4.視察結果

目的の達成 (結果報告)
 今回の視察は、「3. コース計画」 の通りに進行し、倭への答礼訪問により、
 倭 30国すべてを魏の傘下に入れる 「1.1 外交目的」 と、倭地への行程や倭の領
 国力を調査する 「1.2 戦略目的」 を達成した。 下記項目 4.1~4.4 の通り。

 倭の戦略的価値は、倭の兵員200,000餘人
(5倍数)に直接対戦するには、魏の兵員
 輸送に多数の軍船が必要となるため、魏が地続きの韓を攻撃する際の遠交近攻策に
 倭を利用するのが良い。 しかし、倭が呉や韓と組しないよう、継続的な査察が必要。

 なお、倭の南に在る狗奴国は、呉の影響下にあるが、倭軍の鉄製武器が狗奴国を圧倒
 しているため、倭が狗奴国を滅ぼすのは、きっかけ次第のように思われる。


4.1 倭の外交関係 (西暦241年現在)
 関係大 関係小 敵対関係 関係なし

外交関係























21
 魏との関係
 呉との関係
 公孫氏との関係
 弁韓馬韓との関係
 辰韓との関係
 狗奴国との関係
 倭種の国との関係
 侏儒国との関係
 黒齒国との関係


4.2 倭地への行程 (韓地より遠方は、道標としてのランドマークが必須)

帶方郡倭地の往復全行程は、「3. コース計画」 の通りであるが、各行程には、倭人
 のガイドが用いる道標として、必ず遠方からでも目視できるランドマークがあり、
 これを辿れば、帶方郡倭地を往復できる。 [ 網掛色 ] は、参考追加部分。

全行程ランドマーク (後世の地名による)方向道里
(5倍数)
帶方郡 狗邪韓国.摩尼山 .女貴山 .加羅山7,000餘里
狗邪韓国 對海国.加羅山 .白嶽1,000餘里
對海国  一大国.白嶽 .矢立山 .岳の辻1,000餘里
一大国  末盧国.岳の辻 .番所ノ辻 .加也山 .衣干山1,000餘里
末盧国  伊都国.衣干山 .十坊山 .城山 .王丸山 .荒平山東南500
伊都国   奴国.荒平山 .観音山東南100
奴国   不彌国.観音山 ソ.井野山100
不彌国  投馬国ソ.井野山 .基山 .城山 .田島 .高山500
投馬国  上陸地.高山 .高井岳 .岩松ケ峰東南250
上陸地 邪馬壹国.岩松ケ峰 .鏡山 .伐株山 .青野山
.野稲岳 .星岳 .高長谷山
東南550
邪馬壹国旁国21.高長谷山 .烏岳 .鏡山 .鰐塚山 .高畑山
.高隈山 .高長谷山   その他不明
 方面
邪馬壹国倭種の国.高崎山 .皇座山1,000餘里
倭種の国 侏儒国.皇座山 .雨乞山 .佐田岬 .飯之山
.由良岬 .沖の島 .足摺岬 .法印山
4,000餘里
侏儒国 邪馬壹国.法印山 .足摺岬 .沖の島 .由良岬
.飯之山 .佐田岬 .関崎 .高崎山
西北
4,000餘里
侏儒国裸国黒齒国  遠過ぎて行かなかったため、詳細不明東南
9,000餘里
邪馬壹国 伊都国.高崎山 h.小城山 i.矢筈岳(姫島) j.國見山
k.砂利山 l.御嶽(大島) m.志賀島 n.長垂山
西北
3,000餘里
伊都国  一大国n.長垂山 .加也山 .番所ノ辻 .岳の辻1,000餘里
一大国  對海国.岳の辻 .矢立山 .白嶽1,000餘里
對海国 狗邪韓国.白嶽 .加羅山1,000餘里
狗邪韓国 帶方郡.加羅山 .女貴山 .摩尼山7,000餘里


4.3 倭の領域 (倭人の居住地主体となる倭地倭の範囲)

倭人の居住地 (倭人の多くは、帶方郡の東南の大海の中に在る倭地に居る)
 ● 倭人は、韓地の南海岸にも居住しているが、多くは、帶方郡東南の大海中に居る。
 ● 国でいえば、韓地の南海岸近海に在る狗邪韓国、海峡に在る對海国一大国、
  倭地に在る末盧国伊都国奴国不彌国投馬国邪馬壹国旁国21国等で 30国、
  狗奴国侏儒国倭種の国と、隔地に在る裸国黒齒国に居住し、合計 35国に亘る。

主体となる倭地 (倭地は、魏韓地に比べて温暖、大きさは、洲島の集合で韓地程度)
 ● 上記 30国の内、韓地の南海岸近海に在る狗邪韓国と海峡に在る對海国一大国
  3国は、山が海面から突出したような 「山島」 の国であるが、
  末盧国以下 27国は、海峡の先の 「洲島」 の倭地に在る。
 ● その倭地は、離れた海中で、海流川流等の陸化作用により、土砂が堆積した洲の
  ような 「洲島」 が、切れたり連なったりして、形状は、方状でなく、周旋状である。
 ● 大きさは、直径 5,000餘里(5倍数) 程で円状に旋回した周旋範囲内 「周旋可
  五千餘里
」 であり、一辺 400餘里(5倍数) 程の正方範囲内 「方可四百餘里」 の
  方状の對海国や一辺 300(5倍数) 程の正方範囲内 「方可三百里」 の方状の
  一大国に比べて、遥かに広大であり、一辺 4,000餘里(5倍数) 程の正方範囲内
  方可四千餘里」 の方状の韓地と同程度の大きさである。
 ● 倭地は、帶方郡から 12,000餘里(5倍数) の所に在る邪馬壹国を含み、この国
  は、呉の地の會稽の東方に位置しているため、魏韓地に比べて、温暖である。
 ● 倭地では、上記 30国以外に、邪馬壹国の東側に海を隔てて、倭種の国とその南に
  侏儒国が在って、その海は、倭地における内海になっている。
 ● 倭人によれば、倭地の外海を東南方向に、船行 1(倭暦の2倍年暦で、行程日数
  5倍数を表す)程かかる所 「東南船行一年可至」 に、裸国黒齒国が在るという
  が、遠過ぎて行かず、詳細が不明なので、倭地に含めない。

倭の範囲 (倭の北限は、狗邪韓国、南限は、奴国分国)
 ● 倭とは、韓地の南海岸近海に在る狗邪韓国、海峡に在る對海国一大国、倭地に在
  る末盧国伊都国奴国不彌国投馬国邪馬壹国旁国21国の合計 30の総称。
 ● 旁国21国とは、斯馬国已百支国伊邪国都支国彌奴国好古都国不呼国姐奴
  對蘇国蘇奴国呼邑国華奴蘇奴国鬼国爲吾国鬼奴国邪馬国躬臣国
  利国支惟国烏奴国奴国(奴国分国)21のこと。
 ● 倭の北限は、韓地近傍の狗邪韓国、南限は、旁国21国の奴国(奴国分国)である。

国名領域 戸数(5倍数) 大きさ(5倍数)
狗邪韓国
(弁辰狗邪国)
韓地
山島









北限







































南限
辰韓弁韓24国の 
平均 2,000餘戸 
 韓地は、
方可 4,000餘里
對海国 海峡
山島
1,000餘戸 方可  400餘里
一大国 (3,000許家)方可  300 
末盧国 倭地
洲島
4,000餘戸  倭地は、
周旋可 5,000餘里
伊都国 1,000餘戸 
奴国  20,000餘戸 
不彌国 (1,000餘家)
投馬国 50,000餘戸 
邪馬壹国70,000餘戸 


21
斯馬国不明
已百支国
伊邪国
都支国
彌奴国
好古都国
不呼国
姐奴国
對蘇国
蘇奴国
呼邑国
華奴蘇奴国
鬼国
爲吾国
鬼奴国
邪馬国
躬臣国
巴利国
支惟国
烏奴国
奴国(分国)
狗奴国 
倭種の国
侏儒国 
裸国  隔地
山島
遠過ぎるため未調査
東南船行一年可至
黒齒国 
合計35国30国 148,000餘戸以上 (4,000餘家を含む)


4.4 倭の国力 (人口文化統制歴史)

人口 (倭の戸数は、韓と同程度)
 ● 倭の狗邪韓国邪馬壹国の主要 9国だけで、戸数合計は、148,000餘戸(5倍数)
  であり、140,000~150,000餘戸(5倍数)の韓と同程度で、推定人口としても、
  通常の戸数(住居数)5(5人/戸) 程である。
  即ち、倭の人口には、上記戸数合計 148,000餘戸(5倍数)5(5人/戸)程の
  740,000餘人(5倍数) 以上が見込め、その半数が生産力になると推定できる。
  なお、倭で、身分の低い人でも 2~3人の婦人があるのは、壮年男子が戦死するた
  めであり、自分の妻が居る 2~3戸を巡る妻問婚の形を採る。
 ● 戸数が住居数を示すのに対し、一大国 3,000許家(5倍数)と不彌国 1,000餘家
  (5倍数)の家数合計 4,000餘家(5倍数)は、兵役等の賦役で召集された人の宿舎
  数を示しており、その人は、出身国の戸数中に含まれているが、の収容人数は、
  2.1 時代背景」 の辰韓弁韓の例(10戸/)からみて、50人/ 程である。
  即ち、兵員数に、上記数合計 4,000餘家(5倍数)50倍程の 200,000餘人
  (5倍数)40,000餘人(基数) を見込むことができる。

文化 (倭の文化水準は、魏より低く、呉支配の朱崖と同程度)
 ● 海峡に在る對海国一大国の倭人は、「南北市糴」 により、渡海操船技術に長じる。
 ● 倭の地に牛馬がいないので、移動手段に使えない。
 ● 倭に鉄銅の鉱山はなく、水銀が採れるが、資源産物について、魏に無い物なし。
 ● 倭の武器の矛鏃は、魏と同様、既に鉄製であるが、弓矢の構造は、魏と異る。
 ● 諸々の文化水準は、魏より低く、呉支配(西暦238)朱崖と同程度。
 ● 倭暦は、「正歳」 でなく、春の耕作と秋の収穫で区切って、1年を決める 2倍年暦

統制 (共立された女王には、世継ぎができないため、死後、内紛が起きる可能性大)
 ● 伊都国には、代々、邪馬壹国に従属する王がいる。
 ● 邪馬壹国以北には、行政官 「大官」 を置き、邪馬壹国伊都国以外、国王なし。
 ● 海を渡って中国へ詣るには、倭地では、残った一族の中から男の人質を取る。
 ● 身分の低い人は、貴人に対して、礼儀正しい。
 ● 罪人の妻子家族一族を奴婢として、没収する連座制により、倭の治安は良い。
 ● 税として、租(収穫物)や賦役(兵役)がある。
 ● 市が立つ所に、税務官の 「大倭」 を置いて、租税から漏れる交易を取り締まる。
 ● 邪馬壹国以北には、検察将軍の 「一大率」 を順に派遣して、諸国の検察を行なう。
 ● 「一大率」 は、普段は、伊都国に勤めていて、入出国輸出入の管理を行なう。
 ● この視察のとき(西暦240)、卑彌呼は、(倭暦の2倍年暦)113(2倍数)位。
 ● 女王卑彌呼には、夫がなく、倭の運営は、邪馬壹国女王兼倭王(卑彌呼)-男弟
  摂政体制で行なう。
  共立された女王には、世継ぎができないため、死後、内紛が起きる可能性大。

歴史 (倭人のルーツは、中国からの渡来人を受け入れた倭地の縄文文化先住民)
 ● 倭に商()代に似た占いがあり、女王卑彌呼が、商()代に似た祭祀を行ない、
  倭地では、皆、身体に白粉でなく、商()代由来の丹(辰砂)から作られた装身用
  紅色泥土を塗っているように、中国からの渡来人の 1つは、商人(殷の遺民)
 ● 倭の使者が身体に刺青をし、皆大夫夏后少康の子孫であると自称するように、
  中国からの渡来人の 1つは、越人(越の遺民)
 ● 「洲島」 の倭地が、秦代の徐福が到ったとされる 「平原廣澤(氾濫川の流域)
  在る地にふさわしいことから、中国からの渡来人の 1つは、徐人(徐福一行)
 ● 西暦107年頃には、「山島」 の国が 100餘国あったが、今般(西暦239)の倭
  では、国数が 30国である。
 ● 倭国大乱の前(西暦146年頃以前)は、(倭暦の2倍年暦)70~80(2倍数)
  間、倭国王帥升のような男王がいた。
 ● 倭国大乱は、西暦146年頃から西暦189年頃までの 約40年間。
 ● 倭の女王と狗奴国の男王とは、この視察のとき(西暦240)より前から争いが
  続いていて、先の戦争(倭国大乱)で、狗奴国を、倭地の南端に追い込んでいる。
 ● 倭国大乱終結後、諸国は、特別の女子卑彌呼を、邪馬壹国女王兼倭王に共立した。
 ● 邪馬壹国女王兼倭王(卑彌呼)が成立してからは、伊都国王は、代々、邪馬壹国に
  従属している。