7.考察と結論

7.1 考察

7.1.1 語部の役割

語部の役割は、上古の歴史を後世に伝誦し、流布させる媒体となることで、次の通り。

語部の役割
役割1. 上古の歴史を後世に伝誦する
● 漢字が導入される前(西暦400年頃)には、次のの方法があった。
 語部により、歴史を古詞言葉で伝誦する。
 上記の誦習用の覚書きとして、語部により、神代文字表記で記録する。
● 漢字が導入された後(西暦400年頃)には、上記に、次のが加わった。
 語部により伝誦された歴史の古詞言葉を、文官により、漢字表記で採録する。
 語部の誦習用の覚書き(神代文字表記)を、文官により、漢字表記に変換する。
● 上記漢字表記の方法には、音(表音)、訓(表意)、音訓混用(表音表意)がある。

役割2. 上古の歴史を後世に流布させる
● 神代文字や漢字で表記された歴史文書は、多くても正副各1部で、貴重であるため、
 そのような文書は、秘蔵されがちで流布され難い。
● それで、歴史を早く流布させるには、文書より古詞言葉にして、当時の大嘗祭等朝廷
 の儀式において、語部に奏上させるのが良い。

「古事記」 の場合(西暦681年頃-712年)は、語部が、次のように、用いられた。
● 天武天皇の狙いは、正しい帝紀(系譜)旧辞(歴史)流布させることにあって、
 先ず、天皇家にある帝紀及本辞に修正を加えて出来た 「帝皇日継及先代旧辞」 の
 先代旧辞部分(勅語旧辞」 という)から、正しい帝紀(系譜)旧辞(歴史)を作り、
 正しい 「勅語旧辞」 の古詞言葉を、上記のように、語部の稗田阿礼に誦習させて、
 大嘗祭等朝廷の儀式で奏上させ、儀式出席者を通して流布させるつもりであった。
● 元明女帝の狙いは、旧辞(歴史)の誤認先紀(系譜)誤りを正すことにあって、
 別途、舎人親王らが編纂中の国史 「日本紀(後に、「日本書紀」 に改名される)
 草案が出来てきたので、その内容を照査(旧辞の誤認先紀の誤りを正す)するため
 に、天武天皇が正しい歴史とする 「勅語旧辞」 の古詞言葉を、語部の稗田阿礼に誦
 み上げさせ、上記のように、文官の太安萬侶に漢字表記で採録させて、比較資料
 にするつもりであった。
● 表音表記例 地名 : 伊耶那岐命伊耶那美命が結婚した 「淤能碁呂」(オノゴロ)島等
       人名 : 別天神の 「宇摩志阿斯訶備比古遅」(ウマシアシカビヒコヂ)神等
        歌 : 速須佐之男命が歌った 「夜久毛」(ヤクモタツ)


7.1.2 「古事記」 上巻(序并)における太安萬侶による誤解

文官の太安萬侶により付け加えられた 「序并」 と、語部の稗田阿礼により伝誦された
 「勅語旧辞(本文)との間には、下記のような認識の異る部分があるが、
 「勅語旧辞」 を理解するには、当然、「勅語旧辞」 本文(稗田阿礼)を優先すべきである。

認識の相違 
序并 (太安萬侶)「勅語旧辞」 本文 (稗田阿礼)
大本の混沌は、既に固まったが、
形態は、未だ広がらず、名もなく、動きも
なく、誰も、その形はわからなかった。
天地初發之時(天地が初めてできた時)
と切り出して、天地(天族の領地)ができる
前の状態を、混沌」 とは言っていない
天地が初めて分かれると、
(天之御中主神高御産巣日神
神産巣日神)が、創造主となり、
陰陽(男女)が分かれると、
(伊耶那岐神伊耶那美神)が、
万物の祖となった。
伊耶那岐(イヤナキ)神が、黄泉(ヨミ)国から
帰り目を洗うと、
日神(天照大御神)月神(月読命)
現われ、海水の禊で、神々が現われた。
天地が分かれ」 と言わず、「天地初發之
(天地が初めてできた時)とし、「成神
(成った神)神を 創造主」 と言わず
男女510神の 「成神(成った神)の内、
霊が、万物の祖」 であるとも言わず
伊耶那岐(イヤナキ)神が黄泉(ヨミ)国から
帰って禊をしたのは、
竺紫日向の橘小門阿波岐原(筑紫国早良)
の中瀬(川の中流)であって、
海水の禊」 ではない
神との因縁は、遠く不明だが、
古くからの言い伝えによって、神が、
国土を孕み、島を産んだ時のことを知り、
物事の始めは、大昔のことだが、
先代の聖人のお蔭で、神を生み、
人ができた時代のことを察する。
語部は、正確に伝誦することが本分であり、
遠く不明」 とか、「大昔のこと」 のような
上古の歴史を曖昧にする言葉を使わない

霊が、「生嶋(島を生む=新天地獲得)
たとしても、国土を 孕み、島を 産んだ
とは言っていない


7.1.3 「古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)の本文における重要コンテンツ

コンテンツの字数ランキング(中巻合計 34,091字を、100.0とする)は、
 No.1~12位だけで、91.5を占めており、これらは、天武天皇の 「勅語旧辞
 の中でも、重要コンテンツと考えられ、加えて、15代 応神天皇(3,753)を、
 最重視していることがわかる。 (下巻では、第16代 仁徳天皇 2,711字 が最大)
 上中巻全体の No.1~22位 は、次の通り。

No.字数内訳比率コンテンツ
13,753 字 11.0 %  品陀和気天皇 (15代 応神天皇)
23,621 字 10.6 %  神世第12代 伊耶那岐命と伊耶那美命
33,498 字 10.3 %  出雲第6世 大国主神
43,484 字 10.2 %  大帯日子淤斯呂和気天皇 (12代 景行天皇)
53,015 字 8.8 %  神倭伊波礼毘古命 (1代 神武天皇)
62,909 字 8.5 %  神世第13代 天照大御神と速須佐之男命
72,452 字 7.2 %  伊久米伊理毘古伊佐知命 (11代 垂仁天皇)
82,243 字 6.6 %  神世第13代 天照大御神による葦原中国平定
91,648 字 4.8 %  神世第15代 火遠理命
101,615 字 4.7 %  帯中津日子天皇 (14代 仲哀天皇)
111,550 字 4.5 %  神世第14代 迩迩芸命
121,453 字 4.3 %  御真木入日子印恵命 (10代 崇神天皇)
31,241 字     91.5
13932 字 2.7 %  若倭根子日子大毘毘命 (9代 開化天皇)
14491 字 1.4 %  大倭根子日子国玖琉命 (8代 孝元天皇)
15358 字 1.1 %  大倭根子日子賦斗迩命 (7代 孝霊天皇)
16327 字 1.0 %  天地初発の時
17200 字 0.6 %  師木津日子玉手見命 (3代 安寧天皇)
18161 字 0.5 %  御真津日子訶恵志泥命 (5代 孝昭天皇)
19115 字 0.3 %  若帯日子天皇 (13代 成務天皇)
20113 字 0.3 %  大倭日子友命 (4代 懿徳天皇)
2195 字 0.3 %  大倭帯日子国押人命 (6代 孝安天皇)
2258 字 0.2 %  神沼河耳命 (2代 綏靖天皇)
34,091 字   100.0

上記No.1~12位の重要コンテンツについて、時系列順に並べ替えると、次の通り、
 「古事記」 上中巻の概要そのものになる。

No.コンテンツ
2 神世第12代 伊耶那岐命と伊耶那美命
(伊耶那岐命伊耶那美命)が、淤能碁呂島へ
神が、淤能碁呂島で結婚
神が、島々を生む (淡道之穂之狭別島両児島)
神が、神々を生む (大事忍男神和久産巣日神)
伊耶那岐命が、伊耶那美命を殺した火神に報復
伊耶那岐命が、伊耶那美命の逝った黄泉国へ行く
伊耶那岐命の黄泉国帰りの禊で、神々貴子成る
伊耶那岐大御神が、天照大御神に治世を託して死去
6 神世第13代 天照大御神と速須佐之男命
建速須佐之男命が、天照大御神に対して反逆
速須佐之男命と天照大御神が、誓約し決裂
天照大御神が、天岩屋戸に避難復活して、反逆鎮圧
速須佐之男命が、大宜都比売神の国へ立ち寄る
速須佐之男命が、出雲国で八俣遠呂智退治
出雲始祖速須佐之男命出雲第6世大国主神の系譜
3 出雲第6世 大国主神
大穴牟遅神時代 (出雲国因幡国 因幡の白兎)
大穴牟遅神時代 (伯耆国手間木国 受難逃亡)
葦原色許男時代 (木国根之堅州国 大神訪問)
八千矛神時代 (出雲国越国 妻問い)
大国主神の子孫
少名毘古那神(神産巣日神の御子)による政治介入
御諸山の神(大物主神)による協力 (畿内統一)
大年神の子孫
8 神世第13代 天照大御神による葦原中国平定
天之菩卑神による平定 (1)
天若日子による平定 (2)
建御雷之男神による(事代主神)平定 (3)
建御雷之男神による(建御名方神)平定 (3)
建御雷之男神による(大国主神)平定 (3)
11 神世第14代 迩迩芸命
迩迩芸命(天之忍穂耳命の御子)の誕生
迩迩芸命が、猿田毘古神の先導で天降る
天宇受売命を猿女君と呼ぶ
迩迩芸命の御子、火遠理命の誕生
9 神世第15代 火遠理命
火照命(海佐知毘古)と火遠理命(山佐知毘古)
火遠理命(山佐知毘古)が、綿津見神を訪問
火遠理命()が、火照命()を服従させる
火遠理命の御子、鵜草葺不合命の誕生
鵜草葺不合命の御子 (火遠理命の孫)
5 神倭伊波礼毘古命 (1代 神武天皇)
五瀬命()と共に東征 (筑紫安芸吉備)
五瀬命()の敗戦死去 (速汲門日下紀伊)
熊野で苦戦の神倭伊波礼毘古命を救援
八咫烏の先導で進軍 (熊野吉野宇陀)
久米歌で進撃大和国平定 (宇陀忍坂畝傍)
神倭伊波礼毘古命の子孫
12 御真木入日子印恵命 (10代 崇神天皇)
御真木入日子印恵命の御子と治世
意冨多多泥古、大物主大神の祟りを鎮める
大毘古命建沼河別命による北東征圧
7 伊久米伊理毘古伊佐知命 (11代 垂仁天皇)
伊久米伊理毘古伊佐知命の御子と治世
皇后の沙本毘売命兄の沙本毘古皇子による反逆
御子の本牟智和気皇子に、出雲大神の祟り
丹波美知能宇斯皇子の娘、円野比売命の自殺
時じくの香の木の実を求めて、多遅摩毛理を派遣
4 大帯日子淤斯呂和気天皇 (12代 景行天皇)
大帯日子淤斯呂和気天皇の御子と治世
小碓命(倭建命)が、熊曽建を討伐 (纒向熊曽)
倭建命が、出雲建を討伐 (熊曽出雲纒向)
倭建命が、東方征討 (纒向尾張東国尾張)
倭建命が、尾張美夜受比売と結婚 (尾張伊吹野)
倭建命の死去 (伊吹野当芸野尾張能煩野)
倭建命は、八尋白智鳥になる (能煩野河内)
倭建命の子孫
10 帯中津日子天皇 (14代 仲哀天皇)
帯中津日子天皇の御子
帯中津日子天皇、熊曽国征討途上の筑紫で死去
息長帯日売命(神功皇后)の韓地侵攻と太子誕生
香坂皇子忍熊皇子による反逆 (難波山背近江)
太子後見人、建内宿祢大臣 (近江⇔敦賀⇔都)
1 品陀和気天皇 (15代 応神天皇)
品陀和気天皇の御子
皇子 (大山守命大雀命宇遅能和紀郎子)
宇遅能和紀郎子の母、矢河枝比売
大雀命の后、髪長比売
大雀命への吉野国栖の歌
品陀和気天皇の治世
品陀和気天皇死後、兄皇子(大山守命)による反逆
新羅国王の子、天之日矛の渡来(但馬) (回想)
秋山之下氷壮夫神春山之霞壮夫神 (回想)
品陀和気天皇の孫


7.1.4 「古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)の本文における戦い

天族の権力を増大させる過程で発生した35戦の内訳は、
 侵略16討伐5反逆8私闘4処刑2 で、当時の戦いを例示しており、
 その中で、形勢不利な個人戦では、謀略5 を用いることが、平然と行なわれている。

 天族が領地を拡大するために行なった侵略戦は、次の通り。
 No.1   天地初発の戦
     神世第1代 天之御中主神(天族) vs (韓人)新羅
 No.2   建国の戦
     神世第6代 国之常立神(天族) vs (倭人)対馬壱岐
 No.3   新天地の開拓戦
     神世第12代 伊耶那岐命(天族) vs (倭人)九州四国山陽瀬戸内
 No.6   出雲侵攻
     神世第12代 伊耶那岐命(天族) vs (倭人)黄泉神
 No.13-15 出雲併合の戦
     建御雷之男神と天鳥船神(天族) vs (倭人)出雲第8世 八重事代主神
     建御雷之男神(天族) vs (倭人)建御名方神
     建御雷之男神(天族) vs (倭人)出雲第6世 大国主神
 No.17-20 畿内侵攻
     五瀬命と神倭伊波礼毘古命(天族) vs (倭人)登美能那賀須泥毘古
     神倭伊波礼毘古命(天族) vs (倭人)大熊熊野山の国神
     神倭伊波礼毘古命(天族) vs (倭人)兄宇迦斯
     神倭伊波礼毘古命(天族) vs (倭人)土蜘蛛の八十建
 No.22 吉備国平定
     第7代 孝霊天皇の、大吉備津日子命 他(天族) vs (倭人)吉備国
 No.23 越国平定
     第8代 孝元天皇の、大毘古命(天族) vs (倭人)越国
 No.24 東方12道平定
     第8代 孝元天皇のの大毘古命の、建沼河別命(天族) vs (倭人)東国
 No.31 東方12道征討
     第12代 景行天皇の、倭建命(天族) vs (倭人)東国
 No.33 韓地侵攻
     第14代 仲哀天皇の皇后(神功皇后)(天族) vs (韓人)新羅国王

 また、拡大した天族の領地内で、次のような、討伐戦が行なわれた。
 No.5   火之迦具土神の変を鎮圧討伐
     神世第12代 伊耶那岐命(天族) vs (倭人)火之迦具土神
 No.11 八俣遠呂知討伐
     速須佐之男命(出雲始祖)(天族) vs (倭人)越国の八俣遠呂知
 No.25 丹波国の玖賀耳之御笠討伐
     第9代 開化天皇の、日子坐皇子(天族) vs (倭人)玖賀耳之御笠
 No.29 熊曽建討伐
     第12代 景行天皇の、小碓命(倭建命)(天族) vs (倭人)熊曽建兄弟
 No.30 出雲建討伐
     第12代 景行天皇の、倭建命(天族) vs (倭人)出雲建

 また、天族の王位(皇位)を巡り、次のような、反逆戦が発生した。
 No.4   火之迦具土神の変
     火之迦具土神(倭人) vs (天族)神世第12代 伊耶那岐命の后、伊耶那美命
 No.8   速須佐之男命の乱
     速須佐之男命()(天族) vs (天族)神世第13代 天照大御神()
 No.21 当芸志美美の乱
     第1代 神武天皇の、当芸志美美(天族) vs (天族)神沼河耳命(異母弟)
 No.26 建波迩夜須毘古皇子の乱
     第8代 孝元天皇の、建波迩夜須毘古(天族) vs (天族)大毘古命(異母弟)
 No.27 沙本毘古皇子の乱
     第9代 開化天皇の、沙本毘古皇子(天族) vs (天族)11代 垂仁天皇
 No.32 神功皇后の変
     第14代 仲哀天皇の皇后(神功皇后)(天族) vs (天族)14代 仲哀天皇
 No.34 香坂皇子忍熊皇子の乱
     第14代 仲哀天皇の、忍熊皇子 他(天族) vs (天族)大鞆和気命(異母弟)
 No.35 大山守命の乱
     第15代 応神天皇の、大山守命(天族) vs (天族)宇遅能和紀郎子(異母弟)

 また、私闘戦は、次の通り。
 No.10 速須佐之男命の下野
     速須佐之男命(天族) vs (倭人)大冝都比売神
 No.12 出雲王位を争奪
     出雲第6世 大穴牟遅神(倭人) vs (倭人)八十神(兄弟)
 No.16 火遠理命の変
     神世第14代 迩迩芸命の、火遠理命()(天族) vs (天族)火照命()
 No.28 大碓命を殺害
     第12代 景行天皇の、小碓命()(天族) vs (天族)大碓命()

 また、処刑戦は、次の通り。
 No.7   速須佐之男命の背任を処刑
     神世第12代 伊耶那岐大御神()(天族) vs (天族)速須佐之男命()
 No.9   速須佐之男命の乱を鎮圧処刑
     神世第13代 天照大御神()(天族) vs (天族)速須佐之男命()

 なお、上記の中で、謀略が、次のような、天族の個人戦で用いられた。
 No.11 八俣遠呂知討伐
     速須佐之男命(出雲始祖)(天族) vs (倭人)越国の八俣遠呂知
 No.16 火遠理命の変
     神世第14代 迩迩芸命の、火遠理命()(天族) vs (天族)火照命()
 No.29 熊曽建討伐
     第12代 景行天皇の、小碓命(倭建命)(天族) vs (倭人)熊曽建兄弟
 No.30 出雲建討伐
     第12代 景行天皇の、倭建命(天族) vs (倭人)出雲建
 No.32 神功皇后の変
     第14代 仲哀天皇の皇后(神功皇后)(天族) vs (天族)14代 仲哀天皇

上記戦いの詳細は、下記 No.1~No.35 の通り。

No.戦名対戦結果
1天地初発の戦
(侵略)
神世第1代 天之御中主神
(天族) vs (韓人)
新羅
天之御中主(アメノミナカヌシ)神(大王)が、
高天原(タカアマハラ)(海原の高み)=山島
=佐度(サト)=韓地巨済島に、天地(アメ
ツチ)(天族の領地)を初めて開発。
2建国の戦
(侵略)
神世第6代 国之常立神
(天族) vs (倭人)
対馬壱岐
国之常立(クニノトコタチ)神(国王)が、
建国して、高天原(タカアマハラ)()
韓地巨済島壱岐(イキ)に遷都。
3新天地の
開拓戦
(侵略)
神世第12代 伊耶那岐命
(天族) vs (倭人)
九州四国山陽瀬戸内
伊耶那岐(イヤナキ)命は、伊耶那美(イヤナミ)
命と共に、壱岐(イキ)を拠点にして本土
=新天地(天族の新領地)へ進出(生島)
し、占領地に役人を選任(生神)
4火之迦具土神
の変
(反逆)
火之迦具土神
(倭人) vs (天族)
神世第12代 伊耶那岐命
の后、伊耶那美命
火之迦具土(ホノカグヅチ)神(讃岐国の役
)の反逆により、伊耶那美(イヤナミ)命
が、負傷死去出身地の東出雲(イヅモ)
(出雲国意宇)に搬送埋葬される。
5火之迦具土神
の変を鎮圧
討伐(討伐)
神世第12代 伊耶那岐命
(天族) vs (倭人)
火之迦具土神
伊耶那岐(イヤナキ)命が、火之迦具土
(ホノカグヅチ)神(讃岐国の役人)を討伐
し、新役人を天族から選任(成神)
6出雲侵攻
(侵略)
神世第12代 伊耶那岐命
(天族) vs (倭人)
黄泉神
伊耶那岐(イヤナキ)命が、伊耶那美(イヤナミ)
命の遺体引き取りと偽り、黄泉(ヨミ)国
(東出雲=出雲国意宇)に侵攻したが、
失敗して出雲(イヅモ)国から撤退。
7速須佐之男命
の背任を処分
(処刑)
神世第12
伊耶那岐大御神()
(天族) vs (天族)
速須佐之男命()
伊耶那岐(イヤナキ)大御神が、
自分の命令に背き、海原(日本海・対馬)
を治めない速須佐之男(ハヤスサノヲ)命を、
根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国
仁多)へ追放処分した。
伊耶那岐(イヤナキ)大御神は、引責引退し、
淡海(アフミ)(筑紫国那珂野間大池)多賀
(タガ)に隠居して、死去。
8速須佐之男命
の乱
(反逆)
速須佐之男命()
(天族) vs (天族)
神世第13
天照大御神()
速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、
天照(アメテラス)大御神の王権を奪おうと、
高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)を急襲。
2人は、和解の誓約(ウケヒ)のため、人財
(人質)を出し合うが、速須佐之男(ハヤス
サノヲ)命が、異議を唱え、誓約(ウケヒ)決裂。
機屋に居た天照(アメテラス)大御神は、
速須佐之男(ハヤスサノヲ)命に急襲され、
負傷して死去(天服織女と交代)
9速須佐之男命
の乱を鎮圧
(処刑)
神世第13
天照大御神()
(天族) vs (天族)
速須佐之男命()
天照(アメテラス)大御神(天服織女)は、
日昇で復活し、速須佐之男(ハヤスサノヲ)命
を捕らえて、反逆罪で根之堅州(ネノカタス)
(奥出雲=出雲国仁多)へ追放。
10速須佐之男命
の下野
(私闘)
速須佐之男命
(天族) vs (倭人)
大冝都比売神
速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、追放先へ
赴く途上、(阿波国の)大冝都比売
(オホゲツヒメ)神を殺害して物資を調達。
11八俣遠呂知
討伐
(討伐・謀略)
速須佐之男命
(出雲始祖)
(天族) vs (倭人)
越国の八俣遠呂知
速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、足名椎
(アシナヅチ)の娘、櫛名田比売(クシナダヒメ)
と根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲)を、
八俣遠呂知(ヤマタヲロチ)に代って獲得。
12出雲王位を
争奪
(私闘)
出雲第6世 大穴牟遅神
(倭人) vs (倭人)
八十神(兄弟)
大穴牟遅(オホアナムヂ)神は、八十(ヤソ)神
に殺害されるが、復活して逃亡。
須佐之男(スサノヲ)大神の神託により、
その娘、須勢理毘売(スセリビメ)を正室に
して、八十(ヤソ)神を放逐。
13出雲併合の戦
(侵略)
建御雷之男神と天鳥船神
(天族) vs (倭人)
出雲第8世 八重事代主神
建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神に、連行さ
れた八重事代主(ヤヘコトシロヌシ)神は、
出雲(イヅモ)を天照(アメテラス)大御神の御
子に奉げる、と言い、天鳥船(アメトリフネ)
神の船から、海に飛び込んで自害。
14建御雷之男神
(天族) vs (倭人)
建御名方神
建御名方(タケミナカタ)神は、建御雷之男
(タケミカヅチノヲ)神に諏訪海(スハミ)に
追われ、天照(アメテラス)大御神の御子に、
出雲(イヅモ)を献上する、と言った。
15建御雷之男神
(天族) vs (倭人)
出雲第6世 大国主神
大国主(オオクニヌシ)神が、自分の住むとこ
ろを、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)
見えるように、高く建ててくれるなら、
自害して幽界で静かにしている、と建
御雷之男(タケミカヅチノヲ)神に言ったので、
出雲第9世 鳥鳴海(トリナルミ)神以下、
百八十(モモヤソ)神が、天照(アメテラス)大御
神の御子に仕えることになった。
16火遠理命の変
(私闘・謀略)
神世第14代 迩迩芸命の
、火遠理命()
(神世第15)
(天族) vs (天族)
神世第14代 迩迩芸命の
、火照命()
火遠理(ホヲリ)命が、
火照(ホデリ)命を、塩満珠(シオミツタマ)で
溺れさせて攻め、助けを求めてきたら、
塩乾珠(シオヒルタマ)で救う等したので、
火照(ホデリ)命は、火遠理(ホヲリ)命の近
衛兵として仕えることになった。
17畿内侵攻
(侵略)
五瀬命と
神倭伊波礼毘古命
(1代 神武天皇)
(天族) vs (倭人)
登美能那賀須泥毘古
五瀬(イツセ)命と神倭伊波礼毘古
(カムヤマトイハレビコ)命は、
日下之蓼津(クサカノタデツ)(河内国河内湾)
の登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)
の攻撃で退却。
毒矢を受けた五瀬(イツセ)命は、男之水門
(ヲノミナト)(紀伊国海部雄湊)で死去。
18神倭伊波礼毘古命
(1代 神武天皇)
(天族) vs (倭人)
大熊熊野山の国神
神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命は、
熊野(クマノ)村(紀伊国那賀高倉山)で、
気を失ったが、
高倉下(タカクラジ)が、天照(アメテラス)大御
神と高木(タカキ)神(高御産巣日神)から
届いた太刀(救援物資)を献上すると、
正気を取り戻して、熊野(クマノ)山(紀伊
国那賀高倉山)の荒ぶる国神を討伐。
19神倭伊波礼毘古命
(1代 神武天皇)
(天族) vs (倭人)
兄宇迦斯
宇陀(ウダ)(大和国宇陀)の兄宇迦斯
(エウカシ)が、八咫烏(ヤタカラス)(使者)
射殺し、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)
命を御殿に入れて、殺そうとしている、
との密告を受けたので、
兄宇迦斯(エウカシ)を、御殿の中に追い込
むと、兄宇迦斯(エウカシ)は、自ら仕掛けた
罠に嵌って死去。
20神倭伊波礼毘古命
(1代 神武天皇)
(天族) vs (倭人)
土蜘蛛の八十建
神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命は、
忍坂大室(オサカオホムロ)(大和国城上忍坂)
で待ち構える土蜘蛛(ツチグモ)の八十建
(ヤソタケル)(多くの族長)に、御馳走を出
すためとして八十膳夫(ヤソカシハデ)(
くの料理人)を付け、隠し持った刀で、
歌を合図に一斉に、八十建(ヤソタケル)
(多くの族長)を斬らせた。
21当芸志美美
の乱
(反逆)
1代 神武天皇の
当芸志美美(異母兄)
(天族) vs (天族)
1代 神武天皇の
神沼河耳命(異母弟)
(2代 綏靖天皇)
1代 神武天皇の死後、正室との子、
当芸志美美(タギシミミ)命が、現皇后の
3人の子達を殺そう、と謀っていた。
現皇后が、その陰謀を子達に知らせ
ると、子の神沼河耳(カムヌナカハミミ)命が、
当芸志美美(タギシミミ)を討伐。
22吉備国平定
(侵略)
7代 孝霊天皇の
大吉備津日子命と
若日子建吉備津日子命
(天族) vs (倭人)
吉備国
大吉備津日子(オホキビツヒコ)命と若日子
建吉備津日子(ワカヒコタケキビツヒコ)命が、
播磨(ハリマ)国から吉備(キビ)国に入っ
て、吉備(キビ)国を平定。
23越国平定
(侵略)
8代 孝元天皇の
大毘古命
(天族) vs (倭人)
越国
10代 崇神天皇が、
伯父の大毘古(オホビコ)命を、越(コシ)国
(北陸道方面)に派遣して、平定。
24東方12
平定
(侵略)
8代 孝元天皇のの大
毘古命の、建沼河別命
(天族) vs (倭人)
東国
10代 崇神天皇が、
従兄の建沼河別(タケヌナカハワケ)命を、
東方12(東海道東山道方面)
派遣して、平定。
25丹波国の玖賀
耳之御笠討伐
(討伐)
9代 開化天皇の
日子坐皇子
(天族) vs (倭人)
玖賀耳之御笠
10代 崇神天皇が、異母弟の日子坐
(ヒコイマス)皇子を派遣して、丹波(タニハ)国
の玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)を討伐。
26建波迩夜須毘
古皇子の乱
(反逆)
8代 孝元天皇の
建波迩夜須毘古皇子
(異母兄)
(天族) vs (天族)
8代 孝元天皇の
大毘古命(異母弟)
10代 崇神天皇が、山背(ヤマシロ)国に
赴任した建波迩夜須毘古(タケハニヤスビコ)
皇子の反逆に対し、
伯父の大毘古(オホビコ)命を派遣して、
討伐。
27沙本毘古皇子
の乱
(反逆)
9代 開化天皇の
沙本毘古皇子と
沙本毘売命
(天族) vs (天族)
9代 開化天皇の
11代 垂仁天皇
11代 垂仁天皇の皇后になった沙本
毘売(サホビメ)命が、
兄の沙本毘古(サホビコ)皇子に、天皇を
殺せ、と頼まれたことを白状したので、
垂仁天皇は、沙本毘古(サホビコ)皇子を
討ち、子の本牟智和気皇子を引き取っ
たが、皇后沙本毘売(サホビメ)命は、兄の
沙本毘古(サホビコ)皇子に従って、殉死。
28大碓命を殺害
(私闘)
12代 景行天皇の
小碓命()
(天族) vs (天族)
12代 景行天皇の
大碓命()
小碓(ヲウス)命が、
12代 景行天皇に対する大碓
(オホウス)命の非礼を、私的に咎めて、
秘密裏に大碓(オホウス)命を殺害。
29熊曽建討伐
(討伐・謀略)
12代 景行天皇の
小碓命(倭建命)
(天族) vs (倭人)
熊曽建兄弟
12代 景行天皇が、子の小碓(ヲウス)命
に、軍勢無しで熊曽建(クマソタケル)2人の
討伐を命じた。
小碓(ヲウス)命は、叔母の倭比売(ヤマトヒメ)
命の衣裳で女装して、熊曽建(クマソタケル)
兄弟を、宴会の時に刺し殺した。
弟建(オトタケル)は、小碓(ヲウス)命に倭建
(ヤマトタケル)と称するが良い、と言った。
30出雲建討伐
(討伐・謀略)
12代 景行天皇の
倭建命
(天族) vs (倭人)
出雲建
倭建(ヤマトタケル)命が、都へ帰る途上で、
山神川神穴戸神(海峡神)を平定した
上、出雲国建(イヅモクニタケル)を殺そうと、
出雲建(イヅモタケル)と偽りの友好関係を
結び、一緒に水浴びをし、後から上がっ
た出雲建(イヅモタケル)に、倭建(ヤマトタケル)
命の偽刀を取らせて謀殺。
31東方12
征討
(侵略)
12代 景行天皇の
倭建命
(天族) vs (倭人)
東国
12代 景行天皇が、倭建(ヤマトタケル)命
に、東方12(東海道東山道方面)
を平定せよ、と命じた。
倭建(ヤマトタケル)命は、叔母の倭比売
(ヤマトヒメ)命の居る伊勢(イセ)国を出発、
尾張(ヲハリ)国東海道東山道尾張
(ヲハリ)国伊勢(イセ)国で死去。
32神功皇后の変
(反逆・謀略)
14代 仲哀天皇の皇后
(神功皇后)
建内宿祢大臣
(天族) vs (天族)
14代 仲哀天皇
神託で神懸った神功皇后が、
この天下では、第14代 仲哀天皇が、
この国を平定すべきではない、
死の国への道に向え(死ね)、と語り、
建内宿祢(タケウチスクネ)大臣が、
天皇に琴を弾くよう促すと、
天皇は、長く弾かないうちに死去した。
33韓地侵攻
(侵略)
14代 仲哀天皇の皇后
(神功皇后)
(天族) vs (韓人)
新羅国王
神功皇后の船が、新羅(シラギ)国に押し
入り、新羅(シラギ)国王が恐れたので、
神功皇后は、未来の天皇のため、
新羅(シラギ)国を御馬飼(ミマカヒ)に、百済
(クタラ)国を外地の屯倉(ミヤケ)と定めた。
34香坂皇子
忍熊皇子の乱
(反逆)
14代 仲哀天皇の
香坂皇子と忍熊皇子
(異母兄)
(天族) vs (天族)
14代 仲哀天皇の皇后
(神功皇后)とその
大鞆和気命品陀和気命
(異母弟)
神功皇后は、大和(ヤマト)に帰り上る時、
人々の反逆心が疑わしいので、太子の
大鞆和気命死去の噂を立てさせた。
香坂(カグサカ)皇子と忍熊(オシクマ)皇子は、
その噂を聞き、神功皇后を捕らえよう
と、兎我野(トガノ)(摂津国西成)の祈狩
(ウケヒガリ)で吉凶を占い、香坂(カグサカ)
皇子が大猪に食われたものの、忍熊
(オシクマ)皇子は、太子軍を待ち構えた。
太子軍は、忍熊(オシクマ)皇子軍を破り、
山背(ヤマシロ)国に追撃し、計略を巡らし
て、近江(アフミ)国ですべて斬った。
35大山守命の乱
(反逆)
15代 応神天皇の
大山守命(異母兄)
(天族) vs (天族)
15代 応神天皇の
宇遅能和紀郎子と
大雀命(異母弟)
(16代 仁徳天皇)
15代 応神天皇の死去後、大山守
(オホヤマモリ)命が、天皇遺命に背き、
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)を殺
そうとしたため、大雀(オホサザキ)命は、
天皇遺命に従い、天下を、宇遅能和
紀郎子(ウヂノワキイラツコ)に譲り、大山守
(オホヤマモリ)命の陰謀を知らせると、
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)は、
大山守(オホヤマモリ)命が川を渡る時に、
兵士に一斉射撃させた。


7.1.5 「古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)の本文における移動先ルート

天地初発(アメツチハジメテヒラク)の時から第15代 応神(オウジン)天皇の御世に至るまでに、
 天族の領地(天地)として初めて開発(初発)建国した 「高天原」(タカアマハラ)(海原の
 高み=山島=佐度=韓地巨済島)の都を壱岐(イキ)に移し、そして、九州本土=新天
 地(天族の新領地)へ進出し、出雲(イヅモ)から大和(ヤマト)に及ぶ大国を簒奪して、
 都を大和(ヤマト)に移し、その後、領土を全国(西は、熊曽国東は、陸奥国会津)に拡
 げて、韓地から新羅(シラギ)人百済(クタラ)人の渡来を迎えるまでになった。

その間の人の移動先ルートは、下記 ルート1~ルート51 の通り。

「古事記」 上巻 (神世)
天地初発の時
天地開発建国
別天神(コトアメカミ)(天族の大王) 55
 水稲耕作導入人口増殖邑形成統率建国の基礎作り。
★天之御中主(アメノミナカヌシ)神の天地初発(アメツチハジメテヒラク) ルート1
 (黄海韓地済州島)高天原(タカアマハラ)(海原の高み)
           =山島(佐度)(サト)(韓地巨済島)
神世七代(カミヨナナヨ)(天族の国王) 712
 天族の建国経済力増進富国強兵策推進天族の国土拡大。
★国之常立(クニノトコタチ)神の高天原(タカアマハラ)()移動 ルート2
 山島(佐度)(サト)(韓地巨済島)対馬(ツシマ)壱岐(イキ)。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート1(R1)ルート2(R2) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図1画像
神世第12
伊耶那岐命と
伊耶那美命
新天地の開拓
島々神々を生む (九州山陽等に土地を発見、本領安堵支配)
 上記佐度(サト)(韓地巨済島)対馬(津島)(ツシマ)壱岐(イキ)は、
 この遠征以前に占領(島生み)済み。
★伊耶那岐(イヤナキ)命伊耶那美(イヤナミ)命の島生み神生み ルート3
 高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)(玄界灘)
 天浮橋(アメウキハシ)(筑紫国海の中道)
 淤能碁呂(オノゴロ)島(筑紫国能古島)(響灘周防灘)
 (豊後水道)水蛭子(ヒルコ)(豊後国海部水ノ子島)
 (瀬戸内海)淡(アハ)島(讃岐国三野粟島)(播磨灘)
 淡道之穂之狭別(アハヂノホノサワケ)島(淡路国淡路島)
 伊予之二名(イヨノフタナ)島(伊予国讃岐国阿波国土佐国)
 (周防灘)海原(日本海)
 隠伎之三子(オキノミツコ)島(隠岐国)
 筑紫(ツクシ)島(筑紫国豊国肥国熊曽国)
 大倭豊秋津(オホヤマトトヨアキツ)島(安芸国の在る山陽)
 (瀬戸内海)吉備児(キビコ)島(吉備国児島)
 小豆(ヲヅ)島(讃岐国小豆島)
 大(オホ)島(周防国大島)女(メ)島(豊国姫島)
 (周防灘)(響灘)知訶(チカ)島(筑紫国宗像大島)
 両児(フタコ)島(筑紫国沖の島)
★伊耶那美(イヤナミ)命の遺体搬送 ルート4
 讃岐(サヌキ)国吉備(キビ)国出雲(イヅモ)国と伯耆(ホウキ)国の境、
 比婆(ヒバ)之山(黄泉国=出雲国意宇)
★伊耶那岐(イヤナキ)命の火神報復黄泉(ヨミ)国侵攻帰還 ルート5
 湯津石(ユツイハ)村(讃岐国小豆島岩谷)指の股(小豆島四方指)
 吉備(キビ)国比婆(ヒバ)之山(黄泉国=出雲国意宇)
 伊賦夜(イフヤ)坂(黄泉比良坂=出雲国意宇)海原(日本海)
 竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)の橘小門(タチバナヲト)阿波岐
  (アハキ)原(城の原)
伊耶那岐(イヤナキ)命の黄泉(ヨミ)国帰りの禊で、神々貴子成る
貴子の派遣先
 天照(アメテラス)大御神:高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)
 月読(ツキヨミ)命:夜之食(ヨノヲス)国(旧都=韓地巨済島)
 建速須佐之男(タケハヤスサノヲ)命:海原(日本海対馬)に赴かないた
 め、背任罪で追放根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多)
伊耶那岐(イヤナキ)大御神の引責引退死去
★伊耶那岐(イヤナキ)大御神の死地
 淡海(アフミ)(筑紫国那珂野間大池)多賀(タガ)。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート3(R3)ルート5(R5) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図2画像
神世第13
天照大御神と
速須佐之男命
王位相続争い
速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、天照(アメテラス)大御神に対して反逆
★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の反逆 ルート6
 竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)
 高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)天安川(アメヤスカハ)
 忌服屋(イミハタヤ)(壱岐石田)
天照(アメテラス)大御神が、天岩屋戸に避難復活して、反逆鎮圧
★天照(アメテラス)大御神に代った天服織女(アメハタオリメ)の避難 ルート7
 忌服屋(イミハタヤ)(壱岐石田)
 天石屋戸(アメイハヤト)(壱岐鬼の岩屋)
速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、大宜都比売(オホゲツヒメ)神の国へ立ち
 寄りながら、根之堅州(ネノカタス)国へ行く
★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の追放 ルート8
 高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)(玄界灘)(周防灘)
 (瀬戸内海)阿波(アハ)国吉備(キビ)国
 出雲(イヅモ)国斐伊(ヒイ)川上の鳥髪(トリカミ)
  (根之堅州国=奥出雲=出雲国仁多)
 須賀(スガ)宮(東出雲=出雲国意宇)
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート6(R6)ルート8(R8) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図3画像
出雲第6
大国主神
出雲統一
大穴牟遅(オホアナムヂ)神時代 (出雲国因幡国 因幡の白兎)
★大穴牟遅(オホアナムヂ)神の移動 ルート9
 須賀(スガ)宮(東出雲=出雲国意宇)因幡(イナバ)(因幡国八上)
★因幡の白兎(兎神)の移動 ルート10
 淤岐(オキ)島(因幡国白兎)対岸の気多(ケタ)が崎(因幡国気多)
大穴牟遅(オホアナムヂ)神時代 (伯耆国手間木国 受難逃亡)
★大穴牟遅(オホアナムヂ)神と八十(ヤソ)神(兄弟神)との対戦 ルート11
 因幡(イナバ)(因幡国八上)伯耆(ホウキ)国手間(テマ)(伯耆国会見
 天萬)山麓木(キ)国(安芸国奴可大屋)の大屋毘古(オホヤビコ)神。
葦原色許男(アシハラシコヲ)時代 (木国根之堅州国 大神訪問)
★葦原色許男(アシハラシコヲ)の移動 ルート12
 木(キ)国(安芸国奴可大屋)
 根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多)
 黄泉比良(ヨミヒラ)坂(東出雲=出雲国意宇)
 出雲(イヅモ)国美保関(ミホノセキ)(出雲国島根)
八千矛(ヤチホコ)神時代 (出雲国越国 妻問い)
★八千矛(ヤチホコ)神の移動 ルート13
 出雲(イヅモ)国御井(ミイ)越(コシ)国出雲(イヅモ)国
 倭(ヤマト)国(大和国)周辺倭(ヤマト)国(大和国)
少名毘古那(スクナビコナ)神(神産巣日神の御子)による介入
★少名毘古那(スクナビコナ)神の派遣 ルート14
 高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)(日本海)
 出雲(イヅモ)国美保関(ミホノセキ)(出雲国島根)(日本海)
 (周防灘)常世(トコヨ)国(四国)
大物主(オホモノヌシ)神(大年神)による協力 (畿内を統一)
★大物主(オホモノヌシ)神の出迎え ルート15
 倭(ヤマト)御諸(ミモロ)山(大和国三輪山)(河内国河内湾)
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート9(R9)ルート15(R15) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図4画像
神世第13
天照大御神による葦原中国平定
出雲併合
天之菩比(アメノホヒ)神による平定 (1)
★天之忍穂耳(アメノオシホミミ)命(誓約で、天照大御神が獲得した、速須
 佐之男命の人財)の調査
ルート16
 高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)(玄界灘)
 天浮橋(アメウキハシ)(筑紫国海の中道)
★天之菩卑(アメノホヒ)神(誓約で、天照大御神が獲得した、速須佐之男
 命の人財)の派遣
ルート17
 高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)(日本海)
 葦原中(アシハラナカ)国(出雲)
天若日子(アメワカヒコ)による平定 (2)
★天若日子(アメワカヒコ)(天津国玉神の子)の派遣 ルート18
 高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)(日本海)
 葦原中(アシハラナカ)国(出雲)
★阿遅高日子根(アヂシキタカヒコネ)神(天若日子の妻、下照比売の兄)
 の天若日子(アメワカヒコ)葬儀参列
ルート19
 美濃(ミノ)国藍見(アイミ)川上(美濃国武儀)
 葦原中(アシハラナカ)国(出雲)
建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神による(八重事代主神)平定 (3)
★建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神天鳥船(アメトリフネ)神の派遣 ルート20
 高天原(タカアマハラ)天安川(アメヤスカハ)上の天石屋(アメイハヤ)(壱岐)
 海原(日本海)
 出雲(イヅモ)伊那佐之小浜(イナサノヲハマ)(稲佐の浜)(出雲国神門)
 出雲(イヅモ)国美保関(ミホノセキ)(出雲国島根)
建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神による(建御名方神)平定 (3)
★建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神の建御名方(タケミナカタ)追撃 ルート21
 出雲(イヅモ)伊那佐之小浜(イナサノヲハマ)(稲佐の浜)(出雲国神門)
 (山陰道)(東山道)信濃(シナノ)諏訪海(スハミ)(信濃国諏訪湖)
建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神による(大国主神)平定 (3)
★建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神の帰還 ルート22
 出雲(イヅモ)伊那佐之小浜(イナサノヲハマ)(稲佐の浜)(出雲国神門)
 出雲(イヅモ)多芸志之小浜(タギシノヲハマ)(出雲国出雲武志)
 海原(日本海)高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート16(R16)ルート22(R22) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図5画像
神世第14
迩迩芸命
筑紫への遷都
迩迩芸(ニニギ)命が、猿田毘古(サルタビコ)神の先導で天降る
★猿田毘古(サルタビコ)神の出迎え ルート23
 葦原中(アシハラナカ)国(出雲)海原(日本海)
★迩迩芸(ニニギ)命の天降り(天之八街=海路) ルート24
 天之石位(アメノイハクラ)(海の岩座)(壱岐)海原(日本海)
 天浮橋(アメウキハシ)の浮島(筑紫国海の中道)
 竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)高千穂(タカチホ)の籤振る嶽
  (クジフルタケ)(高祖山)
天宇受売(アメウズメ)命を猿女(サルメ)君と呼ぶ
★天宇受売(アメウズメ)命と猿田毘古(サルタビコ)との結婚 ルート25
 竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)阿耶訶(アヤカ)(出雲国秋鹿)
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
神世第15
火遠理命
本土支配の準備
綿津見(ワタツミ)神を訪問
★火遠理(ホヲリ)命の海神宮殿訪問帰還 ルート26
 新都(筑紫国早良)(玄界灘)壱岐(イキ)対馬(ツシマ)。
御子、鵜草葺不合(ウカヤフキアヘズ)命の誕生
★豊玉毘売(トヨタマビメ)命の出産 ルート27
 対馬(ツシマ)壱岐(イキ)(玄界灘)新都(筑紫国早良)
鵜草葺不合(ウカヤフキアヘズ)命の御子(火遠理命の孫)
★鵜草葺不合(ウカヤフキアヘズ)命の御子の派遣先
 五瀬(イツセ)命将来、若御毛沼(ワカミケヌ)命と共に、東方の国へ。
 稲氷(イナヒ)命(玉依毘売命)の国の海原(日本海対馬)へ。
 御毛沼(ミケヌ)命海を渡って、常世(トコヨ)国(四国)へ。
 若御毛沼(ワカミケヌ)命=神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命。
都地と御陵
 都地:筑紫(ツクシ)島の竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)
 御陵:高千穂(タカチホ)山(筑紫国高祖山)の西。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート23(R23)ルート27(R27) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図6画像
「古事記」 中巻 (神人世)
1
神武天皇
大和への遷都
五瀬(イツセ)命()と共に東征 (筑紫安芸吉備)
★五瀬(イツセ)命神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命の挨拶 ルート28
 高千穂(タカチホ)宮(高祖山)=竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)
 (陸路)宇沙(ウサ)足一騰(アシヒトアガリ)宮(豊国宇佐)
★五瀬(イツセ)命神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命の東征 ルート29
 宇沙(ウサ)足一騰(アシヒトアガリ)宮(豊国宇佐)(陸路)
 竺紫之岡田(チクシノオカタ)宮(筑紫国遠賀)(響灘周防灘)
 安芸(アキ)多祁理(タギリ)宮(安芸国安芸)(瀬戸内海)
 吉備之高島(キビノタカシマ)宮(吉備国児島)(播磨灘)
 速吸門(ハヤスイト)(播磨国明石海峡)
五瀬(イツセ)命の敗戦死去 (速汲門日下紀伊)
★五瀬(イツセ)命神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命の進撃 ルート30
 速吸門(ハヤスイト)(播磨国明石海峡)
 浪速之渡(ナミハヤノワタリ)(摂津国西生)
 白肩津(シラカタツ)(河内国河内湾)(上陸)
 日下之蓼津(クサカノタデツ)(河内国河内)(退却上船)
★五瀬(イツセ)命神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命の転回 ルート31
 南方(ミナミカタ)(摂津国南方)血沼(チヌ)海(和泉国茅渟海)
 紀(キ)国男之水門(ヲノミナト)(紀伊国海部)(五瀬命の死地)
 紀(キ)国竃(カマ)山(紀伊国名草)(五瀬命の埋葬地)
熊野(クマノ)で苦戦の神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命を救援
★陸戦に弱い水軍(久米兵士)が苦戦した熊野 ルート32
 紀(キ)国竃(カマ)山(紀伊国名草)(陸路)
 熊野(クマノ)村(紀伊国那賀高倉山)高倉下(タカクラジ)
 熊野(クマノ)山(紀伊国那賀高倉山)
八咫烏(ヤタカラス)(斥候)による先導で進軍 (熊野吉野宇陀)
★八咫烏(ヤタカラス)の吉野先導(奥熊野を避ける) ルート33
 熊野(クマノ)山(紀伊国那賀高倉山)(紀伊国伊都)
 (大和国宇智)吉野(ヨシノ)川下(大和国宇智阿陀)
 吉野(ヨシノ)川上の光る泉(大和国吉野賀美井光)
 その先の山中(大和国吉野国栖)(四郷川鷲家川)
 (佐倉峠)宇陀之穿(ウダノウガチ)(大和国宇陀)
久米(クメ)歌で進撃大和(ヤマト)国平定 (宇陀忍坂畝火)
★八咫烏(ヤタカラス)の死地久米(クメ)兵士の進撃 ルート34
 (佐倉峠)訶夫羅前(カブラサキ)(大和国宇陀)(八咫烏の死地)
 宇陀之血原(ウダノチハラ)(大和国宇陀)
 忍坂大室(オサカオホムロ)(大和国城上忍坂)(大和国城上大神)
 畝傍之橿原(ウネビノカシハラ)宮(大和国高市)
都地と御陵
 都地:畝傍之橿原(ウネビノカシハラ)宮(大和国高市)
 御陵:畝傍(ウネビ)山(大和国高市)の北方の橿尾(カシヲ)辺り。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート28(R28)ルート34(R34) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図7画像
2
綏靖天皇
天族の地盤固め
都地と御陵
 都地:葛城高岡(カツラギカミタカオカ)宮(大和国葛上高宮)
 御陵:衝田崗(ツキタオカ)(大和国高市)
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
3
安寧天皇
天族の地盤固め
都地と御陵
 都地:片塩浮穴(カタシオウキアナ)宮(大和国高市)
 御陵:畝傍(ウネビ)山(大和国高市)の陰。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
4
懿徳天皇
天族の地盤固め
都地と御陵
 都地:軽之境岡(カルノサカヒオカ)宮(大和国高市)
 御陵:畝傍(ウネビ)山(大和国高市)の真名子(マナコ)谷辺り。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
5
孝昭天皇
天族の地盤固め
都地と御陵
 都地:葛城掖上(カツラギワキガミ)宮(大和国葛上)
 御陵:掖上博多(ワキガミハカタ)山(大和国葛上)辺り。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
6
孝安天皇
天族の地盤固め
都地と御陵
 都地:葛城室之秋津島(カツラギムロノアキツシマ)宮(大和国葛上牟婁)
 御陵:玉手岡(タマテオカ)(大和国葛上)辺り。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
7
孝霊天皇
天族の地盤固め
天皇の子(異母兄弟)による吉備国平定
★大吉備津日子(オホキビツヒコ)命若日子建吉備津日子(ワカヒコタケキビツ
 ヒコ)命の吉備国平定
ルート35
 黒田廬戸(クロタイオト)宮(大和国城下黒田)
 ⇒
播磨(ハリマ)国吉備(キビ)国
都地と御陵
 都地:黒田廬戸(クロタイオト)宮(大和国城下黒田)
 御陵:片岡馬(カタオカマ)坂(大和国葛上)辺り。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
8
孝元天皇
天族の地盤固め
都地と御陵
 都地:軽之境原(カルノサカヒハラ)宮(大和国高市)
 御陵:剣(ツルギ)池の中崗(ナカオカ)(大和国高市)辺り。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
9
開化天皇
天族の地盤固め
都地と御陵
 都地:春日之伊耶川(カスガノイヤカハ)宮(大和国添上春日)
 御陵:伊耶(イヤ)川(大和国添上)の坂辺り。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
10
崇神天皇
北東征圧
意冨多多泥古(オホタタネコ)が、大物主(オホモノヌシ)大神の祟りを鎮める
★意冨多多泥古(オホタタネコ)の招聘
 河内(カハチ)国美努(ミノ)村(河内国若江)
 御諸(ミモロ)山(大和国城上大神三輪山)
大毘古(オホビコ)命建沼河別(タケヌナカハワケ)命による北東征圧
★大毘古(オホビコ)命の建波迩安皇子討伐越国平定 ルート36
 磯城水垣(シキミヅカキ)宮(大和国城上)幣羅(ヘラ)坂(山背国相楽)
 和訶羅(ワカラ)川(木津川)伊豆美(イヅミ)(山背国相楽泉)
 鵜(ウ)川久須婆(クスバ)の渡し(山背国相楽楠葉)
 波布理曽能(ハフリソノ)(山背国相楽祝園)
 磯城水垣(シキミヅカキ)宮(大和国城上)
 越(コシ)国(北陸道)会津(アヒヅ)(陸奥国)
★大毘古(オホビコ)命義子、建沼河別(タケヌナカハワケ)命の征圧 ルート37
 磯城水垣(シキミヅカキ)宮(大和国城上)
 東方12(東海道東山道)会津(アヒヅ)(陸奥国)
★日子坐(ヒコイマス)皇子の玖賀耳之御笠討伐 ルート38
 磯城水垣(シキミヅカキ)宮(大和国城上)丹波(タニハ)国。
都地と御陵
 都地:磯城水垣(シキミヅカキ)宮(大和国城上)
 御陵:山辺道勾之岡(ヤマヘミチマガリノオカ)(大和国山辺)辺り。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート35(R35)ルート38(R38) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図8画像
11
垂仁天皇
出雲の再征圧
皇后、沙本毘売(サホビメ)命兄、沙本毘古(サホビコ)皇子による反逆
★皇后、沙本毘売(サホビメ)命の逃亡出産地
 磯城玉垣(シキタマカキ)宮(大和国城上)
 兄、沙本毘古(サホビコ)皇子の佐保稲城(サホイナキ)(大和国添上)
御子、本牟智和気(ホムチワケ)皇子に、出雲(イヅモ)大神の祟り
★御子、本牟智和気(ホムチワケ)皇子に係る(鳴き声を聞き、初めて口を
 利いた)白鳥を追った山辺之大(ヤマヘノオホタカ)の追跡
ルート39
 大和(ヤマト)国木(キ)国播磨(ハリマ)国因幡(イナバ)国
 丹波(タニハ)国但馬(タヂマ)国近淡海(チカツアフミ)(近江)
 美濃(ミノ)国尾張(ヲハリ)国信濃(シナノ)国
 越(コシ)国和那美(ワナミ)(越後国蒲原和納)の水門(ミナト)。
★本牟智和気(ホムチワケ)皇子の出雲(イヅモ)大神宮参拝 ルート40
  1.奈良(ナラ)道 (陸路)
  磯城玉垣(シキタマカキ)宮(大和国城上)山背(ヤマシロ)国
  丹波(タニハ)国因幡(イナバ)国出雲(イヅモ)国。
  2.大坂(オホサカ)道 (陸路)
  磯城玉垣(シキタマカキ)宮(大和国城上)河内(カハチ)国
  播磨(ハリマ)国吉備(キビ)国出雲(イヅモ)国。
  3.本牟智和気(ホムチワケ)皇子が採用した木(キ)道 (海路)
  磯城玉垣(シキタマカキ)宮(大和国城上)紀伊(キイ)国
  (和泉国茅渟海)(瀬戸内海)(周防灘)
  船越(長門国豊浦)海原(日本海)
  出雲(イヅモ)大神宮(出雲国神門)
丹波美知能宇斯(タニハミチノウシ)皇子の娘、円野比売(マトノヒメ)命の自殺
★円(真砥)野比売(マトノヒメ)命、丹波(タニハ)国への帰路途中の自殺地
 都(大和国城上)相楽(サガラカ)(山背国)乙訓(オトクニ)(山背国)
時じくの香の木の実を求めて、多遅摩毛理(タヂマモリ)を派遣
★多遅摩毛理(タヂマモリ)の派遣先
 都(大和国城上)常世(トコヨ)国(四国)
都地と御陵
 都地:磯城玉垣(シキタマカキ)宮(大和国城上)
 御陵:菅原之御立野(スガハラノミタチノ)(大和国添上)中。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート39(R39)ルート40(R40) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図9画像
12
景行天皇
倭建の全国征討
小碓(ヲウス)命(倭建命)が、熊曽建(クマソタケル)を討伐
★小碓(ヲウス)命(倭建命)の熊曽建討伐 ルート41
 纒向之日代(マキムクノヒシロ)宮(大和国山辺)(山陽道)
 穴戸(アナト)(長門国)(西海道)
 熊曽(クマソ)国(薩摩国大隅国)
倭建(ヤマトタケル)命が、出雲建(イヅモタケル)を討伐
★倭建(ヤマトタケル)命の山神川神穴戸神出雲建討伐 ルート42
 熊曽(クマソ)国(薩摩国大隅国)肥(ヒ)国(山神平定)
 安芸(アキ)国(川神平定)長門(ナガト)国(穴戸神平定)
 (山陰道)出雲(イヅモ)国(出雲建討伐)(山陰道)
 纒向之日代(マキムクノヒシロ)宮(大和国山辺)
倭建(ヤマトタケル)命による東方12道征討
★倭建(ヤマトタケル)命の東方12(東海道東山道)征討 ルート43
 纒向之日代(マキムクノヒシロ)宮(大和国山辺)(伊勢街道)
 伊勢(イセ)大御神宮(伊勢神宮)(伊勢国度会)
 尾張(ヲハリ)国府(尾張国中島)(東海道)
 相模(サガム)尾沼(大沼)(ヲヌ)(相模国足柄、丹沢湖の元)
 相模(サガム)焼遺(ヤキステ)(相模国足柄焼津)
 走水(ハシリミヅ)海(相模国御浦)(浦賀水道)
 上総(カヅサ)国下総(シモウサ)国常陸(ヒタチ)国
 下野(シモツケ)国上野(コウヅケ)国武蔵(ムサシ)国
 相模(サガム)国足柄(アシカラ)坂下(相模国足柄)
 甲斐(カヒ)酒折(サカヲリ)宮(甲斐国山梨)信濃(シナノ)国
 (東山道)尾張(ヲハリ)国府(尾張国中島)
 美濃(ミノ)伊吹野(イブキノ)(美濃国不破)
 近江(アフミ)玉倉部之清泉(タマクラベノシミヅ)(近江国坂田)
 美濃(ミノ)当芸野(タギノ)(美濃国多芸)杖衝(ツエツキ)坂
 尾津崎(ヲツサキ)1本松(尾張国中島)三重(ミヘ)村(伊勢国三重)
 能煩野(ノボノ)(伊勢国鈴鹿)(倭建命の死地)
倭建(ヤマトタケル)命、八尋白智鳥(ヤヒロシロチトリ)になる
★倭建(ヤマトタケル)命の死出の旅(八尋白智鳥) ルート44
 伊勢(イセ)能煩野(ノボノ)(伊勢国鈴鹿)伊勢(イセ)国の磯
 河内(カハチ)志幾(シキ)(河内国志紀)(白鳥御陵)
 更に天高く、飛んで行った。
都地と御陵
 都地:纒向之日代(マキムクノヒシロ)宮(大和国山辺)
 御陵:山辺之道(ヤマヘノミチ)(大和国山辺)辺り。
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート41(R41)ルート44(R44) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図10画像
13
成務天皇
全国の地盤固め
都地と御陵
 都地:近淡海(チカツアフミ)志賀高穴穂(シガタカアナホ)宮(近江国滋賀)
 御陵:狭城之楯列(サキノタタナミ)(河内国志紀)
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
14
仲哀天皇
筑紫への遷都
神功の韓地侵攻
帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(仲哀天皇)の西国への遷都
 近淡海(チカツアフミ)志賀高穴穂(シガタカアナホ)宮(近江国滋賀)
 穴門之豊浦(アナトノトユラ)宮(長門国豊浦)
 筑紫訶志比(ツクシカシヒ)宮(筑紫国糟屋香椎)
息長帯日売(オキナガタラシヒメ)命(神功皇后)の韓地侵攻と太子誕生
★息長帯日売(オキナガタラシヒメ)命(神功皇后)の侵攻 ルート45
 筑紫訶志比(ツクシカシヒ)宮(筑紫国糟屋香椎)(玄界灘)
 海原(日本海)新羅(シラギ)国王門。
★息長帯日売(オキナガタラシヒメ)命(神功皇后)の帰還 ルート46
 新羅(シラギ)国王門海原(日本海)(玄界灘)
 筑紫訶志比(ツクシカシヒ)宮(筑紫国糟屋香椎)
 宇美(ウミ)(筑紫国糟屋)伊討(イト)村(筑紫国怡土)
 筑紫末羅県(ツクシマツラアガタ)玉島(タマシマ)里(肥前国松浦)
香坂(カグサカ)皇子忍熊(オシクマ)皇子による反逆
★息長帯日売(オキナガタラシヒメ)命(神功皇后)太子の上京 ルート47
 筑紫訶志比(ツクシカシヒ)宮(筑紫国糟屋香椎)(響灘)
 穴門之豊浦(アナトノトユラ)宮(長門国豊浦)(周防灘瀬戸内海)
 兎我野(トガノ)難波津(摂津国西成)(陸路)大和(ヤマト)国。
★太子、大鞆和気(オホトモワケ)命の応戦 ルート48
 難波津(ナニハツ)(摂津国西成)(陸路)山背(ヤマシロ)国
 逢坂(アフサカ)沙沙那美(ササナミ)(近江国滋賀)
 近淡海(チカツアフミ)(近江国琵琶湖)
太子後見人、建内宿祢(タケウチスクネ)大臣
★大鞆和気(オホトモワケ)命建内宿祢(タケウチスクネ)大臣Ⅱの禊 ルート49
 沙沙那美(ササナミ)(近江国滋賀)
 近淡海(チカツアフミ)(近江国琵琶湖)若狭(ワカサ)国
 越前之角鹿(コシサキノツヌガ)(越前国敦賀)の仮宮=気比(ケヒ)神社
 (新羅国王子の天之日矛=伊奢沙和気御食津気比大神を祀る)
 山背(ヤマシロ)国軽島之明(カルシマノアキラ)の本宮(大和国高市)
都地と御陵
 都地:穴門之豊浦(アナトノトユラ)宮(長門国豊浦)
     筑紫訶志比(ツクシカシヒ)宮(筑紫国糟屋香椎)
 御陵:河内恵賀(カハチエガ)の長江(ナガエ)(河内国丹比)
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート45(R45)ルート49(R49) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図11画像
15
応神天皇
新羅百済渡来
宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)の母、矢河枝比売(ヤカハエヒメ)
★矢河枝比売(ヤカハエヒメ)との出会い地
 軽島之明(カルシマノアキラ)宮(大和国高市)
 宇遅野(ウヂノ)木幡(コハタ)村(山背国宇治)(出会い地)
 葛野(カヅノ)(山背国葛野)近淡海(チカツアフミ)(近江)国。
大雀(オホサザキ)命の后、髪長比売(カミナガヒメ)
★髪長比売(カミナガヒメ)との出会い地
 諸県(モロアガタ)(日向国諸県)難波津(ナニハツ)(摂津国西成)
品陀和気(ホムダワケ)天皇の治世
★新羅(シラギ)人百済(クタラ)人の渡来
 百済(クタラ)照古(ショウコ)王により、百済(クタラ)人の阿知吉師(アチキシ)
 和迩吉師(ワニキシ)卓素(タクソ)西素(サイソ)須須許理(ススコリ)渡来。
品陀和気(ホムダワケ)天皇死後、兄皇子(大山守命)による反逆
★宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)による大山守(オホヤマモリ)命討伐地
 宇遅(ウヂ)の渡し(山背国宇治)訶和羅之前(カワラノサキ)。
新羅(シラギ)国王の子、天之日矛(アメノヒホコ)の渡来
 (7代 孝霊天皇8代 孝元天皇の頃のことを回想)
★天之日矛(アメノヒホコ)の妻、阿加流比売(アカルヒメ)の逃亡 ルート50
 新羅(シラギ)国海原(日本海)穴戸(アナト)(長門国)(周防灘)
 (瀬戸内海)難波之比売碁曽(ナニハノヒメゴソ)神社(摂津国住吉)
★天之日矛(アメノヒホコ)の追跡 ルート51
 新羅(シラギ)国海原(日本海)穴戸(アナト)(長門国)
 海原(日本海)伊豆志(イヅシ)(但馬国出石)
都地と御陵
 都地:軽島之明(カルシマノアキラ)宮(大和国高市)
 御陵:河内恵我(カハチエガ)の裳伏崗(モフシオカ)(河内国志紀)
 
の推移
巨済島対馬壱岐北九州東九州中九州南九州四国山陽山陰畿内北陸東国北東
◆上記 ルート50(R50)ルート51(R51) (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
古事記のルート図12画像


7.1.6 「古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)の本文にある事柄の歴史変換

古事記」 の事柄(青字)は、リンク先 「倭地視察の旅」 の 「6.23 倭の歴史年表」 に、
 次の通り、矛盾なく、追記できる。

西暦先住民殷の遺民徐福一行越の遺民⇒天族
7,000
【先住民】
温暖化海進で大陸と九州が分かれ
(10,000年頃)以前から居た
先住民の縄文文化が発展(⇒早期)
1,046
【殷の遺民】
 【多婆那国】(対馬)
 【那国】(壱岐北九州)
対馬に渡来、多婆那国を建国。
壱岐北九州に渡来、那国を建国し、
女王-摂政体制で運営。
縄文文化先住民に、水稲耕作と殷の
祭祀制度(鬼神崇拝)が伝来。
334
【越の遺民】
 【韓地の倭人】(韓地南岸)
韓地南岸に来て韓地の倭人になる。
神世第1代 天之御中主:天地を開発
神世第2代 高御産巣日:
神世第3代 神産巣日:
神世第4代 宇摩志阿斯訶備比古遅:
神世第5代 天之常立:
海域を平定。
219
【徐福一行】
 【狗奴国】(筑紫平野)
徐福(180年没):童男童女百工
3,000人と平原廣澤の地(筑紫平
)に渡来、狗奴国を建国。
縄文文化先住民に、道具と五穀の種
(小麦大豆水稲)が伝来。
160
【韓地の倭人】
 【弁辰狗邪国】(韓地南岸)
神世第6代 国之常立:初めて建国。
神世第7代 豊雲上野:弁韓を拡大。
100
【狗奴国】
勢力を拡大(⇒中南九州)



【弁辰狗邪国】(韓地南岸)
神世第8代 宇比地迩須比智迩:
神世第9代 筒杙活杙:

前漢朝への朝貢を始め、輸入した青
銅器を基に、武器の生産を始める。
50年頃 【弁辰狗邪国】(南岸⇒巨済島)
神世第10代 意冨斗能地大斗乃弁:
辰韓の斯盧国に侵攻し、斯盧国初代
赫居世王の重臣瓠公(弁辰狗邪国出
)との交渉で、韓地近海の巨済島
を獲得し、王都(高天原)とする。
30年頃 【弁辰狗邪国】(巨済島)
 【委国】(壱岐)
神世第11代 於母陀流阿夜訶志古
:
多婆那国那国に侵攻し、多婆那
国の対馬南島と那国の壱岐を奪い、
委国を建国し王都(高天原)とする。
委国は、弁辰狗邪国と多婆那国を統
率して、委国連合軍を編成し、倭地
に委国の支配領域を築き始める。
10年頃


【黄泉国】(東出雲)
伊耶那美:黄泉国の比婆之山
(東出雲)に搬送埋葬される。







【委国】(壱岐)
神世第12代 伊耶那岐伊耶那美:
国生み神生み
(九州四国山陽等
に土地を発見し、本領安堵支配)
伊耶那美が讃岐国で死去したので、
伊耶那岐は、黄泉国
(東出雲=伊耶
那美の出身地)に侵攻するも失敗。
伊耶那岐は、後任を決めて、淡海多
(筑紫国野間大池)に引退死去。
神世第13代 天照:高天原
(壱岐)
           ⇒委国王(女王)
月読:夜之食国(弁辰狗邪国)
須佐之男:海原(対馬)に行かず。
5年頃九州四国山陽に100餘国が分立。

【根之堅州国】(奥出雲)
須佐之男:追放先の根之堅州国
(奥出雲)で、八俣遠呂知を退治。
【委国】(壱岐)
須佐之男:高天原(壱岐)に反逆侵攻
して、天照を謀殺
⇒王権簒奪。
神世第13代 天照(女王):復活して
須佐之男を追放
(天照に継承)
14年頃 【委国】(壱岐)
神世第13代天照(那国出身女王)
:委国軍により、100餘艘の兵船で、
斯盧国の海辺に調査進出。
30年頃 【委国】(壱岐)
神世第13代天照(那国出身女王)
:後漢朝に朝貢。
44年頃 【委国】(壱岐)
神世第13代天照(那国出身女王)
:委国軍により、楽浪軍と共に斯盧国
に侵攻し、100餘艘の兵船で、斯盧
国の海岸から攻撃している間に、
楽浪軍が、斯盧国の都を占拠。
楽浪軍:弁辰鉄山を接収。
委国軍:楽浪軍に代り、斯盧国駐屯。
57年頃 【委国】
 【委奴】(委国連合)
神世第13代天照(那国出身女王)
:委奴王として、委国那国多婆那
弁辰狗邪国を統括し、委国王を
兼務。
後漢朝に朝貢して、「漢委奴国王印
を下賜される。
楽浪軍による弁辰鉄山の接収に寄与
した委国を継承する委奴に、楽浪郡
から、弁辰鉄山の一部採掘と斯盧国
の駐屯継続を承認される。
斯盧国第4代 脱解尼師今(在位:57
-80)は、多婆那国出身。
59年頃 【委奴】(壱岐)
神世第13代天照(那国出身女王)
:委奴-斯盧修好通商条約を締結。
 (弁辰鉄山採掘に関する協力条約)
60年頃 【委奴】(壱岐)
神世第13代天照(那国出身女王)
:斯盧国の駐屯を解除し、弁辰鉄山で
鉄を採り、鉄製武器生産を始める。
73年頃 【委奴】(壱岐)
神世第13代天照(那国出身女王)
:委奴軍により、斯盧国の木出島に進
出し、斯盧国が横領した鉄を奪還。
 (斯盧国の角干羽鳥が戦死)
77年頃 【委奴】(壱岐)
神世第13代天照(那国出身女王)
:斯盧国から弁辰狗邪国に報復攻撃。
80年頃【葦原中国】(出雲)
出雲第6世 大国主:少名毘古那の協
力を得て葦原中国
(出雲)を統一。
【葦原中国】
(出雲⇒山陰畿内)
出雲第6世 大国主:大物主(大年)
協力を得て
山陰畿内に拡大。
90年頃【葦原中国】(出雲)
出雲第6世 大国主:委奴の侵攻で、
葦原中国(出雲)を委奴に譲り死去。
出雲第7世 阿遅高日子根:戦死。
出雲第8世 八重事代主:自害。
建御名方:逃亡。
【委奴】(壱岐)
神世第13代天照(那国出身女王)
:葦原中国(出雲)に侵攻平定。
1(天之菩卑):帰還せず。
2(天若日子):死去。
3(建御雷之男):出雲を獲得。
100年頃 【委奴】(壱岐⇒北九州)
神世第14代 迩迩芸(委国出身男王)
:那国(北九州)女王家を併合し、
那国を、西部(末盧国伊都国⇒国王
)東部(奴国⇒女王区)に分割。
委奴の都を、委国(壱岐)⇒伊都国
(怡土早良)に移す。
委奴王は、伊都国王を兼ね、伊都国
男王-奴国女王体制で運営する。
次のように、委奴の体制を整備。
● 弁辰狗邪国は、巨済島を拠点にし
 て、弁韓拡大捕虜獲得を担当。
● 多婆那国は、全対馬に復元し、兵
 物資捕虜の輸送を担当。
● 委国は、壱岐で武器量産を担当。
107年頃【奴国】(那珂)
奴国女王(天照):那国女王家出身



【委奴】【倭】 (国号改称)
神世第15代 火遠理(倭国王帥升):
後漢朝に朝貢。
 (国号改称報告生口160人献上)
⇒「漢委奴国王印」 は、不要となる。
121年頃 【倭】(北九州)
神世第15代 火遠理(倭国王帥升):
倭軍(伊都国軍)により、斯盧国の
東海岸に進出。
123年頃 【倭】(北九州)
神世第15代 火遠理(倭国王帥升):
-斯盧相互不可侵条約を締結。
135年頃 【倭】(北九州)
鵜草葺不合:神倭伊波礼毘古誕生。
146年頃【狗奴国】(中九州)
倭軍(伊都国軍)侵攻に対し反撃、
倭の大乱(146-189)勃発。










【奴国】(那珂)
奴国女王(天照):倭内で復権。





【倭】(北九州)
神世第15代 火遠理鵜草葺不合:
狗奴国(中九州)に侵攻大敗。
倭軍(伊都国軍)が、末盧国南から
侵攻して、狗奴国に大敗。
 (伊都国軍の陸戦での弱さを露呈)
以後、倭軍の強化再編を実施。
● 韓地では、伊都国水軍、九州本土
 では、奴国陸軍が、主力となる。
● 奴国には、委国から武器を供給。
● 奴国南の狗奴国との国境付近に、
 狗奴国に対する奴国砦を築く。
● 伊都国王家の一部が、引責退去。
【伊都国王家衰退】
神世第15代 火遠理没:58歳。
 (倍年暦5倍数:580)
鵜草葺不合:引責死去。
五瀬神倭伊波礼毘古:東方(畿内)
稲氷:海原(日本海対馬)
御毛沼:常世国(四国)
150年頃【奴国】(那珂)
奴国女王(天照):奴国砦を低地分
水嶺の狗奴国側に築いたことが、狗
奴国の都の在る平原廣澤の地(筑紫
平野)の水利を害することになり、
狗奴国軍が奴国砦から奴国に侵入
したため、倭軍(奴国陸軍)が、狗奴
国軍を撃退して奴国砦を奪還。
 (この戦いが全面戦争に拡大する)






【伊都国王家脱出組】
五瀬神倭伊波礼毘古:豊国の国人
(宇沙都比古宇沙都比売)に挨拶。
● 竺紫之岡田宮(筑紫国)で準備。
● 安芸国滞在。
● 吉備国滞在。
● 播磨国の速吸門通過。
五瀬神倭伊波礼毘古:
畿内侵攻。
● 日下之蓼津の戦いで五瀬死去。
● 紀伊熊野の戦いで苦戦。
● 八咫烏による吉野先導。
● 大和宇陀の戦い。
● 大和忍坂大室の戦い。
● 迩芸速日
(天之菩卑の子孫)
 ら葦原中国
(畿内)の王権獲得。
154年頃 【伊都国王家脱出組】
1代 神武天皇:即位(⇒大倭)
在位:15420-17339歳。
 :20369歳。
 (倍年暦:137)
158年頃【奴国】(那珂)
奴国女王(天照):
-斯盧修好通商条約を更新。
 (59年の締結以来、100年目)
160年頃【奴国】(那珂)
 【邪馬壹国】(東九州)
奴国女王(天照):倭軍(奴国陸軍)
により、奴国東南の九州東部方面
(狗奴国軍の手薄領域)に侵攻し、
邪馬壹国を建国。
170年頃【邪馬壹国】(東九州)
 【投馬国】(中九州)
 【不彌国】(北九州)
邪馬壹国女王(天照):倭軍(奴国
陸軍)により、狗奴国の都の在る平
原廣澤の地(筑紫平野)に、東方の
邪馬壹国側から侵攻して占拠し、
投馬国を建国。
奴国砦の地域に、不彌国を建国。
174年頃 【大倭】(畿内)
2代 綏靖天皇:即位。
在位:17415-18223歳。
 :18223歳。
 (倍年暦:45)
180年頃【邪馬壹国】(東九州)
邪馬壹国女王(天照):狗奴国は、
都を南方の山麓平原の地(熊本平
)に移していたが、投馬国側から
の倭軍(奴国陸軍)の侵攻により、
新都陥落⇒(南九州)へ追撃。
183年頃 【大倭】(畿内)
3代 安寧天皇:即位。
在位:18312-19221歳。
 :19625歳。
 (倍年暦:49)
189年頃【邪馬壹国】(東九州)
邪馬壹国女王(天照):狗奴国は、
都を南方の山間狭隘の地(人吉盆
)に移していたが、倭軍(奴国陸
)により、九州南端大隅僻地(
属平野)に追い、倭の大乱終結。
190年頃【倭】(九州)
邪馬壹国女王卑彌呼(天照):
倭王に共立。
● 邪馬壹国女王兼倭王-伊都国王摂
 政体制とし、伊都国⇒邪馬壹国に
 遷都。
● 狗奴国跡地に、旁国21国を独立。
 (近隣の国は、侏儒国倭種の国)
● 戦後の論功行賞で、顕著な働きの
 あった奴国陸軍を擁する奴国に、
 旁国21国の南限の1(奴国分
 )を与えて、大隅僻地の狗奴国
 を監視させる。
193年頃【倭】(九州)
倭王卑彌呼(天照):韓地の大飢
饉発生で、韓地の倭人1,000餘が、
食糧を求めて斯盧国へ向かう。

【大倭】(畿内)
4代 懿徳天皇:即位。
在位:19310-20118歳。
 :20623歳。
 (倍年暦:45)
202年頃 【大倭】(畿内)
5代 孝昭天皇:即位。
在位:202 7-22227歳。
 :24247歳。
 (倍年暦:93)
208年頃【倭】(九州)
倭王卑彌呼(天照):倭軍(伊都国
水軍)により、斯盧国の国境に進出。
223年頃 【大倭】(畿内)
6代 孝安天皇:即位。
在位:22312-24837歳。
 :27362歳。
 (倍年暦:123)
232年頃【倭】(九州)
-斯盧相互不可侵条約が満了。
 (123年の締結以来、100年目)
倭王卑彌呼(天照):倭軍(伊都国
水軍)により、斯盧国の都を包囲。
233年頃【倭】(九州)
倭王卑彌呼(天照):倭軍(伊都国
水軍)により、斯盧国東辺を攻撃。
摂政を、伊都国王⇒「男弟」 に変更。
239年頃(238)【倭】(九州)
倭王卑彌呼の使者難升米ら:帶方郡
太守を通じ、魏朝に朝貢 (1)
魏朝斉王:詔書印綬賜物を仮授。
240年頃【倭】(九州)
帶方郡太守の使者建忠校尉梯儁ら:
詔書印綬等を倭王卑彌呼に送達。
241年頃【倭】(九州)
倭王卑彌呼の使者難升米ら:
倭王の答礼を上表(冊封承諾)
243年頃【倭】(九州)
倭王卑彌呼の使者伊聲耆掖邪狗ら:
帶方郡太守を通じて、魏朝に朝貢
(2)
魏朝斉王:詔書印綬賜物を仮授。
244年頃【倭】(九州)
帶方郡太守の使者梯儁ら:詔書
印綬賜物を倭王卑彌呼に送達。
245年頃【倭】(九州)
倭王卑彌呼の使者難升米ら:
倭王の答礼を上表(黄幢請願)
魏朝斉王:詔書黄幢を仮授(未達)
246年頃【倭】(九州)
倭王卑彌呼(天照):
摂政、「男弟」 を追放すると、
狗奴国男王卑彌弓呼となる。
247年頃【倭】(九州)
倭王卑彌呼の使者載斯烏越ら:
帶方郡太守に、狗奴国戦況を説明
(黄幢督促)
248年頃【倭】(九州)
帶方郡太守の使者張政ら:
倭王卑彌呼が病のため、詔書黄幢
を難升米に送達。
難升米と、後に壹與に、檄文で告諭。
倭王壹與(天照):
卑彌呼の死後、倭王に伊都国王(
)が立って、内紛が発生するが、
壹與が、卑彌呼の政権を継承し、
邪馬壹国女王兼倭王となって、
伊都国王家と狗奴国を滅ぼす。
 (伊都国王家狗奴国遺民四散)
249年頃【倭】(九州)
倭王壹與の使者伊聲耆掖邪狗ら:
倭王の答礼を上表(黄幢答礼狗奴
国戦の結果報告)と倭王交代(政権
継承)報告を兼ねて、予定より2年遅
れで、魏朝への緊急朝貢 (3)
魏朝斉王:詔書賜物を仮授。
【大倭】(畿内)
7代 孝霊天皇:即位。
在位:24919-26838歳。
 :28353歳。
 (倍年暦:106)
● 大吉備津日子若日子建吉備津日
 子による吉備国平定。
250年頃【倭】(九州)
帶方郡太守の使者(不明):魏朝の
詔書賜物を、倭王壹與に送達。
251年頃【倭】(九州)
倭王壹與の使者(不明):倭王の答
礼を、魏朝に上表。
266年頃【倭】(九州)
倭王壹與の使者(不明):
西晋朝(265-316)に朝貢。
269年頃 【大倭】(畿内)
8代 孝元天皇:即位。
在位:26915-28329歳。
 :28329歳。
 (倍年暦:57)
284年頃 【大倭】(畿内)
9代 開化天皇:即位。
在位:28417-29932歳。
 :29932歳。
 (倍年暦:63)
300年頃 【大倭】(畿内)
10代 崇神天皇:即位。
在位:30029-31746歳。
 :355戊寅84歳。
 (倍年暦:168)
● 大毘古による越国平定。
● 建沼河別による東方12道平定。
● 日子坐による丹波国玖賀耳之御
 笠討伐。
● 大毘古による建波迩夜須毘古の
 乱鎮圧。
● 皇女、豊入日売命が、伊勢大神
 (天照
=壹與)を伊勢国に祀る。
318年頃 【大倭】(畿内)
11代 垂仁天皇:即位。
在位:31823-34247歳。
 :37277歳。
 (倍年暦:153)
● 皇后沙本毘売の兄の沙本毘古を
 討伐。
多遅摩毛理:不老不死の果実採り。
343年頃【大倭】(畿内)【倭】(九州)に進攻征服
12代 景行天皇:即位。
在位:34324-35839歳。
 :38869歳。(倍年暦:137)
● 倭建による熊曽建出雲建討伐と東方12道征討。
359年頃【大倭】【倭】(畿内) (国号改称、後の大和国は大倭に由来)
13代 成務天皇:即位。
在位:35921-37436歳。
 :386己卯48歳。(倍年暦:95)
363年頃【倭】(畿内)
倭王(不明=13代 成務天皇):百済に使者を派遣。
369年頃【倭】(畿内)
倭王(不明=13代 成務天皇):半島に進出。
伽耶に任那成立(562年滅亡)
375年頃【倭】(畿内⇒九州)遷都
14代 仲哀天皇:即位。
在位:37524-37726歳。
 :377壬戌26歳。(倍年暦:52)
● 筑紫之訶志比宮で死去。 (神功皇后が、建内宿祢大臣に命じて暗殺)
378年頃【倭】(九州)
神功皇后:仲哀天皇との子の誕生前に、その子の摂政になって、王権簒奪。
在位:37818-39535歳。
 :41050歳。(倍年暦:100)
391年頃【倭】(九州)
神功皇后:半島に侵攻し、新羅任那百済を征服(韓地平定)
 (新羅国を御馬飼、百済国を屯倉)
「元々、新羅百残(百済)は、(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
倭が、辛卯年(391)()を渡って、百残(百済)(任那)新羅
を破り、臣民とした。」 (好太王碑文)
393年頃【倭】(九州)
神功皇后:半島に侵攻し、百済第17代 阿華王(在位:392-405)
太子、腆支を人質にした。
396年頃【倭】(九州⇒畿内)遷都
神功皇后:仲哀天皇との子とされる太子(大鞆和気)の摂政として、
畿内に帰還する途上、仲哀天皇の子(香坂皇子忍熊皇子)の反逆を鎮圧。
太子(大鞆和気⇒品陀和気⇒応神天皇)と後見人(建内宿祢大臣):
越前之角鹿(越前国敦賀)での禊から、
畿内に帰還。
15代 応神天皇:即位。

在位:3968-40618歳。
 :453甲午65歳。(倍年暦:130)
399年頃【倭】(畿内)
15代 応神天皇:半島に侵攻。
倭が、新羅に侵攻し、百済が、倭と通じたため、高句麗は、百済に進軍。
倭が、新羅を臣下としたので、高句麗は、百済攻撃を新羅救援に変更。
400年頃【倭】(畿内)
15代 応神天皇:半島に侵攻。
高句麗が、新羅救援に派兵すると、倭軍は、任那加羅に後退し、
逆に、安羅軍が、新羅の王都を占拠。
402年頃【倭】(畿内)
15代 応神天皇:高句麗第19代 好太王(在位:391-413)と講和。
新羅第17代 奈勿尼師今(在位:356-402)の王子、未斯欣を人質。

上記歴史年表を、国(地域)の変遷で集約すると、次の通り。
 ● 倭の大乱の始め(西暦146年頃)、倭の伊都国王家の一部が北九州を脱出し、畿内
  に侵攻して、第1代 神武天皇が畿内に別の大倭の王権を樹立(西暦154年頃)
 ● 倭の大乱終結後、九州の倭で共立された倭王卑彌呼(西暦190~248年頃)の時
  代は、畿内の大倭では、第4代 懿徳天皇5代 孝昭天皇6代 孝安天皇の頃。
 ● 倭王卑彌呼の死後(西暦248年頃)、継承した倭王壹與の時代は、畿内の大倭では、
  第7代 孝霊天皇の頃。
 ● 畿内の大倭の第12代 景行天皇の頃(西暦343年頃)、倭建達が九州の倭を征服し、
  第13代 成務天皇の頃、畿内の大倭の国号を倭に改称(西暦359年頃)
 ● 第14代 仲哀天皇が畿内から九州(近江国滋賀⇒長門国豊浦⇒筑紫国糟屋香椎)
  移した都を、第15代 応神天皇が畿内(大和国高市)に戻した(西暦396年頃)

西暦(地域)の変遷天皇
7,000
【先住民】
 (対馬壱岐九州四国山陽
 山陰畿内北陸東国北東)
1,046
100年頃
【殷の遺民】
 【多婆那国】(対馬)
 【那国】(壱岐北九州)
334
160年頃
【越の遺民】
 【韓地の倭人】(韓地南岸)




別天神55(独神55)
神世第1代 天之御中主
神世第2代 高御産巣日
神世第3代 神産巣日
神世第4代 宇摩志阿斯訶備比古遅
神世第5代 天之常立
219年頃【徐福一行】
 【狗奴国】(筑紫平野)
徐福他


160
50年頃



50
10年頃

【韓地の倭人】
 【弁辰狗邪国】(韓地南岸)
 【狗邪韓国】(韓地の狗邪国)




【弁辰狗邪国】(韓地巨済島)
 【委国】(壱岐)【高天原】
神世七代(独神22)
神世第6代 国之常立
神世第7代 豊雲上野
神世七代(二神510)
神世第8代 宇比地迩須比智迩
神世第9代 筒杙活杙
神世第10代 意冨斗能地大斗乃弁
神世第11代於母陀流阿夜訶志古泥
神世第12代 伊耶那岐伊耶那美
10
5年頃
【委国】(壱岐)【高天原】神世第13代 天照(委国女王)
5
44年頃
【委国】(壱岐)【高天原】神世第13代 天照(委国女王)
57
90年頃
【委奴】(那国多婆那国弁辰狗
 邪国を纏める委国連合国の名称)
 葦原中国(出雲)に侵攻平定
神世第13代 天照(委国委奴王)
100年頃【那国】(北九州)分割
 【伊都国】(怡土早良)
 ⇒【奴国】(那珂)

神世第14代 迩迩芸(伊都国男王)
天照(奴国女王=那国女王家)
107年頃【委奴】【倭】 (国号改称)神世第15代 火遠理(倭国王帥升)
146年頃【倭】(北九州)
 【伊都国】(怡土早良)
 【奴国】(那珂)
神世第15代 火遠理(伊都国倭王)
 :58
天照(奴国女王=那国女王家)
150年頃【奴国】(那珂)
【伊都国】(怡土早良)
 【伊都国王家脱出組】
天照(奴国女王=那国女王家)
鵜草葺不合(伊都国王家)
五瀬神倭伊波礼毘古(⇒大倭王)
154年頃【伊都国王家脱出組】
 【大倭】(大和)

神倭伊波礼毘古⇒第1代 神武天皇
在位:15420-17339
 :20369
160年頃【奴国】(那珂)
 【邪馬壹国】(東九州=豊国)
天照(奴国女王⇒邪馬壹国女王)

170年頃【邪馬壹国】(東九州=豊国)
 【狗奴国跡地】(筑紫平野)
   【投馬国】
 【奴国】(那珂)分割
   【不彌国】(宇美)
天照(邪馬壹国女王)




174年頃【大倭】(大和)


2代 綏靖天皇
在位:17415-18223
 :18223
180年頃【邪馬壹国】(東九州=豊国)
 【狗奴国跡地】(熊本平野)
天照(邪馬壹国女王)

183年頃【大倭】(大和)


3代 安寧天皇
在位:18312-19221
 :19625
189年頃【邪馬壹国】(東九州=豊国)
 【狗奴国跡地】(人吉盆地)
天照(邪馬壹国女王)

190年頃【倭】(北九州⇒北中九州)
 【狗奴国跡地】(中九州)
   【旁国21国】
倭王卑彌呼(邪馬壹国女王)
天照

193年頃【大倭】(大和)


4代 懿徳天皇
在位:19310-20118
 :20623
202年頃【大倭】(大和)


5代 孝昭天皇
在位:202 7-22227
 :24247
223年頃【大倭】(大和)


6代 孝安天皇
在位:22312-24837
 :27362
239年頃(238)【倭】(中九州)

倭王卑彌呼の使者難升米ら (朝貢)
魏朝斉王 (詔書等を仮授)
240年頃【倭】(中九州)

帶方郡太守の使者梯儁ら
 (詔書等を倭王卑彌呼に送達)
241年頃【倭】(中九州)

倭王卑彌呼の使者難升米ら
 (倭王の答礼を上表=冊封承諾)
243年頃【倭】(中九州)


倭王卑彌呼の使者伊聲耆掖邪狗ら
 (朝貢)
魏朝斉王 (詔書等を仮授)
244年頃【倭】(中九州)

帶方郡太守の使者梯儁ら
 (詔書等を倭王卑彌呼に送達)
245年頃【倭】(中九州)


倭王卑彌呼の使者難升米ら
 (倭王の答礼を上表=黄幢請願)
魏朝斉王 (詔書等を仮授⇒未達)
247年頃【倭】(中九州)

倭王卑彌呼の使者載斯烏越ら
 (狗奴国戦況を説明=黄幢督促)
248年頃【倭】(中九州⇒全九州)


 【狗奴国】(肝属平野)滅亡
帶方郡太守の使者張政ら
 (詔書等を倭王代行難升米に送達
 ⇒後に、倭王壹與に檄文で告諭)
倭王壹與(邪馬壹国女王)天照
249年頃【倭】(九州)



【大倭】(大和)


倭王壹與の使者伊聲耆掖邪狗ら
 (倭王の答礼の上表と緊急朝貢
 =黄幢答礼狗奴国戦果報告)
魏朝斉王 (詔書等を仮授)
7代 孝霊天皇
在位:24919-26838
 :28353
250年頃【倭】(九州)

帶方郡太守の使者(不明)
 (魏朝の詔書等を倭王壹與に送達)
251年頃【倭】(九州)

倭王壹與の使者(不明)
 (倭王の答礼を魏朝に上表)
266年頃【倭】(九州)

倭王壹與の使者(不明)
 (西晋朝に朝貢)
269年頃【大倭】(大和)


8代 孝元天皇
在位:26915-28329
 :28329
284年頃【大倭】(大和)


9代 開化天皇
在位:28417-29932
 :29932
300年頃【大倭】(大和)
 ⇒【倭】(九州)天照(壹與)
  【大倭】(伊勢) に祀る
10代 崇神天皇
在位:30029-31746
 :355戊寅84
318年頃【大倭】(大和)


11代 垂仁天皇
在位:31823-34247
 :37277
343年頃【大倭】(大和)
 ⇒【倭】(九州)進攻征服

12代 景行天皇
在位:34324-35839
 :38869
359年頃【大倭】(近江)
 ⇒【倭】 (国号改称)

13代 成務天皇
在位:35921-37436
 :386己卯48
375年頃【倭】(近江⇒長門⇒筑紫)遷都


14代 仲哀天皇 (筑紫国で死去)
在位:37524-37726
 :377壬戌26
378年頃【倭】(筑紫)



神功皇后(仲哀天皇との子の誕生前
にその子の摂政になり、
王権簒奪)
在位:37818-39535
 :41050
391年頃【倭】(筑紫)

神功皇后 (半島侵攻⇒韓地平定)
 (新羅国⇒御馬飼、百済国⇒屯倉)
396年頃【倭】(筑紫⇒大和)遷都







太子大鞆和気と摂政神功皇后
 (大和国に帰還)
太子大鞆和気(⇒品陀和気⇒応神
天皇)と後見人建内宿祢大臣

 (越前国での禊から大和国に帰還)
15代 応神天皇 (半島に侵攻)
在位:3968-40618
 :453甲午65


7.1.7 「魏志倭人伝」 との整合性

魏志倭人伝」 に記述された西暦239~249年頃の【倭】(九州)に関する見聞は、
 「古事記」 の【大倭】(大和)とは無関係のため、「古事記」 に反映されていないし、
 「魏志倭人伝」 の記述を、古事記 での記述と照合してみても、矛盾する点が無い
 ので、下記の通り、「古事記」 と 「魏志倭人伝」 とは、整合していると言える。

「魏志倭人伝」 の記述「古事記」 での記述 (青字)整合
倭人は、帶方()東南の大海の中に在り、
山島に依り、元100餘国の国邑を為して、
漢の時に朝見する者があったが、
今般、魏朝に使訳を通じて来たのは、30国。
漢の時に朝見する者
天照(漢委奴国王)
火遠理(倭国王帥升)
 (西暦57年と西暦107)
(帶方)郡から倭までは、海岸に沿って水行
し、韓の国に寄港しながら、南に向かったり
東に向かったりして、倭の北岸の国の狗邪
韓国に着く。 7,000餘里(5倍数)
狗邪韓国」⇒佐度嶋(韓地巨済島)
初めて海を(南方向へ)對海国まで、
1,000餘里(5倍数)渡る。
(その国は)大官を卑狗といい、
(大官)を卑奴母離という。
居る所は、離れ島で一辺400餘里(5倍数)
程の正方形範囲内であり、
土地は、山は険しく森林が多く、道路は、
獣道のようで、1,000餘戸(5倍数)ある。
良田がなく、海産物を食べて自活し、船に乗
り、南北に交易し、米穀を買い入れている。
對海国」⇒津嶋津嶋縣(対馬)
また、瀚海という名の海を南方向へ
一大国まで、1,000餘里(5倍数)渡る。
(その国は)また同じく()官を卑狗と
いい、副(大官)を卑奴母離という。
(居る所は離れ島で)一辺300(5倍数)
程の正方形範囲内であり、(土地は)竹や木
の林が多く、3,000許家(5倍数)ある。
田地に差があり、耕田なお食べるに不足し、
また、南北に交易し、米穀を買い入れる。
一大国」⇒伊岐嶋(壱岐)
また、海を(南方向へ)
末盧国まで、1,000餘里(5倍数)渡る。
(その国は)4,000餘戸(5倍数)あり、
(土地は)海に迫った浜山で、草木が繁
茂して、前が見えずに行く。
魚鰒をよく捕る人は、水の深い浅いに
拘らず、皆、潜ってこれを取っている。
末盧国」⇒筑紫末羅(肥前国松浦)
東南方向へ500(5倍数)陸行すると、
伊都国に着く。
(その国は)()官を爾支といい、
(大官)を泄謨觚柄渠觚という。
1,000餘戸(5倍数)あり、
そこには、代々皆、女王国(邪馬壹国)
従属する王がいて、
郡使が必ず通って駐る所である。
伊都国
竺紫日向(筑紫国早良)
伊都因等國筑紫國之伊計村
 (筑紫国怡土)

女王国に従属する王
⇒伊都国王家残留組
 迩迩芸の子、火照、火須勢理
 子孫(西暦150~248年頃)
東南方向へ奴国までは、
(陸行して)100(5倍数)
(その国は)()官を馬觚といい、
(大官)を卑奴母離という。
20,000餘戸(5倍数)ある。
奴国
淡海(筑紫国那珂野間大池)
 のある地域
不彌国までの東(方向への陸)行は、
100(5倍数)
(その国は)()官を多模といい、
(大官)を卑奴母離という。
1,000餘家(5倍数)ある。
不彌国」⇒宇美(筑紫国糟屋)
南方向へ投馬国までは、
(河川)水行20(5倍数)
(その国は)()官を彌彌といい、
(大官)を彌彌那利という。
50,000餘戸(5倍数)(ある)
投馬国」⇒筑紫平野(筑後国下妻)
南方向へ女王の都する邪馬壹国までは、
(河川)水行10日と陸行1(5倍数)
その国は、()官に伊支馬がいて、
(の大官)を彌馬升といい、
(の大官)を彌馬獲支といい、
その次(の大官)を奴佳という。
70,000餘戸(5倍数)(ある)
邪馬壹国」⇒豊国(豊前国豊後国)
女王国(邪馬壹国)以北については、
その戸数道里を略載できるものの、
その他の旁国については、
遠方に離れていて詳らかにできないが、
次に斯馬国があり、次に已百支国があり、
次に伊邪国があり、次に都支国があり、
次に彌奴国があり、次に好古都国があり、
次に不呼国があり、次に姐奴国があり、
次に對蘇国があり、次に蘇奴国があり、
次に呼邑国があり、次に華奴蘇奴国があり、
次に鬼国があり、次に爲吾国があり、
次に鬼奴国があり、次に邪馬国があり、
次に躬臣国があり、次に巴利国があり、
次に支惟国があり、次に烏奴国があり、
次に奴国があり、そこで女王境界が尽きる。
その他の旁国
肥国(肥後国日向国)
その(「奴國此女王境界所盡」)南に狗奴国が
あり、その国は、男子を王と為し、その官に
狗古智卑狗がいて、女王に従属していない。
狗奴国」⇒熊曽国(薩摩国大隅国)
(帶方)郡より女王国(邪馬壹国)までは、
12,000餘里(5倍数)である。
郡より女王国」⇒記述なし
男子は、身分や年齢の上下に関わりなく、
皆、顔や体に刺青をしている。
昔から、倭の使者が中国に詣ると、皆、
大夫夏后少康の子であると自称した。
(少康の子は)會稽に封ぜられると、断髪し
身体に刺青をして蛟龍の害を避けた。
今、潜って魚蛤をよく捕る倭の水人も身体
に刺青をして大魚や水禽を避けている。
(身体の刺青は)その後次第に飾りになっ
て、諸国で身体の刺青は左小と異
り、身分の尊卑によっても差がある。
その道里の計(自郡至女王國萬二千餘
)は、會稽東治の東に在ることを示す。
顔や体に刺青」⇒入墨をした目
 (「倭」と無関係の神武天皇
 西暦154年頃の水軍兵士の
 大久米に見られる)
倭の風俗は、乱れていない。
男子は、皆、被り物をつけずに髪を縛り、
木綿を頭に巻いている。
その衣は、横幅をただ結んでつないでいる
だけで、殆ど縫うことをしていない。
婦人は、髪を被い結っており、
ひとえの夜着のような衣を作り、その中央
に穴を開け、頭を通してこれを着ている。
粟稲麻を植え、蚕を飼い糸を紡いで、
麻織物絹織物を生産している。
倭の地には、牛鵲はいない。
武器は、矛木弓で、
木弓は、下が短く上が長く、
竹矢は、鉄鏃か骨鏃を用いる。
ものの有無するところは、
朱崖と同じである。
男子は、髪を縛り」⇒角髪
 (伊耶那岐の西暦前10年頃)

婦人は、髪を結って
結った髪を垂らし
 (「倭」と無関係の童女の姿を
 した倭建
の西暦350年頃)

粟稲を植え、蚕を飼い
稲の種粟を調達
 (須佐之男の西暦5年頃)

倭の地には、牛はいない
須佐之男が落した天斑馬
 (西暦5年頃の高天原=壱岐
 には、天斑馬が居たが、
 西暦239~249年頃の九州
 本土には、居なかった模様)
牛のように大きい白猪
 (「倭」と無関係の倭建が
 伊吹野の山神を征討する
西暦
 360年頃には、牛は居た模様)

武器は、矛木弓で、
天冶矛
 (伊耶那岐の西暦前10年頃)
御船に入れてあった楯
 (「倭」と無関係の神武天皇
 西暦150年頃)
弓を振り立て
 (男装した天照の西暦5年頃)
倭地は、温暖で、夏冬によらず生野菜を食
べ、皆、裸足である。
部屋はあるが、父母兄弟の寝所は異る。
身体に朱丹を塗っており、中国で粉を使う
ようなものである。
飲食には高坏を用い、手で食べる。
倭地の死では、棺は有るが、槨は無く、
土を盛って塚を作る。
死んで始めの10餘日、死を悼む。
そのときには肉を食べず、喪主は、哭泣す
るが、ほかの人は、歌舞して飲酒する。
葬儀が終わると、その家のものは、皆、
水中に入って練沐のように禊をする。
棺は有るが、塚を作る
石祝()作り
 (「倭」と無関係の垂仁天皇
 西暦318年頃)
御陵(火遠理の西暦146年頃)

死んで始めの10餘日、ほかの
人は、歌舞して飲酒する

88晩、賑やかに弔った
 (天若日子を弔った西暦90年頃)
倭での往來で、海を渡って中国へ詣るには、
いつも1人の人を、
髪をとかさず、蚤や虱をとらず、
衣服を垢で汚れるままにし、
肉を食べず、婦人に近づかず、あたかも
喪に服している人のようにさせる。
それを名づけて 「持衰」 という。
もし往く者の事がうまく運ぶと、
共に彼に生口財物を与え、
もし病になったり、災難に会ったりする
と、その 「持衰」 が謹まなかったとして、
すぐに彼を殺そうとする。
持衰」⇒記述なし
倭では、真珠青玉を産出する。
山には、丹がある。
木には、豫樟橿
烏號楓香がある。
竹には、篠桃支がある。
荷が有るが、これらが
美味しいことを知らない。
黒雉がいる。
真珠青玉を産出する
白玉(火遠理の西暦107年頃)
河内青玉
 (「倭」と無関係の孝元天皇の
 西暦269年頃)

山には、丹がある
丹塗りの矢
 (「倭」と無関係の神武天皇
 西暦154年頃)

木には、橿がある
香坂皇子が櫪に登り
 (「倭」と無関係の応神天皇
 西暦396年頃)
畝傍之橿原宮
 (「倭」と無関係の神武天皇
 西暦154年頃)

竹には、篠がある
(倭建の)御子達は、篠の
 荊棧が足を傷つけても

 (「倭」と無関係の景行天皇
 西暦343年頃)

が有る
時じくの香の木の実は、今の橘
 (「倭」と無関係の垂仁天皇の
 西暦318年頃)
久米の兵士達の垣本に植え
 た山椒

 (「倭」と無関係の神武天皇
 西暦150年頃の歌)

黒雉がいる
野の雉が動き
 (「倭」と無関係の大国主
 西暦80年頃の歌)
倭の習俗では、行事や往来があれば、
そのたびに、骨を焼いて吉凶を占う。
先ず、占いするところを告げるが、
その言葉は、「令龜法」 のようである。
火によってできた裂け目を視て、
兆候を占うのである。
骨を焼いて吉凶を占う
太占 「布斗麻迩」 の占い
 (伊耶那岐の西暦前10年頃)
倭の集會行動では、父子男女は、区別なく、
生来、酒が好きである。
【魏略によれば、倭の習俗では、正しい
一年四季を知らず、ただ春の耕作秋の
収穫を計って年紀としている、とある。】
貴人を見て敬うには、ひたすら拍手し、
跪く拝礼をしなければならない。
倭人は、長寿で、(倭暦の倍年暦で)
100歳か80~90(2倍数)である。
父子男女は、生来、酒が好き
繰り返し醸造した強い酒を造り
 (「倭」と無関係の須佐之男
 西暦5年頃)

倭人は、長寿で、100歳か
(神武)天皇は、御年、137
 (「倭」と無関係の第1~15
 皇
の平均死亡年齢は、103)
倭の習俗として、国の貴人は、皆、4~5人の
婦人を持ち、身分の低い人でもあるものは、
2~3人の婦人を持っている。
婦人は淫らでなく、嫉妬することもない。
盗みをせず、訴訟は少ない。
法を犯して、罪の軽い者の場合は、
その妻子を没収し、
罪の重い者の場合は、
その家族と一族を没収する。
(家族と一族の)尊卑にはそれぞれ序列が
あり、互いによく服従する。
貴人は、皆4~5人の婦人を持ち
(神武天皇の后は、)阿比良比売、
 伊須気余理比売
2
 (「倭」と無関係の第1~15天皇
 の平均后数は3)
 神武:2人、綏靖:1人、安寧:1人、
 懿徳:1人、孝昭:1人、孝安:1人、
 孝霊:4人、孝元:3人、開化:4人、
 崇神:3人、垂仁:7人、景行:7人、
 成務:1人、仲哀:2人、応神:10

法を犯して、罪の重い者の場
合は、その家族と一族を没収する

須佐之男に、全財産(一族や獲
 得した宗像3女神達を含む)
 没収を科し、追放した

 (天照の西暦5年頃)
税として、租(収穫物)や賦役(兵役)を収
め、閣(倉庫)や邸(兵舎)がある。
国々には市が有るが、交易の有無を大倭に
監視させている。
税として、租や賦役を収め
男の弓矢で得た獲物の税や、
 女の手で織った織物の税を、
 貢納させた

 (「倭」と無関係の崇神天皇
 西暦300年頃)

大倭」⇒大倭豊秋津(役職⇒地名)
女王国(邪馬壹国)より北には、
一大率を特に置いて検察している。
諸国は、これを畏れている。
(一大率は)普段は、伊都国に勤めている
が、国中では刺史のような官職である。
(倭の)王が、洛陽京帶方郡諸韓国に詣ら
す使者を派遣したり、
(帶方)郡が、倭国に使者を派遣したりする
と、皆、港で検閲し、文書を伝送したり、
賜物を女王に詣らしたりして、
間違いを無くしている。 
一大率」⇒記述なし
身分の低い人が、貴人と道で逢ったときに
は、後ずさりして草の中に入り、
言葉を伝えたり、事を説明するときには、
蹲ったり跪いたりして両手を地面につき
恭敬の意を表し、
答えるときには、「わかりました」
というように、「あい」 という。
恭敬の意」⇒記述なし
その国も、元は男子を王として、(倭暦の
倍年暦で)70~80(2倍数)続いたが、
倭国は、乱れて互いに攻撃しあうように
なり、何年か過ぎた。
そこで、諸国は、共同して特別の女子を
立てて王にした。
その名を卑彌呼といい、鬼神を祭り、
人々を惑わす能力があった。
既に、高齢であるが、夫はなく、
男弟がいて、国政を助けている。
卑彌呼が王になってから、会ったものは
少なく、婢1,000人を侍らせているが、
ただ、男子が1人いて、飲食物を運び、
言葉を伝え、居処を出入りする。
宮室楼観は、城柵で厳重にしており、
常に、武器を持ち、守衞する人がいる。
元は男子を王として、70~80
(2倍数)続いたが、倭国は、乱れて
何年か過ぎた

迩迩芸火遠理鵜草葺不合
 (西暦100~146年頃)

卑彌呼」⇒記述なし(一三子ヒミコ)
女王国(邪馬壹国)の東方向へ、
海を1,000餘里(5倍数)渡ると、
復た、皆、倭種の国が在り、
また、その南には、女王国(邪馬壹国)から
4,000餘里(5倍数)離れた所に、
身長が3~4尺の人の侏儒国が在り、
復た、その東南方向に(倭暦の倍年暦で)
船行1(行程日数の5倍数)程で行ける所
に、裸国黒齒国が在る。
倭種の国」⇒大倭豊秋津島
 (周防国長門国)

侏儒国」⇒伊予之二名島の土佐国
 (土佐国高岡鈴)

裸国黒齒国」⇒記述なし(八丈島)
実見した倭地は、離れた海中の洲島の上に
在り、それが切れたり、連なったりして、
直径5,000餘里(5倍数)程の円周範囲内
である。
海中の洲島の上」⇒記述なし
景初二年(西暦238)6月、実は景初三年
(西暦239)6月、倭の女王が大夫難升米
らを(帶方)郡に派遣して、
天子に詣り朝献することを求めた。
(帶方郡)太守劉夏は、役人と将官を派遣
し、彼らを(洛陽の)都に送り詣らせた。
外交」⇒記述なし
その年(西暦239)12月の詔書は、
倭の女王に次のように報じた。
『親魏倭王卑彌呼に制詔する。
帶方()太守劉夏が使者を派遣して
汝の大夫難升米次使都市牛利を送り、
汝が献上するところの男の生口4
女の生口6班布22丈を奉じさせた。
汝は、遥か遠くに居るにも拘らず、使者を
遣わし朝貢してきたのは、汝の忠孝なり。
私は、汝を甚だ哀れみ、このたび、
汝を親魏倭王と為すによって、
金印紫綬を裝封して帶方()太守に託
し、汝にそれを仮授する。
種族の人々をいたわり勉めて孝順となせ。
汝の使者である難升米(都市)牛利は、
遠路やってきてご苦労であった。
このたび、難升米を 「率善中郎將」 に、
(都市)牛利を 「率善校尉」 と為すによっ
て、銀印靑綬を仮授し、引見して労い、
(使者を派遣して)送還させる。
今、絳地交龍錦5匹【臣の松之が思うに、
地はとすべきで漢の文帝が着た衣を
といったがそれがこれである。
この体をなさない字は、魏朝の過失でな
く、伝写した者の誤りである。】
絳地1050紺青50
を以って、汝が献じた貢物に直に答える。
また、特に汝には、紺地句文錦3細班華
5白絹5085尺刀2銅鏡
100真珠鈆丹各50斤を下賜する。
皆、裝封して難升米(都市)牛利に託す。
帰ってからすべてを目録通り受け取り、
汝の国中の人々に示し、魏朝が汝を憐れん
でいることを知らしめよ。
そのために、丁重に汝に好物を賜うので
ある。』
外交」⇒記述なし
正始元年(西暦240)(帶方郡の)
守弓遵が、「建忠校尉」 梯儁らを派遣し、
詔書印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に
拝仮(魏朝から見て格下への拝謁)し、
併せて詔書を読み上げ、金()
采物(採集物)を下賜した。
外交」⇒記述なし
倭王は、使者により、詔書に対する感謝の
答礼を上表した。
外交」⇒記述なし
その(正始)四年(西暦243)、倭王が、
また、使者の大夫伊聲耆掖邪狗ら8人を
派遣してきて、生口倭錦絳靑緜衣
木拊短弓矢を献上した。
(伊聲耆)掖邪狗ら一同は、「率善中郎將
の印綬を受け取った。
外交」⇒記述なし
その(正始)六年(西暦245)に詔して、
倭の難升米に黄幢を下賜し、(帶方)郡に
託して仮授させた。
外交」⇒記述なし
その(正始)八年(西暦247)
(帶方郡)太守王が着任した。
狗奴国の男王卑彌弓呼と以前より争って
いた倭の女王卑彌呼は、倭の載斯烏越ら
を派遣して(帶方)郡に詣らせ、
攻撃し合った状況を説明させた。
外交」⇒記述なし
(帶方郡太守王)塞曹掾史」 張政らを
派遣し、詔書黄幢をもたらしたことで難
升米に拝仮(魏朝から見て格下への拝謁)
し、檄文を為して告諭した。
卑彌呼の死では、径100餘歩(5倍数)の冢
を大作し、殉葬者が奴婢100餘人。
あらためて、男王を立てたが、国中が服従
せず、更に、互いに罪をとがめて殺しあう
ことが続き、そのとき殺されたものは、
1,000餘人に達した。
(それで、)復た、卑彌呼の一族の少女壹與、
年が(倭暦の倍年暦で)13(2倍数)
を立てて王にしたところ、国中がようやく
定まった。
()政らは、檄文で壹與に告喩した。
外交」⇒記述なし

卑彌呼の死」⇒記述なし

壹與」⇒伊予伊余(人名⇒地名)
壹與は、倭の大夫 「率善中郎將」 掖邪狗ら
20人を派遣して、(帶方郡の使者)張政ら
を送還する便で、魏朝の宮廷に詣らせ、男
女の生口30人を献上し、白珠5,000
大句珠2異文雜錦20匹を貢物とした。
外交」⇒記述なし


7.2 結論

本稿 「古事史伝 古事記神代編」 では、下記の各項目に言及したので、古事記の上巻
 (神世)と中巻(神人世)における不明瞭さを、いくらかでも軽減し、当時の倭の国の
 姿をイメージし易くなったのではないかと思う。

また、上記 「考察」 の 「魏志倭人伝との整合性」 に示したように、魏志倭人伝と整
 合しているので、古事記の上巻(神世)と中巻(神人世)における神代の 「古事」 は、
 語部によって、誦習口伝されるべき重要な歴史伝承 「史伝」 と思われる。

1.経緯と目的2.「古事記」 編集
 1.1 経緯と目的 2.1 編集方針 2.3 時代背景
 1.2 用語の意味 2.2 コンテンツ 2.4 時代年表

3.「古事記」 上巻 (口語訳補足付き)4.「古事記」 中巻 (口語訳補足付き)
 3.1 古事記」 上巻
 (序并)
 4.1 古事記」 中巻
 (神人世)
 3.1.1 神代から天武天皇に至る
 正しい由緒
 4.1.1 1代 神武天皇
 神倭伊波礼毘古命
 3.1.2 40代 天武天皇の治世 4.1.2 2代 綏靖天皇
 神沼河耳命
 3.1.3 43代 元明女帝の治世 4.1.3 3代 安寧天皇
 師木津日子玉手見命
 3.1.4 太安萬侶による
 勅語旧辞」 筆録
 4.1.4 4代 懿徳天皇
 大倭日子友命
 4.1.5 5代 孝昭天皇
 御真津日子訶恵志泥命
 3.2 古事記」 上巻
 (神世)
 4.1.6 6代 孝安天皇
 大倭帯日子国押人命
 3.2.1 天地初発の時 4.1.7 7代 孝霊天皇
 大倭根子日子賦斗迩命
 3.2.2 神世第12代 伊耶那岐命と
        伊耶那美命
 4.1.8 8代 孝元天皇
 大倭根子日子国玖琉命
 3.2.3 神世第13代 天照大御神と
        速須佐之男命
 4.1.9 9代 開化天皇
 若倭根子日子大毘毘命
 3.2.4 出雲第6世 大国主神 4.1.10 10代 崇神天皇
 御真木入日子印恵命
 3.2.5 神世第13代 天照大御神によ
         る葦原中国平定
 4.1.11 11代 垂仁天皇
 伊久米伊理毘古伊佐知命
 3.2.6 神世第14代 迩迩芸命 4.1.12 12代 景行天皇
 大帯日子淤斯呂和気天皇
 3.2.7 神世第15代 火遠理命 4.1.13 13代 成務天皇
 若帯日子天皇
 4.1.14 14代 仲哀天皇
 帯中津日子天皇
 4.1.15 15代 応神天皇
 品陀和気命

5.「古事記」 要約
 5.1 古事記」 上巻
 (序并)
 5.3 古事記」 中巻
 (神人世)
 5.1.1 神代から天武天皇に至る
 正しい由緒
 5.3.1 1代 神武天皇
 神倭伊波礼毘古命
 5.1.2 40代 天武天皇の治世 5.3.2 2代 綏靖天皇
 神沼河耳命
 5.1.3 43代 元明女帝の治世 5.3.3 3代 安寧天皇
 師木津日子玉手見命
 5.1.4 太安萬侶による
 勅語旧辞」 筆録
 5.3.4 4代 懿徳天皇
 大倭日子友命
 5.3.5 5代 孝昭天皇
 御真津日子訶恵志泥命
 5.2 古事記」 上巻
 (神世)
 5.3.6 6代 孝安天皇
 大倭帯日子国押人命
 5.2.1 天地初発の時 5.3.7 7代 孝霊天皇
 大倭根子日子賦斗迩命
 5.2.2 神世第12代 伊耶那岐命と
        伊耶那美命
 5.3.8 8代 孝元天皇
 大倭根子日子国玖琉命
 5.2.3 神世第13代 天照大御神と
        速須佐之男命
 5.3.9 9代 開化天皇
 若倭根子日子大毘毘命
 5.2.4 出雲第6世 大国主神 5.3.10 10代 崇神天皇
 御真木入日子印恵命
 5.2.5 神世第13代 天照大御神によ
         る葦原中国平定
 5.3.11 11代 垂仁天皇
 伊久米伊理毘古伊佐知命
 5.2.6 神世第14代 迩迩芸命 5.3.12 12代 景行天皇
 大帯日子淤斯呂和気天皇
 5.2.7 神世第15代 火遠理命 5.3.13 13代 成務天皇
 若帯日子天皇
 5.3.14 14代 仲哀天皇
 帯中津日子天皇
 5.3.15 15代 応神天皇
 品陀和気命

6.「古事記」 Q&A
 1 高天原黄泉葦原中国根之堅州国夜之食国
 海原常世 等の特別な地域名の意味は?
 2 竺紫筑紫淡海近淡海近江伊瀬伊勢
 日向の付いた地名の場所は?
 3 」 の字を含む 成神生神神成居成島
 生島生物 の意味は?
 4 別天神神世七代 の時代を区別した訳は?
 5 別天神神世七代で、独神二神 を明示した訳は?
 6 伊耶那岐命伊耶那美命の2神は、授けられた天冶矛で、何をしたか?
 7 2神が、淤能碁呂島を、成島 した訳は?
 8 2神が、淤能碁呂島に造った天之御柱 とは?
 9 伊耶那美命の先言を、伊耶那岐命が咎めた訳は?
Q 10 2神が、水蛭子淡島を、「生島」 失敗(支配放棄)とした訳は?
Q 11 女人先言不良」 が、生島」 失敗(支配放棄)の原因になった訳は?
Q 12 2神が、「生島」 した島の名が、人名になっている訳は?
Q 13 2神が、「生島」 した島の内、佐度島だけに、「亦名」 の人名がない訳は?
Q 14 大倭豊秋津島 とは?
Q 15 伊耶那岐命伊耶那美命の 「生神35神の中に、速秋津日子神速秋津比
 売神
の 「生神8神と、大山津見神野椎神の 「生神8神 を含む訳は?
Q 16 伊耶那美命が、火之迦具土神に、負傷させられた訳は?
Q 17 伊耶那美命が、出雲国と伯耆国の境、比婆之山 に葬られた訳は?
Q 18 伊耶那岐命が、伊耶那美命の逝った黄泉国 へ行った訳は?
Q 19 伊耶那岐大神が、帰着して軍装束を解いた所は、出発地点の高天原でなく、
 竺紫日向の橘小門阿波岐原 である訳は?
Q 20 伊耶那岐命伊耶那美命による遠征ルート は?
Q 21 伊耶那岐大神が、竺紫日向の橘小門阿波岐原の禊で、川の中流での禊
 川の水底水中水面での禊顔を洗う禊 を区別して行なった訳は?
Q 22 伊耶那岐大御神が、貴子の統治権限を、次のように決めた訳は?
 天照大御神高天原月読命夜之食国建速須佐之男命海原
Q 23 速須佐之男命が、伊耶那岐大御神の命令に背いてまで、
 亡き母(伊耶那美命=黄泉津大神)の居る根之堅州国行きを希望した訳は?
Q 24 伊耶那岐大御神が、淡海多賀(近淡海でない)で、死去した訳は?
Q 25 速須佐之男命が、根之堅州国へ退去する前に、高天原 に行った訳は?
Q 26 速須佐之男命が、天照大御神に、誓約を提案した訳は?
Q 27 速須佐之男命が、誓約に、異議を唱えた訳は?
Q 28 天照大御神が、天石屋戸 に隠れた訳は?
Q 29 天照大御神が、天石屋戸に隠れると、常夜になった訳は?
Q 30 速須佐之男命が、大冝都比売神 を殺害して物資を調達した訳は?
Q 31 速須佐之男命の 反逆ルート追放ルート は?
Q 32 速須佐之男命が、高志から来た八俣遠呂知 を退治した訳は?
Q 33 強靭な都牟羽之大刀が、八俣遠呂知の尾に在った訳は?
Q 34 速須佐之男命が、獲得した都牟羽之大刀を、天照大御神に献上した訳は?
Q 35 速須佐之男大神(出雲始祖)と、6代下の子孫、出雲第6世 大国主神との間
 に、直接交流があった 須佐之男大神 とは?
Q 36 大国主神に、大穴牟遅神葦原色許男八千矛神宇都志国玉神
 のように、多くの 「亦名」 がある訳は?
Q 37 神産巣日神が、子の少名毘古那神に、出雲への政治介入をさせた訳は?
Q 38 御諸山の神(大物主神)による協力 とは?
Q 39 速須佐之男大神の側室の子の大年神の子、羽山戸神が結婚した大冝都比
 売神
は、速須佐之男命が殺害した大冝都比売神 と同じか?
Q 40 大国主神(大穴牟遅神八千矛神)による葦原中国の 統一拡大 は?
Q 41 天照大御神が、葦原中国(出雲)を平定しようとした訳は?
Q 42 速須佐之男命の姉の天照大御神が、速須佐之男命(始祖)の第6世子孫の
 大国主神の時に、国譲りを迫ることができた訳は?
Q 43 天照大御神が、葦原中国(出雲)平定(1)を、誓約で獲得した、
 速須佐之男命の人財の 天之忍穂耳命天之菩卑神 に命じた訳は?
Q 44 天照大御神が、葦原中国(出雲)平定(2)を、
 速須佐之男命の人財でない 天族の天若日子 に命じた訳は?
Q 45 出雲側に寝返った天族の天若日子の出雲妻の兄、阿遅高日子根神 が、
 死んだ天若日子の喪屋を倒して、喪山まで蹴飛ばし、戦地に戻った訳は?
Q 46 天照大御神が、葦原中国(出雲)平定(3)を、
 伊都之尾羽張神(天之尾羽張神)の子、建御雷之男神 に命じた訳は?
Q 47 大国主神が、葦原中国(出雲)を、天族に譲渡する条件として、
 自分の住居を、高天原に見えるような高さに、建てることを要求した訳は?
Q 48 建御雷之男神による葦原中国(出雲)平定ルート は?
Q 49 迩迩芸命に、豊葦原水穂国(葦原中国=本土)の統治を命じた訳は?
Q 50 天照大御神が、迩迩芸命の豊葦原水穂国(葦原中国=本土)赴任において、
 出雲ではなく、竺紫日向に行くように命じた訳は?
Q 51 迩迩芸命が、竺紫日向の高千穂の籤振る嶽に、宮殿を高天原に見えるよう、
 高くして住んだ訳は?
Q 52 迩迩芸命が竺紫日向に住んだ後の 天照大御神天之忍穂耳命 の様子は?
Q 53 迩迩芸命が、大山津見神の娘()に添えられた姉を送り返した訳は?
Q 54 木花之佐久夜毘売が、燃える御殿で、迩迩芸命の子を産んだ訳は?
Q 55 三つ子兄弟の二人、火遠理命()が、火照命()と道具を交換した訳は?
Q 56 海神の綿津見神の宮殿へのルート は?
Q 57 綿津見大神が、火遠理命に授けた 塩満珠塩乾珠 とは?
Q 58 綿津見大神の娘、豊玉毘売命が、海原から火遠理命の居所(新都=竺紫
 日向)の海辺にやって来て、出身国の姿で、鵜草葺不合命を産んだ訳は?
Q 59 鵜草葺不合命の子4(海神の娘、玉依毘売命との子)全員が、
 高千穂宮(筑紫国高祖山)を離れた訳は?
Q 60 五瀬命()神倭伊波礼毘古命()が、東方の平定に出発した訳は?
Q 61 五瀬命()神倭伊波礼毘古命()が、豊国宇佐の国人 を訪れた訳は?
Q 62 葦原中国(畿内)の登美能那賀須泥毘古との初戦で、敗退した訳は?
Q 63 熊野で苦戦中の神倭伊波礼毘古命が、反撃に転じることができた訳は?
Q 64 八咫烏が、神倭伊波礼毘古命軍を先導した吉野ルート は?
Q 65 葦原中国(畿内)の登美能那賀須泥毘古との再戦で、勝利した訳は?
Q 66 葦原中国(畿内)の迩芸速日命が、天族の印を持っていた訳は?
Q 67 神倭伊波礼毘古命による東征ルート(東進ルート転回ルート) は?
Q 68 神倭伊波礼毘古命(1代 神武天皇)が、竺紫日向の正室があるにも拘ら
 ず、大和国から、新たに皇后を選んだ訳は?
Q 69 神倭伊波礼毘古命(1代 神武天皇)の死後、上皇后の比売多多良伊須気
 余理比売
を、当芸志美美命(正室の阿比良比売との子)が、娶った訳は?
Q 70 神沼河耳命(2代 綏靖天皇)若倭根子日子大毘毘命(9代 開化天皇)
 のコンテンツが、子孫(姻戚と死没)だけである訳は?
Q 71 若倭根子日子大毘毘命(9代 開化天皇)3代下の 息長帯比売命 は、
 5代下の帯中津日子天皇(14代 仲哀天皇)の神功皇后になり得るか?
Q 72 御真木入日子印恵天皇(10代 崇神天皇)が、
 初国知らしし(初めて国を治めた)御真木天皇、と讃えられた訳は?
Q 73 伊久米伊理毘古伊佐知命(11代 垂仁天皇)の皇后、沙本毘売命が、
 兄の沙本毘古皇子の指示で、謀反を起こそうとした訳は?
Q 74 伊久米伊理毘古伊佐知命(11代 垂仁天皇)の皇后、沙本毘売命の子、
 本牟智和気皇子による出雲大神宮の参拝ルート は?
Q 75 伊久米伊理毘古伊佐知命(11代 垂仁天皇)皇后、沙本毘売命の子、
 本牟智和気皇子
が、次代の天皇になれなかった訳は?
Q 76 伊久米伊理毘古伊佐知命(11代 垂仁天皇)の段に、時じくの香の木の
 (不老不死の果実)を求める多遅摩毛理のことが、記述されている訳は?
Q 77 大帯日子淤斯呂和気命(12代 景行天皇)が、長身に見える訳は?
Q 78 大帯日子淤斯呂和気天皇(12代 景行天皇)が、
 小碓命若帯日子命五百木之入日子命3人を、太子にした訳は?
Q 79 伊勢大御神宮(伊勢神宮)の宮廷に居た倭比売命が、
 倭建命に授けた草那芸剣(草那芸之大刀)の由来() は?
Q 80 倭建命 熊曽建-出雲建討伐東方12道征討死出の旅 ルートは?
Q 81 建内宿祢が、天皇6世代に亘るような、特別な長寿に見える訳は?
Q 82 帯中津日子天皇(14代 仲哀天皇)が、畿内から遠い 穴門之豊浦宮
 (長門国豊浦)筑紫訶志比宮(筑紫国糟屋香椎)に、遷都した訳は?
Q 83 息長帯日売皇后(神功皇后)が、新羅国を征圧することにこだわった訳は?
Q 84 息長帯日売皇后(神功皇后)が、都に帰る時、人の反逆心を心配した訳は?
Q 85 太子(大鞆和気命)の名前を、品陀和気命 に替えた訳は?
Q 86 品陀和気命(15代 応神天皇)の子、
 伊奢之真若命伊奢能麻和迦皇子 とは?
Q 87 品陀和気天皇(15代 応神天皇)が、
 大山守命大雀命宇遅能和紀郎子 の皇子を試した訳は?
Q 88 妻の阿加流比売を追って、但馬国に渡来した新羅国王の子、天之日矛とは?
Q 89 天之日矛が渡来させた宝の 伊豆志之八前大神と天之日矛との関係は?
Q 90 品陀和気天皇(15代 応神天皇)の段に、
 の天之日矛の渡来のことが、記述された訳は?
Q 91 登場時、 に成っている場合死後、 に成る場合 がある訳は?
Q 92 大神大御神 がある訳は?
Q 93 中巻(神人世)天皇 の称号が、意味するものは?
Q 94 天皇になった天族が、大和(ヤマト)国で頻繁に遷都する訳は?
Q 95 祖先の名前が、列挙されている訳は?
Q 96 古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)における死亡年齢は、倍年暦 か?
Q 97 古事記」 における天皇の死亡年齢干支から、その年代を推定できるか?
Q 98 古事記」 における和暦(倍年暦)干支は、中国暦と、どう対応するか?
Q 99 古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)における御陵は、何を意味するか?
Q100 古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)におけるは、何を意味するか?

7.考察と結論
 7.1 考察
 7.1.1 語部の役割
 7.1.2 古事記」 上巻(序并)における太安萬侶による誤解
 7.1.3 古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)の本文における重要コンテンツ
 7.1.4 古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)の本文における戦い
 7.1.5 古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)の本文における移動先ルート
 7.1.6 古事記」 上巻(神世)中巻(神人世)の本文にある事柄の歴史変換
 7.1.7 魏志倭人伝」 との整合性
 7.2 結論


関連情報は、以下の通り。

サイト『国立国会図書館デジタルコレクション』,「古事記:国宝真福寺本.上」,
 1945年,京都印書館 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184132
サイト『国立国会図書館デジタルコレクション』,「古事記:国宝真福寺本.中」,
 1945年,京都印書館 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184138
サイト『国立国会図書館デジタルコレクション』,「古事記:国宝真福寺本.下」,
 1945年,京都印書館 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184140
サイト『古事記をそのまま読む』,「目次」
 http://kj.himiko-y.com/
サイト『ウィキペディア』,「天皇記」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/天皇記
サイト『ウィキペディア』,「国記」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/国記
サイト『ウィキペディア』,「臣連伴造国造百八十部并公民等本記」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/臣連伴造国造百八十部并公民等本記
サイト『ウィキペディア』,「帝紀」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/帝紀
サイト『ウィキペディア』,「旧辞」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/旧辞
サイト『ウィキペディア』,「天武天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/天武天皇
サイト『ウィキペディア』,「稗田阿礼」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/稗田阿礼
サイト『ウィキペディア』,「元明天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/元明天皇
サイト『ウィキペディア』,「太安万侶」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/太安万侶
サイト『ウィキペディア』,「古事記」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/古事記
サイト『ウィキペディア』,「日本書紀」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/日本書紀
サイト『ウィキペディア』,「乙巳の変」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/乙巳の変
サイト『ウィキペディア』,「白村江の戦い」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/白村江の戦い
サイト『ウィキペディア』,「壬申の乱」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/壬申の乱
サイト『ウィキペディア』,「蘇我氏」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/蘇我氏
サイト『ウィキペディア』,「藤原鎌足」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/藤原鎌足
サイト『ウィキペディア』,「藤原不比等」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/藤原不比等
サイト『ウィキペディア』,「別天神」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/別天神
サイト『ウィキペディア』,「神世七代」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/神世七代
サイト『ウィキペディア』,「伊耶那岐」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/伊耶那岐
サイト『ウィキペディア』,「天照」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/天照
サイト『ウィキペディア』,「須佐之男」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/須佐之男
サイト『ウィキペディア』,「月読」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ツキヨミ
サイト『ウィキペディア』,「大国主」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/大国主
サイト『ウィキペディア』,「迩迩芸」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ニニギ
サイト『ウィキペディア』,「火遠理」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ホヲリ
サイト『ウィキペディア』,「鵜草葺不合」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ウガヤフキアエズ
サイト『ウィキペディア』,「神武天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/神武天皇
サイト『ウィキペディア』,「綏靖天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/綏靖天皇
サイト『ウィキペディア』,「安寧天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/安寧天皇
サイト『ウィキペディア』,「懿徳天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/懿徳天皇
サイト『ウィキペディア』,「孝昭天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/孝昭天皇
サイト『ウィキペディア』,「孝安天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/孝安天皇
サイト『ウィキペディア』,「孝霊天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/孝霊天皇
サイト『ウィキペディア』,「孝元天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/孝元天皇
サイト『ウィキペディア』,「開化天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/開化天皇
サイト『ウィキペディア』,「崇神天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/崇神天皇
サイト『ウィキペディア』,「垂仁天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/垂仁天皇
サイト『ウィキペディア』,「景行天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/景行天皇
サイト『ウィキペディア』,「倭建」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ヤマトタケル
サイト『ウィキペディア』,「成務天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/成務天皇
サイト『ウィキペディア』,「仲哀天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/仲哀天皇
サイト『ウィキペディア』,「神功皇后」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/神功皇后
サイト『ウィキペディア』,「武内宿禰」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/武内宿禰
サイト『ウィキペディア』,「応神天皇」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/応神天皇
サイト『ウィキペディア』,「高天原」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/高天原
サイト『ウィキペディア』,「黄泉」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/黄泉
サイト『ウィキペディア』,「葦原中国」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/葦原中国
サイト『ウィキペディア』,「根之堅州国」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/根の国
サイト『ウィキペディア』,「常世」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/常世
サイト『ウィキペディア』,「島」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/島
サイト『ウィキペディア』,「縄張り」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/縄張り
サイト『ウィキペディア』,「倭国」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/倭国
サイト『ウィキペディア』,「大倭」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/大倭
サイト『ウィキペディア』,「大和国」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/大和国
サイト『ウィキペディア』,「ヤマト王権」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ヤマト王権
サイト『ウィキペディア』,「日本」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/日本
サイト『ウィキペディア』,「出雲国」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/出雲国
サイト『ウィキペディア』,「黄泉比良坂」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/黄泉比良坂
サイト『ウィキペディア』,「比婆山」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/比婆山
サイト『ウィキペディア』,「出雲国風土記」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/出雲国風土記
サイト『ウィキペディア』,「矛」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/矛
サイト『ウィキペディア』,「十拳剣」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/十拳剣
サイト『ウィキペディア』,「太陰太陽暦」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/太陰太陽暦
サイト『ウィキペディア』,「干支」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/干支
サイト『ウィキペディア』,「欠史八代」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/欠史八代
サイト『ウィキペディア』,「上代特殊仮名遣」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/上代特殊仮名遣
サイト『図書館員のコンピュータ基礎講座』,「CJK統合漢字」
 http://www.asahi-net.or.jp/~ax2s-kmtn/ref/unicode/cjku_klist.html
サイト『たっちゃんの古代史とか』,「和名抄以前の古代国名郡名マップ」
 http://tacchan.hatenablog.com/entry/2013/12/26/044414
サイト『北川研究室』,「和名類聚抄郡名一覧」
 http://kitagawa.la.coocan.jp/data/gunmei.html
サイト『国府物語』,「国府一覧」
 http://jkomatsu0513.heteml.jp/kokuhulist.html
サイト『日本神社』,「目次」
 http://www.jinja.in/
サイト『こよみのページ』,「日出没時刻方位角」
 http://koyomi.vis.ne.jp/sub/sunrise2.htm
サイト『日食情報データベース』,「福岡」
 http://almus.iic.hokudai.ac.jp/databases/x10553/guide/
 pceclguide.html
サイト『とい XXX 2010』,松尾庄一著,「古事記の政治的世界観」
 http://toi.oups.ac.jp/10-3mto.pdf
サイト『古代史の論点』,「在位年代推定の方法」
 http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/zaii.htm
サイト『うだ記紀万葉』,「神武天皇」
 http://www.city.uda.nara.jp/udakikimanyou/yukari/jinmutennou/
 index.html
サイト『同行二人 第1部』,「No.36 吉野山」 ,「No.37 大宇陀町」
 http://www.tokensoft.co.jp/manpo2002/index.html
サイト『同行二人 第2部』,「No.89 東大阪市日下町」 ,「No.91 奈良県宇陀市」
 http://www.tokensoft.co.jp/manpo2008/index.html
サイト『Mapion』,「3D風の都道府県地図」
 http://www.mapion.co.jp/map/japan.html
サイト『Google Earth』,「ストリートビュー地図」
 http://www.google.co.jp/intl/ja/earth/index.html
サイト『Yahoo!』,「山の高さの表記があるYahoo!地図」
 http://maps.loco.yahoo.co.jp/
サイト『静岡県のホームページ』,「電子国土の地名検索」
 http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-520a/map/c_search/
 c_search.html
サイト『C++Builderの小部屋』,「白地図KenMap」
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~t-kamada/CBuilder/progfram.htm


ページトップへ戻る