
長い矛を授けた。

それで、
(倭建命は、大帯日子淤斯呂和
気天皇の)命令を受け、
出かける時、
伊勢(イセ)大御神宮に参り、
神の宮廷を礼拝し、直に、
叔母の倭比売(ヤマトヒメ)命には、
(大帯日子淤斯呂和気)天皇は、
既に、私が死ぬものと思ってい
るからか、何故、(私を)
西方の悪人達を討ちに遣わし、
(私が)帰り上京して来ると、
未だ幾時も経っていないのに、
軍勢を授けず、今度更に、
(私を)東方12道の悪人達の
平定に遣わすのか。
このことにより、考えると、
やはり、(天皇は)私が、既に、
死んだものと、思ったか。」
と申して、
泣き悲しんで、出かける時、
倭比売(ヤマトヒメ)命は、
草那芸剣(クサナギツルギ)を授け、
また、御袋を授けて、
「若し、火急のことがあったら、
この袋の口を開けよ。」
と語った。

到尾張國
入坐尾張國造之祖
夜受比賣之家

乃 雖思將婚

亦 思還上之時
將 婚期 定 而
幸于東國
悉 言向
和平山河神及不
伏人等
故 
到相武國之時
其國造 詐

此野中 有大沼
住是沼中之神
甚 道速振神也

者行其神
入坐其野

其國造
火著其野故
知 見欺 而
開其姨 倭比賣
命之所給嚢口 而
見者
火打 有其裏

先 以其御刀
撥草
以其火打 而
打出火
著向火 而
焼退 還出
皆 切滅其國造等

著火 焼故
今 謂焼遺也

入幸
渡走水海之時
其渡神
興浪 廻舩
不得進渡

其后
名 弟橘比賣命
白之
妾 易御子 而
入海
御子者所遣之政
遂 應
覆奏
將 入海時
以 菅疊八重
皮疊八重
疊八重
敷于波上 而
下坐其上

其暴浪 自
伏 御舩 得進

其后 歌 曰
 佐泥佐斯
 佐賀牟能袁怒迩
 毛由流肥能
 那迦迩夛知弖
 斗比斯岐


七日之後 其后御
櫛 依于海邊
乃 取其櫛 作御
陵 而 治置也
故(カレ)、
尾張(ヲハリ)國に到り、
尾張國造(ヲハリクニミヤツコ)の祖(オ
ヤ)、夜受比賣(ミヤズヒメ)の家に
入り坐(イマ)しき。
乃ち、將に、婚(ア)はむと思ふと
雖ども、
亦、還り上(ノボ)る時を思ひ、
將に、婚(ア)ふ期(トキ)を定めて、
東(アヅマ)國に幸(イデマ)し、
悉(コトゴト)く、言向(コトム)け、
山河
()ぶる神及び伏(マツロ)
はぬ人等を和平(ヤハ)しき。
故(カレ)、(シカ)くして、
相武(サガム)國に到りし時、
其の國造(クニミヤツコ)、詐(イツハ)り、
白さく、
「此の野中に、大沼(オホヌ)有り、
是の沼(ヌ)の中に住む神、
甚だ道速振(チハヤブル)神也。」 と。
是れに(オ)いて、
其の神を者
()に行き、
其の野に入り坐(イマ)しき。
(シカ)くして、
其の國造(クニミヤツコ)、
其の野を火著(ツ)くるが故(ユエ)、
欺(アザム)かれぬと知りて、
其の姨(ヲバ)、倭比賣(ヤマトヒメ)命
の給ひし嚢(フクロ)の口を
()
き開けて、見れば、
火打(ヒウチ)、其の裏(ウチ)に有り。
是れに(オ)いて、
先ず、其の御刀を以って、
草を
()り撥(ハラ)ひ、
其の火打(ヒウチ)を以って、
火を打ち出(イ)だし、
向火(ムカヒビ)を著(ツ)けて、
焼き退(ソ)け、還り出(イ)で、
其の國造(クニミヤツコ)等を、皆な、
切り滅し、即ち、
火を著(ツ)け、焼くが故(ユエ)、
今に、焼遺(ヤキステ)と謂ふ也。
(脱字 「自」)其(ソレヨリ)、
入り幸(イデマ)し、
走水海(ハシリミミ)を渡る時、
其の渡(ワタリ)神、
浪(ナミ)を興し、舩を廻(モトホ)し、
進み渡るを得ず。
(シカ)くして、
其の后(キサキ)、
名、弟橘比賣(オトタチバナヒメ)命、
之を白さく、
「妾(ワラハ)、御子に易(カハ)りて、
海に入らむ。
政(マツリゴト)を遣はされし御子
は、遂げ、應(マサ)に、
覆奏(カヘリゴトマウ)せ。」 とて、
將に、海に入らむとする時、
菅疊(スガタタミ)八重(ヤヘ)、
皮疊(カハタタミ)八重(ヤヘ)、
疊(キヌタタミ)八重(ヤヘ)を以って、
波上(ナミノヘ)に敷きて、
其の上に下り坐(イマ)しき。
是れに(オ)いて、
其の暴浪(アラナミ)、自づから、
伏(ナ)ぎて、御舩、進むを得たり。
(シカ)くして、
其の后(キサキ)、歌ひ、曰く。
 佐泥佐斯(サネサシ)
 佐賀牟能袁怒迩(サガムノヲヌニ)
 毛由流肥能(モユルヒノ)
 那迦迩夛知弖(ホナカニタチテ)
 斗比斯岐(トヒシキミハモ)

故(カレ)、
七日の後、其の后(キサキ)の御櫛、
海邊(ウミヘ)に依りき。
乃ち、其の櫛を取り、御陵(ミサザ
キ)を作りて、治め置く也。
それで、
(倭建命は)尾張(ヲハリ)国(国府
の尾張国中島)に着き、尾張国造
(ヲハリクニミヤツコ)の祖先の美夜受比
売(ミヤズヒメ)の家に入られた。
直に、(美夜受比売を)娶ろうと
思ったが、
また、帰り上る時でもと思い、
結婚する日を決めて、
東国に出かけられ、
すべて、従わせ、山河の荒ぶる神
や従わない人達を平定した。
それで、そこで、
相模(サガミ)国に着いた時、その
(相模)国造(クニミヤツコ)が偽り、
「この野中に大沼(相模国足柄)
があり、この沼の中に住む神は、
大変強暴な神である。」
と申した。
そして、
(倭建命は)その神を見に行き、
その野に入られた。
そこで、
その国造(クニミヤツコ)が、
その野に火を点けたので、(倭建
命は)騙された、と気がついて、
その叔母の倭比売(ヤマトヒメ)命が
授けた袋の口を開けて見ると、
火打ち石が、その中にあった。
そして、
先ず、その御刀(草那芸剣)で、
草を刈り払い、その火打ち石で、
火を打ち出し、向い火を点けて、
焼き退けて、脱出し、
その国造(クニミヤツコ)達を、
皆な、切り滅ぼし、
直に、火を点け、焼いたので、
今に、焼遺(ヤキステ)(相模国足柄
焼津)と謂うのである。
(倭建命は)そこから、走水(ハシリミ
ヅ)海(相模国御浦)に入られて、
(上総国方面に)渡る時、
その海峡(浦賀水道)の神が、
波を起こし、船を戻して、
渡り進めなかった。
そこで、
その(倭建命の)皇后の、
名が弟橘比売(オトタチバナヒメ)命が、
「私が、御子(倭建命)に代わっ
て、(人身御供で)海に入ろう。
任務を遣わされた御子(倭建命)
は、(任務を)果たして、(大帯日
子淤斯呂和気天皇に)復命せ
よ。」 と申して、
(皇后が)海に入ろうとする時、
菅畳(スガタタミ)を幾重も、
皮畳(カハタタミ)を幾重も、
絹畳(キヌタタミ)を幾重も、波の上
に敷いて、その上に下りられた。
そして、
その荒波は、自然に、静まって、
御船は、進むことができた。
そこで、
その皇后が、歌い、次の通り。
 さねさし、
 相武(サガム)の尾沼(ヲヌ)に、
 燃ゆる火の火(ホ)中に立ちて、
 問ひし君はも

それで、
7日の後、(海に投身した)皇后
の御櫛が、海辺に流れ寄った。
直に、その櫛を拾い、御陵を作っ
て、その中に安置したのである。

【補足】
皇后 「弟橘比売」 の辞世歌
 相模の尾()(元丹沢湖)
 で燃える中、安否を問うた君
自其 入幸

言向夫琉蝦夷等
亦 平和山河
等 而
還上幸時
到足柄之坂
食御粮處
其坂神 化白鹿
而 来立

即 以其咋遺之蒜
片端
待打者
中其目
乃 打殺也

登立其坂 三歎
詔云
阿豆麻波夜
【自阿下五字
以音也】

号其國
謂阿豆麻也
即 自其國
越出甲斐
坐酒折宮之時
歌 曰
 迩比婆理
 都久波赤疑弖

 伊久用加泥都流


其御火焼之老人
續御歌
以 歌 曰
 迦賀那倍弖
 用迩波許々能用
 比迩波登赤加袁

是以
誉其老人 即
給東國造也
其れより、入り幸(イデマ)まし、
悉(コトゴト)く、
()夫琉(アラブ
ル)蝦夷(エミシ)等を言向(コトム)け、
亦、山河
()ぶる神等を
平和(ヤハ)して、
還り上(ノボ)り幸(イデマ)す時、
足柄(アシカラ)の坂に到り、
御粮(ミカリテ)を食(ハ)む處
()に、
其の坂神、白き鹿(カ)に化(カハ)り
て、来立(キタチ)き。
(シカ)くして、
即ち、其の咋(クヒ)遺(ノコ)せる蒜
(ヒル)の片端を以って、
待ち打てば、
其の目に中(アタ)り、
乃ち、打ち殺(シ)しき也。
故(カレ)、
其の坂を登り立ち、三たび歎き、
詔(ノ)り云ひしく、
「阿豆麻波夜(アヅマハヤ)。」 と。
【「阿」 より下(シモ)五字、
音を以ってす也】
故(カレ)、
其の國を号(ナヅ)け、
阿豆麻(アヅマ)と謂ふ也。
即ち、其の國より、
甲斐(カヒ)に越え出(イ)で、
酒折(サカヲリ)宮に坐(イマ)す時、
歌ひ、曰く。
 迩比婆理(ニヒバリ)
 都久波赤
()()疑弖(ツク
 バヲスギテ)
 伊久用加泥都流(イクヨカネツル)

(シカ)くして、
其の御火焼(ミヒタキ)の老人(オキナ)、
御歌に續き、
以って、歌ひ、曰く。
 迦賀那倍弖(カガナベテ)
 用迩波許許能用(ヨニハココノヨ)
 比迩波登赤
()加袁(ヒニハトヲ
 カヲ)
是れを以って、
其の老人(オキナ)を誉め、即ち、
東國造(アヅマクニミヤツコ)を給ふ也。
そこ(上総国)から、(下総国、常
陸国、下野国、上野国、武蔵国に)
入られて、すべて、荒ぶる蝦夷
(エミシ)達を従わせ、
また、山河の荒ぶる()神達を
平定して、
(都へ)帰り上られる時、
(武蔵国から相模国)足柄(アシカラ)
の坂下に着き、食事をする所に、
その坂の神が、白鹿に化身して、
やって来た。
そこで、
(倭建命は)直に、食べ残した葱
(ネギ)の片端で、待ち打つと、
(それが)その(鹿の)目に当た
り、直に、打ち殺したのである。
それで、
その坂を登り、3回溜息をつき、
(投身した皇后を偲んで)語り、
「吾妻(アヅマ)(私の妻)よ。」
と云った。
それで、
その国(相模国以東)を名付け、
阿豆麻(アヅマ)と謂うのである。
直に、その(相模)国から、
甲斐(カヒ)()に越え出て、
酒折(サカヲリ)宮(甲斐国山梨)
居られる時、
(倭建命は)歌い、次の通り。
 新治(ニヒバリ)(新開地)
 筑波(ツクバ)を過ぎて、
 幾夜か寝(ネ)つる

そこで、
その篝火(カガリビ)を焚く老人
が、(倭建命の)御歌に続けて
歌い、次の通り。
 篝(カガ)並(ナ)べて、
 夜には9夜、
 日には10日を

そこで、
(倭建命は)その老人を誉め、
直に、東国造(アヅマクニミヤツコ)を
与えたのである。

倭建命が、尾張美夜受比売と結婚 (尾張⇒伊吹野)
原文読み口語訳
自其國 越科野國
乃 言向科野之坂
神 而
還来尾張國
入坐 先日所期
夜受比賣之許

獻大御食之時
夜受比賣
捧大御酒盞
以 獻

夜受比賣
比之襴
【意比三字
以音】
著月

見其月
御歌 曰
 比佐迦夛能
 阿米能迦具夜麻
 斗迦麻迩
 佐和夛流久
 比波煩曽
 夛和夜賀比那袁
 麻迦牟登波
 阿礼波礼梯

 佐泥牟登波
 阿礼波意閇梯

 那賀祁
 比能

 都紀夛知迩祁理


夜受比賣 荅
御歌 曰
 夛迦比迦流
 比能
 斯志
 和賀意冨岐
 阿良夛麻能
 登斯賀岐布礼婆
 阿良夛麻能
 都紀波岐閇由久
 宇倍那
 宇倍那
 宇倍那
 麻知賀夛
 和賀祁
 比能

 都紀夛々那牟余
其の國より、科野(シナノ)國に越
え、乃ち、科野(シナノ)の坂神を
言向(コトム)けて、
尾張(ヲハリ)國に還り来、先の日に
期(チギ)りし夜受比賣(ミヤズヒ
メ)の許(モト)に、入り坐(イマ)しき。
是れに(オ)いて、
大御食(オホミケ)を獻(タテマツ)る時、
其の夜受比賣(ミヤズヒメ)、
大御酒盞(オホミサカヅキ)を捧げ、
以って、獻(タテマツ)りき。
(シカ)くして、
夜受比賣(ミヤズヒメ)、
其の意
()比(オスヒ)の襴(スソ)
【「意
()比」 三字、
音を以ってす】
に、月(サハリノモノ)著(ツ)きたり。
故(カレ)、
其の月(サハリノモノ)を見、
御歌、曰く。
 比佐迦夛能(ヒサカタノ)
 阿米能迦具夜麻(アメノカグヤマ)
 斗迦麻迩(トカマニ)
 佐和夛流久(サワタルクビ)
 比波煩曽(ヒハボソ)
 夛和夜賀比那袁(タワヤガヒナヲ)
 麻迦牟登波(マカムトハ)
 阿礼波
()礼梯()(アレハ
 スレド)
 佐泥牟登波(サネムトハ)
 阿礼波意閇梯
()(アレハオモ
 ヘド)
 那賀祁流(ナガケセル)
 
()比能()()
 (オスヒノスソニ)
 都紀夛知迩祁理(ツキタチニケリ)

(シカ)くして、
夜受比賣(ミヤズヒメ)、荅(コタ)へ、
御歌、曰く。
 夛迦比迦流(タカヒカル)
 比能古(ヒノミコ)
 
()斯志(ヤスミシシ)
 和賀意冨岐(ワガオホキミ)
 阿良夛麻能(アラタマノ)
 登斯賀岐布礼婆(トシガキフレバ)
 阿良夛麻能(アラタマノ)
 都紀波岐閇由久(ツキハキヘユク)
 宇倍那(ウベナ)
 宇倍那(ウベナ)
 宇倍那(ウベナ)
 麻知賀夛(キミマチガタニ)
 和賀祁流(ワガケセル)
 
()比能()()
 (オスヒノスソニ)
 都紀夛夛那牟余(ツキタタナムヨ)
(倭建命は)その(甲斐)国から
信濃(シナノ)国に越え、直に、
信濃(シナノ)の坂神を従わせて、
(東山道を)尾張(ヲハリ)国
(国府の尾張国中島)に帰り、
先日約束した美夜受比売(ミヤズ
ヒメ)の下に、入られた。
そして(美夜受比売が、倭建命
)ご馳走を献上する時、
その美夜受比売(ミヤズヒメ)は、
大酒盃を捧げて献上した。
そこで、美夜受比売(ミヤズヒメ)は、
その上着の裾に月経(サハリノモノ)
が付いていた。
それで、(倭建命が)
その月経(サハリノモノ)を見て、
御歌は、次の通り。
 久方の天香(アメノカグ)山、
 利鎌(トカマ)に、さ渡る鵠(クビ)、
 鶸細(ヒハボソ)、
 手弱腕(タワヤガイナ)を、
 枕(マ)かむとは、
 吾(アレ)はすれど、
 さ寝(ネ)むとは、
 吾(アレ)は思へど、
 汝(ナ)が着(ケ)せる
 襲(オスヒ)の裾に、月、立ちにけり

そこで、
美夜受比売(ミヤズヒメ)は、答え、
御歌は、次の通り。
 高光る日の御子、八隅(ヤスミ)知
 し、我が大君(オホキミ)、
 あらたまの年が、来経(キフ)れば
 あらたまの月は、来経(キヘ)行く
 宜(ウベ)な、宜(ウベ)な、
 宜(ウベ)な、君、待ち難(ガタ)に、
 我が着(ケ)せる、
 襲(オスヒ)の裾に、月、立たなむよ

【補足】
倭建」⇒「美夜受比売」 の歌
 天香山を、くの字になって渡る
 白鳥のような、細腕の貴方を
 抱いて寝たいとは、思うけれど
 貴方の着ている上着の裾に
 月が、登ってきたよ

美夜受比売」⇒「倭建」 の歌
 高光る日の御子よ
 八方の隅まで治めた私の君よ
 新しい年が経つと
 新しい月が経っていく
 君を待ちきれずに
 私の着ている上着の裾には
 月が、登ってきたのでしょう
故 
御合 而
以其刀之草那藝釼
置其夜受比賣之
許 而
取伊服岐能之神
幸行


山神者
徒手 直
取 而
騰其山之時
白猪 逢于山邊
其大 如牛

為言 而

是化白猪者
其神之使者
雖今 不殺
還時 將殺
重複 (還時)
騰坐

零大氷雨
打或倭建命

此化白猪者
非其神之使者
當其神之正身

見惑也

還下 坐之
到玉倉部之清泉
以 息坐之時
御心 稍
寤故
号其清泉
謂居寤清泉也
故(カレ)、(シカ)くして、
御合(ミアヒ)して、
其の刀の草那藝釼(クサナギツルギ)
を以って、其の夜受比賣(ミヤ
ズヒメ)の許(モト)に置きて、
伊服岐能(イブキノ)の神を取りに
幸行(イデマ)しき。
是れに(オ)いて、
詔(ノ)りしく、
(コ)の山神は、
徒手(ムナデ)、直(タダ)に、
取らむ。」 とて、
其の山に騰(ノボ)りし時、
白き猪(イ)、山邊(ヤマヘ)に逢ひき。
其の大きさ、牛の如し。
(シカ)くして、
(コトアゲ)為して、
詔(ノ)りしく、
「是の化(カハ)れる白き猪(イ)は、
其の神の使者(ツカヒ)、
今、殺(シ)さずと雖ども、
還る時、將に殺(シ)さむ。」 と、
重複 (還る時)
騰(ノボ)り坐(イマ)しき。
是れに(オ)いて、
大氷雨(オホヒサメ)を零(フ)らし、
倭建(ヤマトタケル)命を打ち或
()
(マト)はしき。
此の化(カハ)れる白き猪(イ)は、
其の神の使者(ツカヒ)に非じ、
其の神の正身(タダミ)に當たり、
(コトアゲ)に
()り、
見惑(ミマト)ふ也。
故(カレ)、
還り下り、之に坐(イマ)し、玉倉部
之清泉(タマクラベノシミヅ)に到り、
以って、息(イコ)ひ坐(イマ)す時、
御心、稍(ヤヤ)く、
寤(サ)めるが故(ユエ)、
其の清泉(シミヅ)を号(ナヅ)け、
居寤清泉(イサメシミヅ)と謂ふ也。
それで、そこで、
(倭建命は、美夜受比売と)
交わり、その(倭建命の)刀の
草那芸剣(クサナギツルギ)を、
美夜受比売(ミヤズヒメ)の下
(尾張国中島)に置いて、
伊吹野(イブキノ)(美濃国不破)
神を討ち取りに行かれた。
そして、
(倭建命が)
「この(伊吹野の)山神は、
素手で、直に、
討ち取ろう。」 と語り、
その(伊吹野の)山に登った時、
白い猪が、山の傍に現れた。
大きさは、牛のようであった。
そこで、
(倭建命は)大声を出して、
「この化身した白い猪は、
その(伊吹野の山)神の使者、
今、殺さずに、
帰る時に、殺そう。」 と語り、
(山を)登られた。
そして、
(山神が)大氷雨(ヒサメ)を降らせ、
倭建(ヤマトタケル)命を遭難させた。
この化身した白い猪は、
その()神の使者ではなく、
その神自身であったため、
(倭建命が)大声を出したこと
で、遭難させられたのである。
それで、
(倭建命が、山から)下って居ら
れ、玉倉部之清泉(タマクラベノシミヅ)
(近江国坂田)に着いて、
休憩された時、
気持ちが、やっと、
落ち着いたので、
その清泉(シミヅ)を名付け、
居寤清泉(イサメシミヅ)
と謂うのである。

倭建命の死去 (伊吹野⇒当芸野⇒尾張⇒能煩野)
原文読み口語訳
自其處 發

到當藝野上之時
詔者
吾心 恒 念自虚
翔行
然 今 吾足
不得歩 成當藝當
藝斯玖
【自當下六字
以音】

号其地
謂當藝也
自其地
差少 幸行
固甚疲
衝御杖
稍 歩故
号其地
謂杖衝坂也
到坐尾津前一松之

先 御食之時
所忘其地御刀
不失 猶 有

御歌 曰
 袁波理迩
 迩牟迦弊流
 袁都能佐岐那流
 比登都麻都
 
 比登都麻都
 比登迩阿理
 夛知波氣麻斯袁
 岐奴岐麻斯袁
 比登都麻都
 

自其地 幸
到三重村之時
亦 詔之
吾足 如三重勾
而 甚疲
故 号其地
謂三重
自其 幸行 而
到能煩野之時
思國 以 歌 曰
 夜麻登波
 能麻
 夛々那豆久
 阿袁加岐
 夜麻碁礼流
 夜麻登志宇流波
 
又 歌 曰
 伊能知能
 麻夛祁牟比登波
 夛々
 弊具理能夜麻能
 久麻加志賀波袁
 宇受曽能
 
此歌者 思國歌也

又 歌 曰
 波斯祁夜斯
 和岐幣能迦夛用
 久毛韋夛知久
此者 片歌也

此時 御病
甚急

御歌 曰
 袁登賣能
 登許能弁
 和賀淤岐斯
 都流岐能夛知
 曽能夛知波夜

歌 竟
即 崩
其處()(ソコ)より、發()(タ)
ち、
當藝野(タギノ)上(ヘ)に到りし時、
詔(ノ)りしくは、
「吾(ア)が心、恒(ツネ)に、虚(ソラ)よ
り翔(カ)けり行かむと念(オモ)う。
然(シカ)れども、今、吾(ア)が足、
歩むを得ずして、當藝當藝斯玖
(タギタギシク)成りぬ。」 と。
【「當」 より下(シモ)六字、
音を以ってす】
故(カレ)、
其の地を号(ナヅ)け、
當藝(タギ)と謂ふ也。
其の地より、
差(ヤヤ)少し、幸行(イデマ)し、
甚だ疲れたるに固
()り、
御杖を衝(ツ)き、
稍(ヤヤ)く、歩むが故(ユエ)、
其の地を号(ナヅ)け、
杖衝(ツエツキ)坂と謂ふ也。
尾津前(ヲツサキ)一つ松の許(モト)に
到り坐(イマ)し、
先に、御食(ミオス)る時、
其の地に忘れし御刀、
失(ウ)せず、猶、有り。
(シカ)くして、
御歌、曰く。
 袁波理迩(ヲハリニ)
 迩牟迦弊流(タダニムカヘル)
 袁都能佐岐那流(ヲツノサキナル)
 比登都麻都(ヒトツマツ)
 袁(アセヲ)
 比登都麻都(ヒトツマツ)
 比登迩阿理婆(ヒトニアリセバ)
 知波氣麻斯袁(タチハケマシヲ)
 岐奴岐麻斯袁(キヌキセマシヲ)
 比登都麻都(ヒトツマツ)
 袁(アセヲ)

其の地より、幸(イデマ)し、
三重(ミヘ)村に到る時、
亦、之を詔(ノ)りしく、
「吾(ア)が足、三重勾(ミヘマガリ)の
如くして、甚だ疲れたり。」 と。
故(カレ)、其の地を号(ナヅ)け、
三重(ミヘ)と謂ふ。
其れより、幸行(イデマ)して、
能煩野(ノボノ)に到りし時、
國を思ひ、以って、歌ひ、曰く。
 夜麻登波(ヤマトハ)
 能麻婆(クニノマホロバ)
 夛夛那豆久(タタナヅク)
 阿袁加岐(アヲカキ)
 夜麻碁礼流(ヤマゴモレル)
 夜麻登志宇流波斯(ヤマトシウルハシ)

又、歌ひ、曰く。
 伊能知能(イノチノ)
 麻夛祁牟比登波(マタケムヒトハ)
 夛夛(タタミコモ)
 弊具理能夜麻能(ヘグリノヤマノ)
 久麻加志賀波袁(クマカシガハヲ)
 宇受曽能古(ウズニサセソ
 ノコ)
此の歌は、思國(クニシノビ)歌也。

又、歌ひ、曰く。
 波斯祁夜斯(ハシケヤシ)
 和岐幣能迦夛用(ワキヘノカタヨ)
 久毛韋夛知久(クモイタチクモ)
此れは、片(カタ)歌也。

此の時、御病(ミヤマヒ)、
甚だ急(ニハカ)、
(シカ)くして、
御歌、曰く。
 袁登賣能(ヲトメノ)
 登許能弁(トコノベニ)
 和賀淤岐斯(ワガオキシ)
 都流岐能夛知(ツルキノタチ)
 曽能夛知波夜(ソノタチハヤ)

歌ひ、竟(ヲ)へ、
即ち、崩(カムザ)りき。
(倭建命は)そこから出発し、
当芸野(タギノ)(美濃国多芸)辺り
に着いた時、
「私の心は、いつも、(美夜受比売
の所へ)空を飛んで行こうと思っ
ているのに、今、私の足は歩けず
動きが悪くなった。」 と語った。
それで、その地を名付け、
当芸(タギ)と謂うのである。
(倭建命は)その地から少し行き
大変疲れたため、杖を突き、やっ
と歩いたので、その地を名付け、
杖衝(ツエツキ)坂と謂うのである。
尾津崎(ヲツサキ)(尾張国中島)
一本松の元に着かれ、先の(美夜
受比売との)食事の時、その地に
忘れた御刀(草那芸剣)が、
失くならず、そのまま有った。
そこで、御歌は、次の通り。
 尾張(ヲハリ)に、直に向かへる
 尾津(ヲツ)の前(サキ)なる
 一つ松、吾兄(アセ)を
 一つ松、人にありせば
 太刀(タチ)、佩(ハ)けましを
 衣(キヌ)、着せましを
 一つ松、吾兄(アセ)を

その地から行かれ、三重(ミヘ)村
(伊勢国三重)に着いた時、また、
「私の足は、三重曲(ミヘマガ)りの
ように、大変疲れた。」 と語った。
それで、その地を名付け、
三重(ミヘ)と謂う。
そこから行かれ、能煩野(ノボノ)
(伊勢国鈴鹿)に着いた時、(
)国を偲んで、歌い、次の通り。
 大和(ヤマト)は、国のまほろば
 たたなづく、青垣(アヲカキ)
 山籠(ヤマゴモ)れる
 大和(ヤマト)し麗(ウルハ)し

また、歌い、次の通り。
 命(イノチ)の全(マタ)けむ人は
 畳薦(タタミコモ)平群(ヘグリ)の山の
 熊樫(クマカシ)が葉を
 髻華(ウズ)に挿せ、その子
この御歌は、望郷歌である。

また、歌い、次の通り。
 (ハ)しけやし
 我家(ワギヘ)の方よ
 雲居(クモイ)立ち来(ク)も
これは、片(カタ)歌である。
この時、病が急変し、
そこで、御歌は、次の通り。
 乙女の床(トコ)の辺(ベ)に
 我が置きし剣(ツルキ)の太刀
 その太刀はや

(倭建命は)歌い終え、
直に、死去した。

【補足】
御刀を守った 「一つ松」 の讃歌
 尾張に真向いの
 尾津崎にある1本松よ
 人だったら、太刀を佩かせ
 衣を着せてやるのに

倭建」 の望郷歌
 大和国は、国中で良い所
 青い山並みに囲まれた
 大和国は、美しい

 命を全うできる人は
 平群の山の
 熊樫の葉を
 髪飾りに挿した子よ

 (纒向の)懐かしい我家の方で
 雲が立上り、こっちに来るよ

倭建」 の辞世歌
 乙女(美夜受比売)の寝所に、
 私が置いた(草那芸剣)太刀よ

倭建命は、八尋白智鳥になる (能煩野⇒河内⇒)
原文読み口語訳

貢上驛使

坐倭后等及御子等
諸 下到 而
作御陵 即
制匐其地之那豆
岐田
【自那下三字
以音】
而 哭 為歌 曰
 那豆岐能夛能
 伊那賀良迩
 伊那賀良
 波比登冨
 登許豆良


化八尋白智鳥
翔天 而
 飛行
【智字 以音】

其后及御子等

小竹之
雖足 跳破
忘其痛 以 哭退
此時 歌 曰
 佐士怒波良

 許斯那豆牟
 良波由賀受
 阿斯用由久那


入其海塩 而
那豆
【此三字 以音】
行時 歌 曰
 賀由氣婆
 許斯那豆牟
 意冨迦婆良能
 宇恵具佐
 賀波
 伊佐用布


飛 居其礒之時
歌 曰
 波麻都知登理
 波麻用由迦受
 豆夛布

是四歌者
皆 歌其御也故
至今 其歌者
歌天皇之大御


自其國 飛翔行
留河内國之志幾故
其地 作御陵
鎮坐也
即 号其御陵
謂白鳥御陵也


亦 自其地
更 翔天
以 飛行

此倭建命
平國 行之時
久米直之祖
名 七奉
恒 為膳夫
以 従
仕奉也
(シカ)くして、
驛使(ハユマツカヒ)を貢上(タテマツ)る。
是れに(オ)いて、
倭(ヤマト)に坐(イマ)す后(キサキ)等
及び御子等、諸(モロモロ)、下り到り
て、御陵(ミサザキ)を作り、即ち、
其の地を匐(ハ)ひ(メグ)り、
那豆岐(ナヅキ)田を制(ツク)りて、
【「那」 より下(シモ)三字、
音を以ってす】
哭き、歌ひ為し、曰く。
 那豆岐能夛能(ナヅキノタノ)
 伊那賀良迩(イナガラニ)
 伊那賀良(イナガラニ)
 波比登冨布(ハヒモトホロフ)
 登許豆良(トコロヅラ)

是れに(オ)いて、
八尋(ヤヒロ)白智鳥(シロチトリ)に化
(カハ)り、天(アメ)を翔(カ)けりて、
(ハマ)に向かひ、飛び行きき。
【「智」 字、音を以ってす】
(シカ)くして、
其の后(キサキ)及び御子等、
是れに(オ)いて、
小竹(シノ)の荊棧(イバラキ)、
足、跳(キ)り破ると雖も、其の痛
みを忘れ、以って、哭き退(ノ)く。
此の時、歌ひ、曰く。

(脱字 「阿」)佐士怒波良(アサジ
 ノハラ)
 許斯那豆牟(コシナヅム)
 
()良波由賀受(ソラハユカズ)
 阿斯用由久那(アシヨユクナ)

又、
其の海塩
()(ウシオ)に入りて、
那豆(ナヅミ)
【此の三字、音を以ってす】
行く時、歌ひ、曰く。
 賀由氣婆(ウミガユケバ)
 許斯那豆牟(コシナヅム)
 意冨迦婆
()良能(オホカハラノ)
 宇恵具佐(ウエグサ)
 賀波(ウミガハ)
 伊佐用布(イサヨフ)

又、
飛び、其の礒(イソ)に居りし時、
歌ひ、曰く。
 波麻都知登理(ハマツチトリ)
 波麻用由迦受(ハマヨユカズ)
 
()豆夛布(イソヅタフ)

是の四つ歌は、
皆、其の御(ミハフリ)を歌ふ也が
故(ユエ)、今に至り、其の歌は、
天皇(スメラミコト)の大御(オホミ
ハフリ)を歌ふ也。
故(カレ)、
其の國より、飛び翔(カ)けり行き、
河内(カハチ)國の志幾(シキ)に留ま
りし故(ユエ)、其の地に、御陵(ミサ
ザキ)を作り、鎮め坐(イマ)す也。
即ち、其の御陵(ミサザキ)を号(ナ
ヅ)け、白鳥(シロトリ)御陵(ミサザキ)
と謂ふ也。
然(シカ)れども、
亦、其の地より、
更に、天(アメ)を翔(カ)けり、
以って、飛び行きき。
(オヨ)そ、
此の倭建(ヤマトタケル)命、
國を平げ、(メグ)り行きし時、
久米直(クメアタヘ)の祖(オヤ)、
名、七奉
()()(ナナツカハギ)、
恒(ツネ)に、膳夫(カシハデ)と為し、
以って、従ひ、
仕へ奉(タテマツ)る也。
そこで、
(倭建命死去の)早馬使者(ハユマ
ツカヒ)を(天皇に)献上した。
そして、
大和(ヤマト)に居られた后御子達
が、(能煩野に)下って来て、
(その地に)御陵を作り、直に、
その地を這い回り、沈(ナヅ)き田
を作り、泣きながら歌い、
次の通り。
 沈(ナヅ)きの田の稲柄に
 稲柄に匐(ハ)ひ廻(モトホ)ろふ
 野老蔓(トコロヅラ)(つる草)

そして、(倭建命は)
八尋白智鳥(ヤヒロシロチトリ)に化身し
て、天高く、
浜に向かって飛んで行った。
そこで、
御子達は、そして、
篠(シノ)の荊棧(イバラキ)が足を
傷つけても、その痛さを忘れて、
泣きながら去って行った。
この時、(御子達は)歌い、
次の通り。
 浅篠(アサジノ)原、腰、沈(ナヅ)む
 空は行(ユ)かず、足よ行(ユ)くな

また、(御子達が)
その海に浸かって行った時、
歌い、次の通り。
 海処(ウミガ)行(ユ)けば
 腰、沈(ナヅ)む
 大河原(オホカハラ)の植え草(グサ)
 海処(ウミガ)は、予(イサヨ)ふ

また、
(倭建命の八尋白智鳥が)飛び、
その(伊勢国の)磯に居た時、
(御子達が)歌い、次の通り。
 浜つ千鳥(チトリ)、浜よ行(ユ)かず
 磯(イソ)伝(ヅタ)ふ

上記4つの歌は、皆、(倭建命の)
葬儀を歌うものであるので、
今では、その歌は、天皇の大御葬
儀を歌うものである。
それで、
(倭建命の八尋白智鳥は)
その(伊勢)国から、飛んで行き、
河内(カハチ)国志幾(シキ)(河内国志
)に止まったので、その地に、
御陵を鎮座させたのである。
直に、その御陵を名付け、白鳥
(シロトリ)御陵と謂うのである。
しかし、
また、その地から、更に、天高く、
飛んで行った。

およそ、
この倭建(ヤマトタケル)命が、()
を平定し、巡って行った時、
久米直(クメアタヘ)の祖先、
名が、七拳脛(ナナツカハギ)が、
いつも、膳手(カシハデ)として、
従い、仕え奉げていたのである。

【補足】
倭建」 の葬儀歌
 田んぼの稲の茎に
 稲の茎に這い回るつる草

 笹原では、腰まで沈む
 空は動かず、足は動かず

 海側を行けば、腰まで沈む
 河原の笹原か海側かを迷う

 浜千鳥、浜を行かず、磯を行く

倭建命の子孫
原文読み口語訳
此倭建命
娶伴玖米天皇之女
布夛遅能伊理

【自布下八字
以音】
生御子
帯中津日子命

又 娶其入海弟橘
比賣命
生御子
若建王
一柱
又 娶近淡海之安
國造之祖
意冨夛牟和氣之女
布夛遅比賣
生御子
稲依別王
一柱
又 娶吉
建日子之妹
大吉建比賣
生御子
建見兒王
一柱
又 娶山代之玖々
麻毛理比賣
生御子
是鏡別王
一柱
又 一妻之子
息長田別王
 是倭建命
之御子等 并六柱

帯中津日子命者
治天下也
次 稲依別王者
犬上君
建部君等之祖
次 建見兒王者
讃岐
之別
登袁之別
麻佐首
宮首之別等
之祖
足鏡別王者
鎌倉之別
小津石代之別
漁田之別之祖

次 息長田別王
之子
棧俣長日子王
此王之子
飯野真黒比賣命
次 息長真若中比

次 弟比賣
三柱

上云若建王
娶飯野真黒比賣
生子
賣伊呂大中日子

【自至呂
以音】
此王
娶淡海之柴野入杵
之女
柴野比賣
生子
迦具漏比賣命

大帯日子天皇
娶此迦具漏比賣命
生子
大江王
一柱
此王
妹 銀王
生子
大名方王
次 大中比賣命
二柱

此之大中比賣命者
香坂王
忍熊王之御祖也
此の倭建(ヤマトタケル)命、
()玖米天皇(イクメスメラミコト)
の女(ヲミナ)、布夛遅能伊理
(フタヂノイリビメ)命を娶り、
【「布」 より下(シモ)八字、
音を以ってす】
生める御子、
帯中津日子(タラシナカツヒコ)命、

(脱字 「一」)柱。
又、其の海に入りし弟橘比賣
(オトタチバナヒメ)命
を娶り、生める御子、
若建(ワカタケル)王(ミコ)、
一柱。
又、近淡海之安(チカツアフミノヤス)
國造(クニミヤツコ)の祖(オヤ)、
意冨夛牟和氣(オホタムワケ)の女
(ヲミナ)、布夛遅比賣(フタヂヒメ)
を娶り、生める御子、
稲依別(イナヨリワケ)王(ミコ)、
一柱。
又、吉
()臣(キビオミ)、
建日子(タケヒコ)の妹(イモ)、
大吉
()建比賣(オホキビタケヒメ)
を娶り、生める御子、
建見兒(タケミコ)王(ミコ)、
一柱。
又、山代(ヤマシロ)の玖玖麻毛理比
賣(ククマモリヒメ)
を娶り、生める御子、
()鏡別(アシカガミワケ)王(ミコ)、
一柱。
又、一妻(ヒトミメ)の子、
息長田別(オキナガタワケ)王(ミコ)。
(オヨ)そ、是の倭建(ヤマトタケル)命
の御子等、并(アハ)せ六柱。
故(カレ)、
帯中津日子(タラシナカツヒコ)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
次、稲依別(イナヨリワケ)王(ミコ)は、
犬上(イヌカミ)君、
建部(タケルベ)君等の祖(オヤ)。
次、建見兒(タケミコ)王(ミコ)は、
讃岐
()(サヌキアヤ)君、
之別(イセノワケ)、
登袁之別(トヲノワケ)、
麻佐首(マサオビト)、
宮首之別(ミヤオビトノワケ)等
の祖(オヤ)。
足鏡別(アシカガミワケ)王(ミコ)は、
鎌倉之別(カマクラノワケ)、
小津石代之別(ヲヅイハシロノワケ)、
漁田之別(イサリタノワケ)の祖(オヤ)
也。
次、息長田別(オキナガタワケ)王(ミコ)
の子、
棧俣長日子(キマタナガヒコ)王(ミコ)、
此の王(ミコ)の子、
飯野真黒比賣(イヒノマクロヒメ)命、
次、息長真若中比賣(オキナガマワカ
ナカヒメ)、
次、弟比賣(オトヒメ)、
三柱。
故(カレ)、
上に云へる若建(ワカタケル)王(キミ)、
飯野真黒比賣(イヒノマクロヒメ)
を娶り、生める子、
()賣伊呂大中日子(スメイロ
オホナカヒコ)王(ミコ)。
【「
()より 「呂」 に至り、
音を以ってす】
此の王(ミコ)、
淡海(アフミ)の柴野入杵(シバノイリキ)
の女(ヲミナ)、
柴野比賣(シバノヒメ)
を娶り、生める子、
迦具漏比賣(カグロヒメ)命。
故(カレ)、
大帯日子天皇(オホタラシヒコスメラミコ
ト)、此の迦具漏比賣(カグロヒメ)命
を娶り、生める子、
大江(オホエ)王(ミコ)、
一柱。
此の王(ミコ)、
妹(ママイモ)、銀(シロカネ)王(ミコ)
を娶り、生める子、
大名方(オホナカタ)王(ミコ)、
次、大中比賣(オホナカヒメ)命、
二柱。
故(カレ)、
此の大中比賣(オホナカヒメ)命は、
香坂(カグサカ)王(ミコ)、忍熊(オシクマ)
王(ミコ)の御祖(ミオヤ)也。
この倭建(ヤマトタケル)命が、
伊玖米(イクメ)(伊理毘古伊佐知)
天皇(垂仁天皇)の娘、
布多遅能伊理毘売(フタヂノイリビメ)
命を娶り、 生んだ御子は、
帯中津日子(タラシナカツヒコ)命、
1人。
また、(倭建命が)海に入った
弟橘比売(オトタチバナヒメ)命
を娶り、生んだ御子は、
若建(ワカタケル)皇子、
1人。
また、(倭建命が)近淡海之安国
造(チカツアフミノヤスクニミヤツコ)の祖先、
意冨多牟和気(オホタムワケ)の娘、
布多遅比売(フタヂヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
稲依別(イナヨリワケ)皇子、
1人。
また、(倭建命が)吉備臣(キビオミ)
建日子(タケヒコ)の妹、
大吉備建比売(オホキビタケヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
建見兒(タケミコ)皇子、
1人。
また、(倭建命が)山背(ヤマシロ)の
玖玖麻毛理比売(ククマモリヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
足鏡別(アシカガミワケ)皇子、
1人。
また、(倭建命の)或妻の子は、
息長田別(オキナガタワケ)皇子、
(1)
およそ、
この倭建(ヤマトタケル)命の御子達
は、合計6人。
それで、
(倭建命の御子6人の内)
帯中津日子(タラシナカツヒコ)命は、
天下を治めたのである。
次に、稲依別(イナヨリワケ)皇子は、
犬上(イヌカミ)君、
建部(タケルベ)君達の祖先。
次に、建見兒(タケミコ)皇子は、
讃岐綾(サヌキアヤ)君、
伊勢之別(イセノワケ)、
登袁之別(トヲノワケ)、
麻佐首(マサオビト)、
宮首之別(ミヤオビトノワケ)達の祖先。
(次に)足鏡別(アシカガミワケ)皇子
は、鎌倉之別(カマクラノワケ)、
小津石代之別(ヲヅイハシロノワケ)、
漁田之別(イサリタノワケ)
の祖先である。
次に、息長田別(オキナガタワケ)皇子
の子は、
棧俣長日子(キマタナガヒコ)皇子、
(1)
この(棧俣長日子)皇子の子は、
飯野真黒比売(イヒノマクロヒメ)命、
次に、息長真若中比売(オキナガマ
ワカナカヒメ)、
次に、弟比売(オトヒメ)、
3人。
それで、
上記の若建(ワカタケル)皇子が、
飯野真黒比売(イヒノマクロヒメ)
を娶り、生んだ子は、
須売伊呂大中日子(スメイロオホナカ
ヒコ)皇子、
(1)
この(須売伊呂大中日子)皇子が
淡海(アフミ)の柴野入杵(シバノイリキ)
の娘、柴野比売(シバノヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
迦具漏比売(カグロヒメ)命、
(1)
それで、
大帯日子(オホタラシヒコ)
(淤斯呂和気)天皇が、
この迦具漏比売(カグロヒメ)命
を娶り、生んだ子は、
大江(オホエ)皇子、
1人。
この(大江)皇子が、異母妹の銀
(シロカネ)皇女を娶り、生んだ子は、
大名方(オホナカタ)皇子、
次に、大中比売(オホナカヒメ)命、
2人。
それで、
この大中比売(オホナカヒメ)命は、
香坂(カグサカ)皇子、
忍熊(オシクマ)皇子の母君である。
此大帯日子天皇
之御年
壹佰拾漆歳
御陵 在山邊之道
上也
此の大帯日子天皇
(オホタラシヒコスメラミコト)の御年、
壹佰
()拾漆歳。
御陵(ミサザキ)、山邊之道(ヤマヘノ
ミチ)上(ヘ)に在る也。
この大帯日子(オホタラシヒコ)(淤斯呂
和気)天皇(景行天皇)の御年は、
137歳。
御陵は、山辺之道(ヤマヘノミチ)(大和
国城上)辺りに在るのである。


4.1.13 第13代 成務天皇 若帯日子天皇

若帯日子天皇の御子と治世
原文読み口語訳
若帯日子天皇
坐近淡海之志賀髙
穴穂
治天下也
此天皇
娶穂積臣等之祖
建忍山垂根之女
名 弟財郎女
生御子
和訶奴氣王
一柱

建内宿祢 為大臣
定賜大國小國
之國造
亦 定賜國々之堺
及大縣小縣之縣主
若帯日子天皇(ワカタラシヒコスメラミコ
ト)、近淡海(チカツアフミ)の志賀髙穴
穂(シガタカアナホ)に坐(イマ)し、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
穂積臣(ホヅミオミ)等の祖(オヤ)、
建忍山垂根(タケオシヤマタリネ)の女
(ヲミナ)、名、弟財郎女(オトタカライラ
ツメ)を娶り、生める御子、
和訶奴氣(ワカヌケ)王(ミコ)、
一柱。
故(カレ)、
建内宿祢(タケウチスクネ)、大臣(オホ
オミ)と為し、大國、小國
の國造(クニミヤツコ)を定め賜ふ。
亦、國國の堺
及び大縣、小縣の縣主(アガタヌシ)
を定め賜ふ也。
若帯日子(ワカタラシヒコ)天皇は、
近淡海(チカツアフミ)(近江)の志賀
高穴穂(シガタカアナホ)宮に居られ、
天下を治めたのである。
この天皇が、
穂積臣(ホヅミオミ)達の祖先の
建忍山垂根(タケオシヤマタリネ)の娘の
名が、弟財郎女(オトタカライラツメ)
を娶り、生んだ御子は、
和訶奴気(ワカヌケ)皇子、
1人。
それで、
建内宿祢(タケウチスクネ)を大臣(オホ
オミ)にし、大国小国
の国造(クニミヤツコ)を定められ、
また、国々の境界や、
大県小県の県主(アガタヌシ)を
定められたのである。
天皇
御年 玖拾伍歳
乙卯年三月十五日
崩也
御陵 在沙紀之夛
他那
天皇(スメラミコト)、
御年、玖拾伍歳、
乙卯(キノトウ)年三月(ヤヨヒ)十五日、
崩(カムザ)る也。
御陵(ミサザキ)、沙紀之夛他那
(サキノタタナミ)に在る也。
(若帯日子)天皇(成務天皇)は、
御年、95歳、
乙卯(キノトウ)年315日に、
死去したのである。
御陵は、狭城之楯列(サキノタタナミ)
(河内国志紀)に在るのである。


4.1.14 第14代 仲哀天皇 帯中津日子天皇

帯中津日子天皇の御子
原文読み口語訳
帯中日子天皇

坐穴之豊浦
筑紫訶志比
治天下也
此天皇
娶大江王之女
大中津比賣命
生御子
香坂王
忍熊王
二柱
又 娶息長帯比賣
命 是太后
生御子
品夜和氣命
次 大鞆和氣命
亦名 品和氣命
二柱
此太子之御名
所以貭大鞆和氣命
者 初所生時
如鞆完
生御腕故
著其御名
是以
知坐腹中國也
此之御世
定淡道之屯家
帯中(脱字 「津」)日子天皇(タラシ
ナカツヒコスメラミコト)、
之豊浦(アナトノトユラ)及び筑
紫訶志比(ツクシカシヒ)に坐(イマ)
し、天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
大江(オホエ)王(ミコ)の女(ヲミナ)、
大中津比賣(オホナカツヒメ)命
を娶り、生める御子、
香坂(カグサカ)王(ミコ)、
忍熊(オシクマ)王(ミコ)、
二柱。
又、息長帯比賣(オキナガタラシヒメ)命、
是の太后(オホキサキ)
を娶り、生める御子、
品夜和氣(ホムヤワケ)命、
次、大鞆和氣(オホトモワケ)命、
亦の名、品和氣(ホムダワケ)命、
二柱。
此の太子(ヒツギノミコ)の御名、
大鞆和氣(オホトモワケ)命を貭
()
ふ所以(ユエン)は、初め生れし時、
鞆完
()(トモシシ)の如く、
御腕(ミタダムキ)を生(ナ)すが故
(ユエ)、其の御名を著(ツ)けき。
是れを以って、腹に坐(イマ)し、
國に中(ア)たるを知る也。
此の御世、
淡道之屯家(アハヂノミヤケ)を
定めき也。
帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇は、
穴門之豊浦(アナトノトユラ)宮や筑紫
訶志比(ツクシカシヒ)宮に居られて、
天下を治めたのである。
この(帯中津日子)天皇が、
大江(オホエ)皇子の娘の
大中津比売(オホナカツヒメ)命(大中
比売命)を娶り、生んだ御子は、
香坂(カグサカ)皇子、
忍熊(オシクマ)皇子、
2人。
また、(帯中津日子天皇が)
息長帯比売(オキナガタラシヒメ)命
皇后を娶り、生んだ御子は、
品夜和気(ホムヤワケ)命、
次に、大鞆和気(オホトモワケ)命、
亦の名は、品陀和気(ホムダワケ)命、
2人。
この太子の御名が、
大鞆和気(オホトモワケ)命という訳
は、生まれたばかりの時、
鞆(トモ)の肉付きのような腕をし
ていたので、その御名を付けた。
そこで、
(大鞆和気命が、皇后の)腹の中
に居られ、国に立ち向かってい
たことが分かるのである。
この御世(帯中津日子天皇)は、
淡路之屯倉(アハヂノミヤケ)を
定めたのである。

帯中津日子天皇、熊曽国征討途上の筑紫で死去
原文読み口語訳
其太后
息長帯日賣命者
當時 歸神

天皇
坐筑紫之訶志比
將 撃熊曽國之時

天皇
控御琴 而
建内宿祢大臣
沙庭
請神之命

太后 歸神
言 教覺
詔者
西方 有國
金銀 為
目之炎耀種々
珎寶
夛 在其國
吾 今


天皇 荅白
登髙地 見西方者
不見國土
唯 有大海
謂為詐神 而
押退御琴 不控
黙坐
其の太后(オホキサキ)、
息長帯日賣(オキナガタラシヒメ)命は、
時に當たり、神歸(カムガカリ)しき。
故(カレ)、
天皇(スメラミコト)、
筑紫之訶志比(ツクシノカシヒ)に坐
(イマ)し、將に、熊曽(クマソ)國を撃
たむとする時、
天皇(スメラミコト)、
御琴を控(ヒ)きて、
建内宿祢大臣(タケウチスクネオホオミ)、
沙庭(サニハ)に居り、
神の命(ミコトノリ)を請(コ)ひき。
是れに(オ)いて、
太后(オホキサキ)、神歸(カムガカリ)し、
言(コト)、教へ覺(サト)し、
詔(ノ)りしくは、
「西方、國有り、
金(クカネ)銀(シロカネ)、(モト)と為
し、目の炎耀(カガヤ)く種種(クサ
グサ)の珍しき寶(タカラ)、
夛(サハ)に、其の國に在り。
吾(ア)、今、
(脱字 「神歸」)(カム
ガカリ)せる。」 と。
(シカ)くして、
天皇(スメラミコト)、荅(コタ)へ白さく、
「髙き地に登り、西方を見れば、
國土(クニ)を見ず、
唯、大海(オホミ)有り。
詐(イツハ)り為す神と謂ふ。」 とて、
御琴を押し退(ノ)け、控(ヒ)かず、
黙(モダ)し坐(イマ)しき。
その皇后、
息長帯日売(オキナガタラシヒメ)命は、
当時、神懸っていた。
それで、(帯中津日子)天皇が、
筑紫之訶志比(ツクシノカシヒ)宮に居
られて、熊曽(クマソ)国を討とう
とする時、(帯中津日子)天皇が、
御琴を弾き、建内宿祢大臣(タケ
ウチスクネオホオミ)が、神殿の庭に
居て、(皇后に)神託を求めた。
そして、
(息長帯日売命)皇后は、
神懸りし、神託で教え諭(サト)し、
「西方に、国が在り、金銀を始め、
目にも眩しい種々の珍しい宝が、
沢山、その国に在る。
私は、今、神懸りしている。」
と語った。
そこで、
(帯中津日子)天皇は、答え、
「高い所に登って西方を見たが、
国は見えず、唯、大海が有るのみ。
嘘つきな神である。」
と申して、
御琴を押しのけ、(琴を)弾かず、
黙って居られた。

【補足】
下記 「新羅国」 は、
筑紫之訶志比宮(筑紫国糟屋
香椎)の北方に在るので、上記
神託には、意図的な錯誤がある。

其神 大 忿

 天下者
汝 非應和國

汝者 向一道


建内宿祢大臣

恐我天皇
猶 阿
其大御琴
【自阿至
以音】

稍 取依其御琴
而 那摩那摩迩
【此五字 以音】
控坐

未幾久 而
御琴之音
即 火 見者
既 崩訖

驚懼 而
坐殯 更
取國之大奴佐 而
【奴佐二字
以音】
種々求
生剥
逆剥
阿離
溝埋
屎戸
上通下通婚
馬婚
牛婚
鷄婚
犬婚
之罪類

為國之大祓 而
亦 建内宿祢
沙庭
請神
(シカ)くして、
其の神、大(オホ)いに、忿(イカ)り、
詔(ノ)りしく、
(オヨ)そ、(コ)の天下(アメシモ)
は、汝(ナ)、國を和(ヤハ)すべきに
非ず。
汝(ナ)は、一道(ヒトミチ)に向かへ。」
と。
是れに(オ)いて、
建内宿祢大臣(タケウチスクネオホオミ)、
白さく、
「恐(カシコ)き我が天皇(スメラミコト)、
猶、其の大御琴(オホミコト)を
()(アソバセ)。」 と。
【「阿」 より 「」 に至り、
音を以ってす】
(シカ)くして、
稍(ヤヤ)く、其の御琴を取り依せ
て、那摩那摩迩(ナマナマニ)、
【此の五字、音を以ってす】
控(ヒ)き坐(イマ)しき。
故(カレ)、
未だ幾久しくあらずて、
御琴の音(ネ)をかず。
即ち、火を(ア)げて見れば、
既に、崩(カムザ)り訖(ヲ)はりぬ。
(シカ)くして、
驚き懼(オソ)れて、
殯(モガリ)に坐(イマ)し、更に、
國の大奴佐(オホヌサ)を取りて、
【「奴佐」 二字、
音を以ってす】

生剥(イケハギ)、
逆剥(サカハギ)、
()離(アハナチ)、
溝埋(ミゾウメ)、
屎戸(クソヘ)、
上通下通婚(オヤコクナガヒ)、
馬婚(ウマクナガヒ)、
牛婚(ウシクナガヒ)、
鷄婚(トリクナガヒ)、
犬婚(イヌクナガヒ)
の罪類(ツミタグヒ)
を種種(クサグサ)に求(マ)ぎ、
國の大祓(オホハラヘ)を為して、
亦、建内宿祢(タケウチスクネ)、
沙庭(サニハ)に居り、神
()
(ミコトノリ)を請(コ)ひき。
そこで、
その(皇后に憑依した)神は、
大層、怒って、
「およそ、この天下では、あなた
(帯中津日子天皇)が、(この)
を平定するべきではない。
死の国への道に向かえ。」
と語った。
そして、建内宿祢大臣(タケウチスク
ネオホオミ)が、
「畏れ多い我が天皇、更に、
その大御琴を弾いて下さい。」
と申した。
そこで、(帯中津日子天皇は)
ようやく、その御琴を引き寄せ
て、生半可に、弾いて居られた。
それで、
長く続かないうちに、
御琴の音が聞こえなくなった。
直に、灯を持ち上げて見ると、
既に、(天皇は)死去していた。
そこで、
驚き惧れて、(天皇を)
殯(モガリ)宮に安置し、更に、
国の供え物を取り集めて、
馬革の生剥(イキハギ)、
馬革の逆剥(サカハギ)、
畔壊し(アハナチ)、
水路埋め(ミゾウメ)、
祭場穢し(クソヘ)、
近親相姦(オヤコクナガヒ)、
馬姦(ウマクナガヒ)、
牛姦(ウシクナガヒ)、
鶏姦(トリクナガヒ)、
犬姦(イヌクナガヒ)
の罪状をいろいろ列挙して、
国の大祓(オホハラヘ)をして、
また、建内宿祢(タケウチスクネ)が、
神殿の庭に居て、
(皇后に)神託を求めた。

【補足】
息長帯日売」 皇后は、神懸った
自分が発する神託を聞く役に、
前の天皇の時から、信頼のある
建内宿祢」 大臣を選び、
今の 「帯中津日子」 天皇を、
神罰として、暗殺するために、
建内宿祢」 大臣に協力させた。

教覺之状
具 如先日
 此國者
坐汝命御腹之御子
所知國者也

建内宿祢 白
恐我大神
坐其神腹之御子
何子歟
荅詔
男子也

其 請之
今 如此
言教之大神者
欲知其御名
即 荅詔
是 天照大神
之御心者 亦
底箇男
中箇男
上箇男
三柱大神者也
此時
其三柱大神也御名
者 頭也
今 寔
思求其國者
天神地祇
亦 山神及河海之
諸神 悉
奉幣帛
我之御魂
坐于舩上 而
真木灰 納瓠
亦 箸及比羅
【此三字 以音】
夛作
皆皆 散浮大海
以 可度
是れに(オ)いて、
教へ覺(サト)す状(サマ)は、
具(ツブサ)に、先の日の如く、
(オヨ)そ、此の國は、
汝(ナ)命の御腹に坐(イマ)す御子
の知らしし國也。」 と。
(シカ)くして、
建内宿祢(タケウチスクネ)、白さく、
「恐(カシコ)き我が大神、
其の神腹に坐(イマ)す御子、
何れの子歟(カ)。」 と。
荅(コタ)へ詔(ノ)りしく、
「男子(ヲノコゴ)也。」 と。
(シカ)くして、
()(ツブサ)に、請(コ)ひしく、
「今、此(カク)の如き、
言(コト)教への大神は、其の御名
を知らむと欲(ホッ)す。」 と。
即ち、荅(コタ)へ詔(ノ)りしく、
「是れ、天照(アメテラス)大神
の御心は、亦、
底箇男(ソココノヲ)、
中箇男(ナカコノヲ)、
上箇男(カミコノヲ)、
三柱の大神也。」 と。
此の時、
其の三柱の大神也
()(ノ)御名
は、頭
()(アラ)はるる也。
「今、寔(マコト)に、
其の國を求めむと思はば、
天神地祇(アメカミクニカミ)
亦、山神及び河海(カハミ)の
諸(モロ)神に、悉(コトゴト)く、
幣帛(ミテグラ)を奉(タテマツ)り、
我の御魂(ミタマ)、
舩上(フネカミ)に坐(イマ)して、
真木(マキ)灰、瓠(ヒサゴ)に納め、
亦、箸及び比羅(ヒラデ)、
【此の三字、音を以ってす】
夛(サハ)に作り、
皆皆、大海(オホウミ)に散り浮かべ、
以って、度(ワタ)る可し。」 と。
そして、(神託が)教え諭した様
子は、全く、先日のように、
「およそ、この国は、貴命(皇后)
の御腹に居られる御子が治める
国である。」 とのことである。
そこで、建内宿祢(タケウチスクネ)は、
「畏れ多い我が大神、その神
(息長帯日売命)の腹に居られる
御子は、男女どちらか。」
と申すと、(神託は)答え、
「男子である。」 と語った。
そこで、
(建内宿祢が)詳しく、求め、
「今、このような神託で教える
大神は、その御名を知りたいと
思う。」 と申すと、
(神託は)直に、答え、
「これ、天照(アメテラス)大御神
の御心は、また、底箇男(ソココノヲ)、
中箇男(ナカコノヲ)、上箇男(カミコノヲ)
3大神である。」 と語り、
この時、その3大神の御名が、
明らかになったのである。
「今、本当に、その(西方の)国を
求めようと思うならば、
天神地祇(アメカミクニカミ)、
また、山神や河海の神々全てに、
供え物を奉げ、
自分(天照大御神)の御魂(ミタマ)
を船上に鎮座させて、
槙(マキ)の灰を瓢(ヒサゴ)に入れ、
また、箸と葉の器を沢山作り、
それらを全部、大海に散らし浮
かべて、(西方に)渡るように。」
と語った。

【補足】
建内宿祢」 が聞いた神託は、
息長帯日売」 皇后の腹に居る
御子(胎中天皇)が国を治めるこ
とだが、「帯中津日子」 天皇の子
でなく、「建内宿祢」 大臣の子。

息長帯日売命(神功皇后)の韓地侵攻と太子誕生
原文読み口語訳

 如教覺

雙舩
度幸之時
海原之魚
大小 悉
貭御舩 而 渡

順風 大 起
御舩 従浪

其御舩之波瀾
押騰新羅之國
既 到半國

其國王
畏惶
奏言
自今 以後
随天皇命

為御馬甘
毎年 雙舩
不乾舩腹
不乾
共与天地 無退
仕奉
故 是以
新羅國者
定御馬甘
百済國者
定渡屯家

以其御杖
衝立新羅國主之

即 以墨江大神之
御魂
為國守神 而
祭鎮 還渡也
故(カレ)、
(ツブサ)に、教へ覺(サト)すが如
く、軍(イクサ)を
()へ、
舩を雙(ナラ)べ、
度(ワタ)り幸(イデマ)す時、
海原(ワタノハラ)の魚(イヲ)、
大き小さきをはず、悉(コトゴト)
く、御舩を貭
()ひて、渡しき。
(シカ)くして、
順風(オヒカゼ)、大(オホ)いに、起こ
り、御舩、浪に従ひき。
故(カレ)、
其の御舩の波瀾(ナミ)、
新羅(シラギ)の國に押し騰がり、
既に、國の半(ナカバ)に到りき。
是れに(オ)いて、
其の國王(クニキミ)、
畏(カシコ)み惶(オソ)れ、
奏(スス)み言ひしく、
「今より以後(ノチ)、
天皇命(スメラミコトミコトノリ)の随(マニマ)
にして、
御馬甘
()(ミマカヒ)と為し、
年毎に、舩を雙(ナラ)べ、
舩腹(フネハラ)を乾(ホ)さず、
(カジサヲ)を乾(ホ)さず、
天地(アメツチ)と共に、退(シサ)り無
く、仕へ奉(タテマツ)らむ。」 と。
故(カレ)、是れを以って、
新羅(シラギ)國は、
御馬甘(ミマカヒ)と定め、
百済(クタラ)國は、
渡屯家(ワタリミヤケ)と定めき。
(シカ)くして、
其の御杖を以って、
新羅(シラギ)國主(コニキシ)の
(カド)に衝き立て、
即ち、墨江(スミノエ)大神の
()
御魂(アラミタマ)を以って、
國守(クニモリ)神と為して、
祭り鎮(シヅ)め、還り渡りき也。
それで、(神託が、建内宿祢に)
詳しく、教え諭したように、
(皇后が)兵士を整え、船を並べ、
渡海して行かれる時、
海原(日本海)の魚が、
大小を問わず、全部、
御船を背負って、(海を)渡した。
そこで、
追い風が、盛んに吹いて、
御船は波のままに進んだ。
それで、
その御船を載せた波は、
新羅(シラギ)の国に押し上がり、
すっかり、国の中にまで達した。
そして、
その国王は、
畏み恐れ、(皇后に)奏上し、
「今より後は、天皇(皇后の御子)
の命令に従って、
(新羅国は)御馬飼(ミマカヒ)とし
て、毎年、(貢物の)船を並べ、
船の腹を乾かさず、
舵と竿を乾かさず、
天地のままに、怠ることなく、
仕え奉げよう。」 と言った。
それで、そこで、
(皇后は)新羅(シラギ)国は、
御馬飼(ミマカヒ)と定め、
百済(クタラ)国は、
外地の屯倉(ミヤケ)と定めた。
そこで、
その(皇后の)御杖を、新羅(シラ
ギ)国王の門につき立て、
直に、墨江(スミノエ)大神の荒御魂
を、国守(クニモリ)神として、鎮め
祭り、渡海帰還したのである。

【補足】
息長帯日売」 皇后は、将来誕
生する御子天皇代行として、「
羅国
百済国」 を属国とした。

其政 未竟之
其懐妊 臨産
即 為鎮御腹
取石 以
纒御裳之腰 而
渡笠紫國
其御子者 阿礼坐
【阿礼二字
以音】

号其御子生地
謂宇
亦 所纒其御裳之
石者
在筑紫國之伊計村

亦 到坐筑紫末羅
縣之玉嶋里 而

御食其河邊之時
重複 (之時)
當四月之上旬

坐其河中之礒
拔取御裳之糸
以飯粒
為餌
釣其河之年魚
其河名 謂小河
亦 其礒名
謂勝比賣也

四月上旬之時
女人 拔裳糸
以粒
為餌
釣年魚
至于今 不
故(カレ)、
其の政(マツリゴト)、竟(ヲ)へぬ
其の懐妊(ミゴモリ)、産むに臨み、
即ち、御腹を鎮めむと為し、
石を取り、以って、
御裳(ミモ)の腰に纒(マ)きて、
()紫(チクシ)國に渡り、
其の御子は、阿礼(アレ)坐(イマ)す。
【「阿礼」 二字、
音を以ってす】
故(カレ)、
其の御子の生まれ地を号(ナヅ)
け、宇(ウミ)と謂ふ也。
亦、其の御裳(ミモ)に纒(マ)きし
石(イハ)は、
筑紫(ツクシ)國の伊計
()(イト)村
に在る也。
亦、筑紫末羅縣之玉嶋(ツクシマツラ
アガタノタマシマ)里に
到り坐(イマ)して、
其の河邊(カハヘ)に御食(ミオ)す時、
重複 (その時)
四月之上旬(ウツキハジメ)に當たる。
(シカ)くして、
其の河中の礒(イソ)に坐(イマ)し、
御裳(ミモ)の糸を拔き取り、
飯粒(イヒボ)を以って、
餌(エ)と為し、
其の河の年魚(アユ)を釣りき。
其の河名、小河(ヲカハ)と謂ひ、
亦、其の礒(イソ)名、
比賣(カチドヒメ)と謂ふ也。
故(カレ)、
四月上旬(ウツキハジメ)の時、
女人(ヲミナ)、裳糸(モイト)を拔き、
(脱字 「飯」)粒(イヒボ)を以って、
餌(エ)と為し、
年魚(アユ)を釣ること、
今に至り、(タ)えざる也。
それで、
その遠征が、まだ終わらない間
に、その身籠っていた御子が生
まれそうになり、(皇后は)直に、
産気を抑えようと、石を取り、衣
裳の腰に巻いて、(新羅国から)
筑紫(ツクシ)国に渡海し、
その御子は、生まれられた。
それで、
その御子が生まれた地を名づけ、
宇美(ウミ)(筑紫国糟屋)と謂う
のである。
また、その衣裳に巻いた石は、
筑紫(ツクシ)国の伊討(イト)村
(筑紫国怡土)に在るのである。
また、筑紫末羅県(ツクシマツラアガタ)
の玉島(タマシマ)里(肥前国松浦)
に着かれて、その川辺で食事を
した時は、4月上旬であった。
そこで、
その川中の磯に居られ、衣裳の糸
を抜きとって、飯粒を餌にして、
その川の鮎を釣った。
その川の名は、小川(ヲガハ)と謂
い、また、その磯の名は、勝門比
売(カチドヒメ)と謂うのである。
それで、
4月上旬の時、
女人が、衣裳の糸を抜き、
飯粒を餌にして、鮎を釣ること
が、今でも、絶えないのである。

【補足】
息長帯日売」 皇后は、韓地から
筑紫国に、渡海して帰還し、
宇美(筑紫国糟屋)で御子
(胎中天皇)を産んだ後、
玉島(肥前国松浦)に行くも、
熊曽国」 征討は、中止。

香坂皇子忍熊皇子による反逆 (難波⇒山背⇒近江)
原文読み口語訳

息長帯日賣命
倭 還上之時
固疑人心
一具喪舩
御子 載其喪舩
先 令言漏之
御子 既 崩
是れに(オ)いて、
息長帯日賣(オキナガタラシヒメ)命、
倭(ヤマト)に、還り上(ノボ)りし時、
人心疑はしきに固
()り、
喪舩(モフネ)を一つ具(ソナ)へ、
御子、其の喪舩(モフネ)に載せ、
先ず、之を言ひ漏(モラ)しめき。
「御子、既に、崩(カムザ)りぬ。」と。
そして、
息長帯日売(オキナガタラシヒメ)命は、
(大和)(ヤマト)に帰り上る時、
人の反逆心が疑わしいので、
(棺のある)喪船を一つ準備し、
その喪船に御子を乗せ、先ず、
「御子は、もう死去した。」 と、
漏れているように言わせた。
如此
上幸之時
香坂王
忍熊王  而
思將待取
進出斗賀野
為宇氣比

香坂王
騰坐木 而 是
大怒猪 出
堀其
即 咋食其香坂王

其弟 忍熊王
不畏其態
興軍 待向之時
赴喪舩
將 攻空舩

自其喪舩
下軍 相戦
此時 忍熊王
以難波吉師部之祖
伊佐比宿祢
為將軍
太子御方者
以丸迩臣之祖
難波根子建振熊命

為將軍

追退 到山代之時
還立
各 不退 相戦
此(カク)の如く、
上(ノボ)り幸(イデマ)す時、
香坂(カゴサカ)王(ミコ)、
忍熊(オシクマ)王(ミコ)、きて、
將に、待ち取らむと思ひ、
斗賀野(トガノ)に進み出(イ)で、
宇氣比(ウケヒガリ)為しき也。
(シカ)くして、
香坂(カゴサカ)王(ミコ)、木(クヌギ)
に騰(ノボ)り坐(イマ)して、是れ、
大(オホ)き怒り猪(イ)、出(イ)で、
其の木(クヌギ)を堀
()り、
即ち、其の香坂(カゴサカ)王(ミコ)
を咋(クヒ)食(ハ)みき。
其の弟(オト)、忍熊(オシクマ)王(ミコ)、
其の態(サマ)を畏(オソ)れず、
軍(イクサ)を興し、待ち向かへし
時、喪舩(モフネ)に赴き、
將に、空舩(カラフネ)を攻めむとす。
(シカ)くして、
其の喪舩(モフネ)より、
軍(イクサ)を下(クダ)し、相戦ふ。
此の時、忍熊(オシクマ)王(ミコ)、
難波吉師部(ナニハキシベ)の祖(オ
ヤ)、伊佐比宿祢(イサヒスクネ)を
以って、將軍(イクサノキミ)と為し、
太子御方(ヒツギノミコミカタ)は、
和迩臣(ワニオミ)の祖(オヤ)、
難波根子建振熊(ナニハネコタケフル
クマ)命を以って、
將軍(イクサノキミ)と為す。
故(カレ)、
追ひ退(ノ)け、山代(ヤマシロ)に到り
し時、還り立ち、
各(オノオノ)、退(ノ)かず、相ひ戦ふ。
このように、(息長帯日売命皇后
は、都に)上り行かれる時、
香坂(カゴサカ)皇子忍熊(オシクマ)皇
子が、(皇后の御子死去の噂を)
聞いて、
(皇后を)待ち受け捕らえよ
う。」 と思い、
兎我野(トガノ)(摂津国西成)に進
出し、吉凶を占う祈狩(ウケヒガリ)
をしたのである。
そこで、
香坂(カゴサカ)皇子が、櫪(クヌギ)
に登られると、猛しい大猪が、出
て、その櫪(クヌギ)を掘り、直に、
その香坂(カゴサカ)皇子を食った。
その弟の忍熊(オシクマ)皇子は、
その様子を恐れず、
軍勢を整え、待ち構え迎えた時、
(棺を乗せた)喪船に向かい、
偽り船を攻めようとした。
そこで、
(皇后は、御子の)喪船から、
軍勢を出し、互いに戦い合った。
この時、忍熊(オシクマ)皇子は、難
波吉師部(ナニハキシベ)の祖先の伊
佐比宿祢(イサヒスクネ)を将軍とし、
(皇后の)太子の方は、和迩臣(ワ
ニオミ)の祖先の難波根子建振熊
(ナニハネコタケフルクマ)命を将軍とした。
それで、
(皇后の御子太子軍は、敵の忍熊
皇子軍を)追い退け、
山背(ヤマシロ)まで行った時、
(忍熊皇子軍は)立て直し、各軍、
互いに退かず、戦い合った。

建振熊命
権 而 令云
息長帯日賣命者
既 崩故
無可更戦
即 弓絃
欺陽 歸服

其將軍
既 信詐
弭弓
蔵兵

自頂髮中
採出設弦
更 張 追撃

逃退逢坂
對立 亦 戦

追迫 敗
出沙々那
悉 斬其軍

退
其忍熊王与
伊佐比宿祢
共被追迫
垂舩 浮海
歌 曰
 伊奢阿藝
 布流玖麻賀
 伊夛弖淤波受波
 梯理能
 阿布能宇
 迦豆岐那和

即 入海 共死也
(シカ)くして、
建振熊(タケフルクマ)命、
権(ハカ)りて、云はしめ、
「息長帯日賣(オキナガタラシヒメ)命は、
既に、崩(カムザ)りぬが故(ユエ)、
更に戦ふ可き無し。」 と。
即ち、弓絃(ユヅル)を(タ)ち、
欺陽(イツハ)り、歸服(マツロ)ひぬ。
是れに(オ)いて、
其の將軍(イクサノキミ)、
既に、詐(イツハ)りを信(ウ)け、
弓を弭(ハヅ)し、
兵(ツハモノ)を蔵(ヲサ)めき。
(シカ)くして、
頂髮(タブサ)の中より、
設弦(マケツル)を採り出(イ)だし、
更に、張り、追ひ撃ちき。
故(カレ)、
逢坂(アフサカ)に逃げ退(ノ)き、
對(ムカ)ひ立ち、また、戦ひき。
(シカ)くして、
追ひ迫(セ)め、敗り、
沙沙那(ササナミ)に出(イ)で、
悉(コトゴト)く、其の軍(イクサ)を
斬りき。
退(ノ)きに(オ)いて、
其の忍熊(オシクマ)王(ミコ)と
伊佐比宿祢(イサヒスクネ)、
共に追ひ迫(セ)めらへ、
舩に垂
()り、海に浮び、
歌ひ、曰く。
 伊奢阿藝(イザアギ)
 布流玖麻賀(フルクマガ)
 伊夛弖淤波受波(イタテオハズハ)
 
()理能(ニホドリノ)
 阿布能宇迩(アフミノウミニ)
 迦豆岐那和(カヅキセナワ)

即ち、海に入り、共に死にき也。
そこで、
(太子軍の将軍、難波根子)建振
熊(タケフルクマ)命は、計略を巡らし、
「息長帯日売(オキナガタラシヒメ)命
(皇后)は、既に、死去したので、
もう戦う必要はない。」 と言わ
せ、直に、弓の弦を断ち切り、
偽りで、降伏した。
そして、
その(忍熊皇子軍の)将軍(伊佐
比宿祢)は、すっかり嘘を信じ、
弓の弦を外し、武器を収めた。
そこで、
(太子軍は)束ねた髪の中から、
予備の弦を取り出し、
再び、弓に張り、追撃した。
それで、
(忍熊皇子軍は)逢坂(アフサカ)に
退却し、対峙し、また、戦った。
そこで、
(皇后の太子軍は)追撃して敗り
沙沙那美(ササナミ)(近江国滋賀)
に出て、すべて、敵軍を斬った。
退却で、その忍熊(オシクマ)皇子と
伊佐比宿祢(イサヒスクネ)は、
共に追い攻められ、船に乗り、
(近淡)(琵琶湖)に浮かんで、
歌い、次の通り。
 いざ吾君(アギ)、振熊(フルクマ)が
 痛手負はずは、鳰鳥(ニホドリ)の
 淡海の海に、潜(カヅ)きせなわ

直に、海に入り死んだのである。

【補足】
敵将軍 「伊佐比宿祢」 辞世歌
 吾が君よ、敵の建振熊(タケフルク
 マ)に、痛手を負わせられなくて
 近淡海の海(琵琶湖)に潜ろう

太子後見人、建内宿祢大臣 (近江⇔敦賀⇔都)
原文読み口語訳

建内宿祢命
其太子
為將 禊 而
淡海及若狭國
之時
髙志前之角鹿
造假 而 坐

坐其地 伊奢沙和
氣大神之命
見 夜夢 云
以吾名 欲易御子
之御名

 白之
恐 随命
易奉
亦 其神 詔
明日之旦
應幸
獻易名之幣


其旦
幸行于之時
毀鼻入鹿魚
既 依一浦

御子 令白于神云
我 給御食之魚

故 亦
稱其名
號御食津大神

故 
謂氣比大神也
亦 其入鹿魚之鼻
血 
号其浦
謂血浦
今 謂都奴賀也
故(カレ)、
建内宿祢(タケウチスクネ)命、
其の太子(ヒツギノミコ)を(ヒキ)ひ、
將に、禊(ミソギ)せむと為して、
(脱字 「近」)淡海(チカツアフミ)及び
若狭(ワカサ)國を(ヘ)し時、
髙志前之角鹿(コシサキノツヌガ)に、
假(カリ)を造りて、坐(イマ)しき。
(シカ)くして、
其の地に坐(イマ)す伊奢沙和氣
(イザサワケ)大神の命、
夜の夢に、見て、云ひしく、
「吾(ア)が名を以って、御子の御
名を易(カ)えむと欲(ホッ)す。」 と。
(シカ)くして、
(コトホ)ぎ、白さく、
「恐(カシコ)き、命(ミコトノリ)の随(マニ
マ)に、易(カ)へ奉(タテマツ)る。」 と。
亦、其の神、詔(ノ)りしく、
「明日の旦(アシタ)に、
()に幸(イデマ)すべし。
名を易(カ)へる幣(ヌサ)を獻(タテ
マツ)る。」 と。
故(カレ)、
其の旦(アシタ)、
()に幸行(イデマ)しし時、
鼻を毀(コボ)せし入鹿魚(イルカ
イヲ)、既に、一浦に依(ヨ)りき。
是れに(オ)いて、
御子、神に白さしめ、云ひしく、
「我に、御食(ミケ)の魚(イヲ)を
給へり。」 と。
故(カレ)、亦、
其の名を稱(タタ)へ、
御食津(ミケツ)大神
と號(ナヅ)けき。
故(カレ)、今に(オ)いて、
氣比(ケヒ)大神と謂ふ也。
亦、其の入鹿魚(イルカイヲ)の鼻血、
()(クサ)きが故(ユエ)、
其の浦を号(ナヅ)け、
血浦(チウラ)と謂ひ、
今、都奴賀(ツヌガ)と謂ふ也。
それで、
建内宿祢(タケウチスクネ)命は、
その(皇后の)太子を連れ、
禊をしようとして、
近淡海(チカツアフミ)(近江)と若狭
(ワカサ)国を通り過ぎた時、越前之
角鹿(コシサキノツヌガ)(越前国敦賀)
に、仮宮を造って、居られた。
そこで、
その地に居られる伊奢沙和気
(イザサワケ)大神の命が、
(建内宿祢命の)夜の夢に現れ、
「私の名で、(皇后の)御子の御
名を替えたい。」 と云った。
そこで、
(伊奢沙和気大神を)祝福して、
「畏れ多い、神託に従い、(御名
)替え奉げる。」 と申した。
また、(伊奢沙和気大)神が、
「明日の朝、(皇后の御子は)
浜に行かれるよう。
名を替える贈り物を献上する。」
と語った。
それで、
その翌朝、(皇后の御子が)
浜に行かれた時、
鼻を傷つけたイルカが、
すっかり、浦一面に寄って来た。
そして、(皇后の)
御子は、神に申し上げさせ、
「私に、食料のイルカを
下さった。」 と云った。
それで、また、
その名(伊奢沙和気大神)を讃
え、御食津(ミケツ)大神
と名づけた。
それで、今では、
気比(ケヒ)大神と謂うのである。
また、そのイルカの鼻血が、
臭かったので、
その浦を名づけ、
血浦(チウラ)と謂い、今、
都奴賀(ツヌガ)と謂うのである。

還上 坐時
其御祖
息長帯日賣命
釀待酒
以 獻

其御祖 御歌 曰
 許能岐波
 和賀岐那良受
 久志能加
 登許余迩伊麻

 伊波夛々
 々久那迦微能

 加牟菩岐
 玖琉

 登余
 
 麻都理許斯
 岐敘
 阿佐受袁
 佐々

如此 歌 而
獻大御酒

建内宿祢命
為御子 荅
歌 曰
 許能岐袁
 祁牟比登波
 曽能都豆
 迩夛弖々
 宇夛比都々
 迦祁礼迦

 麻比都々
 祁礼加
 許能岐能
 岐能阿夜迩
 宇夛怒斯
 佐々

此者 酒楽之歌也
是れに(オ)いて、
還り上(ノボ)り、坐(イマ)す時、
其の御祖(ミオヤ)、
息長帯日賣(オキナガタラシヒメ)命、
待酒(マチザケ)を釀(カ)み、
以って、獻(タテマツ)りき。
(シカ)くして、
其の御祖(ミオヤ)、御歌、曰く。
 許能岐波(コノミキハ)
 和賀岐那良受(ワガミキナラズ)
 久志能加(クシノカミ)
 登許余迩伊麻
()(トコヨニイ
 マス)
 伊波夛夛
()(イハタタス)
 
()久那迦微能(スクナミカ
 ミノ)
 加牟菩岐(カムホキ)
 
(脱字 「岐」)玖琉斯(ホキ
 クルホシ)
 登余岐(トヨホキ)
 斯(ホキモトホシ)
 麻都理許斯(マツリコシ)
 岐敘(ミキゾ)
 阿佐受袁(アサズヲセ)
 佐佐(ササ)

此(カク)の如く、歌ひて、
大御酒(オホミキ)を獻(タテマツ)りき。
(シカ)くして、
建内宿祢(タケウチスクネ)命、
御子の為に、荅(コタ)へ、
歌ひ、曰く。
 許能岐袁(コノミキヲ)
 祁牟比登波(カミケムヒトハ)
 曽能都豆(ソノツヅミ)
 
()迩夛弖弖(ウスニタテテ)
 宇夛比都都(ウタヒツツ)
 
(脱字 「)祁礼迦(カミ
 ケレカモ)
 麻比都都(マヒツツ)
 祁礼加(カミケレカモ)
 許能岐能(コノミキノ)
 岐能阿夜迩(ミキノアヤニ)
 宇夛怒斯(ウタダノシ)
 佐佐(ササ)

此れは、酒楽(サカクラ)の歌也。
そして、(皇后の御子が)
都に帰って、居られた時、
その母君の
息長帯日売(オキナガタラシヒメ)命
(皇后)が、待ち酒を醸造して、
(皇后の御子に)献上した。

そこで、
その母君の御歌は、次の通り。
 この御酒は、我が御酒ならず
 酒(クシ)の司(カミ)、常世に坐す
 石立たす、少名(スクナ)御神の
 神寿(カムホ)き、寿(ホ)きくるほし
 豊寿(トヨホ)き、寿(ホ)きもとほし
 奉(マツ)りこし、神酒ぞ
 飽(ア)さず、食(ヲ)せ、ささ

このように、歌って、
大御酒(オホミキ)を献上した。

そこで、建内宿祢(タケウチスクネ)命は
(皇后の)御子に代わって、答え、
歌い、次の通り。
 この神酒を、醸(カ)みけむ人は
 その鼓、臼(ウス)に立てて、
 歌ひつつ、醸(カ)みけれかも
 舞ひつつ、醸(カ)みけれかも
 この神酒の、神酒の奇(アヤ)に、
 歌、楽(ダノ)し、ささ

これは、酒を楽しむ歌である。

【補足】
息長帯日売」 の太子の歓迎歌
(後見人 「建内宿祢」 の歓迎)
 この御酒は、私が作らず
 常世国の少名(スクナ)御神が
 進呈して来た神酒だよ
 どうぞ、飲み乾せ、さあ

後見人 「建内宿祢」 の返歌
(息長帯日売」 の太子の代行)
 この神酒を醸した人は
 鼓を臼に仕立てて、歌いながら
 舞いながら、醸したかも
 この神酒の不思議さに
 歌を楽しもう、さあ

帯中津日子天皇之
御年 伍拾貮歳
壬戌年六月十一日
崩也
御陵 在河内恵賀
之長江也
皇后
御年 一百歳 崩
葬于狭城楯別陵
(オヨ)そ、
帯中津日子天皇(タラシナカツヒコスメラ
ミコト)の御年、伍拾貮歳、
壬戌(ミズノエイヌ)年六月(ミナツキ)
十一日、崩(カムザ)る也。
御陵(ミサザキ)、河内恵賀(カハチエガ)
の長江(ナガエ)に在る也。
皇后(オホキサキ)、
御年、一百歳、崩(カムザ)り、
狭城楯別
()(サキタタナミ)陵(ミサ
ザキ)に葬りき也。
およそ、
帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇
(仲哀天皇)の御年、52歳、
壬戌(ミズノエイヌ)年611日に、
死去したのである。
御陵は、河内恵賀(カハチエガ)の
長江(ナガエ)に在るのである。
(神功)皇后は、
御年、100歳で、死去し、
狭城楯列(サキタタナミ)陵(河内国
志紀)に葬ったのである。


4.1.15 第15代 応神天皇 品陀和気天皇

品陀和気天皇の御子
原文読み口語訳
和氣命
坐輊嶋之明
治天下也
此天皇
娶品色真若王
【品色二字
以音】
之女 三柱女王
一名
髙木之入日賣命
次 中日賣命
次 弟日賣命
此女王等之父
品色王真若王

五百木之入日子命
娶尾連之祖
建伊那宿祢之女
志理都紀斗賣
生子者也

髙木之入日賣之子
額田大中日子命
次 大山守命
次 伊奢之真若命
【伊奢二字
以音】
次 妹大原郎女
次 髙目郎女
五柱
中日賣命之御子
木之田郎女
次 大雀命
次 根鳥命
三柱
弟日賣命之御子
阿倍郎女
次 阿具知能
【此四字 以音】
三腹郎女
次 木之菟野郎女
次 三野郎女
五柱
又 娶丸迩之比布
礼能意冨之女
【自比至
以音】
名 主矢河枝比
賣 生御子
宇遅能和紀郎女

次 妹八田若郎女
次 女鳥王
三柱
又 娶其矢河枝比
賣子弟
袁那弁郎女
生御子
宇遅之若郎女
一柱
又 娶咋毛俣長日
子王之女
息長真若中比賣
生御子
若沼毛二俣王
一柱
又 娶櫻井田部連
之祖 嶋垂根之女
糸井比賣
生御子
速総別命
一柱
又 娶日向之泉長
比賣 生御子
大羽江王
次 小羽江王
次 日之若郎女
三柱
又 娶迦具漏比賣
生御子
川原田郎女
次 玉郎女
次 忍坂大中比賣
次 登冨志郎女
次 迦夛遅王
五柱
又 娶葛城之
野伊
【此三字 以音】
生御子
伊奢能麻和迦王
一柱
此天皇之御子等
并 廿六王
男王 十一
女王 十五
此中 大雀命者
治天下也
和氣(ホムダワケ)命、輊嶋之明
(カルシマノアキラ)に坐(イマ)し、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
此の天皇(スメラミコト)、
品色
()真若(ホムダマワカ)王(ミコ)
【「品色
()」 二字、
音を以ってす】
の女(ヲミナ)、三柱の女王(ヲミナミコ)、
一名、
髙木之入日賣(タカギノイリヒメ)命、
次、中日賣(ナカヒメ)命、
次、弟日賣(オトヒメ)命、を娶り、
此の女王(ヲミナミコ)等の父(カソ)、
品色
()真若(ホンダマワカ)王(ミコ)
は、
五百木之入日子(イホキノイリヒコ)命、
(脱字 「張」)連(ヲハリムラジ)の祖
(オヤ)、建伊那宿祢(タケイナダスク
ネ)の女(ヲミナ)、志理都紀斗賣(シリ
ツキトメ)を娶り、生める子也。
故(カレ)、
髙木之入日賣(タカギノイリヒメ)の子、
額田大中日子(ヌカタオホナカヒコ)命、
次、大山守(オホヤマモリ)命、
次、伊奢之真若(イザノマワカ)命、
【「伊奢」 二字、
音を以ってす】
次、妹大原郎女(イモオホハライラツメ)、
次、髙目郎女(コムクイラツメ)、
五柱。
中日賣(ナカヒメ)命の御子、
木之
()田郎女(キノアラタイラツ
メ)、次、大雀(オホサザキ)命、
次、根鳥(ネトリ)命、
三柱。
弟日賣(オトヒメ)命の御子、
阿倍郎女(アベイラツメ)、
次、阿具
()知能(アハチノ)
【此四字、音を以ってす】
三腹郎女(ミハライラツメ)、
次、木之菟野郎女(キノウノイラツメ)、
次、三野郎女(ミノイラツメ)、
()柱。
又、丸迩(ワニ)の比布礼能意冨
(ヒフレノオホミ)の女(ヲミナ)
【「比」 より 「」 に至り、
音を以ってす】
名、主矢河枝比賣(ミヤヌシヤカハ
エヒメ)を娶り、生める御子、
宇遅能和紀郎女
()(ウヂノワキ
イラツコ)、
次、妹八田若郎女(イモヤタワカイラツ
メ)、次、女鳥(メトリ)王(ミコ)、
三柱。
又、其の矢河枝比賣(ヤカハエヒメ)
()弟(オト)、
袁那弁郎女(ヲナベイラツメ)
を娶り、生める御子、
宇遅之若郎女(ウヂノワカイラツメ)、
一柱。
又、咋毛俣長日子(クヒケマタナガヒコ)
王(ミコ)の女(ヲミナ)、
息長真若中比賣(オキナガマワカナカ
ヒメ)を娶り、生める御子、
若沼毛二俣(ワカヌケフタマタ)王(ミコ)、
一柱。
又、櫻井田部連(サクライタベムラジ)
の祖(オヤ)、嶋垂根(シマタリネ)の女
(ヲミナ)、糸井比賣(イトイヒメ)
を娶り、生める御子、
速総別(ハヤフサワケ)命、
一柱。
又、日向(ヒムカ)の泉長比賣(イズ
ナガヒメ)を娶り、生める御子、
大羽江(オホハエ)王(ミコ)、
次、小羽江(ヲハエ)王(ミコ)、
次、日之若郎女(ホバシラヒノワカ
イラツメ)、三柱。
又、迦具漏比賣(カグロヒメ)
を娶り、生める御子、
川原田郎女(カハラタイラツメ)、
次、玉郎女(タマイラツメ)、
次、忍坂大中比賣(オサカオホナカヒメ)、
次、登冨志郎女(トホシイラツメ)、
次、迦夛遅(カタヂ)王(ミコ)、
五柱。
又、葛城(カツラギ)の
野伊賣(ノイロメ)
【此の三字、音を以ってす】
を娶り、生める御子、
伊奢能麻和迦(イザノマワカ)王(ミコ)、
一柱。
此の天皇(スメラミコト)の御子等、
并(アハ)せ、廿六
(廿七)王(ミコ)、
男王(ヲトコミコ)、十一
(十三)
女王(ヲミナミコ)、十五
(十四)
此の中、大雀(オホサザキ)命は、
天下(アメシモ)を治(シラ)しき。
品陀和気(ホムダワケ)命は、軽島之
明(カルシマノアキラ)宮に居られ、
天下を治めたのである。
この(品陀和気)天皇が、
品陀真若(ホムダマワカ)皇子
の娘3人の皇女、
1人の名が、
高木之入日売(タカギノイリヒメ)命、
次に、中日売(ナカヒメ)命、
次に、弟日売(オトヒメ)命、を娶り、
この皇女達の父、
品陀真若(ホムダマワカ)皇子は、
五百木之入日子(イホキノイリヒコ)命
が、尾張連(ヲハリムラジ)の祖先の
建伊那陀宿祢(タケイナダスクネ)の
娘、志理都紀斗売(シリツキトメ)
を娶り、生んだ御子である。
それで、高木之入日売(タカギノ
イリヒメ)命の子は、
額田大中日子(ヌカタオホナカヒコ)命、
次に、大山守(オホヤマモリ)命、
次に、伊奢之真若(イザノマワカ)命、
次に、妹大原郎女(イモオホハライラツメ)
次に、高目郎女(コムクイラツメ)、
5人。
中日売(ナカヒメ)命の御子は、
木之荒田郎女(キノアラタイラツメ)、
次に、大雀(オホサザキ)命、
次に、根鳥(ネトリ)命、
3人。
弟日売(オトヒメ)命の御子は、
阿倍郎女(アベイラツメ)、
次に、阿貝知能三腹郎女(アハチノ
ミハライラツメ)、
次に、木之菟野郎女(キノウノイラツメ)、
次に、美濃郎女(ミノイラツメ)、
4人。

また、(品陀和気天皇が)
和迩(ワニ)の比布礼能意冨美(ヒフ
レノオホミ)の娘、名が、
宮主矢河枝比売(ミヤヌシヤカハエヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)、
次に、妹八田若郎女(イモヤタワカイラツ
メ)、次に、女鳥(メトリ)皇子、
3人。

また、(品陀和気天皇が)その
(宮主)矢河枝比売(ミヤヌシヤカハエヒ
メ)の妹、袁那弁郎女(ヲナベイラツメ)
を娶り、生んだ御子は、
宇遅之若郎女(ウヂノワカイラツメ)、
1人。

また、(品陀和気天皇が)咋毛俣
長日子(クヒケマタナガヒコ)皇子の娘、
息長真若中比売(オキナガマワカナカ
ヒメ)を娶り、生んだ御子は、
若沼毛二俣(ワカヌケフタマタ)皇子、
1人。

また、(品陀和気天皇が)
桜井田部連(サクライタベムラジ)
の祖先、島垂根(シマタリネ)の娘、
糸井比売(イトイヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
速総別(ハヤフサワケ)命、
1人。

また、(品陀和気天皇が)日向
(ヒムカ)の泉長比売(イズナガヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
大羽江(オホハエ)皇子、
次に、小羽江(ヲハエ)皇子、
次に、日之若郎女(ホバシラヒノワカ
イラツメ)、3人。

また、(品陀和気天皇が)
迦具漏比売(カグロヒメ)
を娶り、生んだ御子は、
川原田郎女(カハラタイラツメ)、
次に、玉郎女(タマイラツメ)、
次に、忍坂大中比売(オサカオホナカヒ
メ)、次に、登冨志郎女(トホシイラツメ)、
次に、迦多遅(カタヂ)皇子、
5人。

また、(品陀和気天皇が)
葛城(カツラギ)の野伊呂売(ノイロメ)
を娶り、生んだ御子は、
伊奢能麻和迦(イザノマワカ)皇子、
1人。

この天皇の御子達は、合計27人、
皇子13人、皇女14人。
この中で、大雀(オホサザキ)命が、
天下を治めた。

3皇子 (大山守命大雀命宇遅能和紀郎子)
原文読み口語訳

天皇
大山守命与大雀
命 詔
汝等者
兄子弟子

天皇
所以發是
宇遅能和紀郎子
有令治天下之心


大山守命 白
兄子
次 大雀命
知天皇所賜之大
御情 而 白
兄子者 既 成人
是 無悒
弟子者 未成人
是 

天皇 詔
佐邪岐阿藝之言
【自佐至藝五字
以音】
如我所思
即 詔別者
大山守命
為山海之政
大雀命
執食國之岐
以 白賜
宇遅能和紀郎子
所知天津日継


大雀命者
勿違天皇之命
是れに(オ)いて、
天皇(スメラミコト)、
大山守(オホヤマモリ)命と大雀(オホサ
ザキ)命にひ、詔(ノ)りしく、
「汝(ナ)等は、
兄(エ)の子、弟(オト)の子の孰
(イヅ)れを(イトホ)しむ。」 と。
天皇(スメラミコト)、
是のを發
()つ所以(ユエン)は、
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)、
天下(アメシモ)を治(シラ)しむ心有
れば也。
(シカ)くして、
大山守(オホヤマモリ)命、白さく、
「兄(エ)の子を(イトホ)しむ。」と。
次、大雀(オホサザキ)命、
天皇(スメラミコト)のひ賜ひし大
御情(オホミココロ)を知りて、白さく、
「兄(エ)の子は、既に、人と成り、
是れ、悒(ウレ)ふること無き、
弟(オト)の子は、未だ人と成らね
ば、是れ、(イトホ)し。」 と。
(シカ)くして、
天皇(スメラミコト)、詔(ノ)りしく、
「佐邪岐阿藝(サザキアギ)の言(コト)
【「佐」 より 「藝」 に至る五字、
音を以ってす】
我が思ひしの如し。」 と。
即ち、詔(ノ)り別けしは、
「大山守(オホヤマモリ)命、
山海の政(マツリゴト)を為せ。
大雀(オホサザキ)命、
食國(オスクニ)の岐(チマタ)を執(ツカ
サド)り、以って、白し賜へ。
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)、
天津日継(アメツヒツギ)を知らしし
也。」 と。
故(カレ)、
大雀(オホサザキ)命は、
天皇(スメラミコト)の命(ミコトノリ)に
違(タガ)ふこと勿(ナ)き也。
そして、
(品陀和気)天皇は、
大山守(オホヤマモリ)命と大雀(オホサ
ザキ)命に、
「あなた達は、年上の子と年下の
子のどちらが愛しいか。」
と尋ねた。
(品陀和気)天皇が、(上記御子
2人に)この問をされた訳は、
(2人より年下の)宇遅能和紀郎
子(ウヂノワキイラツコ)に、天下を治め
させる気があったからである。
そこで、(年上の)
大山守(オホヤマモリ)命は、
「年上の子が愛しい。」と申した。
次に、大雀(オホサザキ)命は、
天皇が問われた心中
を察して、
「年上の子は、既に、成人してい
るので、案ずることもないが、年
下の子は、まだ成人していない
ので、これが愛しい。」と申した。
そこで、
(品陀和気)天皇が、
「佐邪岐阿芸(サザキアギ)(大雀命)
の言葉こそ、
私が思っていた通り。」 と語り、
(また)直に、
「大山守(オホヤマモリ)命は、
山海の祭祀をせよ。
大雀(オホサザキ)命は、
国内の政務をして奏上せよ。
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)
は、(自分の死後の)天津日継
(アメツヒツギ)(皇位継承)としたの
である。」 と、
(3皇子の任務を)語り別けた。
それで、
大雀(オホサザキ)命は、
天皇の命令に
背くことは無かったのである。

宇遅能和紀郎子の母、矢河枝比売
原文読み口語訳
一時 天皇
越幸近淡海國之時

御立宇遅野上
望葛野
歌 曰
 知婆能
 加豆怒袁礼婆
 毛之知
 夜迩波
 能冨


到坐木幡村之時
嬢子
遇其道衢

天皇
其嬢子 曰
汝者 誰子
荅白
丸迩之比布礼能意
之女
名 主矢阿枝比

天皇 即
詔其嬢子
吾 明日
還幸之時
入坐汝家

矢阿枝比賣
委曲
語其父

父 荅曰
是者 天皇坐
那理
【此二字 以音】
恐之
我子 仕奉
云 而
厳餝其家 候待者
明日 入坐
一時、天皇(スメラミコト)、
近淡海(チカツアフミ)國に
越え幸(イデマ)す時、
宇遅野(ウヂノ)上(ヘ)に御立(ミタ)
ち、葛野(カヅノ)を望み、
歌ひ、曰く。
 知婆能(チバノ)
 加豆怒袁礼婆(カヅノヲミレバ)
 毛之
()流(モモチダル)
 夜迩波由(ヤニハモミユ)
 能冨由(クニノホモミユ)

故(カレ)、
木幡(コハタ)村に到り坐(イマ)す時、
(ウルハ)しき嬢子(ヲトメ)、
其の道衢(チマタ)に遇(ア)ひき。
(シカ)くして、
天皇(スメラミコト)、
其の嬢子(ヲトメ)にひ、曰く、
「汝(ナ)は、誰(タレ)が子。」 と。
荅(コタ)へ白さく、
「丸迩(ワニ)の比布礼能意冨
(ヒフレノオホミ)の女(ヲミナ)、
名、主矢阿
()枝比賣(ミヤヌシ
ヤカハエヒメ)。」 と。
天皇(スメラミコト)、即ち、
其の嬢子(ヲトメ)に詔(ノ)りしく、
「吾(ア)、明日、
還り幸(イデマ)す時、汝(ナ)が家に
入り坐(イマ)さむ。」 と。
故(カレ)、
矢阿
()枝比賣(ヤカハエヒメ)、
委曲(マツブサ)に、
其の父(カソ)に語りき。
是れに(オ)いて、
父(カソ)、荅(コタ)へ曰く、
「是れは、天皇(スメラミコト)に坐(イマ)
す那理(ナリ)
【此二字、音を以ってす】
之を恐(カシコ)み、
我が子、仕へ奉(タテマツ)れ。」
と云ひて、
其の家を厳しく餝(カザ)り、待ち
候はば、明日、入り坐(イマ)しき。
あるとき、(品陀和気)天皇は、
近淡海(チカツアフミ)(近江)国に
(山を)越え行かれた時、
宇遅野(ウヂノ)(山背国宇治)辺り
に立たれて、葛野(カヅノ)(山背国
葛野)を遠望し、歌い、次の通り。
 千葉の葛野(カヅノ)を見れば
 百千(モモチ)足る
 家庭(ヤニハ)も見ゆ
 国の秀(ホ)も見ゆ

それで、
(品陀和気天皇が)木幡(コハタ)村
(山背国宇治)に着かれた時、
その辻で美しい乙女と出会った。
そこで、天皇がその乙女に尋ね、
「あなたは、誰の子か。」
と言うと、(その乙女は)答え、
「和迩(ワニ)の比布礼能意冨美
(ヒフレノオホミ)の娘で、名は、
宮主矢河枝比売(ミヤヌシヤカハエ
ヒメ)。」 と申した。
天皇は、直に、その乙女に、
「私は、明日、(都へ)帰り行く時、
あなたの家に入ろう。」
と語った。
それで、矢河枝比売(ヤカハエヒメ)は、
詳しく、その父(比布礼能意冨
)に話した。
そして、
(矢河枝比売の)父は、答え、
「これは、天皇であられる。
これを恐れ多いこととして、
我が子よ、(この天皇に)
仕え奉げよ。」 と言って、
(矢河枝比売の父が)その(自分
)家を厳かに飾って待つと、翌
日、(品陀和気天皇は)来られた。

【補足】
品陀和気」 の 「葛野」 遠望歌
 葛野(山背国葛野)を見れば
 満ち足りた民の家々も見え
 国の住み良い様も見える

獻大御饗之時
其女
矢阿枝比賣命
合取大御酒盞 而


天皇
任令取其大御酒盞

御歌 曰
 許能迦迩夜
 伊豆久能迦迩
 毛々豆夛布
 都奴賀能迦迩
 余許佐良布
 伊豆久迩伊夛流
 伊知遅志麻
 志麻迩斗岐
 梯理能
 迦豆伎伊岐豆岐
 志那由布
 佐々那遅袁
 酒久酒久登
 和賀伊麻婆夜
 許波夛能知迩
 阿波志斯袁登賣
 宇斯
 
 波那
 志比比斯那
 伊知韋能
 和迩佐能迩佐能
 
 波都迩波
 河可良氣

 志婆迩婆
 迩具漏岐由恵
 都具理能
 曽能曽能那迦都
 迩袁
 加夫都久
 麻肥迩波阿弖受
 麻用賀岐
 許迩加岐夛礼
 阿彼志斯袁

 賀登
 和賀斯古良
 迦久賀登
 阿賀斯古迩
 宇夛々氣
 牟迦比袁流迦
 比袁流迦

如此
御合 生御子
宇遅能和紀
【自宇下五字
以音】
郎子也
故(カレ)、
大御饗(オホミアヘ)を獻(タテマツ)る時、
其の女(ヲミナ)、
矢阿
()枝比賣(ヤカハエヒメ)命が、
大御酒盞(オホミサカヅキ)を取り合
はせて、獻(タテマツ)りき。
是れに(オ)いて、
天皇(スメラミコト)、
其の大御酒盞(オホミサカヅキ)を取
らしめ任(ナガ)らにして、
御歌、曰く。
 許能迦迩夜(コノカニヤ)
 伊豆久能迦迩(イヅクノカニ)
 毛毛豆夛布(モモヅタフ)
 都奴賀能迦迩(ツヌガノカニ)
 余許佐良布(ヨコサラフ)
 伊豆久迩伊夛流(イヅクニイタル)
 伊知遅志麻(イチヂシマ)
 志麻迩斗岐(ミシマニトキ)
 
()理能(ミホドリノ)
 迦豆伎伊岐豆岐(カヅキイキヅキ)
 志那由布(シナダユフ)
 佐佐那遅袁(ササナミヂヲ)
 酒久酒久登(スクスクト)
 和賀伊麻婆夜(ワガイマセバヤ)
 許波夛能知迩(コハタノミチニ)
 阿波志斯袁登賣(アハシシヲトメ)
 宇斯波(ウシロデハ)
 (ヲダテロカモ)
 波那波(ハナミハ)
 志比比斯那
()(シヒヒシナス)
 伊知韋能(イチイノ)
 和迩佐能迩佐能袁(ワニサノニサノヲ)

 波都迩波(ハツニハ)
 
()可良氣(ハダア
 カラケミ)
 志婆
()迩婆()(シハニハ)
 迩具漏岐由恵(ニグロキユエ)
 都具理能(ミツグリノ)
 曽能曽能那迦都迩袁(ソノソノ
 ナカツニヲ)
 加夫都久(カブツク)
 麻肥迩波阿弖受(マヒニハアテズ)
 麻用賀岐(マヨガキ)
 許迩加岐夛礼(コニカキタレ)
 阿彼
()志斯袁那(アハシシヲ
 ミナ)
 賀登(カモガト)
 和賀斯古良(ワガミシコラ)
 迦久賀登(カクモガト)
 阿賀斯古迩(アガミシコニ)
 宇夛夛氣迩(ウタタケダニ)
 牟迦比袁流迦(ムカヒヲルカモ)
 
()比袁流迦(イソヒヲル
 カモ)
此(カク)の如く、
御合(ミアヒ)し、生める御子、
宇遅能和紀(ウヂノワキ)
【「宇」 より下(シモ)五字、
音を以ってす】
郎子(イラツコ)也。
それで、(矢河枝比売の父が、
品陀天皇に)ご馳走を奉げる時、
娘の矢河枝比売(ヤカハエヒメ)命が、
大酒杯の世話をして献上した。
そして、
(品陀和気)天皇は、
(矢河枝比売に)その大酒杯を持
たせたままにして、(詠んだ)
御歌は、次の通り。
 この蟹や、何処の蟹
 百伝ふ、角鹿(ツヌガ)の蟹
 横去らふ、何処に到る
 伊知遅(イチヂ)島、美島に着き
 鳰鳥の、潜(カヅ)き息づき
 階田ゆふ、小小波(ササナミ)路を
 すくすくと、我が坐せばや
 木幡の道に、遇はしし乙女
 後姿は、煽(ヲダ)てろかも
 歯並みは、椎菱(シヒヒシ)如(ナ)す
 櫟の和迩坂の土(ニ)さのを
 初土(ハツニ)は、膚赤らけみ
 終土(シハニ)は、丹黒き故(ユエ)
 三栗の、そのその中つ土(ニ)を
 黴(カブ)著く、真日には当てず
 眉(マヨ)書き、濃(コ)に書き垂れ
 遇はしし女人(ヲミナ)かもがと
 我が見し子ら、此(カク)もがと
 吾が見し子に、現気(ウタタケ)だに
 向かひ居るかも、
 い添ひ居るかも

このように、交わって、
生んだ御子が、宇遅能和紀郎子
(ウヂノワキイラツコ)なのである。

【補足】
矢河枝比売」 への求婚歌
(上記 「宇遅能和紀郎子」 への
天皇の思いが強いのは、惚れた
矢河枝比売」 の御子だから)

 この蟹(乙女)は、どこの蟹
 遠い遠い、角鹿(敦賀)の蟹
 横歩きして、どこへ行く
 伊知遅島、美島に着き
 鳰鳥()が、潜り一息ついて
 棚田のような、さざなみ路を
 どんどん、私が行くと
 木幡の道で、逢った乙女の
 後姿は、魅力的で
 歯並びは、団栗の粒揃いのよう
 櫟の和迩坂の土の
 初めの土は、赤過ぎて
 終わりの土は、黒過ぎるから
 三つ栗のように、中間の土を
 黴つかせ、直日に当てないよう
 眉描きを、濃く描くよう
 出逢った女人に、こう願い
 私が見初めた子達に、こう願い
 私が見初めた子(貴女)
 夢見心地で
 向き合っていることよ
 寄り添っていることよ

大雀命の后、髪長比売
原文読み口語訳
天皇 
日向國諸縣君
之女
名 髮長比賣
其顏容 麗
將 使 而
上之時
其太子大雀命
見其嬢子
泊于難波津 而
減其姿容之端正

誂告建内宿祢大臣

是自日向上之
髮長比賣者
請白天皇之大御所

令賜 

建内宿祢大臣
請太命者
天皇 即
以髮長比賣
賜于其御子
所賜状者
天皇 
豊明之日
髮長比賣
令握大御酒柏

賜其太子

御歌 曰
 伊耶古梯
 流都
 比流都
 和賀由久知能
 迦具波斯
 波那夛知婆那波
 都延波
 登理韋賀良斯
 支豆延比
 波登々理賀良斯

 都具理能
 那迦都延能
 都毛理
 阿加良袁登賣袁
 伊耶佐佐婆
 余良斯那

又 御歌 曰
 豆夛麻流
 余佐能伊氣能
 韋具比宇知賀
 佐斯祁流斯良迩
 奴那波久理
 波閇祁久斯良迩
 和賀許々志敍
 伊夜袁許迩斯弖
 伊麻敍久夜斯岐

如此 歌 而
賜也

被賜其嬢子之後
太子 歌 曰
 知能斯理
 古波袁登賣袁
 迦徴能碁登
 岐許延斯迦梯

 阿比麻久良麻久

又 歌 曰
 知能斯理
 古波袁登賣波
 阿良波受
 泥斯久袁斯敍
 宇流波志意布

天皇(スメラミコト)、こしくは、
日向(ヒムカ)國諸縣(モロアガタ)君
の女(ヲミナ)、
名、髮長比賣(カミナガヒメ)、其の
顏容(カホカタチ)、麗(ウルハ)しと。
將に、使はむとして、
()上(メサ)げし時、
其の太子(ヒツギノミコ)大雀(オホサザ
キ)命、其の嬢子(ヲトメ)、難波津
(ナニハツ)に、泊(ハ)つるを見て、
其の姿容(スガタカタチ)の端正(ウル
ハ)しきに減
()(マド)ひ、即ち、
建内宿祢大臣(タケウチスクネオホオミ)
に誂(アトラ)へ、告げしく、
「是の日向(ヒムカ)より
()
(メサ)げし髮長比賣(カミナガヒメ)は、
天皇(スメラミコト)の大御所(オホミモト)
に請(コ)ひ白して、
吾(ア)に、賜ひしめよ。」 と。
(シカ)くして、
建内宿祢大臣(タケウチスクネオホオミ)、
()命(オホミコト)を請(コ)へば、
天皇(スメラミコト)、即ち、
髮長比賣(カミナガヒメ)を以って、
其の御子に賜ひき。
賜ひし状(サマ)は、
天皇(スメラミコト)、こしくは、
豊明(トヨアカリ)の日と。
髮長比賣(カミナガヒメ)に、
大御酒(オホミキ)の柏(カシハ)を握(ト)
らしめ、
其の太子(ヒツギノミコ)に賜ひき。
(シカ)くして、
御歌、曰く。
 伊耶古梯
()(イヤコドモ)
 流都迩(ノビルツミニ)
 比流都迩(ヒルツミニ)
 和賀由久知能(ワガユクミチノ)
 迦具波斯(カグハシ)
 波那夛知婆那波(ハナタチバナハ)
 都延波(ホツエハ)
 登理韋賀良斯(トリイガラシ)
 支豆延比
()(シヅエハ)
 
()登登理賀良斯(ヒトトリ
 ガラシ)
 都具理能(ミツグリノ)
 那迦都延能(ナカツエノ)
 都毛理(ホツモリ)
 阿加良袁登賣袁(アカラヲトメヲ)
 伊耶佐佐婆(イヤササバ)
 余良斯那(ヨラシナ)

又、御歌、曰く。
 豆夛麻流(ミヅタマル)
 余佐能伊氣能(ヨサミノイケノ)
 韋具比宇知賀(イグヒウチガ)
 佐斯祁流斯良迩(サシケルシラニ)
 奴那波久理(ヌナハクリ)
 波閇祁久斯良迩(ハヘケクシラニ)
 和賀許許志敍(ワガココロシゾ)
 伊夜袁許迩斯弖(イヤヲコニシテ)
 伊麻敍久夜斯岐(イマゾクヤシキ)

此(カク)の如く、歌ひて、
賜ふ也。
故(カレ)、
其の嬢子(ヲトメ)を賜はりし後、
太子(ヒツギノミコ)、歌ひ、曰く。
 知能斯理(ミチノシリ)
 古波袁登賣袁(コハダヲトメヲ)
 迦徴
()能碁登(カミノゴト)
 岐許延斯迦梯
()(キコエシ
 カドモ)
 阿比麻久良麻久(アヒマクラマク)

又、歌ひ、曰く。
 知能斯理(ミチノシリ)
 古波陀袁登賣波(コハダヲトメハ)
 阿良
()波受(アラソハズ)
 泥斯久袁斯敍(ネシクヲシゾモ)
 宇流波志
(脱字 「)
 (ウルハシミオモフ)
(品陀和気)天皇が、
日向(ヒムカ)国諸県(モロアガタ)君の
娘の、名は、髪長比売(カミナガヒメ)
の容貌が美しいと聞いて、
使おうとして、召し上げた時、
その太子の大雀(オホサザキ)命は、
その乙女(髪長比売)が、難波津
(ナニハツ)(摂津国西成)に泊まっ
ているのを見て、その美しい容
姿に心を奪われ、直に、建内宿祢
大臣(タケウチスクネオホオミ)に頼んで、
「この日向(ヒムカ)から召し上げた
髪長比売(カミナガヒメ)については、
天皇の大御所に願い申して、私
に下賜されるようにしてくれ。」
と告げた。
そこで、
建内宿祢大臣(タケウチスクネオホオミ)
が、天皇の許可を求めると、
(品陀和気)天皇は、直に、
髪長比売(カミナガヒメ)を、その御子
(大雀命)に下賜した。
下賜の様子は、天皇が、豊明
(トヨアカリ)(宮の祭)の日と聞いて、
髪長比売(カミナガヒメ)に大御酒の
柏(カシハ)木の器を持たせ、
その太子(大雀命)に下賜した。
そこで、
(天皇の)御歌は、次の通り。
 いや子供、野蒜(ノビル)摘みに
 蒜(ヒル)摘みに、我が行く道の
 香ぐはし、花橘(ハナタチバナ)は
 上枝(ホツエ)は、鳥、居(イ)枯らし
 下枝(シヅエ)は、人、採り枯らし
 三つ栗の、中枝(ナカツエ)の
 上盛り、赤ら乙女を
 いや挿さば、冝(ヨ)らしな
また、
(天皇の)御歌は、次の通り。
 水溜まる、依網(ヨサミ)の池の
 堰杙打ちが、挿しける知らに
 蓴(ヌナ)は、繰り延へけく知らに
 我が心しぞ、いや愚(ヲコ)にして
 今ぞ、悔(クヤ)しき
このように、歌って、(髪長比売
)下賜したのである。
それで、
その乙女を下賜した後、太子
(大雀命)が、歌い、次の通り。
 道の後、木肌(コハダ)乙女を
 雷(カミ)の如、こえしかども
 相枕(アヒマクラ)巻く
また、(太子が)歌い、次の通り。
 道の後、木肌(コハダ)乙女は
 争はず、寝(ネ)しく惜しぞも
 愛しみ思ふ

【補足】
太子への 「髪長比売」 下賜歌
 太子(大雀命)
 野蒜摘みに行く道の
 香ぐわしい花橘(蜜柑類)
 上枝は、鳥が居て枯らし
 下枝は、人が採って枯らし
 三つ栗のように、中間の枝の
 最高の花、美しい乙女を
 とりあえず、挿せば良い

 (天皇の)依網池に
 囲い杙が在るとも知らずに
 蓴菜に手を伸ばしているとは
 私の心は、愚かだったと
 今になっては、悔しい

太子による天皇への返歌
 日向国の素朴な乙女を
 雷のように、聞いていたが
 その乙女と枕を並べる

 日向国の素朴な乙女は
 争わず寝たのが、惜しくても
 整って美しいと思う

大雀命への吉野国栖の歌
原文読み口語訳

吉野之國主等
瞻大雀命之所佩
御刀
歌 曰
 牟夛能
 比能
 意冨佐耶岐
 意冨佐耶岐
 波加流夛知
 登都流藝
 恵布由
 布由紀能
 加良賀志夛紀
 
 佐夜々々


吉野之白檮上
作横臼 而
其横臼
釀大御酒
獻其大御酒之時
撃口鼓
為伎 而
歌 曰
 加志能布迩
 余久袁都久理

 余久
 斯意冨
 宇麻良
 岐許志知袁
 賀知

此歌者 國主等
獻大贄之時々
恒 至于今
詠之歌者也
又、
吉野(ヨシノ)の國主(クズ)等、
大雀(オホサザキ)命の佩きし
御刀を瞻(ミ)、
歌ひ、曰く。
 牟夛能(ホムタノ)
 比能古(ヒノミコ)
 意冨佐耶
()岐(オホサザキ)
 意冨佐耶
()岐(オホサザキ)
 波加流夛知(ハカセルタチ)
 登都流藝(モトツルギ)
 
()恵布由(スエフユ)
 布由紀能(フユキノ)
 
()加良賀志夛紀能(スカラガ
 シタキノ)
 佐夜佐夜(サヤサヤ)

又、
吉野(ヨシノ)の白檮上(カシヘ)に、
横臼(ヨクス)を作りて、
其の横臼(ヨクス)に、
大御酒(オホミキ)を釀(カ)み、
其の大御酒(オホミキ)を獻(タテマツ)
る時、口鼓(クチツヅミ)を撃ち、
()(ワザ)を為して、
歌ひ、曰く。
 加志能布迩(カシノフニ)
 余久
()袁都久理(ヨクスヲツ
 クリ)
 余久
()迩(ヨクスニ)
 斯意冨岐(カミシオホミキ)
 宇麻良(ウマラニ)
 岐許志知袁(キコシモチヲセ)
 賀知
(脱字 「知」)(マロガチチ)

此の歌は、國主(クズ)等が、
大嘗(オホニヘ)を獻(タテマツ)る時時、
恒(ツネ)に、今に至り、
詠(ウタ)ふ歌也。
また、
吉野(ヨシノ)の国栖(クズ)達が、
大雀(オホサザキ)命の帯刀を見て、
歌い、次の通り。
 品陀(ホムタ)の日の御子、
 大雀(オホサザキ)、大雀(オホサザキ)
 佩かせる太刀
 本剣(モトツルギ)、末魂(スエフユ)
 冬木(フユ)の素幹(スカラ)が
 下木(シタキ)のさやさや

また、(国栖達が)吉野(ヨシノ)の
白梼(カシ)(大和国吉野樫尾)
りに、横幅の広い横臼を作って、
その横臼に、大御酒を醸(カモ)し、
その大御酒を(大雀命に)献上す
る時、口鼓を打ち、演技をして、
歌い、次の通り。
 樫の生(フ)に、横臼を作り
 横臼に釀みし、大御酒、美らに、
 こし以ち食(ヲ)せ、麻呂が父

この歌は、国栖(クズ)達が、
貢物を献上する時々に、いつも、
今に至るまで歌う歌である。

【補足】
大雀」 への応援歌
 品陀和気天皇の御子
 大雀命が佩いている太刀は、
 剣の本が魂の末を示す
 冬木(品陀和気天皇)の幹の
 下木(大雀命)が、息づく

大雀」 への大御酒献上歌
 樫の木で、横臼を作り
 横臼で釀造した大御酒
 旨いから、飲みなされ
 私達の父(大雀命)

品陀和気天皇の治世
原文読み口語訳
此之御世
定賜 海部 山部
山守部
部也
亦 作釼池
亦 新羅人
 渡来
是以
建内宿祢命 引率
為渡之堤池 而
作百済池
此の御世、
海部(アマベ)、山部(ヤマベ)、
山守部(ヤマモリベ)、
部(イセベ)を定め賜ひき也。
亦、釼(ツルギ)池を作りき。
亦、新羅(シラギ)人、
()ひ、渡り来たる。
是れを以って、
建内宿祢(タケウチスクネ)命、引き率
(イ)、渡之堤(ワタリノツツミ)池と為し
て、百済(クタラ)池を作りき。
この御世(品陀和気天皇)は、
海部(アマベ)、山部(ヤマベ)、
山守部(ヤマモリベ)、伊勢部(イセベ)
を定められたのである。
また、釼(ツルギ)池を作った。
また、新羅(シラギ)人が、
渡来した。
そこで、
建内宿祢(タケウチスクネ)命が、引率
し、渡之堤(ワタリノツツミ)池として、
百済(クタラ)池を作った。

百済國主
照古王
以牡馬壹返
牝馬壹返
付阿知寺師
以 貢上
此阿知吉師者
阿直史等之祖
亦 貢上横刀及大

又 科賜百済國

若 有賢人者
貢上

受命 以
貢上人
名 和迩師
即 論語十卷
千字文一卷
并十一卷付是人
即 貢進
此和迩吉師者
文首等祖
又 貢上人手

韓鍛 名 卓素
亦 呉服 西素
二人也
亦、
百済國主(クタラコニキシ)
照古王(ショウコオウ)、
牡馬(ヲマ)壹返(ヒトカヘ)、
牝馬(メマ)壹返(ヒトカヘ)を以って、
阿知寺
()師(アチキシ)に付し、
以って、貢上(タテマツ)りき。
此の阿知吉師(アチキシ)は、
阿直史(アチキフヒト)等の祖(オヤ)。
亦、横刀(タチ)及び大鏡を貢上
(タテマツ)りき。
又、百済(クタラ)國を科め賜ひし
く、
「若し、賢人(サカシビト)有らば、
貢上(タテマツ)れ。」 と。
故(カレ)、
命(ミコトノリ)を受け、以って、
人を貢上(タテマツ)り、
名、和迩
(脱字 「吉」)師(ワニキシ)、
即ち、論語(ロンゴ)十卷、
千字文(センジモン)一卷、
并(アハ)せ十一卷を是の人に付し、
即ち、貢進(タテマツ)りき。
此の和迩吉師(ワニキシ)は、文首
(フミオビト)等
(脱字 「之」)祖(オヤ)。
又、人手
(手人)(テヒト)を貢上
(タテマツ)りき。
韓鍛(カラカヌチ)、名、卓素(タクソ)、
亦、呉服(クレハトリ)、西素(サイソ)、
二人也。
また、
百済国王の照古王(ショウコオウ)が、
牡馬1匹、牝馬1匹を、
阿知吉師(アチキシ)に託して、
(品陀和気天皇に)献上した。
この阿知吉師(アチキシ)は、
阿直史(アチキフヒト)達の祖先。
また、(照古王は)
横刀(タチ)と大鏡を献上した。
また、(品陀和気天皇は)
百済(クタラ)国を科めて、
「もし、賢人がいれば、献上せ
よ。」 と課せられた。
それで、(照古王は、その)
命令を受けて、人を献上し、
名は、和迩吉師(ワニキシ)で、
そのため、論語10巻、千字文1
巻、合計11巻をこの人に託し、
直に、献上した。
この和迩吉師(ワニキシ)は、
文首(フミオビト)達の祖先。
また、照古王は職人を献上した。
鉄鍛冶、名は、卓素(タクソ)、
また、絹織物の機織、西素(サイソ)、
2人である。

【補足】
品陀和気」 は、「息長帯日売
が、属国にした百済国 「照古王
に、貢物を課している。
又 秦造之祖
漢直之祖及
知釀酒人
名 仁
亦名 々許理等
 渡来也

々許理
釀大御酒
以 獻

天皇
宇羅冝 是所獻之
大御酒 而
【宇羅冝三字
以音】
御歌 曰
 々許理賀
 岐迩
 和礼恵比迩祁理
 許登那具志
 恵具志
 和礼恵比迩祁理

如此之歌 幸行時
以御杖 打大坂道
中之大石者
其石 走避故
諺 曰
堅石
避酔人也
又、秦造(ハタミヤツコ)の祖(オヤ)、
漢直(アヤアタヘ)の祖(オヤ)及び
酒釀(カ)むを知る人、
名、仁
()(ニホ)
亦の名、
(須須)許理(ススコリ)
等、
()ひ、渡り来たる也。
故(カレ)、
是の
(須須)許理(ススコリ)、
大御酒(オホミキ)を釀(カ)み、
以って、獻(タテマツ)りき。
是れに(オ)いて、
天皇(スメラミコト)、
是の獻(タテマツ)りし大御酒に、
宇羅冝(ウラゲ)て、
【「宇羅冝」 三字、
音を以ってす】
御歌、曰く。
 
(須須)許理賀(ススコリガ)
 岐迩(カミシミキニ)
 和礼恵比迩祁理(ワレエヒニケリ)
 許登那具志(コトナグシ)
 恵具志(エグシニ)
 和礼恵比迩祁理(ワレエヒニケリ)

此(カク)の如く、歌ひ、幸行(イデマ)
す時、御杖を以って、大坂道中
(オホサカミチナカ)の大石(オホイハ)を打
てば、其の石(イハ)、走り避(サ)る
が故(ユエ)、諺、曰く、
「堅石(カタイハ)、
酔人(ヨヒヒト)を避(サ)く也。」 と。
また、秦造(ハタミヤツコ)の祖先、
漢直(アヤアタヘ)の祖先及び酒の
醸造を知ってる人で、
名は、仁番(ニホ)、
亦の名、須須許理(ススコリ)達が、
渡来したのである。
それで、
この須須許理(ススコリ)は、
大御酒を醸造して献上した。
そして、(品陀和気)天皇は、
この献上した大御酒に、
浮かれて、御歌は、次の通り。
 須須許理が、釀(カ)みし御酒に
 我、酔(エ)ひにけり
 事無酒(コトナグシ)、笑酒(エグシ)に
 我、酔(エ)ひにけり

このように、(品陀和気天皇が)
歌い、行かれる時、杖で、
大坂への道の大石を打つと、
その石が、転がって行ったので、
諺に、
「堅石も、酔人を避けるのであ
る。」 と言う。

【補足】
須須許理」 醸造酒の賛歌
 須須許理が、釀造した御酒に
 私は、酔ってしまった
 無事を祈る酒、笑い酒に
 私は、酔ってしまった

品陀和気天皇死後、兄皇子(大山守命)による反逆
原文読み口語訳

天皇 崩之後
大雀命者
従天皇之命
以 天下
譲宇遅能和紀郎子

大山守命者
違天皇之命
猶 欲獲天下
有殺其弟皇子
之情
竊 設兵
將 攻

大雀命
其兄 
即 遣使者
令告宇遅能和紀郎


 驚 以兵
伏阿邊
亦 其山之上

立惟幕
詐 以舍人
為王 露

百官 恭敬
往来之状
既 如王子之坐所

更 為其兄王
渡河之時 具 餝
者 舂佐那
【此二字 以音】
葛之根
取其汁滑 而
塗其舩中之
設蹈應仆 而
其王子者
服布衣褌
既 為賤人之形
 立
故(カレ)、
天皇(スメラミコト)、崩(カムザ)りし後、
大雀(オホサザキ)命は、天皇(スメラミコ
ト)の命(ミコトノリ)に従ひて、
以って、天下(アメシモ)、宇遅能和紀
郎子(ウヂノワキイラツコ)に譲りき。
是れに(オ)いて、
大山守(オホヤマモリ)命は、天皇(スメラ
ミコト)の命(ミコトノリ)に違(タガ)ひ、
猶、天下(アメシモ)を獲むと欲(ホッ)
し、其の弟皇子(オトミコ)を殺(シ)す
情(ココロ)有り、
竊(ヒソカ)に、兵(ツハモノ)を設(マ)け、
將に、攻めむとす。
(シカ)くして、
大雀(オホサザキ)命、
其の兄、兵(ツハモノ)備ふるをき、
即ち、使者(ツカヒ)を遣はし、
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)
に告げしめき。
故(カレ)、
き、驚き、兵(ツハモノ)を以って、
()邊(カハヘ)に伏せ、
亦、其の山の上(カミ)に、
垣(キヌガキ)を張り、
()幕(トバリ)を立て、
舍人(トネリ)を以ち、詐(イツハ)りて、
王(ミコ)と為し、露(アラハ)に、
()床(クレトコ)に坐(イマ)せ、
百官(モモツカサ)が、恭敬(ウヤマ)ひ、
往来(カヨ)ふ状(サマ)、
既に、王子(ミコ)の坐(イマ)す所の
如くして、
更に、其の兄王(エミコ)、河を渡る
時の為、具へ、餝(カザ)りき。
(カヂ)は、佐那(サナ)
【此の二字、音を以ってす】
葛(カヅラ)の根を舂(ツ)き、
其の汁滑(シルナメ)を取りて、
其の舩中の簀椅(スバシ)を塗り、
蹈むに仆(タオ)るべく設(マ)けて、
其の王子(ミコ)は、
布衣褌(ヌノキヌハカマ)を服(キ)、
既に、賤しき人の形(カタ)を為し、
(カヂ)を執(ト)り、立ちき。
それで、
(品陀和気)天皇が、死去した後、
大雀(オホサザキ)命は、(品陀和気)
天皇の命令に従って、
天下を宇遅能和紀郎子(ウヂノワ
キイラツコ)に譲った。
そして、
大山守(オホヤマモリ)命は、
(品陀和気)天皇の命令に背き、
やはり、天下を取ろうとし、
その弟皇子(オトミコ)(宇遅能和紀
郎子)を殺す思いがあり、
そっと、軍備し、
攻めようとした。
そこで、
大雀(オホサザキ)命は、その兄
(大山守命)が、軍備しているこ
とを聞き、直に、使者を遣わし、
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)
に知らせた。
それで、
(宇遅能和紀郎子は)聞き、驚き、
兵士を、川辺に潜ませ、
また、その(川の傍の)山の上に、
絹布の垣を張り、
垂れ幕を立て、
舎人(トネリ)を偽って、
()皇子(宇遅能和紀郎子)
仕立て、よく見えるように、高
い座に座らせ、百官(モモツカサ)が
敬い、往来する様子を、
全く、皇子(宇遅能和紀郎子)
居る所のようにして、
更に、その兄皇子(大山守命)が、
川を渡る時に備え、細工した。
船の舵は、

実葛(サネカヅラ)の根を搗き、
その粘液を取って、
その船中の簀子(スノコ)に塗り、
踏むと倒れるように仕掛けて、
その皇子(宇遅能和紀郎子)は、
布の上衣と袴を着て、
全く、賤しい人の姿に変装し、
舵を取り、立った。

其兄王
 伏兵士
衣中 服鎧
阿邊
將 垂舩時
望其厳餝之處

以為弟王坐其

都 不知執 而
立舩
即 其執

 山 有忿
怒之大猪
吾 欲取其猪
若 獲其猪乎


者 荅曰
不能也
亦  曰
何由
荅曰
時々也 徃々也
雖為取 而 不得
是以
白 不能也
渡到河中之時
令傾其舩
堕入水中

今 乃 浮出
随水 流下
即 流 歌 曰
 知波夜夫流
 宇遅能和夛理迩
 佐袁斗理迩
 波夜祁牟比登斯
 和賀毛古迩許牟


阿邊之兵
彼廂此廂
一時共 興
 而
流故
到訶和羅之前 而

【訶和羅三字
以音】

以鈎 探其處者
繋其夜中 甲 而
訶和羅鳴故
号其地
謂訶和羅前也

掛出其骨之時
弟王 歌 曰
 知波夜比登
 宇遅能和夛理迩
 和夛理是迩
 夛弖流
 阿豆佐由
 麻由
 伊岐良牟登
 許許呂波
 閇梯
 伊斗良牟登
 許々
 閇梯
 登幣波
 袁淤
 恵幣波
 伊毛袁淤
 伊良那祁久
 曽許
 加那志祁久
 許々
 伊岐良受曽久流
 阿豆佐由
 麻由


其大山守命之骨者
于那良山也
是大山守命者
土形君
弊岐君
榛原君等之祖
是れに(オ)いて、
其の兄王(エミコ)、
兵士(ツハモノ)を
()し、伏せ、
衣(キヌ)中、鎧(ヨロヒ)を服(キ)、
()邊(カハヘ)に到り、
將に、舩に垂
()らむとする時、
其の厳しく餝(カザ)れる處
()
を望み、
弟王(オトミコ)、其の
()床(クレ
トコ)に坐(イマ)し為すを以ち、
都(スベ)て、(カヂ)を執りて、
舩に立てるを知らず。
即ち、其の執者(カヂトリ)には、
ひ、曰く、
(コ)の山、忿怒(イカ)れる大猪
(オホイ)有り、とく。
吾(ア)、其の猪(イ)を取らむと欲
(ホッ)し、若し、其の猪(イ)を獲(エ)
む乎(ヤ)。」 と。
(シカ)くして、
(カヂトリ)は、荅(コタ)へ曰く、
「能(アタ)はず也。」 と。
亦、ひ、曰く、
「何由(ナニユエ)。」 と。
荅(コタ)へ曰く、
「時時也、徃徃(トコロドコロ)也、
取り為すと雖も、得ず。
是れを以って、
能(アタ)はず也、と白す。」 と。
河中に渡り到りし時、
其の舩を傾けしめ、
水中に堕し入れき。
(シカ)くして、
今、乃ち、浮き出(イ)で、
水の随(マニマ)に、流れ下りき。
即ち、流れ、歌ひ、曰く。
 知波夜夫流(チハヤブル)
 宇遅能和夛理迩(ウヂノワタリニ)
 佐袁斗理迩(サヲトリニ)
 波夜祁牟比登斯(ハヤケムヒトシ)
 和賀毛古迩許牟(ワガモコニコム)

是れに(オ)いて、
伏し
()れし阿()邊(カハヘ)
の兵(ツハモノ)、彼廂此廂(カナタコナ
タ)、一時共(モロトモ)に、興り、
()(ヤサシ)して、
流しきが故(ユエ)、
訶和羅之前(カワラノサキ)に到りて、
沈み入りき。
【「訶和羅」 三字、
音を以ってす】
故(カレ)、
鈎を以って、其の沈みし處
()
を探れば、其の夜中、甲(ヨロヒ)に
繋りて、訶和羅(カワラ)鳴るが故
(ユエ)、其の地を号(ナヅ)け、
訶和羅之前(カワラノサキ)と謂ふ也。
くして、
其の骨を掛け出(イ)づる時、
弟王(オトミコ)、歌ひ、曰く。
 知波夜比登(チハヤヒト)
 宇遅能和夛理迩(ウヂノワタリニ)
 和夛理是迩(ワタリセニ)
 夛弖流(タテル)
 阿豆佐由(アヅサユミ)
 麻由(マユミ)
 伊岐良牟登(イキラムト)
 許許呂波(ココロハ)
(脱字 「意」)閇梯()(オモヘド)
 伊斗良牟登(イトラムト)
 許許波(ココロハ)
(脱字 「意」)閇梯()(オモヘド)
 登幣波(モトヘハ)
 袁淤(キミヲオモヒデ)
 
()恵幣波(スエヘハ)
 伊毛袁淤(イモヲオモヒデ)
 伊良那祁久(イラナケク)
 曽許(ソコニオモヒデ)
 加那志祁久(カナシケク)
 許許(ココニオモヒデ)
 伊岐良受曽久流(イキラズソクル)
 阿豆佐由(アヅサユミ)
 麻由(マユミ)

故(カレ)、
其の大山守(オホヤマモリ)命の骨は、
那良(ナラ)山に
()りき也。
是の大山守(オホヤマモリ)命は、
土形(ヒヂカタ)君、
弊岐(ヘキ)君、
榛原(ハリハラ)君等の祖(オヤ)
そして、
その兄皇子(大山守命)は、
兵士を隠し、潜ませておき、
服の中に、鎧を着て、川辺に着き、
船に乗ろうとした時、
その厳しく細工したところを遠
望し、弟皇子(宇遅能和紀郎子)
が、その高い座に居ると思って、
皆、(弟皇子が)舵をとって船に
立っていることに気付かない。
(兄皇子は)直に、その舵取り
(弟皇子)に尋ね、
「この山に、狂暴な大きな猪がい
ると聞いている。
私は、その猪を取りたいが、
もしかして、その猪を獲れる
だろうか。」 と言った。
そこで、
舵取り(弟皇子)は、答え、
「できないであろう。」 と言った。
また、(兄皇子は)
「何故か。」 と言うと、
(その舵取りは)答え、
「何度も往来して討ち取ろうと
したが、駄目であった。
そこで、できないと申している
のである。」 と言った。
川中まで渡って来た時、
(弟皇子は)その船を傾けさせ、
(兄皇子を)水中へ落し入れた。
そこで、(兄皇子は)
間もなく、浮き出て来て、
水の流れのままに、下って行き、
直に、流れながら、歌い、
次の通り。
 千早振る、宇治の渡りに
 棹取りに、速(ハヤ)けむ人し
 我が仲間(モコ)に来む

そして、
川辺に潜み、隠れていた(弟皇子
)兵士が、あちこちから、一斉
に現れ、(兄皇子に)矢を射て流
したので、(兄皇子は)訶和羅之
前(カワラノサキ)に至って、沈んだ。
それで、鈎で、その(兄皇子の)
んだ所を探ると、その夜中、鎧に
掛かって、訶和羅(カワラ)と鳴った
ので、その地を名づけ、訶和羅之
前(カワラノサキ)と謂うのである。
そこで、その(兄皇子の)骨を掛
けて上げた時、弟皇子は、歌い、
次の通り。
 千早人、宇治の渡りに
 渡り瀬に立てる
 梓弓(アヅサユミ)、檀(マユミ)
 い伐(キ)らむと、心は思へど
 い取らむと、心は思へど
 方(モトヘ)は、君を思ひ出
 末方(スエヘ)は、妹を思ひ出
 苛(イラ)なけく、其処に思ひ出
 (カナ)しけく、此処に思ひ出
 い伐(キ)らずそ来る
 梓弓(アヅサユミ)、檀(マユミ)

それで、(弟皇子は)その(兄皇
)大山守(オホヤマモリ)命の骨を、
奈良山(大和国添上)に葬った。
この大山守(オホヤマモリ)命は、
土形(ヒヂカタ) 君、
幣岐(ヘキ)君、
榛原(ハリハラ)君達の祖先。

【補足】
兄皇子 「大山守」 の辞世歌
 宇治の渡し(山背国宇治)
 舵取りに、早まった人よ
 私を助けに来てはどうか

弟皇子 「宇遅能和紀郎子」 によ
る葬送歌
 千早人(宇遅能和紀郎子)
 宇治の渡し(山背国宇治)
 浅瀬に着いて立ち上がり
 梓弓の檀(大山守命)
 伐り取ろうと、思ったが
 木元は、君(品陀和気天皇)
 木末は、妹(八田若郎女)
 悲しく、愛しく、其処、此処に
 思い出したので
 梓弓の檀(大山守命)
 伐り取らずに来たよ

大雀命與
宇遅能和紀郎子
二柱 各
譲天下之
海人
貢大贄

兄 辞
令貢
々 辞
令貢
相譲之

夛日
如此
相譲
非一二時故
海人 既
疲往還 而 泣也

諺 曰
海人乎
因己物 而 泣也

宇遅能和紀郎子者
早 崩 故
大雀命
治天下也
是れに(オ)いて、
大雀(オホサザキ)命と
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)、
二柱、各(オノオノ)、
天下(アメシモ)を譲る
海人(アマ)、
大贄(オホニヘ)を貢(タテマツ)りき。
(シカ)くして、
兄(エ)、辞(イナ)び、
弟(オト)に貢(タテマツ)らしめ、
弟(オト)、辞(イナ)び、
兄(エ)に貢(タテマツ)らしめ、
相ひ譲るに、
既に、
夛(アマ)たの日を(ヘ)たり。
此(カク)の如く、
相ひ譲ること、一二時(ヒトフタタビ)
に非ざるが故(ユエ)、
海人(アマ)、既に、
往き還りに疲れて、泣きき也。
故(カレ)、
諺、曰く、
「海人や、
己が物に因りて泣く也。」 と。
然(シカ)れども、
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)
は、早く、崩(カムザ)るが故(ユエ)、
大雀(オホサザキ)命、
天下(アメシモ)を治(シラ)す也。
そして、
大雀(オホサザキ)命と宇遅能和紀郎
子(ウヂノワキイラツコ)の2人が、
互いに、皇位を譲り合う間に、
海人が、食料を奉った。
そこで、
(大雀命)は、辞退し、
(海人には)(宇遅能和紀郎子)
に奉らせ、
(宇遅能和紀郎子)は、辞退し、
(海人には)(大雀命)に奉らせ
て、譲り合う間に、
すっかり、多くの日が経った。
このように、譲り合うことが
1度や2度でなかったので、
海人は、既に、往来するのに疲れ
て、泣いたのである。
それで、諺に、
「海人は、自分の物のために、
泣くのである。」 と言う。
しかし、宇遅能和紀郎子(ウヂノワ
キイラツコ)は、早くに、死去
したので、大雀(オホサザキ)命が、
天下を治めたのである。

【補足】
兄皇子 「大山守」 と弟皇子 「
遅能和紀郎子
」 の争いで、中間
の 「大雀」 が、漁夫の利を得た。

新羅国王の子、天之日矛の渡来(⇒但馬) (回想)
原文読み口語訳
又昔
有新羅國王之子
名 謂天之日弟
是人
 渡来也
所以 渡来者
新羅國
有一詔
名 謂阿具奴麻
【自阿下四字
以音】
此沼之邊
一賤女 

日耀 如虹
指其
亦 有一賤夫
思異其状
恒 伺其女人之行


是女人
自其寢時 妊身
生袁玉

其所伺賤夫
乞取其玉
恒  着腰
此人
營田 山谷之

耕人等之飲食
貭一牛 而
入山谷之中
遇逢其國主之子
天之日矛

其人 曰
何 汝 飲食
貭牛入山谷
汝 汝
飲食是牛
即 挿其人
將 入獄囚
其人 荅曰
吾 非飲牛

唯 送田人之食

然 猶 不赦

其腰之玉
幣其國主之子

赦其賤夫
將来其玉
床邉
即 化麗嬢子


婚 為嫡妻

其嬢子
常 設種々之珎味

恒 食其夫

其國主之子
心 奢
詈妻
其女人 言
 吾者
非應為汝妻之女

將 行吾祖之國

即 竊 乗小舩
逃道 度来
留 于難波
此者 坐難波之比
賣碁曽社 謂阿加
流比賣神者也

天之日矛
其妻 道
乃 追渡来
將 到難波之間
其渡之神
塞 以 不入

更 還伯夛遅摩國

又昔、
新羅國王(シラギコニキシ)の子有り、
名、天之日弟
()(アメノヒホコ)
と謂ひ、是の人、
()り、渡り来たる也。
()り、渡り来る所以(ユエン)
は、新羅(シラギ)國、
一つ詔
()有り、
名、阿具奴麻(アグヌマ)と謂ひ、
【「阿」 より下(シモ)四字、
音を以ってす】
此の沼之邊(ヌノヘ)、ひとり賤し
き女(ヲミナ)、
()寢しき。
是れに(オ)いて、
日の耀(ヒカリ)、虹の如く、
其の陰上(ホト)を指しき。
亦、ひとり賤しき夫(ヲトコ)有り、
其の状(サマ)を異(アヤ)しと思ひ、
恒(ツネ)に、其の女人(ヲミナ)の行
(オコナ)ひを伺ひき。
故(カレ)、
是の女人(ヲミナ)、
其の晝
()寢しき時より、妊身
(ハラ)み、袁
()き玉を生みき。
(シカ)くして、
其の伺ひし賤しき夫(ヲトコ)、
其の玉を乞ひ取り、
恒に、(ツツ)み、腰に着けたり。
此の人、
山谷のに、田を營(ツク)りしが
故(ユエ)、
耕人(タヒト)等の飲食(クラヒモノ)、
一つ牛に貭
()(オハ)せて、
山谷の中に入り、
其の國主(コニキシ)の子、天之日矛
(アメノヒホコ)に遇逢(ア)ひき。
(シカ)くして、
其の人にひ、曰く、
「何ぞ、汝(ナ)、飲食(クラヒモノ)、
牛に貭
()(オハ)せ、山谷に入る。
汝(ナ)、汝
()ず、
是の牛を飲食(クラ)はむ。」 と。
即ち、其の人を挿
()らへ、
將に、獄囚(ヒトヤ)に入れむとす。
其の人、荅(コタ)へ曰く、
「吾(ア)、牛を飲
(脱字 「食」)
(クラ)うに非ず。
唯、田人(タヒト)の
(脱字 「飲」)
(クラヒモノ)を送る耳(ノミ)。」 と。
然(シカ)れども、猶、赦(ユル)さず。
(シカ)くして、
其の腰の玉を
()き、
其の國主(コニキシ)の子に幣(マヒナ)
ひきが故(ユエ)、
其の賤しき夫(ヲトコ)を赦(ユル)し、
其の玉を將(モ)ち来たし、
床邉(トコヘ)に置くに、
即ち、麗(ウルハ)しき嬢子(ヲトメ)
と化(カハ)りき。
仍(スナハ)ち、
婚(ア)ひ、嫡妻(ムカヒメ)と為しき。
(シカ)くして、
其の嬢子(ヲトメ)、
常に、種種(クサグサ)の珎味(ウマシ
モノ)を設(マ)け、
恒に、其の夫(ヲトコ)に食はしき。
故(カレ)、
其の國主(コニキシ)の子、
心、奢(オゴ)り、
妻(メ)を詈
()(ノ)るに、
其の女人(ヲミナ)、言ひしく、
(オヨ)そ、吾(ア)は、
汝(ナ)が妻(メ)の女(ヲミナ)と為る
べきに非ず。
將に、吾(ア)が祖(オヤ)の國に行
かむ。」 と。
即ち、竊(ヒソカ)に、小舩に乗り、
逃道
()(ニ)げ、渡り来て、
難波に、留りき。
此れは、難波之比賣碁曽(ナニハノ
ヒメゴソ)社(ヤシロ)に坐(イマ)す
阿加流比賣(アカルヒメ)神と謂ふ也。
是れに(オ)いて、
天之日矛(アメノヒホコ)、
其の妻、道
()げたるをき、
乃ち、追ひ渡り来たり。
將に、難波(ナニハ)に到る間、
其の渡(ワタリ)の神、
塞ぎ、以って、入れず。
故(カレ)、
更に、夛遅摩(タヂマ)國に還り、
()てき。
また昔、
新羅国王の子が居て、
名は、天之日矛(アメノヒホコ)と謂い、
この人が、
参上、渡来してきたのである。
参上、渡来してきた訳は、
新羅(シラギ)国に、沼が、1つ有り、
名は、阿具奴麻(アグヌマ)と謂い、
この沼の辺りに、賎しい女が、
1人昼寝をしていた。
そして、
日の輝きが、虹のように、
その陰部を射した。
また、賎しい男が、1人居て、
その様子を不思議に思い、いつ
も、その女の有様を見ていた。
それで、
この女は、昼寝していた時から、
妊娠し、赤い玉を生んだ。
そこで、
それを伺っていた賎しい男は、
その玉を頼んで貰ってきて、
いつも、包んで腰に着けていた。
この人(賎しい男)は、
(新羅国の)山谷の間に、
田を作っていたので、
耕作人達の飲食料を
1頭の牛に負わせて、
山谷の中に入り、
(新羅)国王の子、
天之日矛(アメノヒホコ)に出会った。
そこで、(天之日矛が)
その人(賎しい男)に尋ね、
「なぜ、あなたは、飲食料を
牛に負わせて、山谷へ入るのか。
あなたは、絶対、この牛を食べる
だろう。」 と言って、
直に、その人(賎しい男)を捕ら
え、牢屋に入れようとした。
その人(賎しい男)が、答え、
「私は、牛を食べるのではない。
ただ、耕作人の飲食料を運ぶだ
け。」 と言った。
しかし、(天之日矛は)
なお、許さなかった。
そこで、(その賎しい男が)
その腰の(赤い)玉をほどいて、
その国王の子(天之日矛)に贈
ったので、その賤しい男を許し、
その(赤い)玉を持って来て、
床の辺りに置いたところ、
直に、美しい乙女に化身した。
そこで、
(天之日矛は、その乙女と)
結婚し、正妻にした。
そこで、
その乙女は、常に様々な珍味の
物を用意し、
いつも、その夫に食べさせた。
それで、
その国王の子(天之日矛)は、
心が、高慢になり、
妻を罵ったので、その女は、
「およそ、私は、あなたの妻と
なるような女ではない。
私の祖先の国に行く。」
と言って、直に、そっと、
小船に乗り、(新羅国から)逃げ、
(海を)渡って来て、難波(ナニハ)
(摂津国西成)に、留まった。
これは、難波之比売碁曽(ナニハノ
ヒメゴソ)神社に鎮座している
阿加流比売(アカルヒメ)と謂う神
である。
そして、天之日矛(アメノヒホコ)は、
その妻が、逃げたことを聞き、
直に、追いかけ、渡って来た。
丁度、難波(ナニハ)(摂津国西成)
に着くまでに、
その海峡の神が遮って、(天之
日矛を難波に)入れなかった。
それで、(天之日矛は)更に、
但馬(タヂマ)国に戻り停泊した。

【補足】
新羅国王の子 「天之日矛」 は、
高慢な人物であったため、賎し
い男の 「(美しい乙女)を取
り上げて、正妻 「阿加流比売
にしたものの、
その妻に愛想をつかされ、祖国
(摂津国西成)に逃げられた。
即 留其國 而
娶夛遅摩之俣尾
之女 名 前津見
生子
夛遅摩
此之子
夛遅摩斐泥
此之子
夛遅摩比那良岐
此之尓
夛遅麻毛理
次 夛遅摩比夛訶
次 清日子
三柱
此清日子
娶當摩之咩斐
生子
酢鹿之諸男
次 妹 菅竃由良

【此四字 以音】

上云 夛遅摩比夛

娶其姪 由良度
生子
葛城之髙額比賣命
此者 息長帯比賣
命之御祖

其天之日矛
特 渡来物者
玉津寶云 而
珠二貫
又 振浪比礼
【比礼二字 以音
效此】

切浪比礼
振風比礼
切風比礼
又 奧津鏡
邊津鏡
并八種也
此者 伊豆志之八
前大神也
即ち、其の國に留りて、
夛遅摩之俣尾(タヂマノマタヲ)
の女(ヲミナ)、名、前津見(サキツミ)
を娶り、生める子、
夛遅摩
()玖(タヂマモロ
スク)、此の子、
夛遅摩斐泥(タヂマヒネ)、
此の子、
夛遅摩比那良岐(タヂマヒナラキ)、
此の尓
()
夛遅麻
()毛理(タヂマモリ)、
次、夛遅摩比夛訶(タヂマヒタカ)、
次、清日子(キヨヒコ)、
三柱。
此の清日子(キヨヒコ)、
當摩之咩斐(タイマノメヒ)
を娶り、生める子、
酢鹿之諸男(スカノモロヲ)、
次、妹(イモ)、菅竃(スガカマ)由良
(ユラドミ)。
【此の四字、音を以ってす】
故(カレ)、
上に云へる、夛遅摩比夛訶(タヂ
マヒタカ)、
其の姪、由良度(ユラドミ)
を娶り、生める子、
葛城(カツラギ)の髙額比賣(タカ
ヌカヒメ)命、此れは、息長帯比賣
(オキナガタラシヒメ)命の御祖(ミオヤ)。
故(カレ)、
其の天之日矛(アメノヒホコ)、
特(トリワ)け、渡し来たる物は、
玉津寶(タマツタカラ)と云ひて、
珠(タマ)二貫(フタツラ)、
又、振浪(フリナミ)比礼(ヒレ)
【「比礼」 二字、音を以ってし、

(脱字 「下」)(シモ)此れに效(ナラ)
へ】
切浪(キリナミ)比礼(ヒレ)、
振風(フリカゼ)比礼(ヒレ)、
切風(キリカゼ)比礼(ヒレ)、
又、奧津(オキツ)鏡、
邊津(ヘツ)鏡、
并(アハ)せ八種(ヤクサ)也。
此れは、伊豆志之八前(イヅシノ
ヤサキ)大神也。
そのため、その国に留まって、
多遅摩之俣尾(タヂマノマタヲ)の娘、
名が、前津見(サキツミ)
を娶り、生んだ子は、
多遅摩母呂須玖(タヂマモロスク)、
(1)
この(多遅摩母呂須玖の)子が、
多遅摩斐泥(タヂマヒネ)、
(1)
この(多遅摩斐泥の)子が、
多遅摩比那良岐(タヂマヒナラキ)、
(1)
この(多遅摩比那良岐の)子が、
多遅摩毛理(タヂマモリ)、
次に、多遅摩比多訶(タヂマヒタカ)、
次に、清日子(キヨヒコ)、
3人、
この清日子(キヨヒコ)が、
当摩之咩斐(タイマノメヒ)
を娶り、生んだ子は、
酢鹿之諸男(スカノモロヲ)、
次に、妹(イモ)、菅竃由良度美
(スガカマユラドミ)、
(2)
それで、
上述の多遅摩比多訶(タヂマヒタカ)
が、その姪の(菅竃)由良度美
(ユラドミ)を娶り、生んだ子は、
葛城(カツラギ)の高額比売(タカヌカ
ヒメ)命、(1)
これは、息長帯比売(オキナガタラシ
ヒメ)命の母君。
それで、
その天之日矛(アメノヒホコ)が、
特に、渡来させた物は、
玉津宝(タマツタカラ)と云って、
2連、
また、波を起こす細長い布、
波を鎮める細長い布、
風を起こす細長い布、
風を鎮める細長い布、
また、奧津(オキツ)鏡、
辺津(ヘツ)鏡、
合計8種である。
これは、伊豆志之八前(イヅシノ
ヤサキ)大神である。

秋山之下氷壮夫神春山之霞壮夫神 (回想)
原文読み口語訳

神之女
名 伊豆志袁登賣
神 坐也

八十神 雖欲得是
伊豆志袁登賣
皆 不得婚
是 有二神
兄 号秋山之下氷
社夫
弟 名春山之霞
社夫

其兄
謂其弟
吾 雖乞伊豆志袁
登賣 不得婚
汝 得此嬢子乎

荅曰
易 得也

其兄 曰
若 汝 有得此嬢
子者
避上下衣服
量身髙 而
釀甕
亦 山河之物 悉
設 為宇礼豆玖

云 
【自宇至玖
以音
下效此】
故(カレ)、
(コ)の神の女(ヲミナ)、
名、伊豆志袁登賣(イヅシヲトメ)神、
坐(イマ)しき也。
故(カレ)、
八十(ヤソ)神、是の伊豆志袁登賣
(イヅシヲトメ)を得むと欲(ホッ)すと
雖も、皆、婚(ア)ふを得ず。
是れに(オ)いて、二神有り。
兄(エ)、秋山之下氷社
()
(アキヤマノシモヒヲトコ)と号(ナヅ)け、
弟(オト)、春山之霞社
()
(ハルヤマノカスミヲトコ)と名づく。
故(カレ)、
其の兄(エ)、
其の弟(オト)に謂ひしく、
「吾(ア)、伊豆志袁登賣(イヅシヲトメ)
を乞ふと雖も、婚(ア)ふを得ず。
汝(ナ)、此の嬢子(ヲトメ)を得(ウ)る
乎(ヤ)。」 と。
荅(コタ)へ曰く、
「易(ヤス)く、得(ウ)る也。」 と。
(シカ)くして、
其の兄(エ)、曰く、
「若し、汝(ナ)、此の嬢子(ヲトメ)を
得(ウ)ること有らば、
上下衣服(カミシモコロモ)を避(ヤ)り、
身の髙(タケ)を量(ハカ)りて、
甕(ミカ)を釀(カモ)し、
亦、山河の物、悉(コトゴト)く、
()へ設(マ)ける宇礼豆玖
(ウレヅク)を為さむ。」
と云ふこと(シカ)り。
【「宇」 より 「玖」 に至り、
音を以ってし、
下(シモ)此れに效(ナラ)へ】
それで、
この(伊豆志之八前大)神の娘、
名は、伊豆志袁登売(イヅシヲトメ)
神が居られたのである。
それで、
多くの神が、この伊豆志袁登売
(イヅシヲトメ)を得たいと思っても、
皆、結婚できなかった。
そして、2人の神が居た。
兄は、秋山之下氷壮夫(アキヤマノ
シモヒヲトコ)と云い、
弟は、春山之霞壮夫(ハルヤマノカスミ
ヲトコ)と云う。

それで、
その兄(秋山之下氷壮夫)が、
その弟(春山之霞壮夫)に、
「私は、伊豆志袁登売(イヅシヲトメ)
を求めたが、結婚できなかった。
あなたは、この乙女(伊豆志袁
登売)を得られるか。」
と言えば、
(弟、春山之霞壮夫は)答え、
「容易にできる。」
と言った。

そこで、
その兄(秋山之下氷壮夫)は、
「もし、あなたが、この乙女(
豆志袁登売)を得ることがあ
れば、(私は)裃の着物を脱ぎ、
身長を計って、
(その高さの)甕に酒を造り、
また、山河の産物を、すべて、
準備することを賭けよう。」
と言った。

其弟
如兄言
具 白其
即 其
取布遅葛 而
【布遅二字
以音】
一宿之
織縫衣 褌及
襪 沓
亦 作弓矢
令服其衣 褌等
令取其弓矢
遣其嬢子之家者
其衣服及弓矢

成藤花

其春山之霞社夫

以其弓矢
繋嬢子之廁

伊豆志袁登賣
思異其花
將来之時
立其嬢子之後
入其屋
即 婚故
生一子也
(シカ)くして、
其の弟(オト)、
兄(エ)言(コト)の如く、
具(ツブサ)に、其の(ハハ)に白す
に、即ち、其の(ハハ)、
布遅葛(フヂツラ)を取りて、
【「布遅」 二字、
音を以ってす】
一宿(ヒトヨ)の
衣(キヌ)、褌(ハカマ)及び
襪(タビ)、沓(クツ)を織り縫ひき。
亦、弓矢を作り、
其の衣(キヌ)、褌(ハカマ)等を服(キ)
せしめ、其の弓矢を取らしめ、
其の嬢子(ヲトメ)の家に遣(ヤ)れ
ば、其の衣服(コロモ)及び弓矢、
悉(コトゴト)く、
藤花(フヂハナ)に成りき。
是れに(オ)いて、
其の春山之霞社
()夫(ハルヤマノ
カスミヲトコ)、
其の弓矢を以って、嬢子(ヲトメ)
の廁(カハヤ)に繋(カ)けき。
(シカ)くして、
伊豆志袁登賣(イヅシヲトメ)、
其の花を異(アヤ)しと思ひ、
將(モ)ち来たす時、
其の嬢子(ヲトメ)の後(シリヘ)に立
ち、其の屋(ヤ)に入り、
即ち、婚(ア)ふが故(ユエ)、
一子(ヒトコ)を生みき也。
そこで、
その弟(春山之霞壮夫)は、
(秋山之下氷壮夫)が言ったよ
うに、詳しく、その母に申すと、
直ぐに、その母は、藤蔓(フヂツラ)
を取って、1晩のうちに、
上衣、袴と
靴下、靴を織り縫った。
また、弓矢を作り、
(弟、春山之霞壮夫に)
その上衣、袴等を着せ、
その弓矢を持たせ、
その乙女(伊豆志袁登売)の家に
行かせると、
その衣服も弓矢も、
すべて、
藤花(フヂハナ)に変わった。
そして、
その春山之霞壮夫(ハルヤマノカスミ
ヲトコ)は、その弓矢
(藤花)を、乙女(伊豆志袁登売)
の厠(カハヤ)に掛けた。

そこで、
伊豆志袁登売(イヅシヲトメ)が、
その花を不思議に思い、
持って来る時に、
その乙女(伊豆志袁登売)の後
に付いて、その部屋に入り、
直に、結婚したので、
1人の子を生んだのである。

白其兄 曰
吾者 得伊豆志袁
登賣

其兄 慷愾弟之婚

以 不償其宇礼豆
玖之物

愁 白其之時
御祖 荅曰
我御世之事
能 許曽
【此二字 以音】
神習
又 宇都志岐青人
草 習午
不償其物
恨其兄子
乃 取其伊豆志河
之河嶋之節竹

作八目之
取其河石 合塩
而 曩其竹葉
令詛
如此竹葉青
如此竹葉萎
而 青 萎
又 如此塩之盈乾

而 盈乾
又 如此石之沈
而 沈臥
如此 令詛
烟上
是以
其兄 八年之
干萎 病 枯

其兄 患泣
請其御祖者

令返其詛戸

其身 如
以 安 平也
此者 神宇礼豆玖
之言者也
(シカ)くして、
其の兄(エ)に白し、曰く、
「吾(ア)は、伊豆志袁登賣(イヅシ
ヲトメ)を得たり。」 と。
是れに(オ)いて、
其の兄(エ)、弟(オト)の婚(ア)ひし
ことを慷愾(ナゲキタメイキ)し、
以って、其の宇礼豆玖(ウレヅク)
の物を償(ツグノ)はず。
(シカ)くして、
愁ひ、其の(ハハ)に白す時、
御祖(ミオヤ)、荅(コタ)へ曰く、
「我(ア)が御世の事、
能く、許曽(コソ)
【此の二字、音を以ってす】
神を習へ。
又、宇都志岐(ウツシキ)青人草(アヲ
ヒトクサ)、習ふ午
()(ヤ)、
其の物を償(ツグノ)はず。」 と。
其の兄(エ)の子を恨み、
乃ち、其の伊豆志(イヅシ)河の
河嶋(カハシマ)の節竹(フシタケ)を
取りて、
八目の
()籠(アラゴ)を作り、
其の河石を取り、塩
()に合へ
て、其の竹葉に曩
()(ツツ)み、
詛(トゴ)はしめ、
「此の竹葉の青むが如く、
此の竹葉の萎(シヲ)るるが如く、
而して、青み、萎(シヲ)れよ。
又、此の塩
()の盈(ミ)ち乾(ヒ)
るが如く、
而して、盈(ミ)ち、乾(ヒ)よ。
又、此の石の沈むが如く、
而して、沈み、臥(フ)せ。」 と。
此(カク)の如く、詛(トゴ)はしめ、
烟(ケブリ)上(ヘ)に置きき。
是れを以って、
其の兄(エ)、八年(ヤトセ)の
干(ヒ)萎(シヲ)れ、病み、枯れき。
故(カレ)、
其の兄(エ)、患へ泣き、
其の御祖(ミオヤ)に請(マウ)せば、
即ち、
其の詛戸(トゴト)を返しめき。
是れに(オ)いて、
其の身、の如く、
以って、安く、平(タイラ)けし也。
此れは、神宇礼豆玖(カムウレヅク)
の言(コト)の也。
そこで、(弟、春山之霞壮夫が)
(秋山之下氷壮夫)に申し、
「私は、伊豆志袁登売(イヅシヲトメ)
を得た。」 と言った。
そして、
その兄(秋山之下氷壮夫)は、
(春山之霞壮夫)(伊豆志
袁登売との)結婚を嘆き、
その賭けの物を償わなかった。
そこで、(弟、春山之霞壮夫は)
憂い、その母に申した時、
母が、答え、
「この御世(時代)の事は、
(の振舞い)に習うもの。

また、現実の青人草(アヲヒトクサ)
(一般人)(神の振舞いに)
習っているが、
(兄、秋山之下氷壮夫は)賭けの
物を償わない。」 と言った。
(母は)その兄の子(秋山之下氷
壮夫)を恨み、
直に、その伊豆志(イヅシ)川(
馬国出石)の川島の節竹を取っ
て、粗目の籠を作り、
その川の石を取り、潮に漬けて、
その竹(節竹)の葉に包み、
(弟、春山之霞壮夫に)
「この竹葉が、青々と茂るよう
に、この竹葉が、萎れるように、
茂ったり、萎れたりせよ。
また、この潮が、満ち、引きする
ように、満ち、引きせよ。
また、この石が、沈むように、
沈め。」 と、
このように、呪詛させ、(石を入
れた籠を)煙の上に置いた。
そこで、
その兄(秋山之下氷壮夫)は、
8年間、萎れ、病気になった。
それで、
その兄(秋山之下氷壮夫)は、
嘆き泣き、その母に頼むと、
直に、(母は、弟に)その呪いを
解かせた。
そして、
その(兄の)身体は、元のように、
健康になったのである。
これは、神賭け
の言葉の元である。

品陀和気天皇の孫
原文読み口語訳

此品天皇之御子
若野毛二俣王
取其
百師木伊
亦名 弟日賣真若
比賣命
生子
大郎子
亦名 意冨々梯王

次 忍坂之大中津
比賣命
次 田井之中比賣
次 田宮之中比賣
次 藤原之琴節郎

次 取賣王
次 沙祢王
七王

意冨々梯王者
三國君
波夛君
息道君
筑紫之米夛君
長坂君
酒人君
山布君等之祖也
又 根鳥王
妹 三腹郎女
生子
中日子王
次 伊和嶋王
二柱
又 堅石王之子者
久奴王也
又、
此の品天皇(ホムダスメラミコト)の
御子、若野毛二俣(ワカノケフタマタ)王
(ミコ)、其の弟(イロト)、
百師木伊弁(モモシキイロベ)、
亦の名、弟日賣真若比賣(オトヒメ
マワカヒメ)命を取り、
生める子、
大郎子(オホイラツコ)、
亦の名、意冨冨梯
()(オホホド)
王(ミコ)、
次、忍坂之大中津比賣(オサカノ
オホナカツヒメ)命、
次、田井之中比賣(タイノナカヒメ)、
次、田宮之中比賣(タミヤノナカヒメ)、
次、藤原之琴節郎女(フヂハラノ
コトフシイラツメ)、
次、取賣(トリメ)王(ミコ)、
次、沙祢(サネ)王(ミコ)、
七王(ミコ)。
故(カレ)、
意冨冨梯
()(オホホド)王(ミコ)は、
三國(ミクニ)君、
波夛(ハタ)君、
息道
()(オキナガ)君、
筑紫之米夛(ツクシノメタ)君、
長坂(ナガサカ)君、
酒人(サカヒト)君、
山布(ヤマフセ)君等の祖(オヤ)也。
又、根鳥(ネトリ)王(ミコ)、
妹(ママイモ)、三腹郎女(ミハライラツ
メ)を娶り、生める子、
中日子(ナカヒコ)王(ミコ)、
次、伊和嶋(イワシマ)王(ミコ)、
二柱。
又、堅石(カタイハ)王(ミコ)の子は、
久奴(クヌ)王(ミコ)也。
また、
この品陀(ホムダ)天皇の御子の若
()毛二俣(ワカヌケフタマタ)皇子
が、その母の妹、百師木伊呂弁
(モモシキイロベ)、亦の名は、
弟日売真若比売(オトヒメマワカヒメ)命
を娶り、生んだ子は、
大郎子(オホイラツコ)、
亦の名は、意冨冨杼(オホホド)
皇子、
次に、忍坂之大中津比売(オサカノ
オホナカツヒメ)命、
次に、田井之中比売(タイノナカヒメ)、
次に、田宮之中比売(タミヤノナカヒメ)、
次に、藤原之琴節郎女(フヂハラノ
コトフシイラツメ)、
次に、取売(トリメ)皇子、
次に、沙祢(サネ)皇子、
7人。
それで、
意冨冨杼(オホホド)皇子は、
三国(ミクニ)君、
波多(ハタ)君、
息長(オキナガ)君、
筑紫之米多(ツクシノメタ)君、
長坂(ナガサカ)君、
酒人(サカヒト)君、
山布勢(ヤマフセ)君達の祖先であ
る。
また、根鳥(ネトリ)皇子が、
異母妹の三腹郎女(ミハライラツメ)
を娶り、生んだ子は、
中日子(ナカヒコ)皇子、
次に、伊和島(イワシマ)皇子、
2人。
また、堅石(カタイハ)(迦多遅)皇子
の子は、久奴(クヌ)皇子である。
 此品天皇
御年 壹佰拾歳
甲午年九月九日

御陵 在川内恵賀
之裳伏
(オヨ)そ、此の品天皇(ホムダス
メラミコト)、御年、壹佰拾歳、甲午(キノエウマ)年九月(ナガツキ)九日崩
(カムザ)る。
御陵(ミサザキ)、川内恵賀(カハチエガ)
の裳伏(モフシオカ)に在る也。
およそ、この品陀(ホムダ)天皇(
神天皇)は、御年、130歳、甲午
(キノエウマ)年99日死去した。
御陵は、河内恵我(カハチエガ) の
裳伏崗(モフシオカ)(河内国志紀)
在るのである。


ページトップへ戻る